柱
1922(大正7)年4月26日水曜日午前10時10分、皇居・表御座所にある内大臣室。
「うー……これ、地図がないとやっぱり厳しいわね……」
兄が枢密院会議で表御殿に行っている間の自由時間、私は仕事用の机の前に座り、資料を見ながらぼやいていた。今読んでいるのは、西南戦争の官軍の行動記録だ。先月から暇を見つけて少しずつ目を通しているのだけれど、文字ばかりで非常に読みづらい。おまけに、出てくる地名は当然ながら九州のものばかりなので、地名が出てきても、九州のどのあたりにあるのかさっぱり分からない。だから、傍らに九州の詳細な地図を置き、出てきた地名がどこにあるのかを地図で探しながら、少しずつ読み進めていた。
「さてと、これで人吉方面の戦いが終わったから……」
行動記録のページをめくろうとした時、下から突き上げるような感覚に襲われた。左右に揺れているような感じもある。地震かな、と思った瞬間、突き上げるような揺れも、左右の揺れも激しくなった。
(ヤバっ……!)
慌てて机の下にもぐった時には、本棚が軋む音がはっきりと聞こえた。天井から吊るしてある電灯の金具同士がこすれ合うような音もする。揺れが収まるまで、私は机の下で息を殺し、じっと耐えていた。
「梨花さま、ご無事ですか?!」
揺れが収まった直後、大山さんがドアを破るような勢いで内大臣室に入ってきた。彼の表情には全く余裕が無かった。
「ありがとう、大山さん。私は大丈夫」
私は制服のスカートの裾を手で払いながら立ち上がった。
「それより、状況を把握しないとね。兄上と節子さまの無事と、賢所・皇霊殿・神殿が大丈夫かどうか……。大山さん、島村閣下や残っている侍従さんたちと協力して、確認を取ってくれる?」
侍従長の奥保鞏さんは、枢密院会議に出席中の兄に従って表御殿にいる。だから、表御殿に残っている侍従と侍従武官の中で、一番位が高いのは島村侍従武官長だ。この地震、関東大震災よりは小さいけれど、昨年12月の地震のように、思わぬ被害が出た可能性もある。まずは冷静に情報を集めなければならない。
「かしこまりました」
大山さんが私に一礼して部屋を出て行くと、私は室内をじっくり観察した。窓や電灯は破損していない。本棚に立てかけていた本が数冊、倒れていたり本棚から飛び出したりしているけれど、それ以上の被害はないようだ。
(さて……兄上がいない分、私、しっかりしないとね)
気合を入れたその時、急にドアの外が騒がしくなった。大勢の足音も近づいてくる。何かあったのだろうか。ドアの方を向いて身構えた時、バン、と大きな音を立ててドアが開かれた。
「章子っ!」
まず見えたのは兄の引きつった顔だ。ドアを開けた勢いそのままに、兄は私に大股で近づくと、
「無事か?!」
と叫びながら私を抱き締めた。
「あ、うん……」
兄の勢いに押されてしまったけれど、私はすぐに態勢を立て直し、
「兄上、枢密院会議はどうしたの?」
と兄に尋ねた。
「中止に決まっているだろう」
兄は眉をひそめて私に答えた。「大した議題もなかったし……それに、今はお前の無事を確かめるのが最優先だ」
「気持ちはありがたいけど、他にやらなきゃいけないことがあるでしょ。節子さまが無事か確かめるとか、賢所の様子を確かめるとか……」
私が呆れながら兄に言うと、
「もちろん、それらも大切なことです。しかし、内府殿下がご無事であるかを確かめることも、それらと同じぐらい大切なことです」
兄の後ろから、枢密院議長の黒田さんが話に割り込んできた。
「そうじゃそうじゃ!大戦の危機から世界を救われた内府殿下は、我が国の、いや、世界の平和の女神であらせられるのです!その御身の安否は、国家の最重要事項の1つでございます!」
そう叫びながら、枢密顧問官の伊藤さんが内大臣室に入って来る。彼の後ろから、同じく枢密顧問官の陸奥さん、山縣さん、松方さん、西郷さんが内大臣室に足を踏み入れ、私の姿を見て安堵の吐息を漏らした。更には、枢密院会議に出席していた内閣総理大臣の桂さんや内務大臣の後藤さん、国軍大臣の山本権兵衛さんも内大臣室に入り込んでいる。その他の閣僚たちや、枢密顧問官の伊東巳代治さんや清浦圭吾さんまでが当然のようにいて、内大臣室はかつてないくらい混み合っていた。
「あの、皆さん……とりあえず、この部屋から出ていただけますか?」
これは、大きな地震が発生した直後の状況では絶対にないはずだ。私が暗澹たる気分に陥りつつも、内大臣室にいる人たちに呼び掛けた時、
「おや、皆様方、内大臣室で何をなさっておいでですか?」
人垣の向こうから、我が臣下の声が聞こえた。
「内府殿下は先ほどの地震の被害状況を把握なさるため、俺に命じられて情報収集を始められたところ。皆様に構っておいでになる暇はないのです」
廊下に現れた大山さんはこんなことを言いながら、溜まっている人々の間をかき分け、私のそばまでやって来た。
「し、しかし、わしらは内府殿下の御身の安否を確かめねばならんと考えて……!」
山縣さんの反論に、居並ぶ人々が一斉に激しく頷いた時、
「ならば、こうして内府殿下の御無事が確かめられたのですから、皆さまは各々の職務に従って、この地震による被害を把握し、社会の混乱を少しでも抑えなければなりませんぞ」
大山さんが彼らを睨みつける。大山さんの身体からは殺気が立ち上っていた。
「くっ……!」
「ここは退くしかないか……」
顔を青ざめさせた枢密院議員と閣僚たちは、潮が引くように内大臣室から去って行く。後には大山さんと私、そして兄が残された。
「あ、あのー、大山さん、そのー……助けてくれてありがとう」
お礼は言いたいけれど、大山さんを下手に刺激してはいけない気がする。私が恐る恐るお礼を言うと、
「いえ、俺は当たり前のことを言っただけでございます」
大山さんは真面目な顔で私に答えた。
「ああ、そうなの……それで、今までに確認が取れたこと、あるかしら?」
「奥御殿の皇后陛下はご無事です。賢所・皇霊殿・神殿にも異常は認められないとのことでした。陛下は……」
「無事だねぇ……」
兄に厳しい視線を突き刺す大山さんに、私はため息をつきながら応じた。
「陛下、災害時、陛下がみだりに動かれるのは慎むべきです。陛下の御身に万が一のことがあれば、この国の全てが止まります」
「愛しい妹の身が心配だったのだ。仕方ないだろう」
大山さんの視線を真正面から受け止め、兄は堂々と言い返す。しかし、
「梨花さまのそばには俺がおります。どんなことがあろうとも、梨花さまの御身には傷1つつけさせませんが……まさか陛下は、俺を疑っておいででしょうか?」
大山さんが殺気を滲ませながら言うと、兄は唇を引き結んで黙ってしまった。
「大山さん、殺気は出さないでくれるかなぁ……」
私はまたため息をついてしまった。
「……ま、いいや。とにかく今は、情報が入って来るのを待ちましょ。関東大震災よりは小さな地震だけれど、去年の地震より大きい地震なのは確かだから、被害も大きくなっているでしょうし」
気を取り直して私が兄に提案すると、
「あ、ああ、そうだな」
兄は弾かれたように頷く。「では、俺は情報収集の続きに当たります」と答えた大山さんは、
「ふむ……梨花さまは一応、及第点ですかな」
と呟いた。
1922(大正7)年5月2日火曜日午前11時、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「今回の地震による死者が2名、負傷者が20名。建物の倒壊・破損が、東京・神奈川・千葉で合わせて約300件か……」
今日は大山さんが担当する机上演習の日だけれど、“せっかくの機会なので”という大山さんの鶴の一声により、机上演習の代わりに、先週水曜日に発生した浦賀水道付近を震源とする地震の振り返りを行っていた。
「御苑のレンガ塀が180mくらい崩れて……。あと、横浜の山下町でのレンガの建物の損傷が目立つわね。町内の建物の1割以上が被害を受けるって、ちょっと尋常じゃないなぁ……」
私が資料のページをめくりながら言うと、
「山下町は、元々海を埋め立てて造った造成地が大半です」
大山さんが説明を加えた。
「そのため、地盤は緩くなっています。また、損害を受けたレンガ造りの建物は古く、施工不良や部品の劣化なども目立ったとのこと。これらの要因と、震源に近かったこともあって、被害が大きくなったと思われます」
「なるほど……同じ山下町で水道管の破損や電線の切断が多いのも、地盤の弱さが関係しているのかもしれないな」
兄は資料に目を通しながら言うと、
「アメリカのニューヨークにあるような高層ビルが、山下町になくてよかったな。もしあったら、今回の地震で倒壊していたかもしれない」
と暗い声で付け加えた。
「兄上の言う通りね。そもそも、アメリカの東海岸って、日本と比べて地震が少ないもの。ニューヨークと同じような設計で、日本で高層ビルを建てたら、地震で倒壊するわ」
「その意味では、東京駅ができていなくてよかったかもしれないな。“史実”と同じように東京駅ができていれば、東京駅周辺にビルが建ち並んで、関東大震災で被害を出していたかもしれない」
兄は私の言葉に応じると、お茶を一口飲む。斎藤さんによると、関東大震災では東京駅周辺……丸の内に建設されていたビル群が被災した。特に建設中だった内外ビルディングは全壊して、多数の作業員が犠牲になったそうだ。
「関東大震災で全ての建物が倒れるのを防ぐことはもちろん難しいから、基本は、発生時刻に建物の中にいないことを徹底させるしかないわね。その辺りは桂さんや後藤さんも考えてくれているだろうから、そちらに任せるしかないけれど」
「ああ……。ただ、他人に任せて信じて待つのは難しいな。俺はつい、口と手を出したくなってしまう」
「私もよ。現場に出て働きたくなるわ」
兄と私が顔を見合わせると、
「口を出さずに信じて待つのは、上に立つ者の務めでございますよ」
大山さんは怒ることなく、私たちにこう言った。「俺も若い頃はよく分かりませんでしたが、経験を重ねて、ようやく分かった気がします」
大山さんのその言葉を聞いて、頭に引っ掛かったことがあった。大山さんは西南戦争で、敬愛していた従兄である西郷隆盛さんを討った後、お父様に“西郷の身代わりと思う”と言葉を掛けられてから、超俗的な、広大な海のような将器を……西郷隆盛さんのような人間を目指していた時期があった。彼は、私と兄に、やはり西郷隆盛さんのようなリーダーになって欲しいと思っているのだろうか。
「あのさ、大山さん、聞いていい?」
私がこう言うと、大山さんは顔をこちらに向け、「何でございましょう」と尋ねた。
「大山さんは、兄上と私に、西郷隆盛さんのようになってほしいのかしら?」
私の質問に、
「という訳ではないのですが……」
大山さんは軽く首を傾げながら答える。
「本当にそうか?」
すかさず兄が大山さんに言葉を投げた。「大山大将の言うことを聞いていると、俺を大西郷のようにしたいのではないかと思えてくる」
すると、
「一部分だけ切り取ってしまえば、そのような結論になってしまうのかもしれません」
大山さんは少し不思議なことを口にした。
「どういうこと?」
「主君が部下に口や手を出したくなってしまうのは、臣下を信頼していないからでございます」
私の問いに、大山さんは顔に微笑みを浮かべて答え始めた。
「自分の思う通りのことを臣下がやってくれるか、臣下に与えた仕事をできるだけの能力があるか……主君がそのような思いを抱いていれば、主君は臣下につい口や手を出したくなります。しかし、主君が臣下の能力と特性をよく理解し、臣下も主君の思いを良く理解していれば、主君は臣下を信頼し、全てを任せることができます」
「……」
「主君が臣下を信頼して全てを任せるのは、指揮における理想の形です。しかし、そのためには、主君も臣下も並大抵でない努力を必要と致します。そして、現状に当てはめて正直に申し上げますと、その理想を体現するための努力が今少し必要なのは、陛下と梨花さまのように思います」
「「?!」」
目を瞠った兄と私に、
「今、陛下と梨花さまのおそばには、優秀な臣下が揃っております。陛下も梨花さまも、才気煥発であらせられます。特に梨花さまは、我々の考えもしないことをとっさに思いつかれる、非常にご聡明な方です。しかし、それ以外のことならば、俺たちとて遅れは取りません。ですから陛下も梨花さまも、大事に当たった折には、考えたり動いたりすることは少し臣下たちに任せ、俺たちの支えに……精神的な柱になっていただきとうございます。それは、どんな天変地異にも倒れぬ、大事な柱でございますゆえ」
大山さんはそう言うと最敬礼した。
「……分かった」
先に大きなため息をついて言ったのは兄だった。
「ついつい、策が頭に浮かんでしまう。そして、それを言わなければならないと思ってしまうのだ。しかし……それは受け取り方によっては、卿らを信頼していないことにもなるのだな……」
「大山さんたちを信頼してないわけじゃないわ。……いや、むしろ、あなたたちの方が、私より力量が上なんだから、信頼してるに決まってる。けれど、それを態度で示せるようにならないといけないのね。……すごく難しいけど」
「だな」
頷いた兄の顔に苦笑いが浮かんだ。
「難しいのなら、訓練なさればよろしいのです」
大山さんは微笑した。「ですから、俺たちはこうして、机上演習を行っております。陛下と梨花さまが、どんな大事にも揺らがなくなるように」
「……それに加えて、お互い、普段から努力することも必要だな」
兄は大山さんに穏やかな声で言った。「俺たちは卿らをよく知る努力を、卿らは俺たちを知る努力を……」
「ええ。ですから、陛下も梨花さまも、これからもよろしくお願いいたしますよ」
少しおどけた口調で言って、頭を下げた大山さんに、
「こちらこそ」
「だな」
私と兄はこう返すと、顔を見合わせて苦笑いを交わした。
※地震の被害については、『震災予防調査会報告』第99号(震災予防調査会,大正14)を参照しました。




