表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第68章 1920(大正5)年処暑~1920(大正5)年冬至
577/803

妹の疑問

 1920(大正5)年9月4日土曜日午後2時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「それで、私に相談って何かしら、多喜子(たきこ)さま?」

 本館1階にある応接間。私はそこで、栽仁(たねひと)殿下の親友・東小松宮(ひがしこまつのみや)輝久(てるひさ)王殿下と2年前の夏に結婚した私の末の妹・多喜子さまと顔を合わせていた。第一高等学校の二部に通っていた多喜子さまは、今年の6月、東京帝国大学理科大学を受験し、見事実力で合格したのだ。彼女は1日から、理論物理学科の初めての女子学生として、理科大学に通学していた。

「はい」

 もうすぐ23歳になる多喜子さまは、少し強張った表情で頷く。私の妹たちの中で一番美人な彼女だけれど、今日はその美しい顔が若干曇っていた。

「実は、そろそろ、子供のことを考えようと思っているのです。今までは、お互い、受験をしなければなりませんでしたから、子供を作ることは考えていなかったのですが、やっと東京で輝久さまと一緒に住むことができるようになりましたから……」

 多喜子さまの言葉を聞いて、

(まぁ、そうなるよな)

と私は思った。彼女の夫・輝久殿下は、栽仁(たねひと)殿下と同じように、去年の国軍大学校の受験に失敗したけれど、今年の試験に実力で合格した。輝久殿下は8月末まで、装甲巡洋艦“榛名”の分隊長として横須賀にいて、第一高等学校に通っていた多喜子さまはずっと東京に住んでいたから、輝久殿下と多喜子さまは、週末にしか会うことができなかったのだ。

 すると、

「それで、理科大学に問い合わせたのです。私が輝久さまの子を身籠ったら、学業や進級のことはどうなるのでしょうか、と。ところが、どなたもお答えになれないのです」

次に多喜子さまは、聞き捨てならないことを私に言った。

「誰も?」

「ええ、誰も」

 私の問いに、多喜子さまはオウム返しのように答えた。

「最初、事務員の方に聞いてみましたの。ですが、どなたも答えを持ち合わせておりませんでしたから、理科大学の学長に尋ねてみましたの」

「え、えーと、今、理科大学の学長って、誰だったかしら……」

 今の医科大学の学長は佐藤三吉(さんきち)先生であるのは覚えているけれど、理科大学の学長までは記憶にない。私が尋ねると、

「化学の櫻井錠二(じょうじ)先生ですわ。ですが、櫻井先生も私の質問にお答えになれなかったのです」

多喜子さまはため息とともに回答した。

「それで、山川総長にお伺いしてみたのです。もし私が輝久さまの子を身籠ったら、学業や進級のことはどうなるのですか、と」

(わぉ……)

 山川総長、というのは、大山さんの義兄でもある山川健次郎(けんじろう)先生のことだ。言うまでもなく、東京帝国大学で一番偉い人である。簡単に会える人ではないと思うけれど……恐らく、向こうが勝手に忖度したのだろう。そんなことを考えていると、

「そうしたら、章子お姉さまに相談するのがいいだろう、と山川総長がおっしゃったの。大学在学中に出産した女性は、今までどの帝国大学にも出ていない。もし私が出産したら初めての例だから、国軍の軍人で初めて出産なさった章子お姉さまの意見を聞くのが一番だ、と」

多喜子さまは耳を疑うような発言をした。

「ちょ……ちょっと待って?!何でそうなるの?!」

「何で、って……当たり前ではないですか」

 慌てる私に、末の妹はさも当然、という調子で言った。

「章子お姉さまは実力で医術開業試験に合格なさいました。そして、国軍で初めての女性の軍人におなりになって、更には貴族院議長、そして今では内大臣として、立派に嘉仁(よしひと)お兄さまを助けておいでですわ。社会に出て、女子の生きる道を切り開いてきたお姉さまだからこそ、何かいいお知恵をお持ちだろうと、山川総長もお考えになったのですわ」

「はぁ……」

 山川先生に、面倒なことを丸投げされただけのような気もする。しかし、できる限り、多喜子さまの力にはなりたい。私は麦湯を一口飲んでから、

「私、帝国大学には通っていないから、仕組みがよく分からないのだけれど……大学の進級や卒業は、どう判定するのかしら?」

と、多喜子さまに質問した。……もちろん、私は前世で大学を卒業したけれど、流石にそれは多喜子さまには言えない。それに、大学や学部ごとに、進級や卒業の規定は違っていることもあるから、確認はしておくべきだろう。姉がそんなことを考えているとは知らない多喜子さまは、「ええと……」と呟きながら、カバンの中から何枚かの紙を取り出した。

「学生は、“平常点”というものと“試験点”というもので採点されますの。平常点は、授業中にやる小試験や提出物の出来で決まります。試験点は、学年末試験の点数ですね。その2種類の点数が、科目ごとに付けられます。平常点と試験点は、どちらも100点が満点ですね」

 多喜子さまは、取り出した紙に目を落としながら説明を始めた。

「そして、各科目について、“学年点”というものが算出されます。100点満点ですが、平常点の2倍と試験点を足して3で割ったものが学年点になりますから、平常点が重視されておりますね。最後に、各科目の学年点を平均した“平均点”というものを出しますの。すべての科目の学年点が50点以上で、なおかつ、平均点が60点以上であれば進級できます。まぁ、学年点が50点未満の科目があっても、1つだけならお目こぼししてもらえて進級できることもあるのですけれど」

「なるほどねぇ……」

 私は胸の前で両腕を組んだ。平常点重視、となると、授業を全てサボって、最後の試験で満点をかっさらって単位をもらう、という真似は難しいようだ。前世の大学時代の同級生には、そんな奴が2、3人いたのだけれど。

「……となると、休学するしかないんじゃないかしら」

 確か、前世の大学時代、学生のうちに結婚した後輩が、出産と子育てのために1年休学したと聞いた記憶がある。それを思い出しながら私が言うと、

「休学……どのくらいの期間休まなければならないのでしょうか?」

多喜子さまは形の良い眉をひそめながら尋ねた。

「やはり、国軍や貴族院の規則に従って、産前は6週間、産後は8週間休学しないといけませんか、お姉さま?」

「基本はそうなるでしょうけれど、それ以外の期間も、休まないと身体がもたない可能性があるわよ」

 不満げな妹に、私は苦笑いして応じた。「万智子(まちこ)禎仁(さだひと)を身籠った時は、悪阻(つわり)がひどかったから仕事を休まないといけなかったわ。それに、悪阻を乗り越えても、流産や早産の徴候があるなら、身体を休めないといけないわよ。そうじゃないと、私が謙仁(かねひと)を産んだ時みたいな大騒ぎになるわ」

「ああ、そうですね……」

 頷いた末の妹に、

「だから、休学する期間については、主治医とよく相談しながら決める、ということにすればいいんじゃないかしら」

と私は言った。

「ただ、産前6週間と産後8週間は休まないとダメよ。その時期に無茶しちゃうと、多喜子さまが体調をおかしくしてしまうからね。あなたが妊娠したら、多分医科大学の中島先生が主治医になると思うけれど、彼と相談して、くれぐれも無理をしないようにね。妊娠したら、多喜子さまの身体は多喜子さまだけのものじゃなくなるんだからね」

 私の言葉に、「それは分かっていますけれど……」と妹は唇を尖らせ、

「お姉さま、もし休んでいる期間に、学年末の試験が重なってしまったら、どうすればいいですか?私、留年はしたくないのです。さっさと大学を卒業して、産技研か帝国大学で音……超音波についての研究をしたいのです」

と強い口調で言う。

「んー……気持ちは分かるし、産婦人科の先生に相談してもいいかもしれないけれど、いつ身籠るかを制御するのは難しいわよ。私も、結婚と同時に子供のことは考えていたけれど、妊娠するのはもう少し先だろうと思っていたら、結婚してすぐに万智子を身籠ったし……」

 私は万智子を身籠った時のことを思い出しながら答えた。

「“産前・産後の期間に被って試験が受けられない時は、平常点をそのまま学年点とすることも考慮する”……対策としては、この一文を入れておくぐらいかしらね。無条件に進級できることにしてしまうと、女子学生にちゃんと進級できるだけの実力が備わっているか測れないことになってしまうもの。それは多喜子さまだって、望むところではないでしょ?」

 両腕を胸の前で組んで考えながら私がこう言うと、

「そうですね……分かりました」

多喜子さまは真面目な表情で頷いた。

「ありがとうございます、章子お姉さま。お姉さまがおっしゃったこと、山川総長に話してみます。それで、いつ子供を授かってもいいように、普段からしっかり勉学に励みますわ」

とニッコリ笑って多喜子さまは言った。

「そうね。……これは多喜子さまだけの問題じゃない。今在学している、いいえ、彼女たちだけではなくて、これから帝国大学に入学するすべての女子学生にも関わる問題よ。そのことを忘れないように、山川総長としっかりお話してね」

 私は末の妹に微笑みを返すと、私なりの激励の言葉を贈った。


 1920(大正5)年9月11日土曜日午後2時35分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「では、陛下の仰せ通り、荒川放水路の堤防強化は、来年度の予算に組み込むことに致しまして……」

 牡丹の間では、梨花会の面々が集まり、毎月の定例の梨花会が開かれていた。今は、兄から……というか、黒田さんから提案のあった、荒川放水路の堤防強化が話し合われたところだ。先日行われた災害シミュレーションで、黒田さんが私と兄に“関東大震災により荒川放水路の堤防が崩壊し、東京市内に水が流れ込んだ”という問題を出し、私と兄はさんざん苦しめられた。その後、内務省に荒川放水路の堤防の強度について調査してもらったところ、耐震性に若干の不安が残るという結果が得られたため、急遽、本日の議題に付け加えたのだ。

(これで、国内の話題は終わったから、残っている議題は、迪宮さまのことと、各国の軍艦の廃艦状況と、オーストラリアでのインフルエンザワクチンの治験のことだったかな……)

 議題が並べられた手元の紙を見ながら私がぼんやり考えた時、

「続きまして予定外ですが報告を1つ」

司会役の西園寺さんが机の上に置かれた紙を手にして言った。

「東京帝国大学で、学則の改正を行うことになりました。主に休学についての規定の改正ですな。帝国大学側から文部省に上がってきた案によりますと、女子学生が妊娠した場合、分娩予定日の6週前から分娩8週後までは休学すること、また、それ以外の妊娠期間中も、主治医の指示により、適宜休学などの必要な措置を取ること。産前・産後の期間に学年末試験が重なってしまった場合は、平常点で学年の成績を付けることも考慮すること……この3項目を付け加えるということです」

(はい?)

 私は眉を跳ね上げた。西園寺さんが言った3項目……それは私が先週の土曜日、多喜子さまに話した内容そのままである。

(な、何かタイミングが良すぎるけれど……これって、まさか……)

「おや、内府殿下、どうなさいましたか?」

 枢密顧問官の陸奥さんが、私をニヤニヤしながら見つめていた。

「自分が話したことが、そのまま漏れてしまったのではないか……そんな疑問を抱かれているようですが」

「……私の考えを勝手に読まないでください」

 私は陸奥さんを睨みつけた。「ええ、おっしゃる通りですよ。今の3項目、私が先週の土曜日に多喜子さまに話した内容です。確かに、多喜子さまは山川総長に話してみる、とは言っていましたけれど、それがこんなに早く帝国大学で改正案として作成されて、文部省まで上がって来るなんて、普通じゃ考えられない……」

 すると、

「十分に考えられることだと思いますが?」

私の隣に座っている大山さんが冷静な口調で指摘した。

「恐れ多くも、東小松宮妃殿下のご下問でございます。しかも、梨花さまもお口添えなさっているのです。それに、東小松宮妃殿下は物理学の研究も志しておられますが、東小松宮家を継ぐ子を生むという大事な役目も担っておられます。その方のために帝国大学の規則を大至急整えるのは当たり前のことかと存じますが」

「は、はぁ……」

 とにかく、多喜子さまから私の答えを聞いた山川先生が、規則改正案を大急ぎで作成したということは理解した。理解したけれど……。

「これ、梨花会で報告する必要は無いんじゃないかしら……」

 私が首を左右に振りながら呟くと、

「なぜ報告してはいけないのですかな?」

その呟きを拾った西園寺さんが、逆に私に問いかけた。

「女性が社会で活躍するにあたって、妊娠と出産という問題は避けては通れません。その問題を解決しようとする試みは、当然、この梨花会で触れられるべきでしょう」

「西園寺総理の言う通りであるんである!」

 立憲改進党党首の大隈さんが、西園寺さんに呼応して大音声を張り上げた。「そもそも、この問題は、内府殿下の高等学校ご進学とともに解決される可能性があったもの!結婚・妊娠したからと言って、女子が学ぶ機会を奪われてしまうのはいかがなものかと思うんである!」

「……確かに、私、求婚する馬鹿たちがいなければ、第一高等学校の医学部に進学するつもりでいましたけどね」

 私は半ば呆れながら大隈さんに言った。「けれど、その辺の規則を整えるのは、国軍の“妊産婦健康管理規定”の前身の“産前・育児休暇に関する規定”を定めた時にもできたはずで……まぁ、その時に高等学校・帝国大学への拡充を言い出さなかった私も悪いのですけれど……」

 その時、首筋に針のようなものが刺さった気がして、私は右手で左の首筋を押さえた。それが兄の鋭い視線であることに気付くのに時間はかからなかった。

「梨花……」

 目を怒らせた兄は、私をじっと見つめている。なぜ兄がここまで怒っているのか分からないまま、私は身体を兄から遠ざけた。

「お前、栽仁のことを馬鹿にしたな?お前にあれほど一途で純粋な愛を捧げている栽仁を……」

「ちょ、ちょっと待って、兄上」

 私は思わず椅子から立ち上がった。「何で、今の私の発言で、私が栽仁殿下を馬鹿にしたことになるのよ。私は、女医学校に入る前に求婚してきた馬鹿な連中のことを言っただけで……」

「栽仁もあの頃から、お前を愛していただろうが!」

「そうかもしれないけれど、私はそんなの全然知らなかったんだってば!」

 兄と言い合いを続けていると、

「ほう……」

陸奥さんが再びニヤリと笑った。

「これはいけませんね。若宮殿下の一途な思いを、先帝陛下に御婚約を命じられるまで全く気付かずに過ごされていたとは……」

「何をいまさら……」

 私は陸奥さんを睨みつけた。「色恋沙汰が苦手なのは昔からですよ。それをどう言われようと、私には何の効果もありませんけれど」

 すると、

「いや、今だからこそ、きちんと対策を講じる必要があると思うがのう」

枢密顧問官の西郷さんがのんびりと言った。「万が一、母君の奥手が、万智子女王殿下や謙仁王殿下にうつってしまっては大変じゃ。ここは内府殿下のお子様のご教育のためにも、奥手をきちんと直してもらわねば。のう、弥助(やすけ)どん?」

「その通りです」

 大山さんが私に不気味な笑みを向けた。「梨花さまの奥手を直していただくためにも、若宮殿下からの愛をしっかり自覚していただかなければ……」

「それはいいお考えですなぁ。若宮殿下も国軍大学校に合格なさって、お2人で過ごす時間も増えたでしょうし……西園寺閣下、今日は議題を変更して、内府殿下と若宮殿下が最近どう過ごされているか、内府殿下に話していただくことといたしましょう」

 国軍航空局長の児玉さんの謎の提案に、「賛成!」「玩具どもがいなくなってしまったし、ちょうどよい!」などと、一同から無責任な賛成の声が上がる。

「あ、あんたら……どこがどうなったらそうなるのよ……」

 怒りに震える私の手を、

「梨花さま、どうぞ椅子におかけください。……最近若宮殿下とは、どのように過ごされているのですか?」

大山さんがそっと握り、私に優しい微笑みを向ける。“逃げたら許しませんよ”……我が臣下は全身でそう訴えていた。

(そ、そんな……)

 こうして、9月の定例の梨花会の残り時間、私は最近の栽仁殿下との生活について、梨花会の面々から根掘り葉掘り訊かれることになってしまった。

※東京帝国大学理科大学の進級システムについては、『東京帝国大学一覧』從大正7年 至大正8年(東京帝国大学,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/940169)を参考にしました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 梨花会の面々 そーとー、暇を持て余しているようですね。ここぞとばかりに梨花様をおもちゃにするなんて。本当、どうしようもない人たちだ事(苦笑)。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ