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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第65章 1918(大正3)年小雪~1919(大正4)年春分
552/803

今年最後の大仕事

※誤字を訂正しました。(2023年5月27日)

 1918(大正3)年12月14日土曜日午後2時10分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「……」

 今日は12月の第2土曜日、定例の梨花会の開催日である。今回は、細部もほとんど形になった“新興感染症特別措置法”の罰則などについて協議することになっていた。と言っても、国民の生活や衛生対策に必要な物資を投機目的で買い占めたり、不当な高値で売り付けたりした場合の罰則、投機目的などで意図的に当該感染症に関する流言を飛ばした者への罰則、そして、営業の縮小・停止命令に事業者が違反した場合の罰則については、昨日夕方に行われた臨時の梨花会で既に定められていた。けれど、緊急事態宣言が出されている状況下で、外出自粛要請に違反した個人に対する罰則をどうするか、また、緊急事態宣言により治安が悪化した場合、軍隊を出動させるかどうか……それについて、最後まで意見が一致しなかったのだ。そこで、兄の提案で、軍縮会議の予備交渉のために2日前にスイスのジュネーブに入った国軍参謀本部長の斎藤さんに至急(ウナ)電を出し、彼の見解を尋ねることにしたのだけれど……。

「なるほどね」

 ジュネーブから、やはり至急(ウナ)電で届けられた斎藤さんの返事を読んだ私は、大きなため息をついた。

「“我が国民の気性は()()よりは落ち着いているが、何らかのきっかけで暴発する恐れはある。基本は警察が事態の対処にあたるべきだが、必要があれば警察から軍隊出動の要請を出し、国民の混乱を抑える必要があるだろう。また、外出自粛要請に違反した個人に対して、何らかの罰則は必要だが、高額の過料を取られると知れば、そのことで国民が激高する。最初は注意程度にとどめ、何度も不要不急の外出を繰り返す悪質な者のみに1円程度の罰金を科すのがよいのでは”……個人の罰則に関しては、私と後藤さんの中間くらいの意見かしら。でも、そうか、“史実”よりは落ち着いているけれど、国民は何らかのきっかけで暴発する恐れがある、か……」

「だから申し上げたでしょう」

 大山さんの右隣に座っている伊藤さんが、呟いた私に身を乗り出すようにして言った。

「内府殿下が考えていらっしゃるより、この時代の我が国の国民は、その身のうちに荒々しさを秘めているのです。自由民権運動は、憲法が制定される前はしばしば激化して、警察や軍隊と争うこともありました。また、この時の流れでは発生していませんが、“史実”で大隈さんが爆弾を投げつけられて右脚を失い、更に、日露戦争の講和直後に日比谷焼き討ち事件が発生したのも、国民の秘めた荒々しさが、表に現れた結果でございましょう」

 確かに、伊藤さんの言う通りだ。それに、“史実”では、大正時代に入ってからも、大正政変で第3次桂内閣が倒れる直前や、ジーメンス事件により第1次山本内閣が倒れる直前に、激高した民衆が国会議事堂を取り囲み、警察署や新聞社、国会議員の家などを襲撃したのだ。また、この時の流れでは遠因となったシベリア出兵が無かったので発生しなかったけれど、“史実”では今年、米騒動が発生して、米商人や精米会社が襲撃された。それを考えれば、社会不安に煽られた国民が、何らかのきっかけで暴走してしまう可能性はゼロではない。

「……そう言えば、“史実”の戦後でも、安保闘争で国会がデモ隊に取り囲まれたことがあったわね。戦後でそんな状況だから、“史実”の戦前はもっとすごかったのかもしれない。……分かりました。止むを得ない時は軍隊を出動させて治安維持にあたらせるという条項については了承します。“史実”のこの時代の民衆のことを知っている斎藤さんの答えを読んで、納得しました」

――主治医どのは、民衆に対する認識が甘い。この時の流れでは政治が安定しているからほとんど落ち着いているが、何かに煽られて民衆が暴発すれば目も当てられないぞ。

 本当は、“史実”の記憶を持つ原さんにも、梨花会の始まる前、表御座所の内大臣室でさんざん言われていたのだけれど、それをこの場で言う訳にはいかない。私が伊藤さんに答えると、

「緊急事態宣言下の外出自粛要請違反者に対する罰則も、斎藤さんの意見の線でよいのではないでしょうか。例えば、3回目までは注意にとどめ、4回目以降は1円の過料、という形で……」

前内閣総理大臣の渋沢栄一さんが言う。この時の流れと“史実”とで、物価上昇の速度が全く異なっているので、一概には言えないけれど、今の1円は、私の時代だと17000から18000円ぐらいに相当するだろうか。

「その辺りが妥当でしょうね」

 枢密顧問官の陸奥さんがそう言って顎を撫でる。

「内府殿下のおっしゃる通りに罰則無しとすれば、余りに抑止力に乏しいですが、後藤君の意見通りの罰則とすると、国民から厳しいという批判を激しく受けかねない」

「陸奥さんの言う通りですなぁ。では、外出自粛要請への違反者への罰則は、3回目までは注意、4回目以降は1円の罰金ということで……」

 内閣総理大臣の西園寺公望さんが話をまとめようとした時、

「総理大臣」

兄が西園寺さんを呼んだ。

「はっ」

 かしこまって頭を下げた西園寺さんに、

「国民の動揺が甚だしいようならば、勅語を出す」

兄は穏やかな口調で告げた後、

「……いや、勅語は、おいそれとは出せないものか。ここで勅語を出すと、勅語の出し過ぎと批判されて、勅語自体の価値が下がるかもしれない。それに、わたしの勅語に、人心を鎮める効果があるかどうか……」

そう言って、顔に苦笑いを浮かべる。すると、

「「何を仰せられますか!」」

宮内大臣の山縣さんと内務大臣の原さんが同時に叫んだ。

俊輔(しゅんすけ)と斎藤から聞きましたが、この時の流れでは、詔勅(しょうちょく)の数は“史実”より目立って少なくなっております。それは今までの政治が安定し、詔勅をもって混乱を収めなければならないことが全く無かったからです。陛下の勅語が批判されるなど……ましてや、人心に与える効果が無いということは断じてございません!」

 真剣な表情で兄を見つめる山縣さんの目には、涙が光っている。原さんも顔を真っ赤にしながら兄をじっと見ていた。

狂介(きょうすけ)の言う通り……陛下の国民に向けてのお言葉に力が無いなどということが、どうしてありえましょうか」

「伊藤閣下のおっしゃる通りです。……ただ、陛下が、勅語自体の価値を下げたくはないと心配なさるお気持ちも分かるつもりです。今後の民衆の動向を見極めまして、もし、特別措置法の公布時に勅語が必要だと内閣で結論が出ましたら、勅語を発していただく旨、奏請致します」

 東宮御学問所総裁の伊藤さん、そして西園寺さんも次々に兄に言上する。兄は「そうか……」と呟くと、

「では頼むぞ、総理大臣。わたしの言葉が必要だと判断したら、遠慮なく申し出てくれ」

と軽く頷いて言った。

「ところで、特別措置法はいつ公布するんであるか?」

 (うやうや)しく兄に一礼した西園寺さんが頭を上げたところに、野党・立憲改進党党首の大隈さんが大きな声で問いかけた。

「党内には、帝国議会通常会の休会明けの公布でよいのではないかという意見もあるんであるが、我輩、年内に公布させる方がよいのではないかと思っているんである!」

「おっしゃる通りです。既にアメリカ全土に新型インフルエンザは拡大し、ウィルソン大統領も感染したとのこと。イギリスやフランス、ドイツ、ロシアでも感染報告がありますから、日本に到達するのは時間の問題です。通常会の休会は来年1月19日の日曜日までですが、それ以降の公布では間に合わない可能性も十分にあります。そちらの協力が得られれば、異例ではありますが、特別措置法の年内の公布を目指したいと考えています」

 西園寺さんは、今度は大隈さんに向き直り、力強い調子でこう言った。

「通常会の開会式は24日ですから、28日の土曜日に成立で29日に公布、即日施行がギリギリの線ですかな、原殿?」

「ええ。政党に所属している議員たちは何とかなりますが、問題は貴族院の無所属議員たちです。7月の伯子男爵議員選挙で数を減らしましたが、まだ侮れない勢力を保っているのは確か」

 向かい合って座っている桂さんと原さんが言葉を交わす。桂さんは立憲改進党の、そして原さんは立憲自由党の番頭のような立場にいる。党のトップの意志を、実務レベルに上手く落とし込むのが、桂さんと原さんの仕事の1つだった。

「そこは何とかなるでしょう。(おい)たちも、家達(いえさと)公をはじめとする貴族院のお歴々を説得致しますし」

 上座の方から、枢密院議長の黒田さんが、2人の番頭さんに声を掛ける。伊藤さん、松方さん、陸奥さん、西郷さんも黙って頷いた。国家の重鎮たちの言うことならば、流石に貴族院の頭の固い議員たちも聞かざるを得ない。それに、貴族院の無所属議員たちは、鷹司(たかつかさ)煕通(ひろみち)公爵の管理下にある。鷹司さんと梨花会の協力体制はもちろん続いているから、法案成立に協力させることは可能だろう。

「……ということは、特別措置法の公布が、今年最後の大仕事かしらね」

「ああ。長い年末になる。しかし、一刻も早く、インフルエンザに備えなければな」

 私の言葉にこう応じた兄は、正面を向き、

「総理大臣と大隈伯爵の言う通り、この特別措置法は年内に公布する方がよいとわたしも思う。皆、そのつもりで事にあたって欲しい」

と一同に申し渡す。普段と違うその厳かな声に、出席者一同、深く頭を下げたのだった。


 1918(大正3)年12月29日日曜日午前9時45分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「ふう……やっと落ち着いたなぁ……」

 本館1階にある居間。青磁色の無地の和服を着た私がため息とともに吐き出すと、

「昨日は帰りが遅かったものね。お疲れ様、梨花さん」

私と並んで長椅子に座っていた栽仁(たねひと)殿下が微笑みかけた。年末年始の休暇に入ったので、勤務先の一等巡洋艦・“八丈”から戻ってきてくれたのだ。

「仕方ないわ、特別措置法のことがあったからね」

 私は夫に力無く微笑んだ。新興感染症特別措置法は、27日の金曜日に衆議院を全会一致で通過し、そして昨日、28日土曜日に貴族院で審議され、こちらも全会一致で通過した。貴族院で審議が終わったのが夕方だったので、内閣から表御座所に特別措置法の原本が持ち込まれたのは午後9時を過ぎていた。その後も様々な仕事があり、私が昨夜家に帰ったのは子供たちが寝静まった午後11時過ぎだったのだ。

「今日の官報の号外で公布されて、即日施行されるんだっけ?」

「兄上の勅語を付けてね」

 私は栽仁殿下に答えると、お茶を一口飲んだ。新型インフルエンザの感染は世界中で拡大しており、今月20日にはハワイ王国と清で、そして25日には、ヨーロッパへの玄関・敦賀港を(よう)する福井県の敦賀町で感染の発生が確認された。その情報が伝わると世間では不安が広がり、それを反映してか、株価や米・麦などの価格が大きく上下した。この国民の動揺を鎮めるため、西園寺さんは兄に勅語を出すことを要請し、今日の官報号外には、“流言に惑わされず軽挙妄動を慎み、科学的な方法によってインフルエンザの対策を個々人で行うこと。自分もできる限りの対策を政府に講じさせる”という内容の勅語が掲載された。

「敦賀町で新型インフルエンザの患者が出てしまったから、年内に特別措置法が公布できて本当に良かったわ。もし、公布が年明けになっていたら大変なことになっていた。新型インフルエンザがもう東京に入り込んでいてもおかしくないし……」

 新型インフルエンザは、敦賀町の港湾労働者たちに集団発生した。その感染源が、ウラジオストックから敦賀に向かう船に乗っていた誰かだというのは容易に想像できる。感染源となった人物が、また、その人からウイルスを感染させられた人が、敦賀から列車に乗って京都・大阪・名古屋、そして東京に向かった可能性も十分にあるのだ。

「なるほど。だから、新年拝賀も新年宴会も今回は無くなったんだね」

 得心がいったように頷いた栽仁殿下に、

「そう。宮内(くない)伝染病予防令……だっけ。皇室令の中にある規則に従って、山縣さんが決めたの」

私はそう答えて、再びお茶を一口飲んだ。

「法定伝染病もだけれど、インフルエンザも、感染したら参内してはいけないって決められていたのね。極東戦争の頃に制定された皇室令だから、私、全然把握していなかったのだけれど……。その中に、“伝染病の流行状況によっては、宮中への立ち入りを全面的に禁止する”という条項があって、山縣さんはそれを利用して新年拝賀と新年宴会を中止させたという訳」

「そうか。よく分かったよ。新年拝賀も新年宴会も、人が大勢来るからね。その中に新型インフルエンザの患者が紛れ込んでいる可能性も十分にあるものね」

「うん、それで、万が一、兄上がインフルエンザに感染したら、大変なことになるし……」

 うつむいた私の右手を、栽仁殿下は優しく取る。彼の手を(すが)るように握り返しながら、

「怖いの……兄上が、病気にかかるのが……」

私は小さな声で言った。

「兄上、今は元気で、身体にどこも悪いところはないけれど、もし、兄上が病気にかかって、それをきっかけに、“史実”のように体調を崩してしまったらと考えると、とても怖くなるの。この時の流れと、“史実”は違うんだって、分かってはいるのだけれど……」

「梨花さん……」

 栽仁殿下が私にぴったりと身体を寄せ、私を優しく抱きしめようとしたその時、居間の扉がノックされた。慌てて栽仁殿下から身体を離した私が「どうぞ」とドアに向かって声を掛けると、

「父上、母上、失礼致します」

9月に華族女学校初等小学科第2級……私の時代風に言えば小学2年生になった長女の万智子(まちこ)が、千夏さんを従えて居間に入ってきた。

「どうしたんだい、万智子?」

 栽仁殿下が優しく問うと、

「冬休みの宿題でマスクを縫ったので、父上と母上にご覧いただきたくて……」

紅の地に白い線で五弁の花を描いた和服を着た万智子は、私たちに近づき、手に持った布製の白いマスクを差し出した。

「綺麗でしっかりした縫い目ねぇ……万智子、これ、全部自分で縫ったの?千夏さんに手伝ってもらったんじゃ……」

 マスクの余りに綺麗な出来栄えに、私が思わずこう尋ねると、

「母上、ひどい。全部自分で縫いました!」

答えた万智子は頬を膨らませた。

「宮さま、千夏も英機(ひでき)さんのマスクを縫いながら見守っておりましたけれど、女王殿下はこのマスク、全部お一人でお縫いになりました」

 万智子の後ろに立つ千夏さんが、私に報告するとクスっと笑う。私は娘の方を向いて背筋を伸ばすと、

「万智子、疑ってしまってごめんなさい。母上が悪かったわ」

頭を深く下げ、心をこめて彼女に謝罪した。

「よろしい……って、目上に対しては言ってはいけないんだわ。分かりました。私、母上のことを許します」

 機嫌を直した万智子は私にこう言うと、

「母上、私、謙仁(かねひと)禎仁(さだひと)のマスクを縫ってもいいですか?」

と、漆黒の瞳で私を見つめながら尋ねた。

「もちろんよ。もし、材料が足りないなら、母上の古い寝間着や浴衣をほどいて使っていいわよ」

 私が娘の目をしっかり見つめながら答えると、

「宮さま、そんな、よろしいのですか?!」

千夏さんが目を丸くした。

「いいに決まっているじゃない。死蔵しておいて虫に食われるのを待つより、他の形で再利用する方が、着物も幸せだよ。それに、私もマスクの材料を確保したいしね」

 私は千夏さんにこう言うと、

「じゃあ、栽仁殿下、私、ほどいてもいい着物を見繕ってくるから、席を外すね」

今度は夫に声を掛け、長椅子から立ち上がった。私と、そして栽仁殿下のマスクを縫うこと。どうやらこれが、私の今年最後の大仕事になりそうだった。

※実際の宮内伝染病予防令の施行は1908(明治41)年です。

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