内大臣、葉山に行く
1917(大正2)年7月11日水曜日、午前11時45分。
「宮さま……」
神奈川県・三浦半島に敷かれた鉄路を南へとひた走る列車。その一等車の座席に腰かけた私を、乳母子の千夏さんが、隣から心配そうにのぞき込んだ。
「どうか、あまりご心配なさいませんように。皇太后陛下の御身については、あの連絡では触れられていなかったではないですか」
「それはそうなのだけれど……」
千夏さんに応じた私は顔をしかめた。
「でも、お母様の身に、何か重大なことが起こっている可能性はあるわ。お母様が葉山に移られてから、緊急に呼び出されたことなんて、今まで無かったもの」
そう言うと、私は黒い診察カバンの取っ手を握りしめた。
今朝、いつものように、子供たちと朝食をとっていたら、別当の福島安正さんが食堂に駆け込んできて、
――内府殿下!葉山御用邸から、“直ちにご参邸を”との電話が……!
私に青ざめた顔で報告したのだ。葉山御用邸では、お母様が、この秋に新しい住まいが完成するまで生活している。そこからの緊急呼び出しという今までにない事態に、私は一瞬パニックになったけれど、「各所への連絡は私がしておきますから、内府殿下はとにかく葉山へ御成りを!」という福島さんの声に押されるようにして、千夏さんと別館にいる中央情報院の新人さん1人を供に新橋駅へ急行した。そして、横須賀行の列車に飛び乗ったのだけれど……。
(どうしよう……)
私が再び診察カバンの取っ手を握り直した時、列車は横須賀の手前・逗子駅のホームに滑り込んだ。この駅が、葉山御用邸の最寄りの駅である。私は手早く身支度を整え、座席から立ち上がった。
逗子駅の前には、福島さんが手配してくれた4人乗りの乗合自動車が停まっていて、私たちの姿を見ると運転手がさっと車のドアを開けた。逗子駅と葉山の間には、4、5年前から4人乗りの乗合自動車が往復するようになった。事前に連絡をすれば、このように、貸し切りで運行もしてくれるのだ。私たちが乗りこむと、自動車は葉山御用邸を目指して走り出した。
(お母様……)
右側には、家々の間から、相模湾の海面が顔をのぞかせている。晴れの日には太陽を受けてキラキラと輝く波は、梅雨曇りの下で光を失っていた。そんな海の様子を見ていると、どうしても、不吉な想像をしてしまう。お母様は病気で重態になってしまったのではないだろうか。もしかしたら、もうとっくに亡くなっていて、私はお母様との最後のお別れのために葉山御用邸に呼び寄せられたのではないだろうか。それはないと頑張って否定しても、嫌な想像は泉のように勝手に湧き出てしまい、私の心を苦しめた。
(こんなことになるなら、先月、兄上と節子さまが葉山に日帰りで行った時、私もついていけばよかったかなぁ……。でも、私は有栖川宮家に嫁いだ人間だし、兄上と節子さまだって、私に聞かれたくない話をお母様としたいかもしれないし……)
様々な想像と考えが頭の中で入り乱れ、大きくなった心の痛みが涙に代わる寸前、乗合自動車は葉山御用邸の門前に到着した。私は首を左右に2、3度振ると、乗合自動車から降りた。
御用邸に入ると、謁見の間ではなく、その奥へと案内された。こちらは、居間や寝室などがある、お母様のプライベートなエリアである。謁見の間ではなく奥に通されるということは、謁見の間に出てこられないほど、お母様の体調が悪いという解釈もできる。最悪の想像が現実にならないよう必死に祈りながら、私は案内の女官について廊下を歩いた。
「皇太后陛下、内府殿下がいらっしゃいました」
お母様の居間の前まで来ると、女官が中に声を掛ける。けれど、部屋の中から返事はない。居ても立っても居られなくなった私は、女官を押しのけると、
「お母様っ!」
叫びながら、居間の障子を一気に開けた。
「あら、増宮さん」
15畳の和室の奥に置かれた文机の前に、鈍色のデイドレスを着たお母様が正座していた。文机の上には、何冊かの本が載っている。髪はきちんと結われていて、顔色も良さそうだ。ぱっと見は、健康そのものと言っていいけれど……。
「ごめんなさいね。つい、本に夢中になってしまって、気づくのが遅れました」
柔らかな微笑を向けたお母様に、
「お母様、お身体を診察してもよろしいでしょうか」
私はその場に正座すると、頭を下げながら申し出た。
「見た目には、とてもお元気そうに見えるのです。しかし、無理をなさって、お元気であるように見せているのかもしれません。もし、お母様が無理をなさっているのでしたら、後で余計にご体調が悪くなってしまいます。お父様の例もございますから、今すぐ診察をさせていただいて……」
すると、
「ふふっ」
お母様が笑い出した。まるで、鈴を転がすようなお母様の笑い声を、私は久しぶりに聞いた。
「増宮さん、私は元気ですよ。何の症状もありません。今朝も侍医どのの診察を受けて、何の問題もないとお墨付きをもらっているのです」
「でも……」
「ご心配でしたら、ここに診療録もありますよ。どうぞ、目を通してみてください」
お母様は本の山の一番上から、1冊の和綴じの本を取り上げて私に差し出す。近寄ってそれを受け取った私は、診療録の中身に急いで目を通した。確かに、お母様の体調は、1月に東京を離れた時と変わりなく、健康そのものであることが、診療録の記載から読み取れた。
「増宮さん。私は、先帝陛下が身罷られる時、お上の世を見届けよと命じられました」
私が診療録を読み終わった時、お母様は微笑を含んだ声で言った。
「ですから、いつまでも、健康でいなければなりません。軽い運動をして体力を保ち、食事もきちんと取るようにしています。侍医どのの診察も毎日受けています。1つしかないこの身体、大切に使わなければ、先帝陛下のご遺命を果たすことができませんからね」
「……疑ってしまい、大変、申し訳ございませんでした」
私が素直に頭を下げると、
「お上の企てが、少し効き過ぎてしまったようですね」
お母様はそう言って苦笑した。
「は?」
(兄上の……?)
眉をひそめた私に、
「先月、お上と節子さんがこちらにいらしてくださった時、増宮さんはお上に遠慮して、ついてきてくださらなかったでしょう」
お母様は少し寂しそうに言った。
「こちらに参りましてから、常宮さんも周宮さんも、富美宮さんも泰宮さんも貞宮さんも、それから満宮さんも会いに来てくださったのに、増宮さんだけいらしてくださらないから、私、寂しくなってしまったのです。4か国連合のこととか、国際連盟のこととか、それから、栽仁さんや万智子さんのこととか、増宮さんに聞きたいお話がたくさんありますのに……」
私はうつむいて、お母様の言葉を聞いていた。確かに、内大臣の業務や子育て、そして自分の勉強に追われ、お母様に会いに葉山に行くという考えが全く浮かばなかったのだ。
「それでお上に相談しましたら、緊急の呼び出しと言えば、私が病気にかかったと思って、増宮さんはこちらに駆け付けるだろう、と言われましたの。今日ならば、増宮さんの業務に支障は出ないとお上に教えていただいたので、呼び出したのですけれど……増宮さんに余計な心配をさせてしまったようですね」
「いや、それなら、いいのですけれど……」
私は大きなため息をついた。「本当に心配しました。お母様の身に何かあったのかと、気が気でなくて……でも、元はと言えば、私がお母様を放っておいたのがいけないのです。そうでなければ、兄上が変な策略を立てることも無かったわけですから」
「そうですね」
そう言って、クスっと笑ったお母様は、
「増宮さん、食堂で、お昼ご飯を一緒にいただきましょう。私と増宮さん、2人きりで」
と私を誘った。
「もちろんです、お母様。たくさんお話しさせていただきますね」
私はにっこり笑って、お母様に頷いた。
久しぶりにお母様と、小さなテーブルで向かい合って一緒に過ごす食事の時間は、とても素晴らしいものだった。
出された料理が、とても美味しかったのはもちろんだ。けれど、一番素晴らしかったのは、お母様が昔と変わらず、春の穏やかな日差しのように暖かい雰囲気を醸し出していたことである。お母様の優しい声と笑顔は、私の心を解きほぐしてくれ、私はこの半年の間にあった様々なことを、お母様に話していた。
「では、陸奥どのは、スイスに到着したのですね」
長い長い会話の後に、お母様が私にこう確認したのは、料理の器が全て下げられ、食後のお茶がテーブルに置かれた直後だった。
「はい、昨日、到着したという電報を受け取りました。学習院の修了式が終わったら、廣吉さん一家もスイスに移るそうです」
私はお母様に答えると、お茶を一口飲んだ。
「一家というと……小次郎さんと麟太郎さんもですか?」
「ええ、スイスの学校に通わせるそうですよ」
陸奥さんの初孫である小次郎くんは14歳、その弟・麟太郎くんは11歳だ。2人とも、学習院に通っている。もちろん、日本に残る選択もできたのだけれど、彼ら2人は祖父の海外転勤の件を聞き、自分たちもついていきたいと申し出たのだ。
「先月、日本を発つ前に、陸奥どのが暇乞いに来てくれましたけれど、世界を一飲みにしてしまいそうな勢いでした」
お母様はくすっと笑った。その時の陸奥さんの様子を思い出したのだろう。
「小次郎さんと麟太郎さんも、陸奥どのの薫陶を受けていらっしゃいますから、敢えて困難な道に進むことを選んだのでしょうね」
「私もそう思います。陸奥さん、お孫さんのことを本当に可愛がっていますから、お孫さんも陸奥さんに似たのかもしれません」
彼らが成長して、社会で本格的に活躍し始めるのはいつ頃だろうか。もし、官界に入るのならば、10数年経てば、私と言葉を交わす機会も生まれるのかもしれない。できれば、祖父譲りの舌鋒で私をやりこめないで欲しいけれど。
「浜口どのの方はいかがですか?」
「何日か前に、コンスタンティノープルに着いたという電報をもらいました。その後は連絡がないですけれど……多分元気にやっていると思います。山田さんも明石さんも協力してくれているので」
オスマン帝国の財政再建に従事することになった浜口さんも、陸奥さんと同じく、先月日本を発った。浜口さんには、中央情報院のオスマン帝国の責任者・山田寅次郎さん、そして、ブルガリアのクーデターに密かに協力した後、オスマン帝国に入った中央情報院副総裁の明石元二郎さんが全面的に協力する。院の協力があれば、オスマン帝国の建て直しも成功するはずだ。
「本当に素晴らしいですね。増宮さんが、梨花会の方たちと進めていることは……」
お母様はお茶を一口飲むと、穏やかな微笑みを私に向けた。
「“史実”と同じような悲惨な世界大戦を起こしてはならないとお考えになって、4か国連合によるブルガリアとオスマン帝国の講和、そして、国際連盟の設立を提唱なさって……増宮さんは上医として、国を、いえ、世界をも医していくのですね」
「恐れ入ります」
私はお母様に深く頭を下げた。
「正直に言うと、今でも実感がありません。国際連盟構想は、ドイツの皇帝がなぜか私の言うことに盲目的に従っているから成り立っているようなもの。もし皇帝が亡くなれば、たちまち瓦解するでしょう。イギリスも、軍事費が国家財政を圧迫していますから、今は国際連盟構想に賛成していますけれど、財政が好転すれば、手のひらを返すかもしれません。兵器産業や造船業界も、軍縮で仕事が減りますから、いい顔はしないでしょうし……懸念材料はたくさんあります」
ため息とともにこう吐き出したけれど、うつむいてしまった顔を私は再び上げ、お母様をしっかり見つめた。
「でも、私、これ以上、理不尽に傷ついたり死んだりする人を出さないために、やれることはやりたいのです。それが、兄上を、あらゆる苦難から守ることにつながると思うから……」
(そう思うの、だけど……)
お母様の微笑みが視界に入る。その春の日差しのような微笑みを見ていると、子供の頃に戻ったような気になって、ついつい、お母様に甘えたい、と思ってしまう。けれど、私は3児の母で、内大臣という要職も担っている身だ。もう母親に甘えられる年齢ではない。そんなことを考えていると、
「どうなさったの、増宮さん?」
お母様が首を傾げながら私に尋ねた。
「え、あ……その……」
戸惑う私に、お母様は微笑みかける。そして、
「何かお話になりたいことがあれば、なんでもお話くださってよいのですよ。人払いはしてありますし、ここでお話になったことは、私の胸の中にしまっておきますから」
と、優しい口調で私に言った。
「では……甘えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですよ。私は増宮さんの母親なのですから」
恐る恐る尋ねた私に、お母様は笑顔で頷く。その笑顔に励まされるようにして、
「正直、これで、兄上を苦難から守ることになったのか、自信が無いのです」
私は心の底にわだかまっていた思いを、ようやく口にした。
「4か国連合によるバルカン戦争の講和の提唱から始まった一連の国際会議により、世界大戦発生の危機は一応去りました。しかし、日本は、多数の国が参加しての国際会議を立て続けに開催するという大仕事に見舞われ、外賓の接待で兄上にも負担を掛けることになりました。国際連盟の提唱国でもある日本は、今後、国際政治という未知の分野で、国際連盟の提唱国にふさわしい貢献をしていかなければなりません。その過程で、兄上が難しい判断を迫られる場面も多く出てくると思います」
お母様は、私に穏やかな視線を注ぎながら、私の話を黙って聞いてくれていた。
「お母様はもうご存じですから言いますけれど、“史実”で兄上が亡くなるのは1926年……あと10年もないのです。だから、兄上の負担はなるべく減らして、兄上がいつまでも健康に過ごせるようにしたいのです。けれど、私の世界大戦を止めたいという思いのために、私は兄上にかえって多くの負担を強いてしまったのではないか……そんな疑問を、今更抱いてしまいました。兄上に、一連の公務が負担になったかと訊いてみようとも思いましたけれど、兄上は優しい人だから、きっと私のことを気遣って、本当のことを答えてくれないと思うのです。だから、余計に、気になってしまって……」
そこまで言って、目を伏せてしまった私に、
「増宮さん、もし、オスマン帝国とブルガリア公国の講和が成立しなかったら、世界は今頃、どうなっていますか?」
お母様は優しく尋ねた。
「恐らく、ドイツはブルガリアと一緒にオスマン帝国に攻め込んだでしょう。そして、ドイツの参戦を良しとしないイギリスが、オスマン帝国側に立って参戦して……戦争の規模は更に拡大したと思います。そこにフランスも参戦したら、間違いなく世界大戦に発展したでしょう」
4か国連合による講和の斡旋を思いつく前にしていた最悪の予測を思い出しながら答えると、
「お上は、お優しい方です」
お母様は私に言った。
「“史実”と同じような世界大戦が起こり、幾千、幾万もの人々が、戦場で無残に命を散らしていく……そんな報告を毎日お聞きになる方が、外賓の接待をなさるより、お上の心にご負担を掛けてしまうと思うのです。いいえ、間違いなく、掛けてしまっていたでしょう。お上ご自身が、先月こちらにいらしたときに、私にそうおっしゃいましたから」
「え……」
「“梨花のおかげで、大勢の人が死ぬことが避けられた。もし今回の企てが失敗して、世界大戦が起こってしまったら、幾万もの命が無残に散ったという報告を毎日聞くたびに、胸を痛めていたのだろう”……お上はそうおっしゃいました。だから増宮さん、増宮さんはちゃんとできていますよ。国を医すことも、お上を苦難から守ることも。もっと自信を持ってよいのです」
お母様の穏やかな声と、優しい微笑が心にしみていく。胸の内にあった不安は、いつの間にか消え去っていた。
「……では、そう致します」
私が微笑んで返事をすると、「ああ、良かった」とお母様は頷いて、
「ねぇ、増宮さん。増宮さんはこれから、頼られることが多くなると思うのです」
と私に話しかけた。
「内大臣としても、皇族の一員としても立派な方ですから、相談事を受けることも増えるでしょう。だから、増宮さんご自身が不安や悩みを抱えてしまった時、それを相談する機会に、なかなか恵まれないかもしれません。だから、そういう時は、私に甘えに来てくださいな」
「お母様……」
「誰にも……もちろん、お上にも、遠慮することはありませんよ。私は、増宮さんの母親なのですからね」
「はい」
私は素直に首を縦に振った。
「お母様……夏が終わるまでに、また、こちらに来てもよろしいでしょうか?今度は、万智子たちも連れて」
「もちろんですよ。ぜひいらしてくださいな」
お母様の顔に、また春の日差しのように暖かな微笑みが浮かぶ。変わらぬ愛情をひしひしと感じながら、私はお母様に深く頭を下げたのだった。




