表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第60章 1916(明治49)年霜降~1916(大正元)年冬至
509/803

予測可能?回避不可能?

 1916(大正元)年12月15日金曜日午前10時30分、皇居・表御殿にある鳳凰の間。

「……よく似合っている」

 紺色の詰襟の制服を着て部屋に入ってきた皇太子・迪宮(みちのみや)裕仁(ひろひと)さまの姿を、兄は目を細めて見つめた。迪宮さまの右肩からは、両端が紫で縁取られた赤い大綬(だいじゅ)が、左脇に向かって掛けられている。左胸に輝くのは大勲位菊花(きっか)大綬章(だいじゅしょう)、勲一等旭日(きょくじつ)桐花(とうか)大綬章、そして勲一等瑞宝章(ずいほうしょう)の副章だ。先ほど、迪宮さまは、皇室令の1つ・皇室身位令に従って、兄からこの3つの勲章を直接授けられたのだった。

「勲章を授けていただき、誠にありがとうございました」

 兄の前に直立した迪宮さまは、深く一礼すると、落ち着いた様子でお礼を言った。

 そして、

「この勲章に恥じることのないよう、勉学に励み諸芸を磨き、皇太子としての務めを果たして参りたいと存じます」

と続け、皇太子として抱負を語る。左右に立ち並んでいた政府高官の多くが、迪宮さまの立派な態度に目を瞠った。迪宮さまの後ろに控えている東宮御学問所総裁の伊藤さんは満足げに頷き、輔導主任である乃木希典さんは、感激の涙を服の袖でそっと拭っている。

(うわぁ、すごい……)

 兄から一歩下がったところで、宮内大臣の山縣さんと一緒に立っていた私は、迪宮さまの成長に驚きを隠せなかった。私が女医学校に通っていたころ、1901(明治34)年に生まれた迪宮さまは、来年の4月で16歳になる。東宮御学問所での学業も4年目に入って、学識もますます深めている……伊藤さんは梨花会の面々に時折そう自慢していた。その伊藤さんの言葉を裏付けるかのように、迪宮さまが兄にした挨拶は、大人顔負けの立派なものだった。

(私が勲章を初めてもらったのは成人した時だけれど……私、今の迪宮さまみたいな立派なこと、言えたかしら?全然余裕が無かったという記憶はあるけれど……)

 堂々とした態度の迪宮さまを、私がぼんやり見つめていると、

「陛下……」

私と同じように、兄から少し下がったところに立っていた(おく)保鞏(やすかた)侍従長が、兄に小声で呼びかけた。そろそろ鳳凰の間を出て、表御座所に戻るように、と言いたいらしい。兄は軽く頷くと、

「その言葉を聞いて安心した、裕仁。今後も、己の研鑽に励んでくれ」

穏やかな口調で迪宮さまにこう言った。そして、数瞬、名残惜しそうに迪宮さまを見つめてから、玉座から離れ、鳳凰の間を後にする。

(ああ……)

 兄の後ろを、表御座所に向かって歩きながら、私は兄と、兄の子供たちのことが心配になった。私が洋行に出る前は、兄は毎日、子供たちの住まいを節子(さだこ)さまと一緒に訪れ、子供たちと遊んだり、勉強を教えたりしていた。長男である迪宮さまは、ご学友たちと御学問所で合宿生活を送っているから週末しか会えないけれど、兄は、土曜日の夕食と日曜日の昼食は、必ず家族一緒に取るようにしていたはずだ。

(兄上、天皇になってから、迪宮さまたちと過ごせる時間は確保できているのかしら?)

 少し不安になった私は、表御座所に戻り、兄の執務室である御学問所で兄と2人きりになると、早速兄に疑問をぶつけた。

「確かに、興仁(おきひと)と接する時間は減ってしまったなぁ……」

 大元帥の正装から黒いフロックコートに着替えた兄は、私の問いに難しい表情になった。

「平日に花御殿……ではなかった、赤坂離宮に戻るのは、午後の仕事が終わってからだから、どうしても夕方になってしまう。それから興仁に会うと、機嫌が悪いのだ。“お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)がいらっしゃるのが遅い!”と言われてな……天皇になるまでは、興仁が幼稚園から戻ればすぐに会っていたから、仕方ないのかもしれないが」

「あら……」

 倫宮(とものみや)興仁さまは満4歳。兄夫婦の末っ子で、9月から華族女学校付属幼稚園に通い始めた。ただ、倫宮さまが幼稚園から帰宅するのは昼食の前後になるから、皇居から戻ってきた兄と節子さまに会うまでに、どうしても数時間、空白の時間帯が発生する。4歳の倫宮さまにはそれが辛いようだ。

「他の子供たちと過ごす時間は、そんなに変わっていないな。雍仁(やすひと)珠子(たまこ)尚仁(なおひと)が学校から戻るのは、以前から夕方だった」

 兄の次男・淳宮(あつのみや)雍仁さまは学習院中等科の3年生に進級した。5人きょうだいの真ん中で長女の希宮(まれのみや)珠子さまは、華族女学校初等中等科第3級……私の時代で言う中学1年生になった。兄の3男・英宮(ひでのみや)尚仁さまも、学習院初等科の5年生に進級した。この3人に関しては、放課後に学校で遊んでから帰宅することも多いので、兄と接する時間は、践祚前と比べても変化がないようだ。

「それに、裕仁とは、週末しか会えないな……」

 ここまで答えた兄は、大きなため息をついた。

「本当は、子供たちのそばにもっといたいのだ。お父様(おもうさま)が急に亡くなって俺が天皇になったから、子供たち、特に裕仁を取り巻く環境は大きく変わった。だから、状況に対応できなかったり、どうすればいいのか迷ったりすることも多いだろう。俺が子供たちのそばにいて、力になってやりたいのだが……」

 どこか遠くの方を見ながら呟くように言った兄は、その視線を急に私に向け、

「そう言うお前はどうなのだ。万智子(まちこ)たちにはちゃんと会えているのか?」

と尋ねると、口の端に微笑を閃かせた。

「うーん……軍医の仕事をしていた時と、そんなに変わらないかしら」

 顎の下に右手の甲を添え、私は帰国してからの我が家の実情を、必死にまとめ始めた。

「朝ごはんと晩ごはんは、子供たちと一緒に食べている。栽仁(たねひと)殿下がいる週末は、栽仁殿下ももちろん一緒よ。子供たちと話したり遊んだりする時間は……減ったか増えたか分からないなぁ。書斎で勉強することが多くなったけれど、当直勤務が無くなったから……」

「そうか。やはり、義兄上(あにうえ)は、お前の家に時々来るのか?」

「時々なんてものじゃないわよ」

 兄の再度の質問に、私はため息をついて答えた。「公務が無い限り、毎日盛岡町邸(うち)に来ている。子供たち、すっかり有栖川(ありすがわ)のおじい様とおばあ様とひいおばあ様に懐いちゃって、取られてしまうんじゃないかしら」

義兄上(あにうえ)は、万智子たちを溺愛しているからな」

 唇を軽く尖らせた私を見て、兄がクスっと笑いながら言った。「先日、俺の代わりに統監してくれた特別大演習の報告をしてくれた時も、“演習で一番辛かったのは、3人の内孫の顔を見られなかったことだ”と真顔で言っていた」

「やだ、お義父(とう)さま、そんなことを言っていたの?いい加減にして欲しいなぁ。今もうちに来るたびに、“清の善耆(ぜんき)殿下がいらしたら、霞ヶ関を離れられないから万智子たちに会えない”ってぼやいているのよ」

 つい先日、お父様(おもうさま)斂葬(れんそう)に参列する外国の皇族・王族の宿舎の割り当てが決まり、我が有栖川宮家の霞ヶ関本邸に、清の(しゅく)親王・善耆殿下が宿泊することになった。彼の宿泊中、義父はおもてなしの采配をするためにずっと霞ヶ関本邸にいなければならない。だから“盛岡町に行って孫たちの顔を見ることができない”と嘆いているのだ。

「……まぁ、ありがたいことではあるのよね。義理の両親が子供の面倒を見てくれるから、私は何の憂いも無く仕事に集中できる。そういう家庭、私の時代でも少ないと思うよ」

「“有栖川宮家は皇室の藩屏(はんぺい)、女子といえども国のために働くことを許されているのであれば、結婚して子を持っても、国のために働くべき”……俺も初めて聞いた時は驚いたが……」

「私も驚いたよ。今だって、“章子さまは家庭を顧みなくていい”とお義母(かあ)さまに言われて面食らうもの。私も前世はそういう家庭で育ったけれど、この時代だと、“女子は家庭を守るべき”という考えが主流だから……」

「様々な考え方があるのだろうよ」

 考え込んでしまった私に、兄が微笑を向けた。「絶対に外してはいけない原則はいくつかあるが、置かれている状況によって、最適な考え方は変わっていく。何が最適なのか、その時々に応じて、しっかり考えなければな」

 自分に言い聞かせるようにこう言った兄は、

「そうだ、このことを梨花に伝えておかなければならない」

と、身体を私に向け直した。

「実は、お母様(おたたさま)が、梨花会に出るのをやめるとおっしゃっているのだ」

お母様(おたたさま)が?どうして?」

 目を丸くした私に、

「どうやら、お母様(おたたさま)が梨花会に出ていらしたのは、議論に参加するため、というより、梨花と俺の成長を見守るためであったらしい」

兄は穏やかな口調で説明し始めた。「俺と梨花が、お父様(おもうさま)が考えていらした形で(まつりごと)をするのを見届けることができた、だから、梨花会における自分の役割は終わった……このようなことを、昨日俺におっしゃった」

「そうか……。寂しいけれど、そういうことなら仕方がないのかな」

 私がそう言って首を縦に振ると、

「それでな、お母様(おたたさま)に代わって、裕仁を梨花会に出そうと思うのだ」

兄は真剣な目で私を見つめながら言った。

「ああ……兄上が初めて梨花会に出たの、いつだっけ?」

「お前と御料牧場に行った直後だから、13歳の時だな。議題が、お前がフランツ2世陛下に会う時の衣装をどうするかということだったから、気楽に参加できた」

 私の質問に兄はこう答え、口元をほころばせた。

「裕仁も、もう15歳だ。あの頃の俺より年上だし、学識も備わっている。今は、あんなに気楽な話は流石にできないが、裕仁なら話について行けるはずだ」

「ついて行けるに決まっているわ。兄上と節子さまの子供だもの」

 私も微笑して応じると、

「みんな、迪宮さまの参加に反対しないと思うけれど、一応決まりではあるから、大山さんに頼んで梨花会の面々の意見を集めておく。それでいいかな?」

兄に確認の言葉を投げた。

「ああ、よろしく頼むぞ」

 兄は力強く返事をすると、あの頃と同じ、真っすぐで頼もしい瞳で、私をじっと見つめた。


 1916(大正元)年12月15日金曜日午後0時45分、皇居。

 兄が昼食休憩で奥御座所に入った後、表御座所にある内大臣室で昼食を取った私は、1人で表御殿を歩き回っていた。お父様(おもうさま)の子として今生を生きている私だけれど、毎日皇居で長い時間を過ごすのは生まれて初めてのことである。だから、皇居のどこにどんな部屋があるのか、ほとんど把握できていないのだ。奥御殿には勝手に入れないけれど、せめて表御座所と表御殿の構造は知っておこうと思い、私は内大臣に就任してから、昼食後には運動を兼ねて、皇居の色々なところを歩いていた。

 今、私が歩いているのは、数時間前に迪宮さまの勲章授与式があった鳳凰の間の前だ。更に歩いて西の溜りの間の所で廊下を左に折れ、千種の間や牡丹の間、竹の間のある方へ向かう。牡丹の間がある角を右に曲がり、少し進むと豊明殿だ。ここは、正式な昼食会や晩餐会で使う広間で、今は、数日後に迫った各国特使の歓迎昼食会の準備が進められていた。

 豊明殿の前を通り過ぎ、廊下の突き当たりを右へ行き、正殿へと向かう。正殿は、先日行われた“践祚(せんそ)後朝見の儀”のような大きな儀式が執り行われる場所だ。現在は、お父様(おもうさま)の棺を斂葬まで安置する殯宮(ひんきゅう)として使われていた。正殿の正面入り口の前に立ち、奥に安置されたお父様(おもうさま)の棺に向かって最敬礼した後、表御座所に戻る……昼食後の散歩では、色々なところを歩くけれど、最後にこれだけは欠かしたことがない。

 いつものように正殿入り口の前に立つと、開け放たれた扉の奥に、天井から下まで、横一直線に垂れ下がった真っ白い幕が見えた。幕の真ん中、普段は玉座が設えてあるあたりは、1.5mほどの幅で開かれ、その奥に、敷き詰められた畳と、天井から下げられた御簾を、ほんの少しだけ望むことができる。あの御簾の奥に、お父様(おもうさま)の棺が安置されているのだ。

 幕の手前、左右にたくさん並べられた椅子には、各省庁、そして東京市に駐屯地がある国軍の師団の将校たちが侍ってくれている。流石に、同じ人がずっと“殯宮祗候(しこう)”……お父様(おもうさま)の棺のそばに侍ってくれている訳ではなく、数時間ごとに交代する当番制で殯宮祗候をしているそうだ。

 数十人の人の気配がありながらも、全く物音のしない殯宮の奥に向かって、私は深く頭を下げた。納得のいくまで祈りを捧げてから頭を上げると、殯宮の中から出てきた人と視線がぶつかった。兄の5人の子供たちの輔導主任を務める、乃木希典歩兵中将だ。

「これは内府殿下」

 その場で立ち止まり、慌てて頭を下げた乃木さんに、

「どうか廊下に出ていらしてください、乃木閣下。私、もう表御座所に戻るところでしたから……」

私は丁寧に声を掛けた。乃木さんは頭を下げたまま廊下に出てくると、再び私に最敬礼をした。

「先ほどもお会いしましたけれど、今は、殯宮祗候のお当番なのですか?」

 午前中の迪宮さまの勲章授与式に、乃木さんも出席していた。それでこう尋ねたところ、

「はい。当番という訳ではないのですが、当番以外の時もこうして毎日参りまして、3、4時間ほど、ここで時を過ごしております」

乃木さんは私に思いがけない答えを返した。

「まぁ、毎日ですか」

 私は乃木さんに頭を下げた。「ご無理なさらないでくださいね、閣下。閣下がお倒れになったら、皇太子殿下や淳宮さまたちも悲しまれますから」

「……」

 乃木さんは、私の言葉に反応を示さなかった。

(あー、やっちゃったかな……)

 私は内心、舌打ちをしたい思いでいっぱいだった。昔、彼に剣道の稽古をつけてもらった時に感じたのだけれど、乃木さんは、会話を交わすのが余り得意ではない。自分が語るべき言葉を持ち合わせていない事柄に関しては、とたんに沈黙してしまうのだ。

(これ、どうにかして話題を変えないと……)

 一瞬だけ考えた私は、

「今日の勲章授与式での皇太子殿下は、本当にご立派でしたね」

と乃木さんに話しかけてみた。

 すると、

「ええ、まことに……」

乃木さんは目を細め、とても嬉しそうな表情になった。

「御学問所でのご学業も、4年目になりました。ご学友たちと切磋琢磨なさって、御学問も御人格も、日に日にご立派になっていかれています。まさに、日嗣の御子にふさわしい御態度です」

「閣下のおっしゃる通りですね」

 私はホッとしながら乃木さんに応じた。「小さいころから、賢かったですけれど、最近は大人びてきて……」

「ええ、ええ」

 乃木さんは頻りに頷くと、視線を殯宮の奥に向け、

「今も、先帝陛下に、そのことをご報告申し上げていたのです。先帝陛下が可愛がっておられました皇太子殿下は、こんなにご立派におなり遊ばしましたよ、と……」

と穏やかな声で言った。

「先帝陛下の命で皇太子殿下に輔導主任としてお仕え申し上げてから12年、淳宮殿下、希宮殿下、英宮殿下、倫宮殿下……各殿下とも、皆さまご立派になられて、ようやく肩の荷が下りたような気が致します。これなら……」

 乃木さんが更に言葉を続けようとしたその時、

「内府殿下!」

聞き覚えのある、切迫感を伴った声が私の耳に届いた。この声は、確か……。

金次郎(きんじろう)くん?」

 私はゆっくり後ろに振り向いた。私から15mほど離れたところに、黒いフロックコートに身を固めた青年が佇んでいる。内大臣秘書官の1人で、中央情報院の職員でもある松方金次郎くんだ。

「やはり、こちらにいらっしゃいましたね」

 呼吸を整えつつ、金次郎くんは私に向かって歩いてきた。

「一体どうしたのですか?慌てているようですけれど……」

 私が訝しく思いながら質問すると、

「すぐに表御座所にお戻りください。陛下が内府殿下をお呼びです」

金次郎くんは私にこう答えた。

「ウソ!もうそんな時間?!」

 私は急いで腕時計を確かめる。兄がヨーロッパに行った時、私にお土産としてくれた腕時計の針は、1時3分を指していた。午後の政務は1時からなので、完全に私の遅刻である。

「分かった。すぐに戻りましょう」

 返事をした私に、「それから、もう1つご報告が」と金次郎くんはかしこまったままで言う。

「何ですか?」

「陛下が、内府殿下を探して、秘書官室にいらっしゃいまして、平塚さんが驚いて気を失いました」

「~~~」

 私は唇を引き結んで天を仰いだ。予測可能なことではあったし、発生しないように注意していたつもりだったのだけれど、兄の姿を不用意に、余りにも間近で見てしまった平塚さんが失神するという事態は、回避不可能だったようだ。

「……とにかく、戻りましょうか。乃木閣下、申し訳ありません。お身体、ご自愛ください!」

 私は乃木さんに一礼すると、くるりと踵を返し、表御座所へ急ぎ足で歩き始めた。

「で、金次郎くん、平塚さんの様子は?」

「大山閣下と東條さんが、内府殿下のお部屋に運び込みました」

 早歩きをする私に楽について歩きながら、金次郎くんは私に答える。「平塚さんをお部屋の長椅子に寝かせた直後に、大山閣下に内府殿下を探して来いと命じられましたので、その後のことは分からないのですが……」

「そろそろ、平塚さんは目を覚ましていますよ」

 私は歩く足を止めずに言った。「驚いて、迷走神経反射を起こしただけですから、何分かしたら意識は戻ります。別の疾患を併発していれば、話は変わりますけれど。……はぁ、再発防止策を考えないといけないなぁ。また同じことが繰り返された場合、平塚さんに心的外傷(トラウマ)を植え付けることになる……。事例を多方面から分析して、再発防止策を……って、私がお散歩に夢中になっていないで、定刻までにさっさと表御座所に戻ればよかったのか……」

 ブツブツと呟きながら、表御座所に一刻も早くたどり着くべく、私は両足を必死に動かす。そして、目前の事態の解決に夢中になってしまった私は、別の予測可能な事態の発生が迫りつつあることに、とうとう気が付くことができなかったのだった。

※正確に言えば、皇室身位令では「皇太子皇太孫は満七年に達したる後大勲位に叙し菊花大綬章を賜ふ」とのみあり、旭日桐花大綬章と瑞宝章に関しては、慣例に従った併授なのですが、とりあえずここでは省略しました。(正直に言うと、この世界線の皇室身位令がどうなっているのかは謎なのですが……)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 乃木さん やはり… 西南戦争の件、史実では、終生気にしてましたからねえ。 兄上 悪癖爆発。その気さくに自分で動く性格は美点でもあり悪癖でもある訳で… 警護担当者の胃がマッハでヤバいことになる…
[一言] 裕仁様に梨花会で「あっそう」って言ってほしいHoI2民
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ