ドイツ(3)
1916(明治49)年10月14日土曜日午後7時45分、ドイツ帝国南部にあるバイエルン王国の首都・ミュンヘンのミュンヘン中央駅。
「こんな遅い時間に、わざわざお出迎えいただき恐縮です」
特別列車からプラットホームに降り立った私の弟・鞍馬宮輝仁さまは、向かい合って立っているバイエルン王国の王太子・ループレヒト殿下に最敬礼した。
『遠い国からやってきたお客人をもてなすのですから、これくらいは当然ですよ』
輝仁さまの言葉を通訳から聞いたループレヒト殿下は、輝仁さまにニッコリ笑って答えた。
『かつてお会いした時から、大きくご成長なさった殿下にお目に掛かることができ、本当に嬉しく思います』
ループレヒト殿下は、13年前、奥さんのマリーと一緒に来日し、その時に輝仁さまと会っている。ループレヒト殿下の言葉に、「ありがとうございます!」と輝仁さまは元気にお礼を言った。
『写真は章子が手紙と一緒に送ってくれるから何度か見ているけれど、こうやって顔を合わせるのは本当に久しぶりね、栽仁殿下』
ループレヒト殿下の隣では、私の友人でループレヒト殿下の妃であるマリーが、栽仁殿下に向かって微笑んでいる。彼女の挨拶を私の通訳で聞くと、
「お久しぶりです、マリー妃殿下。こうやって、章子さんを守ってバイエルン王国に来られて、本当に嬉しいです」
栽仁殿下は日本語でこう答える。流石に、私が翻訳するのは恥ずかしすぎたので、この言葉は大山さんに翻訳してもらった。
栽仁殿下の言葉を大山さんの翻訳で聞くと、マリーは軽やかな足取りで私のそばに歩み寄る。
そして、
『会いたかったわ、章子!』
『私もよ、マリー!』
こう言い合うと、私たちは互いの身体を抱き締めた。
『本当に、よく来てくれたわ!しかも、章子が愛する人と一緒に!』
『だって、私、マリーに約束したじゃない。恋が上手くいったら、その恋の相手と一緒にドイツに行く、って』
13年前、マリーと交わした約束を私が口にすると、
『あら、章子、“恋が上手くいった”って認めるのね』
マリーは悪戯っぽく笑った。
『手紙には、“相手のことは好きになっていたけれど、自分の気持ちを相手に伝える前に、相手が天皇陛下に直訴して婚約が決まったから、恋が上手くいったと言っていいか分からない”って書いていたじゃない』
『“上手くいった”でいいのよ、マリー。そういうことにしておかないと、栽仁殿下に怒られちゃうの。“最後はお互いの想いが通じ合ったのだから、恋が上手くいったということでいいんです”って』
『ふーん。……章子、思うところを、私に正直に言っていいのよ?彼、ドイツ語は分からないでしょ?』
『私もそうしたいけれど、無理よ。大山さんもついて来ているもの。私のドイツ語だって、大山さんが全部日本語に翻訳して栽仁殿下に伝えてしまうから』
私とマリーの口からは、言葉が機関銃の弾のように飛び出た。彼女と会ったのは、1903(明治36)年、今から13年前のことだ。手紙はやり取りしていたけれど、こうやって面と向かって話すのは本当に久しぶりだ。私の時代のように簡単に海外旅行ができないこの時代、こうして再会できたことは奇跡に近い。だから、お互い、言葉がいくらでも湧いて出てきた。
と、
「増宮殿下……いえ、失礼しました。妃殿下、ご無沙汰を致しております」
マリーの近くに控えていた、黒いフロックコートを着た初老の男性が、日本語で挨拶しながら頭を下げた。このミュンヘン市内で、バイエルン王国の支援を受けて“森ビタミン研究所”を解説した、医科分科会のかつてのメンバー、森林太郎先生である。
「森先生、お久しぶりです!」
マリーから身を離すと、私は軍医学校時代の恩師に最敬礼した。
「先生、お元気そうで何よりです」
「妃殿下も……。ご結婚遊ばされ、今や、軍医としてだけではなく、貴族院議長としても縦横無尽のご活躍、実に素晴らしいものだとドイツで拝見いたしておりました」
「ありがとうございます、先生。先生から受けた薫陶の賜物です。明後日の研究所見学、楽しみにしています」
「はい、お待ち申し上げております。所員一同、妃殿下のお成りを楽しみにしておりますから」
森先生とも、久しぶりの再会だ。1903(明治36)年のノーベル生理学・医学賞を受賞した森先生は、授賞式に出席するために渡欧したのを機に、かつての恋人であるエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトさんと話し合い、ドイツに帰化して彼女と暮らす道を選んだ。それ以来、森先生は来日することはなかったから、彼とも約13年ぶりに会ったことになる。
「妃殿下、懐かしく思われるのは分かりますが、そろそろ移動なさらないと、駅の他の利用客の方々にご迷惑を掛けてしまいます」
話し込む私を見かねてか、大山さんが私に注意する。「それもそうね」と頷いた私は、
「先生、申し訳ありません。お話したいことはたくさんあるのですが、また明後日に」と言って森先生に一礼した。
『このミュンヘンはね、芸術の中心地でもあるし、学術研究が盛んな土地でもあるの。ベルリンにだって負けないわ!』
私たちが馬車の前まで移動した時、私たちに向かってマリーは明るい声で言った。
『妻の言葉は少し言い過ぎかもしれませんが、このミュンヘンは、優れた作曲家や作家を何人も輩出していますし、様々な研究の先進地でもあります。ベルリンとはひと味違うこのミュンヘンの街、どうかお楽しみいただければと思います』
日本語に翻訳されたループレヒト殿下の言葉を聞いた輝仁さまは、
「お心遣い、ありがとうございます。お言葉に従って、この街の様々な文物に触れて学びたいと思います」
と、筆頭宮家の当主らしく、堂々と返答したのだった。
ミュンヘン市内のホテルに一泊した私たちは、翌日、10月15日の朝早くから、ミュンヘン市内の見物を始めた。ミュンヘン市内には、旧絵画館、新絵画館、そして彫刻館という、バイエルン王家の多数の美術コレクションを収蔵している美術館がある。その膨大で良質なコレクションに、私たちはただ圧倒されるばかりだった。
夕方には、私たちは服装を改め、バイエルン王国の王宮に参内していた。国王陛下に謁見した後、王族たちも同席する晩餐会に出席することになったのだ。現在の国王・ルートヴィヒ3世は、71歳という年齢のせいかもしれないけれど、皇帝より落ち着いた印象を受けた。
晩餐会には、国王陛下夫妻の他、ループレヒト殿下とマリー、そしてループレヒト殿下の弟たちも出席した。また、ループレヒト殿下とマリーの子供である11歳のアルブレヒト君、7歳のルドルフ君も出席してくれたので、大変賑やかな晩餐会になった。
『アルブレヒト君もルドルフ君も、お行儀がいいわね』
晩餐会の合間に私がマリーに話しかけると、
『2、3年前までは大変だったわ。特に、ルドルフが糖尿病になった頃はね』
マリーは顔に微かに苦笑いを浮かべた。『食事の前に、インスリンの注射をしないといけないでしょう。でも、注射の針を刺されると痛いから、注射を嫌がって泣いて、本当に大変だったの。今は、注射が自分に必要なものだと分かってくれてはいるみたいだけれど、やっぱり、嫌がる時もあるわ』
『それはそうよね』
私は軽くため息をついた。インスリンを注射する時に使う針は、私の時代のそれよりも太い。一般的には、針が細いほど、針を刺された時に痛みを感じる可能性が低くなるから、今の注射は、私の時代のものより痛みを感じやすいということになる。食事の度に痛い思いをしなければならない……生きるのには必要なことだけれど、幼い子供にとっては辛いことだろう。
『血糖値の調整も難しいみたいでね。ドクトル森が苦労しているわ。血糖値を測るにも、身体に針を刺して採血をしないといけないから、ルドルフ、血糖値をなかなか測らせてくれないの。それに、これからの成長に合わせて、ルドルフの食事量も変えないといけないし、そうなると、インスリンの投与量も変えないといけない。色々考えないといけないことがあるから、大変よ』
『でも、考えるのは大事なことね。ルドルフ君はこれから成長して、大人にならないといけないの。身体の元になる栄養素は、食事から摂取するしかないから』
私は並んで座っているアルブレヒト君とルドルフ君を見つめた。アルブレヒト君と同じくらい、ルドルフ君も元気そうで、糖尿病を……私の時代で言う1型糖尿病を患っているとは、見た目からは全く分からなかった。
『そう、章子の言う通り。だから今日の晩餐会はね、ドクトル森と一緒に色々考えたのよ。ルドルフは、公式の食事会に出席するのは初めてなの。どうやったら、ルドルフが王族の一員として、食事会に出席する責務を楽しく果たすことができるかしら、って』
マリーはそう言うと、ルドルフ君の方を見て、『作戦、上手くいっているみたい』とにっこり笑った。
『どんな作戦を立てたの?』
私がマリーに質問すると、
『公式の食事会だと、普段の食事と違って、料理は一品ずつ、時間をかけて運ばれてくるでしょ?』
マリーは楽しそうに私に答え始める。『まぁ、そうね』と私が相槌を打つと、
『だから、普段の食事より、血糖値の上がり方は緩やかになるだろう、ってドクトルが言ったの。そうすると、普段と同じ量のインスリンを注射したら、インスリンの効果が出過ぎてしまうかもしれない。ルドルフの普段の血糖の変動から考えると、晩餐会の前のインスリンを少なく打っても、急性の合併症を起こすほど血糖値は上がらないだろう。ドクトルもそう太鼓判を押してくれたから、今日の食事前のインスリンは、いつもより少ない量にしたのよ』
マリーは少し得意げに言った。
『それはよかったじゃない。作戦は成功よ』
私はマリーに微笑みながら言った。『もし、インスリンの効果が出過ぎて、低血糖になってしまったら騒ぎになってしまう。初めての公式の食事会で低血糖が起こったら、ルドルフ君、公式の食事会に出るのが怖くなっちゃうかもしれないわ』
『ああ、やっぱり章子もそう思う?』
私の言葉に、マリーは嬉しそうに頷く。そんな彼女を見ながら、
(それも大事なのよね……)
私はぼんやりと思った。
もちろん、糖尿病と上手く付き合うには、血糖値を最適な値に保つことが、意識を失う急性の合併症や、腎臓や目、神経などを蝕む慢性の合併症を防ぐ上でとても大事になる。けれど、子供にとっては、心身の健やかな成長も大事なことだ。自分の成長と、血糖のコントロールと……ルドルフ君は、マリーや森先生と一緒に、その折り合いを1つずつつけながら、前に進んでいくのだろう。
『マリー、私、明日森先生に会ったら、今日の食事会、ルドルフ君も楽しく参加できたって伝えておくね』
私の言葉に、マリーは心からの笑顔を見せたのだった。
1916(明治49)年10月16日月曜日午前11時、ミュンヘン市内にある森ビタミン研究所。
「そうですか。ルドルフ殿下は何事もなく、晩餐会に参加することができたのですね」
研究所内の廊下を歩きながら、軍装を着た私から昨日の報告を受けた森先生は、安堵の表情になった。今は、大山さんと平塚さん、そして西郷医務局長と秋山さんを引き連れて、研究所内の視察中である。けれど、これだけは先に話しておこうと思い、廊下に出て、見学するものが途切れたところで、私は案内してくれている森先生に昨日の件を報告したのだった。
「はい、ルドルフ君もマリーも、とても嬉しそうでした」
森先生に更に言うと、
「それは本当に良かった」
と言って森先生は胸をなで下ろし、
「しかし、こうして妃殿下と、面と向かって話すことができるとは……夢を見ているのではないかと疑ってしまいます」
そう言いながら、私に微笑みかけた。
「それは私もです、森先生。先生が日本にお戻りにならないかもしれないことは、日本を発たれる時に覚悟していましたし、それに私も、こうやってドイツに行くことができるとは思っていませんでしたから」
私も森先生に答えると、彼に笑顔を向けた。「ですから今日は、このビタミン研究所をじっくり見学したいと思います。栽仁殿下にも輝仁さまも、こちらに来るのはご遠慮いただきましたから、邪魔する人はいませんし」
輝仁さまは栽仁殿下に付き添われ、バイエルン王国の陸軍演習場を見学に行っている。大山さんと幣原さんが手を回し、ベルリンではできなかった陸軍の運用の見学ができるように手配したのだ。なので、輝仁さまや夫に邪魔されずに、研究所が見学できるのだけれど、この研究所での用事は他にもあるので、全ての時間を見学に費やせないのが辛いところではある。
「さて、先ほどの部屋では、ビタミンEの同定作業を行っておりましたが、こちらの部屋では、ビタミンAの類似物質の探索をしています」
森先生はそう言いながら、行く手にある部屋の内部を示す。そこでは、数人の研究者たちが、実験試料の調整をしたり、実験結果をノートにまとめたりしていた。ビタミンA……“史実”でいうビタミンBは、水に溶け、炭水化物をエネルギーに変える手助けをする物質である。これと同じような性質を持つ物質は、私の時代では他にも何種類か知られている。森先生は、それらの物質の正体を突き止めようとしているのだ。
「はぁ……分析機器が充実していますね……」
部屋に並んだ分析機器や実験器具をうっとりしながら眺めていると、
「バイエルン王家が援助してくださっていますからね」
森先生は微笑んだ。「文化芸術方面への支援も手厚いですが、バイエルン王家は学術も手厚く支援してくださいます。とてもありがたいことです」
「なるほど……日本も考えないといけませんね。文化・芸術への援助は、後々、日本に来る外国人観光客の増加や、日本の美術工芸品の輸出増加につながります。学術……特に、科学分野への支援は、工業力の発展を促しますし」
私が顎に左手を当ててこう言うと、
「これは驚きました」
森先生が軽く眼を瞠った。「妃殿下からそのようなお言葉を聞くとは、思っておりませんでした。失礼ながら、もっと医学方面に向いたことをおっしゃると考えていましたから」
「やりたくもなかった貴族院議長をやらされたせいで、考えの向きが自然と変わってしまいました」
私は森先生に苦笑いを向けた。「本当は、医学のことだけ考えていたいのですが、兄を助けなければなりませんし……それに、余りに医学に夢中になっていると、うちの別当に叱られてしまいます」
私がこう言うと、大山さんが私に視線を向ける。その硬い視線に思わず首をすくめると、森先生がふふっ、と笑い声を上げた。
研究棟の見学が終わると、森先生は私たちを応接室に案内してくれた。研究所の応接室は2部屋あり、私と大山さんと秋山さんは大きな応接室に、そして西郷医務局長と平塚さんは小さな応接室に案内された。一見、普通の休憩ではあるけれど、私と大山さんと秋山さんにとってはただの休憩ではなかった。この森ビタミン研究所は、中央情報院のドイツでの拠点の1つである。この研究所の諜報責任者である松川敏胤元歩兵大佐から、ドイツ国内やドイツに関係する国々の最新情報を聞く……これがこの研究所見学のもう一つの目的だった。
「松川君と会うのも久しぶりですなぁ」
大山さんが微笑すると、
「俺は初めて会うのですが……松川さんは、どのような方なのでしょうか?」
秋山さんは大山さんに尋ねた。
「なかなか優秀な人間ですよ。度胸もあります。だからこそ、ここの責任者にしたのです」
大山さんは秋山さんに答えると、
「“妃殿下に面白いものをお目にかけたいと存じます”……俺たちがミュンヘンに着いた時、そんな知らせをよこして参りましたが、果たしてどのようなものでしょうか」
と、私に聞かせるように続けた。
「お願いだから、物騒なものはやめて欲しいわね」
ため息交じりに私が大山さんに言った時、応接室のドアがノックされた。大山さんが『どうぞ』とドイツ語で応えると、ドアノブが回り、2人の男性が応接室に入ってきた。
「失礼いたします。コーヒーをお持ちしました」
コーヒーカップの載ったトレイを持ち、日本語でこう言ったのは、日本人の初老の男性だ。顔立ちから、写真で事前に見知っていた、この森ビタミン研究所の諜報責任者・松川敏胤さんだと分かった。彼の後ろで、同じくトレイを持っているヨーロッパ人の男性は、まだ30歳にはなっていないだろうか。私とは初対面のはずなのに、鼻の下に小さくヒゲを蓄えて、青みがかった目をしている彼の顔に、何となく見覚えがある気がしてならなかった。
(この年頃のヨーロッパの男性に、知り合いはいないはずだけどなぁ……)
ちょび髭の男性を見ながら私が首を傾げた時、
『ありがとう、ヒトラー君。トレイはそこに置いてくれたまえ』
と、松川さんがドイツ語で彼に話しかけた。
(?!)
とたんに、私の記憶と目の前の現実とが結びついた。……そうだ。このちょび髭の男は、アドルフ・ヒトラー。“史実”で国家社会主義ドイツ労働者党……“ナチス”を率い、第1次世界大戦後のドイツで独裁体制を築くと、第2次世界大戦を引き起こしてヨーロッパを戦乱に陥れ、ホロコーストを行って何百万もの罪なき人々を殺した……あのアドルフ・ヒトラーだ。
(そう、彼が……)
私は彼を睨みつけた。そして、無言で立ち上がった。
※実際には、バイエルン王国の前王・オットー1世がこの年の10月11日に病死していますが、お話の都合上、生存していることにして話を進めます。ご了承ください。(じゃないと、主人公たちがバイエルンに行くのに、“前国王の喪を秘している”などの話をしないといけなくなって、話がややこしくなるので……)




