イギリス(2)
1916(明治49)年9月20日水曜日午後4時30分、イギリス・ロンドンにあるバッキンガム宮殿。
「……うん、これでいいと思う。今日の午前中にイギリス議会を見学した感想も入っているし」
私は、これからイギリスのアスキス首相が主催する晩餐会の席上で、輝仁さまが英語で読み上げるスピーチの原稿を添削していた。といっても、内容はおかしくないように思えたし、文法やスペルのミスも無かったから、私は手を動かさないで済んだのだけれど。
「じゃあ、今度はこれを、大山さんと幣原さんに読んでもらって、問題なしとお墨付きをもらってちょうだい」
そう言いながら、スピーチの原稿を弟に返すと、
「ええ?」
彼は不満げな声を上げた。
「まだ直さないといけないのかよ、章姉上。だって、この文章、秋山さんと相談しながら書いたんだぜ?」
「だろうね。格調高い文章だったから、秋山さんの手が入っているとは思っていたわ」
秋山さんは国軍にいたころ、アメリカに駐在していたことがある。だから英語の読み書きも達者で、英語がそんなに得意ではない千夏さんや平塚さんがアメリカで買い物をする時、彼女たちの通訳を買って出ていた。それに、秋山さんは元々、文章を作るのが得意だ。文体は中二病めいているけれども、皇族のスピーチのような、格調高い文章が要求される場合なら問題ないだろう。
「でもね、文章が格調高いものであっても、その内容が、日本の公式見解からズレていたらダメなのよ」
私は弟に向き直ると、言い聞かせるように言った。「今夜の晩餐会には、首相はもちろんだけれど、大臣たちも出席する。当然、外務大臣もね。そんな席で、輝仁さまが今の日本の見解と食い違うことを言ってしまったら、外交問題になりかねないの」
「……分かったよ、章姉上」
輝仁さまは軽くため息をつきながらも頷いてくれた。「すぐ、大山閣下と幣原さんに、この文章を見せるよ。それでいいだろ?」
「ええ。……じゃあ、私、着替えるから、後は頑張ってね」
そう言い残すと、私は椅子から立ち上がり、輝仁さまに割り当てられた部屋を出る。廊下で待っていてくれた千夏さんと一緒に自分の部屋に戻ると、私は軍装の白いジャケットを脱ぎ、中礼服へと着替えを始めた。
これから開かれる晩餐会には、私は軍人としてではなく、栽仁殿下の妻として出席することになっている。だから、私が着なければならないのは中礼服だ。本当は、動きやすい軍服の方が好きなのだけれど、わがままは言っていられない。極東戦争の直前に開かれた送別会でも着た青い中礼服をまとい、お化粧を直してアクセサリー類を身につけると、私は栽仁殿下にエスコートされ、輝仁さまと一緒にダウニング街10番地にある首相官邸に向かった。
晩餐会には、アスキス首相と奥様のマーゴットさんの他、イギリス政府の20人の大臣全員が出席していた。食卓は花で飾られ、並べられた食器には華麗な装飾が施されている。そして、正装に身を包んだイギリス側の男性出席者は、全員要職を占めている人間だ。場の雰囲気に呑まれてしまいそうだったけれど、私たちは国王陛下の大切なお客様なのだから、堂々としていなければならない。そう考えた私は心を落ち着け、1つ1つの動作に優雅さが見られるよう、意識して振る舞った。
メインディッシュのお皿が下げられた時、私は自分の席を立った。お手洗いに行こうと思ったのだ。私から少し離れたところに座っていた千夏さんが立ち上がり、私に付き添ってくれた。
「宮さま、ご気分は大丈夫ですね?」
用を済ませて廊下に出たところで、千夏さんが私に確認した。
「大丈夫だよ、千夏さん。心配してくれてありがとう」
私は信頼する乳母子に微笑んだ。「私、アルコールの入っていない飲み物しか飲んでいないわよ。だから、酔っぱらう可能性はゼロ」
「それはよかったです」
千夏さんの顔に安堵の色が見えた。
「もし宮さまがお倒れになってしまったら、千夏は若宮殿下に申し訳が立ちません」
(そこまで思いつめなくてもいいのに)
そう思ったけれど、千夏さんの頭の中には、私を主君とする主従関係が存在しているのだ。幼いころは同じお乳を吸って育った仲なのだし、お互い子供を授かった後は、育児仲間でもあると私は思っているのだけれど、千夏さんは主従関係を崩そうとはしない。
(まぁ、それが千夏さんの信念なら、無理に崩さなくてもいいかな。今は、別に困ることはないし)
頭の中で結論を出した時、強いタバコの匂いが私の鼻先をくすぐった。梨花会の面々には禁煙を命じているし、私ももちろんタバコは吸わないけれど、この時代の喫煙率は私の時代より高い。だからどうしても、タバコの匂いから完全に逃れることはできない。誰か、私に近づいてきたのだろうか。後ろを振り返った時、私の視界に思わぬ人物の姿が入った。
『ほう、こんなところで、今夜の主賓を間近に見られるとは……』
私から2mほど離れたところに立つその男性は、英語で呟きながら、私をじっと見つめている。年の頃は、私と同じぐらいだろうか。愛嬌のある顔立ちだけれど、眼の光は妙に強い。彼の名を記憶から引っ張り出した私は、警戒しながら、けれど優雅に、彼に向き直った。
『ごきげんよう、チャーチル閣下』
私が英語で挨拶して一礼すると、
『あんなに大臣がたくさんいる中で、私の名を覚えていただけていたとは、光栄ですな』
アスキス内閣の海軍大臣、“史実”では後に首相となる政治家、ウィンストン・チャーチルさんは、私にニヤリと笑いかけた。
『それは、閣下が文筆家としても著名な方だからですよ』
“史実”でも有名な人だから知っていた、と、彼に答える訳にはいかない。私は当たり障りのない答えを口にした。
『それに、閣下はわずか25歳で庶民院議員に当選され、若干34歳で通商大臣に就任なさって以降、内務大臣、海軍大臣と、大臣職を歴任なさっています。まさに、立志伝中の人物ですわ』
リップサービスもしながら私が言うと、
『お戯れを。妃殿下が貴族院の議長席にお座りになったのは、私が通商大臣に就任した歳より若い、28歳の時ではございませんか』
チャーチル海軍大臣はこう答えた。
『与党と野党の妥協の産物ですよ、閣下。私は何の選挙運動もしていません。慣れない仕事に、右往左往するばかりでしたわ』
『……とおっしゃるが、元々よく治まっている日本の帝国議会が、妃殿下の議長ご在任の期間中、さらに治まっていたのは事実。下品な野次が飛び交わない議場というものはさぞ気持ちが良かろうと思いながら、日本に派遣されている新聞記者の書いた記事を拝見しておりました』
チャーチル海軍大臣の言葉に微笑で応じながらも、
(だ、誰か、この状況から私を助けて!)
私は心の中で目いっぱい叫んでいた。相手は、25歳での国会議員初当選から今日まで16年、政治家としてのキャリアを積んでいる人間だ。私のような小娘が、真正面から論戦を挑んで勝てる相手ではない。
「宮さま、あの方、海軍大臣と紹介された気がしますが、一体宮さまと何をお話になっているのですか?」
英語が得意ではない千夏さんは、私とチャーチル海軍大臣を見比べながら、不思議そうな顔で私に尋ねる。いくら柔道が強いと言っても、千夏さんでは私をこの状況から助けることはできない。
「え、えーと、ちょっと込み入った話を、ね」
私が日本語で千夏さんにようやく答えた時、
『妃殿下は、バラを育てたことはおありですか?』
チャーチル海軍大臣は、突然私にこんなことを尋ねた。
『ありませんわ……』
警戒しながら、首を左右に振って答えると、
『この世には、様々な種類のバラが存在します』
海軍大臣は更に話を続けた。
『そして毎年、新しい種類のバラが、交配によっていくつも誕生しています。しかし、専門家によると、どのようにバラを交配しても、妃殿下がお召しになっているドレスと同じぐらい青いバラの花というものは作り出せないのだそうです』
そう言えば、前世の高校時代、授業の雑談で、教師からそんな話を聞いた。交配による品種改良だけでなく、遺伝子組み換え技術も用いて、人間は青いバラを作ろうと努力を重ねているけれど、本当に“青い”と言えるバラはまだ作り出せていない……そんな話だった。
『……ところが、国際政治の世界では、そんな美しい青いバラのような方がいらっしゃいましてね。それは貴女様でございますよ、妃殿下』
チャーチル海軍大臣は、私をじっと見つめた。
『平時にはその美貌でロシアの廃帝ニコライやドイツの皇帝を狂わせ、戦場ではいらっしゃるだけで味方の士気を最大まで鼓舞する。医師としての技術だけではなく、政治家としての力量もおありだ。今日の議会見学でも的確な質問をなさる。そして、困難な状況でも決して怯まぬその度胸には、我が国王陛下も感心なさっておいででした。……妃殿下には、美しい青いバラの花がよくお似合いになるでしょう。もっとも、私も見たことがありませんが』
『御冗談はおやめください、閣下』
私は顔にあいまいな微笑を浮かべた。私を見据えているチャーチル海軍大臣の意図は、一体何なのだろうか。晩餐会の会場ではなく、廊下で私に声を掛けたのも、何か作為的なものを感じる。
(分からない……私に声を掛けて、彼に何の得があるの?)
微笑を顔に浮かべたまま、脳みそをフル回転させている私に、
『もしよろしければ、この後、飲み直しませんか?そう、ご夫君と一緒にね』
チャーチル海軍大臣も顔に微笑を浮かべ、こう言った。
『晩餐会が終わったら、この首相官邸の別室で、ウィスキーでも酌み交わしながら、首相や外相とともに、今後の国際政治について妃殿下と討議ができれば……そう考えております。我が首相閣下もそれをお望みでしてね』
『いや、あの、それは……』
私は、首を左右に振った。アスキス首相も交えて討議をするのは、何が目的なのだろうか。元貴族院議長の私と、アスキス首相が非公式に会談したいということなのだろうか。けれど、非公式だろうが公式だろうが、会談したいのならば、外交ルートからその旨の申し出があるはずなのに、それはない。では、一体どういうことなのだろうか……そこまで考えた私は、チャーチル海軍大臣の妙にギラギラした眼を見て、彼の目的を何となくつかんだ。
(私の化けの皮を剥いでやろう、ということか)
30歳にもならない女性が、国の議会で議長を務めるなど、前代未聞の出来事である。年若い、しかも女性の議長の言うことなど、男尊女卑の傾向が根強いこの時代の社会では誰も聞かなそうであるのに、私が議長である間、貴族院はほぼトラブルなく運営されていた。それがなぜなのか、アスキス首相以下、イギリスの大臣たちは知りたいと思ったのではないだろうか。そして、私の実力がいか程のものなのか測ろうとして、外交ルートを通さずに、討議の誘いをかけてきた……そういうことなのかもしれない。
(外交ルートに乗っていないお誘い、断るしかないわ。それに、アスキスさんたちが何を企んでいるか、分かったもんじゃないし)
フル回転し続けている脳みそで、こんな結論を出した時、私の左肩がそっと叩かれた。振り返ると、私のすぐそばに栽仁殿下が立っている。彼の後ろには、お付き武官の米内海兵少佐も控えていた。
「大丈夫?戻りが遅いから、様子を見に来たんだけど」
「チャ、チャーチルさんが……」
尋ねた夫の手をギュッと握りながら、私はようやくこう言った。それを聞いた栽仁殿下は、
『チャーチル閣下、妻が閣下に無礼を働いたのでしょうか?それとも、……閣下が妻に、無礼を働いたのでしょうか?』
チャーチル海軍大臣に流暢な英語で話しかけた。
『殿下、御懸念なさっているようなことは起こっておりませんよ』
チャーチル海軍大臣は栽仁殿下に恭しく答えた。『ただ、殿下と妃殿下に、晩餐会が終わった後、別室にお越しいただいて、ウィスキーでも飲みながら、国際政治について首相たちとともに語り合いたい、こうお誘い申し上げただけでして』
「ヤバすぎるわ、そんな誘い」
私は栽仁殿下の耳元で囁いた。「外交ルートに乗っていないのよ。そんなもの、受ける訳にはいかない。しかも相手は、私の化けの皮を剥いでやろうと考えているのよ」
それを聞いた栽仁殿下は、
『大変申し訳ありませんが、閣下。僕たちはそのお誘いの件、今まで全く知らされておりません。予定も多々ありますので、外務担当の者に話を通してお誘いいただければと思います』
と真正面から答えた。
『それに、妻も僕も、全く酒が飲めないのです。特に妻は、少し酒を口にしただけでも倒れてしまいます。ですから、僕たちは閣下のご要望には応えられません』
栽仁殿下が続けてこう言うと、
『ほう……それはそれは。お2人とも、不幸ですな。酒の美味さを知らないとは』
チャーチル海軍大臣は、大げさな動作で両肩をすくめた。
「……もしかして、馬鹿にされているのかしら?」
「だね。だけど、こんな安っぽい挑発に乗る訳にはいかないよ」
夫婦でこそこそと話し合っていると、
『では、僭越ながら、私が閣下のお招きに預かりましょう』
私たちの背後から、奇麗な英語が聞こえた。米内海兵少佐だ。
『ほう、君は?』
チャーチル海軍大臣の問いに、
『日本で海兵少佐を務めております、米内光政と申します。実は、妃殿下の方には関わっていないのですが、若宮殿下が酒の美味さをご存じないのは、私のせいでして』
米内さんはかしこまって答えた。
(何だ、そりゃ?)
私が不思議な言い回しに戸惑っているそばで、
『宴席に殿下のお供で参りますと、必ず酒を勧められます。ところが、殿下の盃に注がれた酒の方が、自分の盃の酒よりも美味そうに見えるのです。それでつい、“おこぼれをいただけませんか”と、殿下にねだってしまいます。すると殿下も気前よく、私に酒を全部くださいますので、殿下は酒の美味さをご存じないのです』
米内さんは朗々とした声で、とんでもないことをチャーチル海軍大臣に述べる。
「た、栽仁殿下、米内さんの言っていること、本当なの?」
夫に囁き声で確認すると、
「だいぶ誇張して話しているけど、本当だよ」
彼はクスっと笑いながら私に教えてくれる。「僕もお酒は飲まないからね。でも、軍艦にいると、宴席にどうしても出ないといけない場面も出て来る。そんな時、僕が周りからお酒を勧められて困っていると、米内少佐どのが“それ、いただけませんか”って、お酒を全部引き受けてくれるんだ」
「宮さま、米内少佐は何とおっしゃったのですか?」
戸惑いを深くした私に、千夏さんの質問が飛んでくる。何と答えればいいか分からなくなっている私の横から、
「飲み比べなら負けない、かな」
栽仁殿下が千夏さんにおどけた調子で答えた。
(それ、ちょっと違うんじゃないかしら)
心の中で私が夫に突っ込んだ時、
『私も日本の海兵佐官として、海軍には詳しいつもりです。美味い酒を酌み交わしながら、貴国の艦隊が、ドイツ艦隊をいかに叩き潰すか……同盟国の立場から、イギリス艦隊必勝の策について、2、3意見を披露したく思います』
米内さんはチャーチル海軍大臣に更に申し出た。
『……それは興味深いな』
チャーチル海軍大臣はニヤリと笑った。『米内くん、つまり君は、殿下と妃殿下の名代で、我々と討議をしたいということだね?』
『そのように解釈していただいて結構です』
米内さんは身体を折り曲げ、チャーチル海軍大臣に恭しくお辞儀をする。更に戸惑う私の耳に、チャーチル海軍大臣の高笑いが届いた。
『面白い!ならば今すぐ、君の意見を我々に聞かせてもらおうではないか。ついて来たまえ!』
チャーチル海軍大臣は偉そうな態度でこう言うと、早歩きで私たちのそばをすり抜ける。米内さんは「では、行って参ります」と私と栽仁殿下に一礼して、チャーチルさんの後ろについて去って行った。
「……あれ、大丈夫なの?」
チャーチル海軍大臣と米内さんの後姿が見えなくなってから、私が栽仁殿下に尋ねると、
「大丈夫だよ」
彼は即座に私に断言した。
「い、いや、だって、相手、あのチャーチルさんよ?しかも、あの様子、本当に私の実力を試すつもりだったみたいだし……もし米内さんが、チャーチルさんたちに論破されたら……」
すると、
「章子さん、米内少佐どのの講義、何回か聞いたでしょ?あの知識量、チャーチル閣下には簡単には負けないよ」
栽仁殿下は私に優しくこう言う。
「そ、そうだけど……」
反論しようとした私は口ごもってしまった。確かに、米内さんの海兵に関する講義を聞いていると、彼がとても豊かな知識を持っていることが分かるのだ。
(だけど、講義をすることと議論をすることは違うんじゃないかしら?)
頭の中にこんな疑問が浮かんだ時、
「とりあえず、食堂に戻ろうか、章子さん。大山閣下にも、今起こったことを伝えておこう」
栽仁殿下が言った。確かに、彼の言う通りだ。私たちがやるべきなのは、今あったことを大山さんと幣原さんに伝え、善後策を立てることだ。私は夫と手をつなぎ、キョトンとしている千夏さんを従えて、食堂へと戻ったのだった。
1916(明治49)年9月21日木曜日午前6時45分、バッキンガム宮殿内の一室。
「梨花さん、梨花さん」
私たち夫婦に寝室として宛てがわれた部屋のベッドで、眠りをむさぼっていた私の左肩を、栽仁殿下が優しく揺すった。
「ん……」
「そろそろ、朝ご飯だよ。起きて着替えないと」
「分かった……」
横になったまま大きく伸びをしてから、私は身体を寝床の上に起こした。「おはよう」とあいさつして私に微笑む栽仁殿下は、もう寝間着からシャツに着替えている。
「おはよう……」
まだ靄が掛かっているような頭から、昨夜の最後の記憶を引っ張り出すと、
「そうだ、栽さん……米内さん、戻ってきたのかどうか、分かる?」
私は夫にこう尋ねた。昨夜、晩餐会が終わっても、チャーチル海軍大臣と米内さんは姿を現さなかった。アスキス首相や、他の閣僚たちも、そそくさと別室に移っていった。米内さんが彼らにやり込められていないか、私は気が気でなかったのだけれど、
――米内くんなら大丈夫でしょう。
――大山閣下のおっしゃる通りだ。米内少佐どのは無事に戻って来るよ。
事件の報告を受けた大山さんも、そして夫もそう言うので、私は心配をひとまず脇に置いてバッキンガム宮殿に戻ることにした。それが昨日の午後9時前のことだ。それから数時間経ち、状況はどうなっているのだろうか。
すると、
「5時ごろに目が覚めて廊下に出たら、ちょうど米内少佐どのが戻ってきたところに会ったよ」
栽仁殿下が微笑んだまま言った。「お酒を飲みながら、閣僚たちと海軍や政治の談義をしていたけれど、全員酔い潰れたから帰ってきた……そう言ってた」
「ぜ、全員酔い潰れた?!」
一気に目が覚めた私に、
「うん、だって、彼、お酒が滅茶苦茶強いから。この道中は僕たちに遠慮して、飲酒は控えていたけれど、普段は、日本酒を3升飲んでも全然乱れないし、もちろん倒れることもないよ」
栽仁殿下はこう語り、クスっと笑った。
「さ、3升……」
多過ぎる。医者の視点から見ると、日本酒3升は、1回の、しかも1人当たりの飲酒量として余りにも多過ぎる。呆然としている私に、
「流石に、誘って来ただけあって、チャーチル閣下はお酒に強かったけれど、他の大臣たちが潰れた後、2人でウィスキーのボトルを2本ずつ空にしたところでチャーチルさんも潰れたから、官邸の召使たちに介抱をお願いして帰ってきた……米内少佐どの、そう報告してくれた」
栽仁殿下は、更に信じがたい追加情報を教えてくれた。
「そ、そう……」
私は両肩を落とした。今頃、首相官邸は、大臣たちを介抱したり医者を呼んだりで大騒ぎになっているだろう。米内さんに酔い潰され、急性アルコール中毒になってしまったであろうイギリスの首相や大臣たちは、全員無事に生還できるのだろうか。私はとても心配になった。
「私、首相官邸に往診に行こうかなぁ……?」
うつむいた私が呟くように言うと、
「別にいいんじゃないかな。だって、梨花さんを試すなんて失礼なことを考えたのは向こうだし」
夫は私にさらっと答えた。
「それに、まず、米内少佐どのの状態を確認する方が先じゃないかな?たくさん飲んだのは、米内少佐どのも同じなんだし」
栽仁殿下の言葉に渋々頷くと、私は彼に「着替えるから、むこうを向いていて」とお願いして、軍装に着替え始めた。後始末が大変なことになりそうな予感を胸に抱きながら。
※当然のことですが、アルハラ、だめ、絶対。




