妹弟子
1915(明治48)年12月6日月曜日午後4時30分、東京市京橋区築地4丁目にある築地国軍病院。
「では、最後の1kmの争いがすごかったのですね」
築地国軍病院内の医師控室。私は同僚の医師たちと雑談を交わしていた。築地国軍病院には、独身だった頃も含めると、通算で4年以上勤務している。なので、同僚たちも、院長からなされている注意通り、私に対して過度に敬った言葉遣いはしない。気楽に過ごすことのできるこの環境が、私にはとてもありがたかった。
「そうなんですよ。金栗選手が独走していたところに、東京高等師範の秋葉君と東京専門学校の三浦君が追いついてきましてね」
数人の医師の中心で喋っているのは、私より1、2年先輩の軍医大尉だ。彼は昨日、羽田運動場とその周辺で行われた全日本陸上競技選手権大会を見物に行った。その土産話を、私をはじめ、同僚の医師たちに聞かせているのだ。
「マラソンの最後の1.2kmは、運動場のトラックを3周します。だから、その3人の激しい鍔迫り合いを全て見られました。最終的には金栗選手が逃げ切って優勝しましたが、2位の三浦君は金栗選手に8秒差まで迫りましたからね。もう少し走る距離が長かったら、逆転していたかもしれません」
「すると、オリンピックのマラソンの代表選手は、金栗選手と三浦君ですか」
話の輪に加わっていた軍医少佐が、顎を撫でながら確認すると、
「そういうことになります」
軍医大尉は頷いた。3年前に行われたストックホルムオリンピックの後、国際オリンピック委員会の委員でもある嘉納治五郎先生は、東京―箱根間の往復駅伝競走だけではなく、学生・社会人問わず参加できる陸上競技会・全日本陸上競技選手権大会を立ち上げた。今年の大会は、来年の8月末からベルリンで開催される第6回オリンピック大会の日本代表選考会を兼ねていたのだ。
「うーん、うらやましいですね。そのゴール直前の争い、見たかったなぁ……」
私が軽くため息をつくと、
「ですが、妃殿下は、オリンピックの本番をご覧になるかもしれないですよ」
と、軍医少佐が私に言う。来年欧米に行くことは、私の口からは広めていないのだけれど、いつの間にか、同僚全員が把握していた。
「どうでしょうか。可能なら見てみたいですけれど、日本をいつ出発するか、正確には分かりませんし……。それに、もしオリンピックの期間中にベルリンを訪れることになったら、嘉納先生が食事療法を守っているか、確認しないといけなくなります。旅行先でまで、患者を叱らないといけないのは、ちょっと……」
そう答えながら眉をひそめると、話に加わっていた医師全員が吹き出した。私が嘉納先生に糖尿病の食事療法を指導していることも、同僚たちにはよく知られているのだ。
と、
「妃殿下っ!」
控室の扉が激しく叩かれる。その大きな音に、控室にいる医師たちがギョッとする。中には「ひっ」と小さな悲鳴を上げた人もいた。
(ああ、みんなが驚くから、扉は静かに叩いてと、この間もお願いしたのに……)
ため息をついてから「どうぞ」と返答すると、扉が勢いよく開き、白い制服の左腕に深緑色の腕章を巻いた女性が現れる。私の護衛役を務める、看護大尉の新島八重さんである。
「妃殿下、盛岡町のご自宅より、火急の用向きの使者が参ったとのこと。今、応接室に待たせていると、小使が知らせて参りました」
新島さんは大きな声で私に報告してくれた。国軍の“女傑軍団”のトップである彼女の大声に、医師たちは顔を緊張させ、怯えるように身体を小さくしている。
(急ぎの用向きの使者……)
去年の大みそかの出来事が、私の脳裏を過ぎる。あの時は、普段は呉にいる華頂宮博恭王殿下が上京し、新橋駅からこの築地国軍病院へ部下の見舞いへと向かったことを知った大山さんが、善後策を講じるために私を呼びだしたのだ。しかし今回は、博恭王殿下と顔を合わせる可能性はない。となると、本当に何か変事が起こったのかもしれない。栽仁殿下や子供たち、義理の両親や兄、そしてお父様やお母様の身に……。
(とにかく、どんな知らせでも動じないようにしないと)
私は座っていた椅子から立ち上がると、新島さんに応接室までついてくるようお願いして控室を出た。
国軍病院の応接室は、職員が使う通用口の近くにある。医師の控室からは少し距離があり、2分ほど歩かなければならない。本当は、応接室まで走りたいけれど、それは淑女にはふさわしくない。少しだけ早歩きをして応接室の前に到着すると、
「新島さん、ありがとうございます。ここで待っていてください」
とお願いしながら、私は応接室のドアをノックした。
ドアを開けると、誰かが素早く椅子から立ち上がる気配がした。束髪に結った頭が、私に向かって深々と下げられる。けれど、鼠色の地に茶色と白茶色の縦縞が入った和服を着たこの女性に、私は見覚えが無かった。不審に思って身構えたその時、彼女が顔を上げ、私は“あっ”と叫びそうになった。
「蝶子ちゃん?!」
私の声に、大山さんの長女・信子さんの娘、三島蝶子ちゃんは、
「ごきげんよう、妃殿下」
と挨拶して、礼儀正しく頭を下げた。
「ええと……」
とりあえず、蝶子ちゃんを応接間の長椅子に座らせ、私もその前に置かれた椅子に腰かけると、
「何でここに来たのか、説明してもらっていいかしら……?」
私は頭を左右に振りながら彼女に尋ねた。蝶子ちゃんは、ひょんなことから知り合った私の弟・鞍馬宮輝仁さまに惚れられ、紆余曲折の末、彼の許嫁になった。しかし、母方の祖父である大山さんが、“親王妃にふさわしくないから、俺が蝶子の教育をする”と強く主張したため、彼女は婚約が内定した直後に、大山さんの家に引き取られたのだ。そして、大山さんが招いた華族女学校や東京高等女子師範学校の教師たちから、様々な学問や書道、ピアノ、舞踏などを習い、輝仁さまとの結婚に備えている。そんな蝶子ちゃんが、なぜ築地の国軍病院にいるのか……理由が全く推測できないのだ。
すると、
「妃殿下に、お願いがあって参りました」
蝶子ちゃんは必死の形相で私に言った。
「お願い?」
「はい、祖父を、どうにかして止めていただきたくて」
「大山さんを止める?」
「はい」
蝶子ちゃんは頷くと、
「毎日毎日……祖父に死ぬような思いを味わわされているのです……」
涙がたまった目で私を見つめながら言った。
「死ぬような思い?穏やかではないけれど……それは、勉強の成績が余り良くなくて、ということなのかしら?」
私の質問に、
「違います!」
蝶子ちゃんはキッと私を睨みつけた。「妃殿下ほどではありませんが、私、勉強はできます!女学校時代も首席争いをしていましたし、祖父の家にいらしてくださる先生方からも、“非常によい成績”とお褒めの言葉をいただいているのです!」
「……それはごめんなさい。配慮に欠けた質問をしてしまったわ」
私は蝶子ちゃんに謝罪すると、
「だけど、それなら、なぜ大山さんに、死ぬような思いを味わわされることになっているのかしら?」
首を傾げながら彼女に尋ねた。
「……舞踏で失敗をしたり、礼儀作法が間違っていたりすると、祖父がものすごく怒るのです」
蝶子ちゃんは暗い声で私に答える。
「舞踏は祖父母に教わっているのですが、少しでも動作が違うと、祖父に怒られてしまいます。私、舞踏には興味が無くて、女学校時代もやったことがなかったのです。だから少しくらいは手加減してもいいのに、と思うのに、祖父は容赦がなくて、ものすごい顔で私を睨みつけます。礼儀作法が間違った時も、です。その眼光が、余りにも鋭すぎて、私は祖父に殺されてしまうのではないかと思ったことが何度もありました。見かねた祖母が止めに入っても、止めてくれなくて……」
そこまで言った蝶子ちゃんの身体が、一瞬大きく震える。大山さんの怒りが自分に向かった時のことを、ありありと思い出したのだろう。
「祖父は優しい人のはずなのです。確かに、私が生意気なことを言ってしまって叱られることはありましたけれど、祖父は私に優しくしてくれました。それが、鞍馬宮殿下に私が嫁ぐことが決まった瞬間、祖父は人が変わったようになってしまって……。このままの状態が続けば、私は鞍馬宮殿下と結婚する前に、祖父に殺されてしまうのではないか。そう思ったので、先生方や召使たちの目が離れた隙をついて、祖父の家から逃げ出しました。それで、妃殿下に、祖父が激しく怒らないように命じていただければ、祖父に怯えることも無くなると思いまして、ご迷惑かとは思ったのですが、市電を乗り継いで、ここまで参りました」
「そうだったのね……」
蝶子ちゃんに相槌を打ちながら、私は大きなため息をついた。
大山さんが私の前で殺気を放つことはしばしばある。ただ、私は大山さんと長いこと一緒に過ごしているから、彼の殺気にはそれなりに慣れている。けれど、蝶子ちゃんと大山さんが一緒に暮らすようになってから、まだ1年余りしか経っていない。“優しいおじいちゃま”だと思っていた人が、急に自分に向けて殺気を放つようになったら、いくら活発な女性でも、怯え戸惑うしかない。
「……それは、大山さんがやり過ぎだと思うな」
少し考えてから、私は口を開いた。
「自分の身内から、皇族に無礼を働いた人間が出た。その人間が、あろうことか、その皇族に嫁ぐことになった。それで大山さんが思い詰めて、蝶子ちゃんに厳しく接するようになったのは分かるけれど、蝶子ちゃんに殺気を放つのはやり過ぎよ。私が相手ではないのだから」
「は……?」
蝶子ちゃんが首を傾げた。どうやら、私の言葉が自分に向けられたものではないことを、敏感に察知したらしい。とりあえず、彼女は無視することにして、私は言葉を続けた。
「失敗するたびに殺気を放たれたら、蝶子ちゃん、畏縮してしまって何もできなくなるわ。それで、親王妃として必要なことが身につかなくなってしまったらどうするの?」
すると、応接室のドアが静かに開いた。ドアの向こうには、1人の男性が佇んでいる。黒いフロックコートを隙無く着こなし、渋い表情をした彼は、蝶子ちゃんの外祖父、その人だった。
「ひっ?!」
恐ろしい祖父の姿を見つけてしまった蝶子ちゃんは、次の瞬間、不自然な格好で長椅子にもたれかかった。……たぶん、気を失ってしまったのだろう。
「ああ、もう……」
私は大山さんを睨みつけてから、蝶子ちゃんのそばに移動した。
「姿を見ただけで失神するって……大山さん、孫娘にどれだけの殺気を放っていたのよ」
長椅子の背にもたれかかる蝶子ちゃんの身体を動かしながら尋ねると、
「当然、毎回、本気で殺すつもりで怒っておりましたが」
我が臣下は悪びれもせずに答えた。
「あなたねぇ……いくら厳しくしつけたいからと言っても、限度というものがあるわよ。少なくとも、相手にトラウマを植え付けるレベルで殺気を放つのは良くないわ」
「しかし、いくら殺気を放っても、妃殿下は大丈夫でしたが」
「何年も一緒にいたから慣れただけよ!その私と、蝶子ちゃんを一緒にしたらダメだって!」
大山さんにツッコミを入れながら、私は蝶子ちゃんの頭を長椅子の座面にゆっくり倒し、両脚を持ち上げて座面に乗せた。恐ろしい祖父に、思わぬ形で遭遇してしまい、驚きの余り迷走神経反射を起こして倒れてしまったのだろう。横になって休めば、数分で意識は戻るはずだ。
「……一応確認するけれど、どうしてここに来たのかしら?多分、あなたのことだから、院の人たちから蝶子ちゃんが逃げ出したことを聞いて、ここにやってきたのだろうけれど」
「ご明察でございます。本当は、蝶子が妃殿下と会ってしまう前に止められれば一番良かったのですが」
「蝶子ちゃんが私に会えて本当に良かったわ。外であなたの姿を見て倒れたら、大騒ぎになっていたでしょうから」
私は再び大山さんを睨みつけ、
「こんなんじゃ、今後の蝶子ちゃんの教育、進まなくなるわよ。それで親王妃にとって必要なことが身に付かなかったら、輝仁さまにとって不利益になる」
と彼に指摘した。
「しかし、蝶子は未熟です。学識は一通り、親王妃として恥ずかしくないものを身に付けましたが、舞踏に習熟したとは言い難い。それに、宮中での礼儀作法にも、まだ慣れておりません」
大山さんはそう言うと、不満げに私を見つめた。
「なるほどねぇ……」
宮中の礼儀作法はなかなか難しい。私は小さいころから慣れているし、多少の不作法があっても、“内親王だから”という事実で叱責をねじ伏せている。けれど、華族である彼女には、その技は使えない。
「それは確かに、指導が必要だと思う。でも、今の彼女の状態で、大山さんが彼女に教えることは難しいよ。指導する人間を変えるべきだわ」
顔をしかめながらため息をつくと、
「しかし、礼儀作法を指導する人間は、長年宮中と関わっている者でなければならないでしょう」
大山さんは私に反論する。明らかに不機嫌そうな様子の彼を見るのは、滅多にないことだ。
「それに、舞踏を教える者も、ある程度舞踏の経験が無ければなりませんが……妃殿下、誰かお心当たりはおありですか?」
「まぁね」
私は軽く応じると、大山さんに意中の人たちの名を告げた。
「なるほど、それで私と慰子のところにお鉢が回ってきた、と」
1915(明治48)年12月6日月曜日午後6時、東京市麴町区霞ケ関1丁目にある有栖川宮家本邸。勤務を終えた私は、義父の威仁親王殿下、そして義母の慰子妃殿下と応接間で向かい合っていた。私の隣には、大山さんが不満そうな顔をして座っている。そして、私の後ろ、応接間の隅の方には、蝶子ちゃんが、急遽駆け付けた大山さんの奥様・捨松さんに付き添われ、怯えた様子で立っていた。
「ええ、他に適任な方がいらっしゃらなくて」
私はわざと深刻な調子で義父に答えた。
「今の蝶子ちゃんの状況では、大山さんに宮中作法と舞踏を習うことは難しいです。もし、舞踏の練習で、大山さんが蝶子ちゃんの相手役を務めることになったら、蝶子ちゃんは間違いなく、踊り出した瞬間に気を失います」
私がここまで断言できるのは、先ほどの出来事があったからだ。築地の国軍病院で、大山さんの姿を見て気を失った蝶子ちゃんは、長椅子に寝かせたところ、数分で意識を取り戻した。ところが、大山さんが蝶子ちゃんの顔に怒りの視線を向けた途端、彼女の顔が真っ青になり、頭から不自然に力が抜けた。彼女は再び、意識を手放してしまったのだ。
――大山さん、悪いけど、この部屋から出て!あなた、完全に蝶子ちゃんのトラウマになっているから!
私は慌てて、我が臣下を蝶子ちゃんから遠ざけ、彼女を介抱したのだけれど……。
「……でも、こちらで、大山さんが関わらない形で、舞踏の稽古をお義父さまとお義母さまにつけていただければ、蝶子ちゃんの舞踏も上達するでしょう。それに、お義母さまに礼儀作法や、親王に嫁ぐにあたっての心構えをご教授いただければ、蝶子ちゃんはより一層、輝仁さまの妃にふさわしい女性になると思うのです」
私が力説すると、
「それは理に適っているかもしれないね」
義父はそう言いながら、蝶子ちゃんを見やった。
「今の彼女からは、鞍馬宮殿下を惹き付けた魅力が完全に失われている。話によると、嫁御寮どののように破天荒な女性だということだったのに、今はまるで、怯える子猫のようではないですか」
(何か、私、お義父さまに馬鹿にされたような気がする……)
私がチラッと思った刹那、
「怯える子猫でよいではありませんか」
大山さんが低い声で言った。「無礼を働くよりは、遥かに良いと思いますが、有栖川宮殿下?」
「ですが、それでは、公務の時や、外国からの賓客をもてなす時に上手く振る舞えないでしょう」
義父は大山さんに自然な調子で反論した。「親王妃として、夫の傍らに控えめに立つことも大事です。しかし、堂々と振る舞うことが必要とされる場面もあります。今のままでは、親王妃として立った時、見劣りがしてしまう」
「……」
大山さんは口を開かなかった。けれど、義父の言葉に納得していないことは、態度から明らかだった。
「大山さん、殺気は出したらダメ」
不穏な空気が我が臣下の周囲に漂い始めたのを感じた私は、即座に大山さんに命じた。
「……それはご推奨ということでしょうか?それともご命令でしょうか?」
「命令に決まっているでしょう。何なら、令旨にするわよ。蝶子ちゃんには今後一切、殺気を向けないこと。いい?」
私は精一杯の威厳をかき集め、大山さんを睨みつけた。すると、大山さんが両肩の力を抜く。張り巡らされようとしていた緊張の糸が解け、穏やかな雰囲気がようやく応接間に訪れた。
「私は章子さまに協力しますわ。だって、面白そうですし」
今までの話を黙って聞いていた義母がこう言って微笑すると、
「無論、私も嫁御寮どのに協力しますよ。これでも、舞踏の指導の経験はあるのですから。この子猫どの、嫁御寮どののような、明瞭快活な女性に化かして差し上げましょう」
義父もニヤニヤ笑いながら、私にしっかり請け負ってくれた。
「お義父さま、お義母さま、ありがとうございます」
私が最敬礼すると、蝶子ちゃんもか細い声で「ありがとう存じます」と頭を深く下げる。捨松さんも黙って義父と義母に最敬礼した。
「……有栖川宮殿下がそうおっしゃるのであれば、仕方がありませんな」
孫娘にトラウマを植え付けてしまった我が臣下も、承諾の言葉を口にした。けれど、その声には悔しそうな響きが伴っていた。
(よかった……)
私は胸を撫で下ろした。大山さんにトラウマを植え付けられてしまった今の状況では、蝶子ちゃんは大山さんから輝仁さまの妃に必要な事項を習うことはできない。私が知っている範囲で、大山さんに代わって指導役を引き受けてくれそうな人は、義理の両親しかいなかった。お願いして、引き受けてくれるかどうか自信は無かったけれど、どうやらうまくいったようだ。
と、
「ということは、この子猫どのは、嫁御寮どのの妹弟子になるわけですね」
義父がこんなことを言い始めた。
「私の……妹弟子?」
「嫁御寮どのにも、舞踏を長い間ご教授申し上げていたでしょう。我が家にお輿入れなさってから、舞踏はなさっていないようですが」
「そりゃあ、子育てもありますし……」
舞踏をやっている暇は無いと、私が義父に答えようとしたその時、
「ちょうどよい。姉弟子として、この子猫どのに舞踏の手本を示してください。来年には、嫁御寮どのも欧米に旅行なさいますから、そろそろ舞踏の勘を取り戻していただかなければなりませんしね」
義父はニヤニヤしながら、こんなことを言い始めた。
「え゛」
「何を驚いているのですか。舞踏は社交の場において大事な技術。外交の時には、交渉の成否に関わる場合もあります。ですから、ここは是非、大山閣下をお相手に一緒に踊っていただいて、日本を代表するプリンセスの舞踏がいかなるものか、子猫どのに見せるべきです」
「それはよいお考えですなぁ……」
大山さんはうっすら笑いながら立ち上がり、
「どうぞ、妃殿下。舞踏室にエスコートいたします」
と言いながら、私に手を差し出した。
「ちょ……い、今から?!私、軍装だよ、大山さん?!流石にこの格好で舞踏というのは……」
大山さんを慌てて止めた私の言葉は、
「何、スカートですから、大した問題ではありません」
という、義父の無慈悲な声で打ち砕かれた。
「ほら、さっさと立ってください、嫁御寮どの。舞踏を見せていただかなければ、子猫どのの教育になりませんよ?」
義父は、ニヤニヤ笑いながら、戸惑う私を眺めている。そして、虫の居所の悪い我が臣下も、不気味な笑みを顔に湛え、私をじっと見つめている。……こうして私は、夜9時まで大山さんと舞踏をする羽目になっただけではなく、今後毎週1回、霞ヶ関の本邸で、蝶子ちゃんとともに義父から舞踏の稽古をつけられることになってしまったのだった。




