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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第58章 1915(明治48)年小暑~1916(明治49)年大暑
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上医の夫

※設定ミスがあり一部修正を行いました。(2022年6月12日)

 1915(明治48)年7月10日土曜日午前11時、東京市麴町区霞ケ関1丁目にある有栖川宮(ありすがわのみや)家本邸の応接間。

「以上が、華頂宮(かちょうのみや)殿下とお話しさせていただいた内容でございます」

 応接間の上座を占めた私の義父・威仁(たけひと)親王殿下に、淡々と報告をしているのは、宮内大臣の山縣さんだった。先月の末から、山縣さんは“艦隊視察”という名目で呉に出張した。そして、呉にいる第2戦隊の司令官・華頂宮博恭(ひろやす)王殿下と面会したのだ。“艦隊視察”というのは表向きの目的で、真の目的は、先月9日、北白川宮(きたしらかわのみや)能久(よしひさ)親王殿下の葬儀で、彼が取った言動について問い質すことだった。

「……まず、僕のすぐ前に章子さんが拝礼すべきだとおっしゃったのは、あの日、章子さんが軍服を着ていたので、軍籍を持つ内親王として葬場(そうじょう)の儀に参列していると思い込んでしまったから、ということですね」

 私の隣に座る栽仁(たねひと)殿下が、落ち着いた口調で山縣さんに確認する。なぜなのかは分からないけれど、今日、午後にある梨花会に参加するようにお父様(おもうさま)に命じられたため、栽仁殿下は休暇を取り、昨日の夜、東京に戻って来ていた。

「おっしゃる通りでございます。そして、軍籍のある女性皇族が軍服をお召しでも、宝冠章を佩用していれば、他の女性皇族の方と同様の礼式を取るという規定を失念されていた……このようにおっしゃっていました」

「確かに、軍服で宝冠章を佩用したのは、先月の葬儀が初めてでしたからね」

 私は山縣さんの言葉を補足した。12年前の小松宮(こまつのみや)彰仁(あきひと)親王殿下の国葬の時、当時軍医学生だった私は葬列に加わらなかったので、初めから黒い通常礼装(ローブ・モンタント)を着て葬場の儀に参列したのだ。当然、その時は、勲章を佩用していなかった。

「恥ずかしながら、私もあの時、規定を失念しておりました」

 義父が渋い表情で言った。「ですからあの時、博恭どのの言うことが正しいと私も思ってしまった。気付いていれば、私も博恭どのに反論していたのですが……」

 そこで一度言葉を切った義父は、

「しかし、それを考えに入れても、博恭どのが栽仁に言おうとしていたことは問題になりますね」

と言って、眉をひそめた。

「はい。だからこそ、天皇陛下も御軫念(ごしんねん)あそばされ、わしを艦隊視察という名目で呉に差し遣わされたのです」

 山縣さんはそう言って義父に頭を下げる。私たちは特に広めることはしなかったのだけれど、葬儀の日の騒ぎは、どこからかお父様(おもうさま)の耳に入り、それで山縣さんが動くことになった。

「……で、華頂宮殿下は、若宮殿下を侮辱なさろうとした件について、どう申し開きを?」

 末席から問うた別当の大山さんに、

「“若宮殿下の奮起を促したかった”と……」

山縣さんは暗い声で言った。「“妃殿下は貴族院議長としてもご活躍された。だからその妃殿下に負けぬよう、立派な人物になって欲しい、そう思って敢えて言った”……華頂宮殿下はそう仰せでした」

「……随分とふざけた言い方ね」

 私は右の拳を握り締めた。

「それ、明らかに、自分より栽仁殿下を下に見ている言い方ですよ。確かに、向こうは少将で栽仁殿下は中尉ですけれど、それを抜きにしても、この見下し方は過剰です。……全く、帝国議会の閉会式で私をジロジロ見ていたことと言い、今回の件と言い、私に何の恨みがあると言うのよ、華頂宮さまは。私に文句があるなら、正面から正々堂々と向かってきなさいな!もちろん、返り討ちにしてやるけれど!」

「章子さん」

 息巻く私の右拳を、栽仁殿下が上から優しく押さえた。

「章子さんが怒ることではないよ」

「でも!」

 振り向いて叫んだ私に、栽仁殿下はいつもと変わらない声で、

「僕が精進を重ねて、立派な人間になればいいだけの話さ」

言い聞かせるようにこう言う。私は渋々口を閉じた。

「まずは今まで通り、しっかり艦隊勤務を続ける。それで、大尉に昇級して、受験の資格がもらえたら、国軍大学校を受験して、実力で合格する」

「!」

 栽仁殿下の言葉に、私は目を見開いた。国軍大学校……憲法発布と同時に行われた国軍合同によって作られた、上級将校の養成機関だ。入学資格は、大尉に任官してから1年以上……入学試験では、自分の兵科だけではなく、歩兵に砲兵、海兵に騎兵、更には機動、航空、技術、衛生、医学、歯学、薬学など、あらゆる分野から問題が出題されるため、非常に難しいと言われている。実は先月、高野さん……ではない、もう養子縁組が済んだから、山本大尉になったのだけれど、彼が国軍大学校の入学試験を初めて受けた。何とか合格をもぎ取り、山本大尉は9月から国軍大学校で学ぶことになったのだけれど、

――“史実”の記憶が合流した直後に受けた元老の方々の拷問……ではなかった、尋問と同じぐらい難しい試験でした。出題範囲が、余りにも広すぎて……。

入学試験を受けた直後、私にこう愚痴をこぼした。“史実”の記憶を持つ優秀な人間にこう言わしめてしまうほど、国軍大学校の入学試験は難しいのだ。

「……本気か、栽仁」

 義父が栽仁殿下に厳しい視線を向けた。「お前ならば、皇族の特権を使って、無条件で大学校に入学することもできるのだぞ」

「父上、それでは意味がありません。僕は章子さんのためにも、日本一の海兵大将になりたいのです。特権を使って国軍大学校に入れば、中身の伴わない大将になってしまいます。それは嫌です」

「栽仁殿下……」

 私は夫をじっと見つめた。彼の真剣な横顔は、婚約が内定した翌日、彼が私に想いを告げた時のことを思い出させた。

(でも……でもさ、(たね)さんが、国軍大学校に合格して、海兵大将になったとしても、(たね)さんは、私の夫である限り……)

「梨花さま?」

 大山さんが私を呼んだ。「お顔が曇っておられます。何か、ご心配なことが?」

「……もし、栽仁殿下がこれから昇級して、大将になったとしても、栽仁殿下はずっと、“貴族院議長の夫”と言われ続けることになる」

 そう言いながら、私はうつむいた。

「栽仁殿下がいくら頑張って昇級しても、そう言って攻撃してくる人は必ず出て来る。華頂宮さまみたいに……私は、栽仁殿下を傷つけるつもりで、貴族院議長になった訳ではないのに……」

「章子さん……いや、梨花さん」

 栽仁殿下が私の手を握る力が強くなった。

「言ったよね。僕はそんなこと、全然気にしていないよ。上医はそれにふさわしい職を持つべきだ」

(たね)さん……でも……」

「梨花さんは、他の女子より困難な道を歩む。だから梨花さんを守る僕も、普通の人生なら味わうことのない困難を強いられるだろうね。けれど、そんなこと、梨花さんとの結婚を天皇陛下に願い出た時から覚悟しているさ。僕は一生、梨花さんを守って支える。何があってもね」

(たね)さん……」

 顔を上げると、夫の真剣な眼差しが視界に入る。彼がにっこり笑った瞬間、私の目から涙がこぼれた。

「ご決意、しかと承りました……」

 山縣さんが涙声で言った。「ご幼少のころから、梨花会の皆と見守らせていただいておりましたが、若宮殿下は、力量もお人柄も、ご立派に成長なさいました……」

「過分なご評価、恐縮です、山縣閣下。更に精進を重ね、立派な海兵大将になれるよう努めます」

 山縣さんに、栽仁殿下がサッと頭を下げる。夫の姿は凛々しく、そしてとても頼もしく思えた。

「分かりました……。それでは皆様、後ほど、皇居で」

 山縣さんは椅子から立ち上がり、深々と一礼すると、応接間から立ち去った。


 それから約3時間後、午後2時10分、皇居の会議室。

「ほ、本当ですか、お父様(おもうさま)?!」

 私の上げた声に、

「ウソをついてどうする」

つまらなそうに言い返すと、お父様(おもうさま)は用意されたお茶を一口飲んだ。

(そんな……私と栽仁殿下が、輝仁(てるひと)さまといっしょに洋行するって……)

 今日の梨花会の冒頭、お父様(おもうさま)が発した言葉を、私はもう一度頭の中で繰り返した。来年7月に航空士官学校を卒業する私の弟・鞍馬宮(くらまのみや)輝仁さまは、見聞を広めるため、士官学校の卒業直後にヨーロッパとアメリカを旅行することになった。その旅行に、お目付け役として、栽仁殿下と私が同行するように……お父様(おもうさま)はそう言い渡したのだ。

(私が日本を離れている間、万が一、お父様と兄上の身体に何か起こったら、どうすればいいの?それに、勤務をどうするかを相談しないといけないし、それから、えーと、えーと……)

 必死に頭を働かせていると、

「章子、聞きたいことはたくさんあるだろうが、話を最後まで聞け」

お父様(おもうさま)に名指しで注意されてしまった。

「この頃は、顔に心が出ることは無かったのに、そなたの顔に、疑問がたくさん貼り付いておる。よほど驚いたようだな」

「は……」

 慌てて頭を下げると、「うむ」とお父様(おもうさま)は頷き、

「輝仁と栽仁と章子が日本に戻ってきたら、譲位の準備に入る」

と付け加えた。

「……?!」

 声にならない叫びが、会議室を駆け抜ける。列席した誰もが驚愕に包まれる中、

「再来年の3月末で退位すれば、その年の11月には嘉仁(よしひと)の即位礼ができるだろう。その予定で譲位をしたい」

お父様(おもうさま)は、大きな声で一同に告げた。

「……」

 梨花会の面々は、全員顔色を変えていた。けれど、兄とお母様(おたたさま)の表情は、普段と余り変わっていない。恐らく、事前にお父様(おもうさま)から、譲位の話を聞いていたのだろう。

「お……恐れながら」

 不気味なくらいの静寂を破り、お父様(おもうさま)に呼びかけたのは義父だった。

「陛下、もしや、お身体に不調があるのでしょうか。もしそうならば、場合によっては、栽仁と嫁御寮どのが欧米に旅に出るなど、もっての他になりますが……」

「案ずるな、威仁。体調が悪いわけではない」

 お父様(おもうさま)が答えると、

「まことでございましょうか、妃殿下?」

伊藤さんが私を睨みつけるようにして尋ねた。

「……はい、それは間違いないです。侍医さんたちの診療録で確認していますから」

 私は気圧されるように頷いた。「だから、今、私もとても驚いています。お父様(おもうさま)は体調を崩している訳ではない。その状況から兄上に天皇の位を譲る……一体どうすればそれができるのか、と……」

 私がこう言ったのは、皇室典範の内容が頭にあるからだ。“史実”では規定されていなかった譲位に関する条文が、この時の流れでの皇室典範には含まれている。けれど、そこに規定されている譲位の要件は、“天皇が長く体調を崩し、天皇としての務めが果たせないこと”である。現在、健康そのものであるお父様(おもうさま)には全く当てはまらない。

(どうするのかしら。まさか、仮病を使うとか?)

 こんなことを思いついた瞬間、

「そんなもの、皇族会議を開いて、皇室典範を改正すればよかろう」

お父様(おもうさま)が事も無げに言った。「そうだな、譲位に関する条文の“天皇(ひさし)きに(わた)るの故障に()り大政を(みずか)らすること(あた)はざる時”の後ろに、“または、天皇満六十年以上となり強く望む時”とでも付け加えたらいい」

(あ、そうか……)

 お父様(おもうさま)は、“史実”で亡くなった年齢を超え、現在63歳だ。満60歳以上でも譲位ができるように皇室典範を改正すれば、確かに病気にならなくても譲位ができる。

「恐れながら、譲位をなさりたい理由は何でございましょうか?」

 義父が硬い表情でお父様(おもうさま)に尋ねた。

「即位して45年以上……朕もだいぶ年を取った。もっとも、そなたらから見れば、朕がまだ小鳥の雛のように見えるかもしれないが」

 梨花会の面々が、一斉に頭を下げる。私が初めて出会ってから25年以上……彼らも年齢を重ねた。見た目も中身も、まだまだ若々しいのだけれど。

「しかし、朕が天皇のまま死ねば、国民生活は混乱するだろう。以前、章子から、“史実”で裕仁(ひろひと)が死んだ時の話を聞いた。日本の敗戦による社会の変化で、我が皇室に対する崇敬が今ほど強くないであろう時代の大喪儀(たいそうぎ)で、あの騒ぎだ。この時の流れで、天皇の大喪儀が行われれば、もっと激しい混乱が起こるだろう。それは避けたい」

 義父は頭を垂れ、お父様(おもうさま)の言葉を黙って聞いていた。

「再来年には、明治も50年になる。嘉仁に位を譲るには、ちょうどよいと思ってな」

「……かしこまりました。であれば、反対は致しません」

 義父がサッと頭を下げた。「国民の生活を(おもんぱか)っての叡慮……感服いたしました。お代替わりが無事に行えますよう、粛々と、皇族としての務めを果たす所存です」

 私も栽仁殿下と一緒に、お父様(おもうさま)に向かって頭を下げた。お父様(おもうさま)が譲位の意志を強く持っている。それに有栖川宮家の当主が賛成している。兄も、お母様(おたたさま)も反対する様子がない。であれば、私が譲位に反対する理由は何もない。

「私個人の考えとしては、譲位に賛成いたします。天皇陛下のおっしゃった通り、恐れ多きことではありますが、天皇陛下の崩御となれば、国民生活と経済への影響が計り知れません。党としての意見をどうするか、それは別の問題ではありますが……」

 内閣総理大臣の渋沢さんが、列席している臣下一同に向かって言うと、

「渋沢どの……陛下の御心のままに、我が党は動くしかないんである」

立憲改進党党首で文部大臣を務める大隈さんが、珍しく静かに言った。

「それは、我が立憲自由党も同じです」

 野党・立憲自由党総裁の西園寺さんも、大隈さんに続いて発言する。「光格天皇から仁孝天皇への譲位が行われてから、再来年でちょうど100年……不思議なめぐりあわせですが、お代替わりの儀式、与党が立憲改進党でも立憲自由党でも、滞りなく進めさせていただきます」

 衆議院が解散しなければ、お父様(おもうさま)から兄への譲位の直後、1917年の9月に、衆議院議員総選挙が行われることになる。西園寺さんの発言は、それを念頭に置いてなされたものだろう。まぁ、例えそのタイミングで政権交代があったとしても、梨花会に政治も行政もコントロールされた現在の状況なら、新旧大臣や次官の引継ぎはしっかりなされ、1917年11月の即位礼に支障を来たすことはない。

(ただ、それでも、まだ解決されていない疑問があるのよねぇ……)

 私が首を傾げた瞬間、

「梨花さま、もう陛下にご質問なさってもよろしいと思いますよ」

右から大山さんが、私にそっと言った。

「そうね……では、お父様(おもうさま)に質問させていただきます」

 右手を挙げた私に、

「なんだ、譲位の日程のことか?嘉仁の即位礼のことを考えると、これが一番適当だと……」

お父様は少し顔をしかめて応じる。

「いえ、そのことではなくて、私が洋行している時に、お父様と兄上が体調を崩した場合はどうするか、という問題です。特に、手術が必要な場合に……」

「近藤先生がいるだろう。俺の傷も縫合してくれたし」

 私にのんびりと言った兄に、

「そうだけど、全身麻酔は使ってないでしょ?!もし全身麻酔が必要な手術をしなければならなくなったら……やっぱり不安よ!」

私は言葉を叩きつけた。

「……そうだ、洋行は来年の7月だから、その前、来年の5月の兄上の健康診断の時に、お父様(おもうさま)にも健康診断を受けてもらおう。そうしたら、手術が必要な病気があっても、私がお父様(おもうさま)の手術を執刀してから洋行に出られるし」

 思いついたことを私が口にすると、

「な、何?!」

お父様(おもうさま)の顔色が変わった。

「当然でしょう。胸のエックス線写真と胃のエックス線検査。それから、血糖値の測定と便の血色素反応検査、血糖値測定のついでに、緒方染色で血液細胞の塗抹像もチェックして……」

 指を折りながら、今、この時の流れで可能な検査項目を列挙していくと、

増宮(ますのみや)さん、そのくらいにしてあげてください。お(かみ)のお顔が真っ青ですから」

お父様(おもうさま)の隣に座っているお母様(おたたさま)が、苦笑しながら私を止めた。

「ふふ、お医者様がお嫌いなのは、相変わらずですね、お上」

「う、うるさいっ、美子(はるこ)……」

 クスクス笑いながら話しかけるお母様(おたたさま)に、お父様(おもうさま)は苦り切った表情で応じると、プイっと顔を背けてしまう。

「でも、お上、増宮さんと栽仁さんには、ぜひとも洋行なさっていただきたいのでしょう?ならば、健康診断、受けていただかなければなりませんよ。もし受けるのが怖いのでしたら、私も一緒に受けますから、ね?」

 お母様(おたたさま)は上目を使いながら、お父様(おもうさま)の様子を窺っている。その優しい視線がお父様(おもうさま)を捉えるごとに、お父様(おもうさま)の握った手が小さく震える。そして、

「わ、……分かったっ。受ければいいのだろう、受ければ!」

お父様(おもうさま)は下を向き、自棄(やけ)を起こしたかのように叫んだ。

お父様(おもうさま)、怖いことは全くないですよ。俺は洋行から戻って以来、年に1度は、梨花が今言った検査を帝大病院で受けていますが、皆、良くしてくれます」

 兄が優しい声でお父様(おもうさま)に話しかけると、

「そ、それは知っておる!怖くないから、健康診断を受けるのではないか!」

お父様(おもうさま)は怒鳴るように言い、再び顔を横に向けてしまった。

お父様(おもうさま)、相当無理してるなぁ……)

 思わずこんな感想を漏らしそうになったけれど、口にしてしまえば、お父様(おもうさま)の機嫌が更に悪くなるのは分かり切ったことなので、私はしっかり口を閉じていた。まぁ、言質は取れたのだ。あとは当日、山縣さんや大山さんと協力して、お父様(おもうさま)に検査を受けさせればいい。

 と、頬を膨らませていたお父様(おもうさま)が、真面目な表情に戻り、

「栽仁」

私の夫の名を呼んだ。

「はっ」

 突然の指名に、私の上座に座っている栽仁殿下は戸惑いながらも姿勢を正す。そんな彼に、

「洋行中……いや、洋行中だけではないな。章子のことを頼むぞ」

お父様(おもうさま)は言った。

「章子はいろいろな意味で、常の女子ではない。国を(いや)す上医となる女子。章子が歩む道は困難を伴うものになるだろうが、章子の夫たるそなたが歩む道も、常とは異なる困難が待ち構えておろう。心苦しいことではあるが……」

「お言葉、ありがたく頂戴いたします」

 上座から降る声に、栽仁殿下はしっかりした口調で答えた。

「章子さんを娶りたいと陛下に願い出ました時から、覚悟はしております。あれから7年経ちましたが、僕は一生涯、上医となる章子さんの夫として、章子さんを守り、必ず幸せにします。その気持ちに変わりはありません」

「そうか……それを聞いて安堵した。励めよ、栽仁」

 不意に、私は栽仁殿下が今日の梨花会に呼ばれた理由を感じ取った。お父様(おもうさま)は、この言葉を言いたかったのだ。私と輝仁殿下と一緒に洋行するようにと言い渡すためではなく……。

「しかと、承りました」

 栽仁殿下のしっかりした口調は、いささかも揺らぐことは無かった。その答えを聞いたお父様(おもうさま)は、満足げに頷いたのだった。

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