もう1人の護衛役
※誤字を修正しました。(2022年5月2日)
1914(明治47)年8月25日火曜日午後3時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「うわぁ!」
「ぐふっ……」
盛岡藩下屋敷の跡をそのまま使った盛岡町邸の2万8000坪の敷地は、東側の高台と西側の傾斜地で、使い方が大きく異なっている。東側には、私と栽仁殿下が住む本館や、表向き“職員詰所”として扱われている別館、今は3人の子供たちのスペースになっている分娩所、車庫や厩などの建物がある。そして、西側には傾斜を生かした日本庭園が整備され、張り巡らされた小径をそぞろ歩けば、四季折々の自然を楽しめるようになっていた。
その日本庭園のそこかしこに、10人ほどの男性が転がっている。ある者は“く”の字に身体を折り曲げ、またある者はうずくまってうめき声を上げている。庭園の池に落とされたのか、全身ずぶ濡れになり、放心したように空を眺めている者もいた。
「近頃の新人は、身体能力が低くなっているようですなぁ」
その散乱した人体の中心で、両手を軽く払いながら、悠然としている人がいる。気温30度を超える暑さの中、涼しい顔で黒いフロックコートをまとっているこの人物は、何を隠そう、病後の静養から戻ってきた我が臣下だった。
「一体、どういうことですか……」
散歩中に、大山さんと、別館でトレーニング中の中央情報院の新人さんたちとの戦闘訓練を目撃する羽目になった私は、吐き出すように呟いた。
「俺も分かりかねます……」
私の散歩にくっついてきた、中央情報院の職員・石原莞爾さんが、苦り切った表情で私に答えた。
「だって、大山さん、手術の前より明らかに強くなっていますよ?」
私は恐る恐る、前方を指さした。「手術前は、新人さんたちと戦闘訓練をしている時、同時に3人を相手したら、流石に負けていました。それなのに、今は1対3の状況でも、危なげなく勝っているし……。反応速度や身のこなしも、手術前より良くなっています。石原さん、大山さんは静養中、どんな機能回復訓練をしていたのですか?」
私が聞くと、
「あれは、機能回復訓練という言葉で言い表せるものではありませんでしたよ……」
石原さんはそう答えて、身体を一瞬震わせた。
「死を何度も覚悟しました。そんな訓練を、大山閣下は平然と……ひっ?!」
石原さんが悲鳴を上げた。私も思わず右の拳を固めた。大山さんが、私と石原さんに殺気を向けたのだ。
「あの程度のことで死を覚悟するとは……鍛え方が足りないようですな、石原君」
大山さんが不気味な笑いを見せると、石原さんが1mぐらい後ろに飛び退く。「逃げ足が速くなりましたなぁ」と呟くと、大山さんは私に歩み寄った。
「一応聞いておくけれど、雲仙と佐世保でどんなことをしていたの?」
私が水筒に入ったお茶を差し出しながら尋ねると、
「妃殿下からご指導いただいたリハビリでございますよ」
大山さんは水筒を受け取りながら答え、中身を美味しそうに飲んだ。
「付き合わされた人が“死を何度も覚悟する”リハビリなんて、普通ないわよ」
私は大山さんを軽く睨みつけた。「具体的にどんなことをしたの?」
「そうですな……」
少し考え込んだ大山さんは、
「初めは、木刀の素振りを続けたり、宿の周囲を歩き回ったりしておりました」
と私に答え始めた。
「しかしすぐに、それでは飽き足らなくなりまして、そこの悪童を相手に武技を練ったり、野山を巡って田畑に悪さをした猪や熊を銃で懲らしめたり……」
「武技を練る、などで済む話ではありませんでした、妃殿下」
石原さんが私の後ろから耳打ちした。「毎回本当に殺す気で木刀や稽古槍で打ちかかられましたし、野山で道無き道を歩かされたり、断崖絶壁をよじ登らされたり……こうしてここに生きて立っているのが不思議なくらいです」
(それ、リハビリのレベルを超えているわよ……)
石原さんの囁きを聞いた私は思わずよろめいた。石原さんは中央情報院の職員で、大山さんの新人教育もパスしているから、その辺の一般人よりは強いはずなのだ。そんな人が付き合わされて死にそうになるリハビリ……それはもう、リハビリではなくて過酷な修業だ。
「道理で、手術前より大山さんが強くなっている訳よ……」
私はため息をついた。「リハビリの代わりに修業をして強くなる人なんて、初めて聞いたわ。本当に驚いた」
すると、
「俺は、蝶子と鞍馬宮殿下の婚約が内定してしまったのに肝を潰しました」
大山さんがため息をついた。
「彌太郎君から電報を受け取った時は、生きた心地がしませんでした。折角佐が生まれたというのに、それどころではなくなって……」
「そこまで言う?」
私が眉をひそめると、
「あの不束者が、鞍馬宮殿下に無礼を働くのではないかと思うと、気が気でなりません。だからこそ今、親王妃にふさわしい淑女とするべく、俺自らの手で教育しておりますが」
大山さんはこう答え、再び水筒のお茶を飲んだ。
先月31日、初めての内孫・佐くんの出産に立ち会った大山さんは、長女・信子さんの夫である三島彌太郎さんから今月の2日に電報を受け取ると、すぐに東京に戻ってきた。初めは、宮内大臣の山縣さんに、婚約内定の取り消しを強く求めた大山さんだったけれど、輝仁さまが蝶子ちゃんとの結婚を強く望み、お父様とお母様もそれを了承したという経緯を聞き、渋々矛を収めた。
しかし、蝶子ちゃんが輝仁さまと結婚することを非常に心配した大山さんは、父親の彌太郎さんを説得して、自宅に蝶子ちゃんを引き取った。輝仁さまは9月から2年間、“航空少尉候補生”という身分で所沢の航空士官学校で勉強する。国軍の結婚条例では、士官候補生は結婚が出来ないことになっているので、輝仁さまと蝶子ちゃんの結婚は、輝仁さまが航空士官学校を卒業して航空少尉になる1916(明治49)年9月以降になるのだ。その2年間を使い、蝶子ちゃんにいわゆる“お妃教育”を施して、直宮の妃にふさわしい淑女にする……大山さんはそう意気込んでいた。
「性質を過度に矯めるのは良くないわよ」
私は非常に有能で経験豊富な臣下に苦笑いを向けた。
「輝仁さまは、蝶子ちゃんの性質に惹かれたのだから」
「分かっております」
大山さんは憮然とした表情になった。
「しかし、その性質を表に出して良い時と出してはいけない時があります。蝶子はその選択がまだ上手くありません」
「それは否定できないわ」
確かに、“蝶子さんと結婚させて欲しいと直談判するために来た”と輝仁さまに告げられた時、蝶子ちゃんは同輩に対する時のような言葉遣いで輝仁さまに話しかけてしまっていた。見ていたのが私と栽仁殿下だけだからよかったけれど、もし、他の人に目撃されていたら、“皇族に対して何と無礼な口のきき方をするのですか!”と怒られてしまう。
「とにかく、蝶子ちゃんに対する教育は、無茶をしないようにね」
私が念を押すと、「努力します」とだけ答えた大山さんは、
「そろそろ、女王殿下方のおやつの時間ですな」
と言いながら、庭園の小径をスタスタ歩き、本館へと戻って行ったのだった。
1914(明治47)年9月1日火曜日、午前8時。
「今日は、妃殿下のご機嫌が、大変よろしいように思います」
京橋区築地4丁目にある築地国軍病院に向かう自動車の中、運転手の川野さんが私に言った。
「ああ、分かりますか」
夏用の軍装を着ている私は、後部座席から川野さんに笑顔を向けた。白いスラックスに白いジャケット……数年ぶりに着たけれど、体型を妊娠前とほぼ同じに戻せたので、肩章以外新調しないで済んだのはありがたい。
「久しぶりの現役復帰ですからね。嬉しくない方がどうかしています」
私がそう言うと、
「ご復帰の日を、指折り数えて待っていらっしゃいましたからね」
隣に座った大山さんが微笑した。
1910(明治44)の12月初めに、万智子の産前休暇に入ってから、立て続けに子供を授かったので、私はずっと現役軍人に復帰できないでいた。もちろんその間、徳川慶喜さんの肺炎を治療したり、大山さんの胆嚢摘出の手術に助手として加わったりはしたけれど、医師としての仕事を本格的には再開できていなかった。
ところが、次男の禎仁が去年の8月15日に生まれた後、私に体調の変化はなく、無事に先月15日の育児休暇終了日を迎えることが出来た。そこで、国軍医務局長の高木兼寛軍医中将や副局長の西郷吉義軍医少将とも相談し、今日付けで軍医大尉に昇級し、現役に復帰することになったのだった。
勤務先は築地の国軍病院にしてもらった。栽仁殿下は横須賀港の軍艦“朝日”にいるので、横須賀に近い葉山の別邸に住んで、横須賀国軍病院に勤務することも考えたのだけれど、葉山の別邸では、子供たちと一緒に暮らすと手狭になってしまう。それに、義理の両親である威仁親王殿下と慰子妃殿下が、孫たちが東京を離れるのをとても嫌がったのだ。それで、私と子供たちは東京で暮らし、栽仁殿下が週末に東京に戻るという生活を続けることになった。今回はこれで解決したけれど、もし、栽仁殿下や私の勤務地が、呉や佐世保など、東京から遠いところになってしまったら、それぞれの住む場所をどうするか、子供たちはどこに住むか……色々と考えなければならないだろう。
「妃殿下、病院ではどのようなお仕事をなさるのですか?」
川野さんが私に尋ねた。そう言えば、彼の運転する自動車で国軍病院に行くのは初めてだ。軍医がどんな仕事をするのか、興味があるのだろう。
「そうですね……」
私は考えながら、彼の質問に答え始めた。
「患者さんの診察をして治療の計画を立てて、必要があれば手術をして、という感じになりますけれど……当分、手術の術者はできないでしょうね」
軽くため息をつきながら付け加えると、
「それはどうしてですか?」
川野さんが不思議そうな表情になった。「妃殿下は外科がご専門だと聞いております。外科医は全員、手術ができるものではないのですか?」
「んー……そうでもないのですよ」
川野さんは、医学に関しては素人だ。その彼に、どうすれば言いたいことが上手く伝わるだろうか。頭の中で答えを組み立ててから、私は口を開いた。
「例えば、筆を使うのを怠っていると、筆の扱いが下手になってしまうでしょう?」
「ええ、分かります」
川野さんは頷いた。「恐れながら、妃殿下が若宮殿下とご結婚される前、有栖川宮殿下が妃殿下に御手ずから書道を指南なさったことがございましたが、その時に、有栖川宮殿下が妃殿下によく仰せになっておられました」
川野さんはそう言うと、微かに笑い声を漏らす。この人は、私が栽仁殿下と結婚する前から、有栖川宮家の職員として働いている。
「……まぁ、それと同じで、長い間手術をしていないと、手術に必要な技術が衰えてしまうのです。ですから、まずその技術を練習して、手術が問題なくできるようにならなければいけません。それから、私が予備役にいた間に、医学の知識も進歩していますから、それも勉強しなければなりません。だから、現役に復帰してすぐ、手術ができる訳ではないのです」
こんな説明で分かってくれるか、少し不安だったけれど、何とか川野さんは分かってくれたようだ。「なるほど、鍛錬をし直さなければならない……医師というものは、やはり大変なご職業ですね」と彼は言った。
「ふむ、では妃殿下、もう一度俺の手術をなさいますか?」
大山さんがおどけた調子で言った。
「何で健康な人の手術をしないといけないのよ」
私は大山さんを軽く睨んだ。「そんなことをしなくても、自分でできる手技の練習をすれば大丈夫よ。それで、手術を1件でも助手として多くこなして、勘を取り戻せば、術者も務められるようになるわ。また新人に戻った気持ちで頑張らないとね」
そんなことを話していると、車は築地国軍病院の敷地に到着する。車の窓越しに玄関を確認すると、たくさんの人が整列している様子はなかった。
「よしよし、全員での出迎えはないね。要望通りだ」
私がニッコリ笑うと、
「まだ分かりませんよ、妃殿下。玄関を入ったところで、院長以下一同、整列しているかもしれません」
と大山さんが言った。
「たぶん新島さんが追い返しているわ。玄関に立っているけれど」
私がもう一度玄関の様子を確認しながら返すと、大山さんの身体が一瞬だけ大きく震えた。“新島さん”という言葉に反応してみせたのだろう。「大山閣下は、新島どのが苦手なのですね」と川野さんが軽く笑う。本当は、大山さんが彼女に関する記憶をとっくに克服しているのは、大山さん本人と、限られた数の人間しか知らない。
玄関には、2人の人間が私を待ち受けていた。1人は、看護大尉の新島八重さん。70歳近いのだけれど、身体能力は若者と全く変わらず、特例で現役続行を認められていた。もう1人、彼女の隣に立っている女性の看護士官は、私が会ったことがない人だ。年齢は、私より3、4歳下だろうか。ただ、会ったことが無いはずなのに、ぱっちりした瞳とスラっと通った鼻筋の組み合わせは、どこかで見たことがあるような気がする。
(美人さんだからかな……?)
私はひとまず結論を出すと、診察カバンを左手で持ち、自動車から降りた。
「お久しぶりでございます、妃殿下」
新島さんが最敬礼するのと同時に、彼女の隣の看護士官も最敬礼する。私は丁寧に頭を下げ返すと、
「本当にお久しぶりです、新島さん。お元気そうで何よりです」
と挨拶をした。
「また、よろしくお願いします。最後に勤務してから何年も経っていますから、戸惑ってしまうと思いますけれど、なるべく早く慣れるように努力します」
「はい、全力でお支え申し上げます」
新島さんは私に答えると、
「実は妃殿下、後進の育成も兼ね、今日からは、妃殿下の護衛を、この後輩と2人で担当したいのですが……」
と私に言った。
「いいですよ」
私は微笑した。「2人なら、交代で休みを取ることもできますからね」
すると、
「はっ!ありがたき幸せでございます!」
新島さんの隣に立つ美人の看護士官さんが、私に向かって再び最敬礼した。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
私が尋ねると、
「看護少尉の平塚明と申します。明るい、と書いて、“はる”と読ませます」
美人の看護士官さんはこう答えた。
「なるほど、平塚明さんですか。いいお名前ですね」
私は平塚さんに笑顔を向けた。けれど、その笑顔の下で、必死に記憶を探っていた。この名前、どこかで聞いたような記憶がある。まさか、前世の記憶だろうか。前世の教科書の内容を何とか思い出した私は、思わずあっと声を出しそうになった。
(間違いない。この時の流れでは発刊されていないけれど、『青鞜』の平塚らいてう、こと、平塚明って、この人じゃないのか?!)
「未熟者ではありますが、近代女性中の大英傑でもあらせられる妃殿下に、この命、捧げる覚悟で勤務に励みます。どうぞよろしくお願いいたします」
彼女の少し変わった挨拶を聞きながら、私は両腕で頭を抱えたいのを必死に我慢したのだった。




