9月騒動(2)
1913(明治46)年9月5日金曜日午後3時、東京府本郷区本郷元富士町にある東京帝国大学医科大学付属病院。
「うーん、面目ないんである……」
特別個室のベッドの上、青い羽織の左袖だけに腕を通し、右腕を三角巾で吊るした大隈さんは、明らかにしおれていた。ギプスをまかれた右足は、座布団を積み重ねた上に置かれ、高く挙上されている。
「だからいつも言っているでしょう。あなたを1人にすると失敗する、と」
大隈さんのベッドのそばでは、大隈さんの奥様の綾子さんが立っていて、呆れたように夫を眺めている。彼女の隣には、大隈さんの養子・英麿さんもいて、大きなため息をついていた。
「あの……“骨折した”ということだけしか私は聞いていないのですけれど、どうして大隈さんはこんな大けがをしたのでしょうか?」
先日の井上さんに引き続き、お見舞いに駆け付けた私が恐る恐る尋ねると、
「それなのですよ。聞いてくださいますか、妃殿下?」
綾子さんが私に一歩歩み寄った。
「あ、こら、綾子……」
大隈さんが止めようとしたけれど、
「あなたは黙っていてください」
綾子さんに逆にピシャリとやられてしまい、大隈さんは口を閉じてうつむいてしまった。やはり、大隈家がいわゆる“かかあ天下”なのは、昔も今も変わらないようだ。
「用事がありましたから、私、主人を置いて、1時間ほど家を離れていたのでございます。そうしたらこの人、乗れもしない自転車に、急に乗りたくなったようなのですよ。英麿さんの自転車を引っ張り出して、庭で運転の稽古をしようとして転げ落ちて……。私が帰ってきたら、書生さんたちが大騒ぎでございましたの」
綾子さんは私に事情を説明すると、冷たい目で夫を見つめた。
「どうして、自転車に乗ろうと思ったのですか……」
私もため息をつきながら尋ねると、
「い、いや、その……乗ってみたくなって……つい……」
大隈さんは、いつもの大声からは想像できないほど小さな、囁くような声で回答した。
「それがどうして、選挙の投票日なのですか……」
私が力なくツッコミを入れると、
「全くでございますよ」
綾子さんがムスッとしながら言った。「これで立憲改進党が総選挙に勝利してごらんなさい。“投票日に自転車から落ちて内閣総理大臣の座を逃した男”、“総選挙には勝ったが、内閣総理大臣争奪戦に勝てなかった男”などと言われて、末代までの恥になりますよ」
(確かにねぇ……)
このケガでは、大隈さんは当分の間仕事が出来ない。もし立憲改進党が総選挙で勝利したら、今回の大隈さんの受傷は、日本近代史における珍エピソードとして語り継がれてしまうだろう。……それはそれとして、私には確かめなければならないことがある。
「あの、今、立憲改進党の方はどうなっていますか?」
私は一番聞きたかった質問を大隈さんにぶつけた。すると、
「今、渋沢どのと山田どの、それから尾崎君に取りまとめをお願いしているんである」
大隈さんはこう答えた。山田さんは梨花会の一員でもあり、司法大臣・内務大臣を歴任している。渋沢さんは貴族院議員で農商務大臣の経験があり、立憲改進党の貴族院議員たちのまとめ役でもある。尾崎行雄さんも井上内閣の時に逓信大臣として入閣していて、立憲改進党の衆議院議員たちのリーダー的な存在だ。この3人に、貴族院議員となって日は浅いけれど、国軍次官・内務次官の経験がある桂さんが加われば、大隈さんの不在中に立憲改進党が動揺することはないだろうけれど……。
(立憲改進党が総選挙で敗北するならまだいい。問題は、総選挙に勝った時ね。井上さんと大隈さん、立憲改進党の中心になる存在がいない今、誰が内閣総理大臣になるのかしら……)
一昨日投票が行われた総選挙の結果が出て、衆議院の全議席が確定するのは明日になるだろう。今日の午前中に大山さんに聞いたところ、立憲自由党と立憲改進党は互角の戦いをしているそうだ。それがどのような結果に終わるか、私には予測できなかった。
1913(明治46)年9月6日土曜日午前11時30分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「党内が動揺している?」
邸内に設けられた分娩所。ベッドに身体を起こして次男の禎仁に授乳する私に、
「お恥ずかしい話ではございますが……」
青いフロックコートを着た桂さんが一礼した。“妃殿下に党内情勢をご報告申し上げたい”ということで、長女の万智子と長男の謙仁にはご遠慮いただいての、2人きりの密談中である。
「内閣総理大臣の候補者であった井上閣下が病に倒れ、更に党首の大隈閣下も大けがで離脱しました。それがある程度の日数を置いて起こったことならまだしも、僅か1週間余りで立て続けに……そのため、少なからぬ数の議員が動揺しています」
「あら……山田さんと渋沢さんと尾崎さんに、党内をまとめるようにお願いしている、大隈さんは昨日そう言っていましたけれど……」
私は乳首から口を離した禎仁を抱え直した。お腹がいっぱいになったのか、可愛い眼がもうとろんとして、今にもお昼寝しそうである。
すると、
「それでございますよ」
桂さんは私に少し身体を近づけた。
「大隈閣下にご指名を受けたお三方、この事態にどなたも積極的に動けていないのです」
「何ですって?」
私は眉をひそめた。「山田さんも渋沢さんも尾崎さんも、立憲改進党のトップになる実力はあると思いますけれど……」
「妃殿下のおっしゃる通りでございます。しかし、今回の場合、大隈閣下の代わりに一時的にでも我が党を率いるということは、内閣総理大臣に就任する可能性もあるということにもなります。それゆえ、全員ためらっておられるのです。自らに内閣総理大臣が務められるのか、と」
「!」
「今回の総選挙で、我が党が立憲自由党に敗北するのであれば、まだよいでしょう。その3人の合議制で、大隈閣下が復帰するまで党を運営すれば済むことです。しかし、昨日までに判明した衆議院287議席のうち、立憲自由党の獲得した議席は144、我が党の議席は143……残りは13議席、どちらが勝ってもおかしくありません。勝ってしまえば、党首は大隈閣下のままでもいいかもしれませんが、大隈閣下の復帰を待つことなしに、この3人の誰かが直ちに内閣総理大臣にならなければいけないのです。我が党の勝利の可能性が見えているがために、3人が3人とも動けない……今はそんな状態です」
そう言って、珍しく険しい表情になった桂さんに、
「山田さんと渋沢さんと尾崎さん……3人とも、なぜ総理になることをためらっているのか、理由は分かりますか?」
と私は質問してみた。
「まず、山田閣下は、健康に不安を抱えておられます。妃殿下のお言いつけ通り食事療法・運動療法を行い、酒とタバコも断ち、降圧薬も内服しているが、収縮期血圧が170mmHgから下がらない、と……」
(それか……)
桂さんの答えに、私は思わず舌打ちした。この時の流れでは、降圧薬はまだ1種類しか開発できていない。医科研で野口さんをいたぶりながら百日咳菌のワクチンの研究をしているヴェーラ・フィグネルが臨床試験をした、インドジャボクの抽出物から作られた薬である。降圧薬が何十種類も開発され、製薬会社がしきりに病院や診療所に売り込みをかけていた私の時代なら、更に降圧薬を追加することもできるけれど、残念ながらそれは不可能だ。
「新しい降圧薬の候補物質も見つからないし、基礎実験をするのもまだ難しいですからねぇ……。総理大臣になるとしたら、今より更に激しいストレスがかかるでしょうから、血圧が更に上がります。そうなると、井上さんみたいに脳卒中になるかもしれないし、心筋梗塞や大動脈解離、くも膜下出血を起こす危険も出て来る……総理大臣の任期途中で倒れられてしまったら、山田さん本人も大変ですし、政治的な混乱を起こさないようにするのも大変ですね」
私がそう言ってため息をつくと、
「そうなのです」
と桂さんは両肩を落とし、
「そして、尾崎どのに関しては、“自分は平民であるのに、内閣総理大臣に就任してもいいものか”と苦悩しているようです」
と説明を続けた。
「そんな……」
気にしなくてもいいのに、と言おうとした私は、あることに思い至った。初代内閣総理大臣の伊藤さんから、今の内閣総理大臣の陸奥さんまで、内閣総理大臣は全員、就任の時に爵位を持っていた。尾崎さんにはその爵位がない。……彼は衆議院議員だから、当たり前のことではあるのだけれど。
「“史実”の大正時代には、原さんが平民のままで内閣総理大臣になっています。でも、尾崎さんは、平民が内閣総理大臣になることを、越えてはいけない一線のように思っているということですね……」
「おっしゃる通りでございます。それに、尾崎どのは、自分だけで党内を掌握できるか、ということに関しても悩んでいるようです」
私の言葉に応じた桂さんは、大仰に頭を下げるとため息をついた。
「では、渋沢さんは?農商務大臣になったことはありますし、男爵ですよ?」
今度はこう尋ねてみた。日本の実業界そのものの生みの親のような存在である彼は、立憲改進党内の人望を広く集めている。彼ならば、健康状態にも問題はないし、内閣総理大臣が出来るのではないだろうか。
ところが、
「その通りなのでございますが、渋沢どのも、“徳川の家来の身に過ぎない自分が、日本を治める内閣総理大臣にはなれない”と言い、上に立つことを頑なに承知なさいません」
桂さんの答えは、私の淡い期待を粉々に打ち砕いた。
「それですか……」
そう言えば、渋沢さんは幕末の頃から徳川幕府に仕えるようになった……以前、そんな話を聞いたことがある。今の自分を世に出してくれたのは徳川家であり、自分はその徳川家の家臣である。そんな思いが、渋沢さんの根底にあるのだろう。
「そういえば、勝先生も内大臣府に入る時、“臣下のおれが、旧主の官位に並んじまう”って断るのをお父様が読んでいたから、内大臣ではなくて“内大臣府出仕”という資格で内大臣府に入るように……そうお父様が命じたのでしたっけ。それで、勝先生も断れなくなって、三条さんの後任になった……。ふう、慣れたつもりでしたけれど、主君だの臣下だのという関係、まだ少し違和感がありますね……」
「何をおっしゃっておられますか。妃殿下と大山閣下が君臣の契りを結ばれてから、もう20年は経っておりましょう」
「その通りなのですけれど、大山さんは臣下というより、私の父親です。だから少し、“主君と臣下”とは関係性が違うような……」
そんなことを桂さんと話していると、聞き慣れたノックの音が部屋の中に響いた。大山さんの気配もする。「入っていいよ」とドアの向こうに呼びかけると、黒いフロックコートを着た大山さんが静かに部屋に入ってきた。
「大山閣下、私は席を外す方がよろしいでしょうか?」
かつて陸軍次官として大山さんの下で働いていたこともある桂さんが椅子から立ち上がり、恭しく大山さんに向かって頭を下げながら尋ねた。
「それには及びません、桂さん。桂さんにも聞いてもらう方がよい」
桂さんに答えた大山さんは、私に身体を向けると、
「たった今、原どのから電話が入りました」
と私に告げた。
「「!」」
原さんは陸奥内閣の内務大臣である。内務省の業務には、選挙の管理が含まれる。従って、衆議院議員総選挙の開票情報は、全て原さんのところに集まって来るのだ。
「衆議院の全議席が確定しました。立憲自由党が148、立憲改進党が151、無所属が1です」
「ということは、立憲改進党が勝った……?」
私の呟きにかぶさるように、
「まずい……!」
目を剥いた桂さんがうめいた。
「何がまずいのですか!」
思わず叫んでしまった瞬間、大きな泣き声が私の耳朶を打った。私の声で目を覚ました禎仁が泣き出したのだ。
「ああ……ごめん、禎仁、寝ていたのに起こしちゃったね……」
つい、カッとなってしまった。慌てて禎仁を抱き直してから、
「と、とにかくですね、桂さん……」
私はなるべく穏やかな声になるように注意しながら説明を始めた。
「もう、腹をくくらないといけません。大隈さんが指名した3人のうち、誰かが先頭に立って、総理大臣にならなければ。桂さんでもいいかもしれませんけれど、桂さんだって、党内を掌握しきれている訳ではないでしょう?」
「仰せの通り……私は議員になってから日が浅いですから」
桂さんは頷くと、
「しかし、山田閣下、渋沢どの、尾崎どのの中から、一体誰を立てると?」
そう私に尋ねた。
「私には腹案はあります。けれど、それはあくまで私の意見です。それに、私は貴族院議長として、中立を保っていなければいけませんから、この場で意見を桂さんに言うことはできません。その意見を桂さんが受け取って動けば、立憲改進党の人事に私が介入することになってしまいますから」
「は……」
桂さんが深く頭を下げた。
「では、いかがなさいますか、梨花さま?」
大山さんが微笑する。優しくて暖かい目が、じっと私を見つめていた。……この人は、私が次に言いたいことを察している。
「……だから、桂さんが受け取るべき意見は、この国の上層部の一致した意見です。それに従って動いてもらうしかありません。それが一番混乱を少なくできるやり方だと、私は思います」
大山さんの予想から外れていないことを願いながら、私がこう言うと、
「では、梨花会を緊急招集いたしましょうか」
大山さんが深く頷いた。
「そうね。お父様とお母様と兄上は無理だけど、……ああ、あと、児玉さんと高野さんも、所沢にいたら厳しいわね。けれど、集められる人は集めてちょうだい」
「では、連絡をして、こちらも準備を整えておきましょう」
大山さんは私に最敬礼すると、踵を返して部屋から立ち去った。




