1913(明治46)年のお正月
※セリフミスを修正しました。(2022年6月16日)
1913(明治46)年1月1日水曜日午前9時45分、皇居。
「調子はいかがですか、章子さま?」
新年拝賀のために参内した女性皇族の控室。心配そうに尋ねる義母・慰子妃殿下に、
「ダメです……」
椅子にもたれかかった私は、首を横に振った。猛烈なめまいと吐き気で、体力と気力はゴリゴリと削られている。この控室に充満しているお化粧と香水の匂いで、息苦しくなってしまったのだ。
前世から、お化粧の匂いは大嫌いである。そのせいで、今生の幼いころも、お化粧をすること自体を忌避していたので、梨花会の面々が一計を案じ、私専用に香料の入っていない無鉛白粉を開発させたこともあった。大人になった今は、お化粧はするようになったけれど、お化粧の匂いが苦手なのは変わらないので、使っている化粧品は全て香料が含まれていないものにしている。だから、公式の晩餐会などに、私が主賓に近いような立場で招かれる場合は、宮内省が他の出席者たちに“香りの強い化粧品や香水はご遠慮を”と注意してくれるのだ。
ところが、この新年拝賀には、私だけではなく、他の女性皇族ももちろん参列する。私は内親王ではあるけれど、宮家の嗣子の妻という立場にいる。そう考えると、宮家のご当主の奥様……例えば、義母や、伏見宮家のご当主・貞愛親王殿下の奥様である利子女王殿下といった方々より、私の立場は下ということになるのだ。だから宮内省も、私だけに配慮する訳にはいかない。節子さまや義母、そして私の妹たちは、私がお化粧の匂いが苦手と知っているから、私と会う時には香料の少ない化粧品でお化粧をしてくれるけれど、他の女性皇族たちにはそういった配慮は期待できない。従って、新年拝賀のように女性皇族が集まる行事では、私は毎回お化粧の匂いに苦しめられるのだった。
「申し訳ありません、お義母さま……私が、お化粧の匂いに耐えられるようになればよいのですけれど……」
私を気遣ってくれる義母に謝罪すると、
「気になさらないで、章子さま」
彼女は私に優しく微笑した。
「人には必ず、苦手なことの1つや2つはありますもの」
「それは、確かにそうですけれど……」
いつかは、お化粧の匂いにも、ある程度は耐えられるようにならなければならないのだ。万が一、私が外国に行くようなことがあれば、現地で晩餐会や舞踏会に出席しなければならないだろう。その出席者たち全員が、私に配慮して香料の少ない化粧品でお化粧をする……ということは100%ない。それに、私がお化粧の匂いが苦手と知った上で、私に嫌がらせをするために、敢えて匂いの強い化粧品や香水を使う人間が出て来る可能性もゼロではないのだ。
(“少しずつでもよろしいですから、化粧の匂いに慣れますよう”……大山さんにはそう言われているけれど、なかなか難しいなぁ……)
そう思いながら両肩を落とした時、宮内省の職員が控室に入って来て、謁見の間への移動を促した。私も義母も立ち上がり、着ている大礼服の裳が引っかからないように注意しながら、謁見の間へと向かった。
謁見の間の前の廊下で、皇族は男性皇族の席次順に一人で、あるいは夫婦で整列してから、謁見の間の中へ入る。廊下にも漂うお化粧の匂いに耐えながら指定位置へ歩いていくと、
「章子さん!」
一足先に並んでいた栽仁殿下が列から進み出て私に足早に近づき、さっと私の右手を取った。
「顔が真っ青だよ。大丈夫?」
心配そうに尋ねる夫に、
「ありがとう、いつもの、だから……」
私は小さな声で答える。
「……確かに、匂いが少し強いね」
鼻を少しだけ動かし、周囲の匂いを確かめた栽仁殿下が苦笑いを見せる。彼も、私がお化粧の匂いが苦手なことを知っているのだ。
「梨花さん、本当に辛くなったら、僕にしがみついてね。僕、身体を支えるから」
栽仁殿下の囁きに黙って頷くと、私は彼と一緒に所定の位置についた。紫紺のビロードの上着をまとった御裳捧持者の少年たちが女性皇族の大礼服の裳を持つと、列は前へと進み始めた。
お父様とお母様への挨拶が終わり、再び謁見の間の外に出ると、私は栽仁殿下の手を強く引っ張った。既に御裳捧持者たちの手は大礼服の裳から離れ、謁見の間にいた皇族や宮内省の役人たちも、思い思いの足取りで車寄せへと向かっている。私は少し背伸びをすると、栽仁殿下の耳元に口を近づけ、「身体を支えて……」と囁いた。
栽仁殿下の筋肉質で引き締まった両腕を背中に感じると、私はしがみつくようにして、彼の身体にもたれかかった。左の鎖骨の辺りに私が顔を押し付けると、
「梨花さん、車寄せまで抱えていこうか?」
栽仁殿下が小さな声で聞いた。
「ううん、そこまでは……。こうやって休んでいれば、たぶん何とかなるよ」
「でも、こんなに顔を押し付けたら、逆に苦しくならない?」
「ならないわよ……だって、栽さんの匂いの方が、お化粧の匂いより1億倍いいもの」
めまいと吐き気をこらえながら私が必死に答えると、栽仁殿下の身体が少し強張った。
「ど、どうしたの……?」
戸惑う私の肩を、
「梨花さん……」
栽仁殿下のため息が撫でた。
「煽るようなことを言わないで。ここが宮中じゃなくて盛岡町の家だったら、僕、完全に理性を失っていたよ」
「あ……」
私は慌てて栽仁殿下の胸から顔を上げた。海兵少尉の紺色の正装に身を包んだ夫は、頬を真っ赤に染めていた。
「ご、ごめん、栽さん……。もう少し、言葉を選ぶべきだったわ……」
「いや、いいんだ。梨花さんは体調が悪いんだから、言葉に気を遣う余裕なんてないんだし……」
珍しく私から目を逸らしながら、栽仁殿下がボソッと言った。
「と……とにかく、私、もう少し、お化粧の匂いに耐えられるように努力するよ……」
私は夫に頭を下げると、大きなため息をついた。
「あーあ、去年のお正月は、お化粧の匂いにここまでやられなかったのに……」
「そうだね。謙仁がお腹の中にいたころだったから、梨花さんが倒れたらどうしようって冷や冷やしたけれど」
私に応じる栽仁殿下の声の調子は、ようやく元に戻った。
「疲れているのかしら。ここ最近、議会で忙しかったせいか、何か、疲れが取れないのよね……」
そう言いながら、私は微かに違和感を覚えた。この気だるさは、初めてのものではない。以前、私を苦しめたことがあるものだ。
(そう言えば、11月は月経が来たけれど、12月はどうだったっけ……?)
「どうしたの、梨花さん?やっぱり、身体の具合が良くない?」
首を傾げた栽仁殿下に、
「あ、そうじゃなくて……」
私は頭の中に生じた疑惑をそのまま告げた。
「おめでた、ですね」
1913(明治46)年1月4日土曜日午後2時、東京市麴町区飯田町にある東京至誠医院。診察を終えた私の恩師・吉岡弥生先生は、私に向かってハッキリと言った。
「間違いないですね」
弥生先生の隣で頷いたのは、東京帝国大学医科大学産婦人科学教授の中島襄吉先生だ。今日はたまたま、産婦人科学教室の医員たちが交代で教えている女医学校の産婦人科学の講義の打ち合わせで至誠医院に来ていて、弥生先生と一緒に私を診察してくれた。
「ということは、最終月経から考えると……」
呟くように言った私に、
「分娩予定は、8月下旬になりますね」
と弥生先生は優しく言い、スケジュール帳を覗いていた中島先生も「ええ」と首を縦に振った。私も自分のスケジュール帳とにらめっこして、先生方の言葉が間違いないことを確認した。
(今回は、最終月経の開始日が分かるから、それはよかったけれど……)
月経は、去年の9月に再開していた。だから、謙仁の出産の時とは違い、分娩時期はかなり正確に予測ができる。ただ、問題はそこではなくて……。
「実は今回、悪阻がひどくて、帝国議会の仕事が出来るか心配なのです」
私は両肩を落とした。元日に感じためまいと吐き気は、日を追うごとに悪化している。2日以降は、お正月の挨拶に来てくれたお客様には会わず、ひたすら静養している。昨日の元始祭も欠席させてもらって、体力の回復に努めているけれど、食べ物の匂いが吐き気を刺激してしまい、食事がどうしても喉を通らないのだ。
「お食事は召し上がれますか?」
「ほとんどダメです。経口補水液は何とか飲めますけれど……」
弥生先生の質問に、私は首を横に振った。「20日からは、帝国議会が再開します。今回も貴族院の議長に選ばれてしまいましたから、13日ごろから、議事の打ち合わせをしなければなりません。この状態で、議長の職務を果たせるか……」
すると、
「では今こそ、改正された貴族院規則を使う時ではないでしょうか」
と中島先生が私に提案した。
「そうですね……まさか、こんなにすぐに使うなんて思いませんでしたけれど」
私は苦笑した。先月の28日、明治45年度通常会の第1回本会議で、貴族院規則改正の動議が提出され、全会一致で可決された。今回の改正は、妊娠中の女性議員に対する扱いについて定めた部分に対して行われ、医師の指示があれば、妊娠中の女性議員は会議中に休憩を取ることや、会議の欠席が認められることが追加された。これは、私の提案を受けて去年7月に改正された国軍の“妊産婦健康管理規定”に則った改正である。
この動議を、慣例を破って第1回本会議でやろうと議事打ち合わせの席で提案したのは、副議長に選ばれた徳川家達さんだった。
――妃殿下と謙仁王殿下を、あのように危ない目に遭わせてしまいましたのは、我々が妃殿下にご負担を掛け過ぎていたからでございます。あのような事態を繰り返さないためにも、貴族院規則を改正し、妃殿下の御身を守るべきです!
彼の力強い言葉に、立憲自由党の大木伯爵も、立憲改進党の渋沢男爵も、そして無所属議員たちの打ち合わせ担当者である私の叔父の千種子爵も何度も激しく頷いた。打ち合わせの前に彼らにどのような根回しがされていたのか、私に知る術はないけれど、とにかく、去年の帝国議会閉会式での破水騒動が、貴族院の議員たちに強いインパクトを与えたのは確かだろう。
「13日ごろからお仕事が入るということでしたら、悪阻がひどくなる時期と重なってしまうかもしれませんね。中島先生のおっしゃる通り、お身体を休めることを第一になさるべきだと私も思いますよ」
貴族院規則改正の時のことを思い出していると、弥生先生が私に微笑みかけた。
「そうですね。議事打ち合わせを欠席することや、私の家で打ち合わせをすることも考えないといけないですね……」
仕事はしたい。けれど、無理をし過ぎたら、お腹にいる子供が守れない。様々な可能性を考えながらの私、そして弥生先生と中島先生の話し合いは、夕方近くまで続いたのだった。




