閑話:1912(明治45)年夏至 “金剛”に対するドイツの反応
1912(明治45)年7月6日土曜日午前10時、ドイツにあるプロイセン王国の首都・ベルリン。
「ううむ……」
ベルリン中心部にある王宮。その中にある執務室で、タバコを片手に苦り切った表情で書類に目を通している男がいる。プロイセン王国の第9代国王で、ドイツ帝国の第3代皇帝であるヴィルヘルム2世である。彼が目を通している書類には、先月、イギリスで進水した日本の装甲巡洋艦“金剛”の情報が記されている。文書を読み進めていくに従って、皇帝の眉間に刻まれた皺の本数は増え、深さを増していった。
「主砲は、イギリスの最新式の戦艦や巡洋戦艦と同じ、13.5インチ連装砲か……」
「さようでございます。魚雷発射管がないことを除けば、火力的にはイギリスのライオン級巡洋戦艦とほぼ同じです」
白く長いあごひげを、先が二股に分かれた“フレンチフォーク”と呼ばれる独特の形に整えた、海軍大臣のアルフレート・ペーター・フリードリヒ・フォン・ティルピッツが、皇帝と同じく忌々し気な声で説明を加えた。今年で63歳になるこの海軍大臣は、ドイツ海軍をイギリス海軍に負けない世界的な大艦隊に育て上げるため、日々、軍艦の建造に力を入れていた。
「驚くべきはその装甲です。イギリスの巡洋戦艦のそれより厚く、我が帝国で建造中の最新鋭戦艦・ケーニヒ級の装甲の厚さに迫ります。それなのに、その速力は27ノット……わが帝国の巡洋戦艦、いいえ、イギリスの最新鋭の巡洋戦艦・ライオン級と同じ速度が出せるのです。この“金剛”、“装甲巡洋艦”と称してはいますが、戦艦に迫る装甲、そしてその火力……これは、“ドレッドノート”を超えたという評価では足りないかもしれません」
ティルピッツ海軍大臣は深刻な表情で皇帝に奏上する。“ドレッドノート”とは、1906年、日本で言うと明治39年にイギリスで就役した戦艦である。その斬新な設計はあらゆる戦艦を……就役していた戦艦はもちろん、建造中だった戦艦も“旧式”にしてしまったという曰く付きの戦艦だ。この“ドレッドノート”に追いつけ追い越せと、ドイツやフランス、そして“ドレッドノート”を生んだイギリスが中心となり、戦艦の建造に血道を上げているのが、現在の世界の海軍の状況だった。極東戦争が1905(明治38)年に終結した後、日本はその建艦競争に背を向けていたのだが、ここに来て、突然建艦競争に加わり、世界の度肝を抜く軍艦を進水させたのである。
「こんな化け物のような軍艦が生み出されたのは、あれか、重油専焼缶のせいか」
「恐らくそうでしょう。“利根”と“筑摩”に重油専焼缶を載せたと聞いた時には、日本人が酔狂なことをしているとしか思えませんでしたが、この“金剛”建造のための準備だったと考えれば納得できます」
苦々しさがにじみ出た声で確認した皇帝に、ティルピッツ海軍大臣も沈鬱な表情で回答した。「しかも日本は、“金剛”の同型艦をもう1隻イギリスに発注し、既に起工しているとのこと。金剛型が2隻も極東の海に浮かべば、ニューギニアの我が帝国の領土が脅かされます。日本はイギリスの同盟国ですし……」
「その通りだ」
皇帝は舌打ちした。「イギリス、清、そして日本。この3国が一斉にニューギニアに襲い掛かれば、ニューギニアに配置している軍艦だけでは対抗しきれない。万が一、そこにフランスが加われば……」
ますます苛立った表情になった皇帝に、
「しかも陛下、日本では、“金剛”が完成し、日本に回航された暁には、章子内親王が“金剛”に軍医として赴任することが内定したと……昨日、日本のドイツ大使館から知らせが参りました」
ティルピッツ海軍大臣は畳み掛けるように報告した。
「何っ?!」
「はい、まったく、反吐が出るような話です。そもそも、あの新しい女が、男の領分にしゃしゃり出て来るのも許し難いことですのに、日本の帝国議会の議長となっただけでは飽き足らず、あの化け物のような軍艦を牛耳ろうとは……。陛下、今からでも遅くはありません。今建造中のケーニヒ級、主砲の大きさを変えるぐらいのことはできます。主砲を12インチから14インチ、いや、15インチ砲に変更しましょう。あるいは、艦隊法をもう一度改正して我が帝国の軍艦を更に増強し、あの新しい女と、チャーチルの小僧の鼻っ柱をへし折って……」
自説をまくしたてていたティルピッツ海軍大臣の口の動きが、突然停止した。彼の目の前で皇帝が、7つの海に覇を唱えるべき我がドイツ帝国の皇帝が、両目から大粒の涙をポロポロとこぼしているのに気が付いたのだ。
(な、なんだ、一体どうなさったのだ?!)
遭遇したことの無い光景に、ティルピッツ海軍大臣が次に取るべき行動をとっさに決められないでいたその時、
「おお……あの美しい女神が、“金剛”に乗り給うのか。なんと……なんと素晴らしいことだろう!」
皇帝は溢れ出る涙をぬぐおうともせず、感動の叫びを上げた。
「は……?」
「重厚な装甲と火力を備えながらも、その姿は流麗で、神々しさを感じさせる……まさに“金剛”は、あの美しい女神にふさわしい軍艦だと思わんかね、ティルピッツ?」
キョトンとしている海軍大臣に、皇帝は厳かな口調で問う。肯定の意思を表明しなければ皇帝の不興を買うことを察知したティルピッツ海軍大臣は、慌てて「はい」と応じた。その返答を聞いた皇帝は、「おお、よく分かっているではないか」と非常に嬉しそうに言った。
「あの美しい日本の女神は、世界に恒久的な平和をもたらすために、世界最強の軍艦に乗って7つの海へと船出されるのだ。実に崇高なことではないか!」
「で、では……我が帝国の軍艦のさらなる増強は……」
恐る恐る尋ねた海軍大臣に、
「ん、軍艦の増強?そんなことはしないでよろしい」
皇帝は浮き立った声で答えると、
「しかし、“金剛”と同じ型の軍艦は手に入れたいな。朕は騎士として、あの美しい女神を守らねばならん。速力が同じ軍艦に乗らねば、危難から身を挺して女神を守ることができないだろう」
……正気を保っているのかいないのか、判断に非常に苦しむ言葉をティルピッツ海軍大臣に投げた。
「お……恐れながら陛下、我が国とイギリスは仮想敵国同士、“金剛”の同型艦を我が国が発注したとしても、あのチャーチルの小僧がまともに取り合うとは思えません」
ティルピッツ海軍大臣の至極もっともな指摘に、
「ううむ……では仕方がない、朕は“ザイドリッツ”に乗るとしよう。あの女神のおわす“金剛”に比べると火力は劣るが、いざという時の盾代わりにはなるだろう」
皇帝は真面目な表情でこう返した。ちなみに“ザイドリッツ”というのは、ドイツ帝国の最新鋭の巡洋戦艦で、今は艤装工事の真っ最中だった。
「はぁ……」
(ダメだ、これは……)
皇帝の執務室を辞すと、ティルピッツ海軍大臣は大きなため息をつき、そして、
(ダメだ、こりゃ……)
ドイツ国内で活動している日本の非公式諜報機関・中央情報院の職員がつかんだ皇帝と海軍大臣とのやり取りを聞かされた日本の章子内親王も、深い深いため息をついたのだった。




