国際オリンピック大会選手予選会(3)
1911(明治44)年11月19日日曜日午前10時、東京府羽田町にある羽田運動場。
「寒くはありませんか?」
天幕の下に設けられた客席に座り、鉛筆を握り締めている千夏さんは、左隣に座った私の方を振り向いて尋ねた。今日は朝から小雨がパラついていて、運動場の地面も雨で濡れている。
「ありがとう、千夏さん。しっかり防寒してきたから大丈夫だよ。それに、千夏さんのおかげで、雨に濡れずに済むし」
私は千夏さんに微笑んだ。彼女が観戦記の執筆という仕事を嘉納校長から仰せつかっているので、その特権で、私と広瀬さんも本部そばの天幕に設置された席に座ることができたのだ。
「千夏さんも、お仕事頑張ってね。恥ずかしいだろうから、私は観戦記を読まないことにするけれど、いい仕事が出来るように祈っているから」
こう言うと、乳母子は「はいです」と頷き、鉛筆を握り直したのだった。
午前中は、短距離走の決勝が行われた。昨日、姪っ子に挑発され、飛び入りで参加して好成績で予選を突破した三島彌彦くんは今日も大活躍で、100m、400m、800mの3種目で優勝した。
「すごいですね!飛び入りで参加して、3種目で優勝をかっさらうなんて……この活躍、はかどります、はかどりますよぉ!」
競技を取材する千夏さんは、興奮しながら鉛筆をノートに走らせている。そんな彼女の隣で、私は小雨の中、誇らしげに右腕を天に掲げている彌彦くんをぼんやり見つめていた。
(いいの?これで……いいの?)
この競技会で優勝したということは、彌彦くんがオリンピックの日本代表に選ばれる可能性がとても高くなったということである。飛び入りで競技会に参加した人間が、オリンピックの代表になるなんて、私の時代なら絶対に考えられないことだ。
(まぁ、いいのかな……。この時代だから、いいのかな……)
天狗倶楽部の面々に囲まれ、「テング、テング、テンテング、テテンノグー!」と気勢を上げている彌彦くんを見つめながら、私は必死に自分に言い聞かせたのだった。
午後0時20分には、この大会の目玉、マラソン競技の選手が召集された。日本で40.2kmを走る長距離のレースが開催されるのは、これが初めてのことなので、観客の興奮も増していた。
「では、マラソン競走の経路について説明する!」
トラックのそばに設けられた台の上、虎鬚彌次将軍こと吉岡信敬さんが、19人の参加選手に向かって説明を始めた。
「まず、諸君には、このトラックを3周してもらう!その後、運動場から羽田漁師町を横切り、多摩川の土手に出てもらう!」
彌次将軍の口から大きな声が発せられる度、彼の立派な八の字ヒゲと顎ヒゲが動く。運動場内の観客たちは、学生界の名物男の説明に聞き入っていた。
「多摩川は、特にこのあたりの下流域においては“六郷川”とも称される。昨年夏の豪雨では洪水に見舞われ、大きな被害が出たが、それも徐々に復興しつつある。昨年度の帝国議会で成立した予算には、この多摩川の大規模な治水工事を行うための予算が含まれ……」
「……この説明、必要なのかしら?」
流石に、帝国議会での国家予算成立は、今回の競走には全く関係ないと思う。私が右隣に座った千夏さんに囁きかけると、
「風景描写としても、余り良くない気がしますね」
千夏さんも顔をしかめながら小声で答えた。
「それと、千夏さん。話は変わるけれど、この競走、選手は途中で水を飲むことはできるのかしら?」
“六郷橋を渡れば、左手に川崎大師を望み……”と、経路の説明を更に続ける彌次将軍をちらちら見ながら、私は首を傾げた。私の時代のマラソンだと、5kmごとぐらいに給水ポイントがあって、選手が受け取った飲料を飲んだり、水を身体に掛けて熱くなった身体を冷やしたりしていたのだけれど……。
「そういう話はないですね。説明が長ったらしいですから、聞き逃している可能性はありますが」
千夏さんはそう言うと、鉛筆を持った右手で口を隠し、小さくあくびをした。彌次将軍の説明が、よほどつまらないらしい。
(大丈夫かなぁ……)
私は19人の選手たちを観察しながら、不安に襲われていた。今は秋だし、今日はお天気も良くないから、熱中症で選手が倒れる危険は少ない。けれど、給水なしで、人が40kmを走るのは無謀だ。それに、よく見ると、選手たちの足元はバラバラで、運動靴を履いている人に交じって、草履や足袋を履いている人が見受けられた。
(靴も壊れる可能性があるけれど、草履や足袋の方が、もっと壊れやすいわよね。私の時代のマラソンより距離は少し短いけれど、ゴールできる人は出るのかしら……)
私の心配をよそに、彌次将軍の説明から解放された19人の選手たちは、スタート位置に並ぶ。どの選手の顔にも、一様に緊張の色が浮かんでいた。
そして、午後0時30分、ピストルの発射音が羽田運動場に響き、19人のマラソン選手たちは一斉に走り始めた。
午後1時30分。
マラソン選手たちが去った羽田運動場では、小雨が降ったりやんだりする中、1500m走、続いて5000m走が行われた。今は、5000m走の先頭選手が、4分の1ほどの距離を走り終えたところである。
「梨花さん、お顔が晴れやかではありませんが、どうなさいましたか?」
私の左に座った広瀬さんが、私の顔を覗き込みながら尋ねた。
「……マラソンの選手たちが無事かどうか、どうしても気になってしまって」
答えた私は、声を潜めて言葉を続けた。
「40kmを給水なしで走るのは、余りにも無謀です。この天気ですから、熱中症になる心配は余りないですけれど、脱水症状で倒れる危険はあります。それに、もし雨が強くなったら、低体温症の危険も出てきます。私が医師として活動しなければならない場面が出て来るかもしれない、と思って……」
一応、診察カバンは持ってきている。ただし、この運動場の近くに運転役の川野さんと一緒に待機している、有栖川宮家の自動車の中だ。もし、私が診察をしなければならない状況になったら、150mほど離れたところにある自動車まで、診察カバンを取りに戻らなければならない。
すると、
「いや、おそらく梨花さんが出て行く状況にはならないでしょう」
広瀬さんはこう答えた。
「この運動場をマラソン選手が出たところから、新しく配備された赤十字社の医療自動車が、選手たちの後ろをついて走り、体調を崩して落伍した選手の手当てをするそうです」
「あ、そうなのですか……」
私は胸を撫で下ろした。処置が迅速に行われれば、倒れた選手たちが死に至るようなこともないだろう。
「じゃあ、大丈夫かしら……」
私が呟いた瞬間、
「やあやあ、遅くなってしまって申し訳ないんである!」
……聞き覚えのある大声が、天幕を制圧した。間違いない、この声は、立憲改進党の党首で、東京専門学校の創立者でもある大隈さんのものだ。
(うそっ?!何で大隈さんがいるの?!)
慌てて身を小さくした私の隣で、
「おや、大隈伯が……。立憲改進党の犬養衆議院議員と、早稲田中学校の大隈英磨校長も一緒ですね」
素早く周りの状況を確認した広瀬さんが小さな声で言った。
「梨花さん、梨花さんがここにいること、大隈伯にお知らせしますか?」
広瀬さんの質問に、私は「ダメです」と首を横に振りながら言った。
「大隈さんは私のことを上手く隠してくれると思いますけれど、犬養さんと英磨さんは隠せないと思います。ですから、競技会が終わるまで、私がここにいると知られないようにするしかないでしょう」
「なるほど……確かにおっしゃる通りです。では、そのように致しましょう」
広瀬さんが頷くやいなや、
「大盛況ですなぁ、嘉納どの!まさに学生スポーツの隆盛を示しているんである!」
大隈さんの大声が再び辺りに響いた。
「今、大隈さまの声がしたような……」
そう言いながら席から立ち上がりかけた千夏さんを、私は横から必死に押さえつけた。
トラックでは、5000m走が無事に終了し、観客たちは鶴見の総持寺前から羽田運動場に向かっている10000mの選手たちの動向を噂し始めた。私の時代なら、大きな大会ならテレビ局が自動車やバイク、時にはヘリコプターまで駆使して中継をして、リアルタイムの動向を全国の視聴者に伝えるところだけれど、この時代にそれは期待できない。午後2時半ごろ、トップ集団の3人の選手が羽田運動場に戻ってきて、10000m走は無事に決着がついた。
さて、ここで観客たちの興味は、午後0時30分に運動場を出発して、未だに戻らないマラソン選手たちの動向に移った。今の時刻は午後3時。マラソンがスタートしてから2時間30分が経過している。
(私の時代なら、とっくにゴールしている選手が出ているけれど……)
私の時代の男子マラソンの記録は、確か2時間10分を切っていたように思う。今の40.2kmのマラソンの世界記録は2時間59分台ということだから、私の時代よりペースはだいぶ遅い。私は陸上に詳しくないけれど、時間の経過とともに、ランニングの理論が発達し、靴が改良された結果が、マラソンのタイムを縮めるのに貢献したのだろう。技術も道具も、何もかもが未熟な今は、とにかく、選手たちが無事に戻ることを祈るしかない。
「マラソンは今、どのあたりを走っているのかね」
嘉納校長のしわがれた声に、
「さぁ……今頃、六郷橋を渡っていればいい方だと思いますが……」
役員の誰かの不安げな声が重なった。
「何せ、日本で初めての距離の競走ですからねぇ……」
更に続いた心配そうな声を、
「それが良くないんである!」
大隈さんの力強い声が吹き飛ばした。
「日本でも、このような長距離で走れる選手を育成するために、マラソン大会や長距離の駅伝大会を開催するべきであったんである。だから吾輩は10年以上前、東京や大阪などの大都市を一周するようなマラソン大会や、東京から芦ノ湖、あるいは熱田神宮から伊勢神宮までの速度を競う駅伝大会の創設を提案したんであるが、悲しいかな、あの頃は賛同するものが全くいなかったんである……」
力強かった大隈さんの声は、次第にトーンダウンして、最後には大きなため息が付け加わった。“東京から芦ノ湖”、“熱田神宮から伊勢神宮”という駅伝大会の経路は、もちろん、私がかつて梨花会の面々に吹き込んだものである。
「今にして思えば、大隈先生の発想は、まさに今日あることを予見したものでした。今更ながら、あの時賛成しなかった己の不明を恥じております」
嘉納校長は大隈さんに謝っているようだ。ただ、オリンピックの定期開催が軌道に乗り、正式に日本のオリンピック参加を要請された今ならともかく、オリンピックが始まったばかりのころに、“オリンピックを目指して、長距離競走の大会を創設しよう”という提案をされたら、“無茶だ”と返答するしかなかっただろう。
と、
「大変だ!大変だ!」
強くなってきた雨の中、運動場の入り口から、役員の1人がこちらに向かって駆けてきた。
「何でしょうかね?」
首を傾げた千夏さんの声に答えるかのように、
「マラソンの先頭が、すぐそこまで来ています!」
役員さんは走りながら、大声で叫んだ。
「な、何ぃ?!」
「そんな……早すぎるだろう!」
本部のある天幕は、一瞬で興奮のるつぼと化した。現在のマラソンの世界記録のペースと同じなら、マラソンの選手がここに戻ってくるのは午後3時半ごろのはずだ。ところが、それよりも30分近く早く、先頭が羽田運動場に戻ってきたのである。
「す、すごい……世界記録を、大幅に更新していますよ!」
「すごいけれど……距離の測定、間違っていないですよね?初めて日本で開催された40.2kmマラソンで、世界記録が出るなんて……」
囁き合う千夏さんと私に、
「油断は禁物です。まだ1kmほど、走行距離が残っています。この天候です、到着する前に選手が低体温症で倒れてしまうこともあり得ます」
広瀬さんが小さな声で指摘する。確かに彼の言う通りなので、私と千夏さんは口を閉ざした。
午後3時3分、運動場の入り口に、2人のマラソン選手が姿を現した。先に飛び込んできた選手は白い運動帽を、彼に5mほど遅れて運動場に入ってきた選手は紫の運動帽をかぶっていた。
「あの2人、誰?前評判が高かったのは、小樽水産学校の佐々木君と、慶応の井手君だったけれど……」
私の質問に、手元の資料を確認した千夏さんは、「白の運動帽は、小樽の佐々木君です」と頷いた。
「紫の方は……東京高等師範の金栗四三という人です」
「金栗四三……」
何か、聞いたことがあるような名前だ。必死に記憶を探った私は、思わず「あ」と声を上げた。
(お、思い出した……。多分、私の時代で、マラソンで有名だった人だ……)
いつの時代の人だか、正確には覚えていない。ただ、私の時代で有名な駅伝競走・東京箱根間往復大学駅伝競走の創設に大きく関わったマラソン選手とちらっと聞いた記憶はあった。彼がどのマラソン大会に出場したかなんて、まったく知らなかったけれど……。
(それが、これ……日本初の、オリンピックの予選会……。し、“史実”でもこうだったのかしら?後で原さんと斎藤さんに確認しないと!)
金栗くんは、トラックを回り始めた佐々木くんの後ろから、猛然と追い上げをかけている。運動場に入った時に3mほどあった差はぐんぐん縮まり、ゴールまで200mのところで金栗くんは佐々木くんに追いつき、そのまま一気に抜かして先頭に躍り出た。
「うおおおおおお!」
「抜かした、抜かしたぞぉ!」
「あっぱれであるんである!」
観客の大歓声の中、金栗くんは佐々木くんを引き離し、先頭でゴールインした。
「マラソン競走、1位、金栗四三、東京師範。記録は2時間35分45秒!」
ゴールラインにいた彌次将軍が叫んだと同時に、金栗くんはトラックに倒れこんだ。何も履いていない足から、血が流れている。競走の途中で履物が壊れたのだろう。
(まずい!早く乾いた服を着せて、身体を保温して、足を手当てしないと……!)
立ち上がりかけた時、私の両肩が強い力で上から押さえつけられた。広瀬さんだ。
「いけません!正体が露見してしまいます!」
「でも、広瀬さん、早く金栗くんを手当てしないと……」
小さな声で抗議した私に、広瀬さんが黙って右手で前方を示す。金栗くんのそばには、既に何人かの屈強な男性がついていて、疲労しきった彼を抱え起こすと、引きずるようにして天幕へと連れて行った。
「あれは、講道館の門弟たちです」
無言で金栗くんの行方を見守っていた私に、広瀬さんが説明した。
「ずいぶんと、介抱に手慣れた感じがしますけれど……」
「稽古で倒れた者を、皆、しょっちゅう介抱しておりますからね。並の看護兵より、手当には慣れているかもしれません。彼らに任せておけば、何とかなるでしょう」
「そうですか……」
私は胸を撫で下ろした。なるほど、確かに彼らがいれば、私がしゃしゃり出る必要はないだろう。今は広瀬さんの言う通り、私の正体が露見しないように行動することを第一目的にしなければならない。
運動場には、金栗くんと佐々木くんに引き続き、マラソン選手たちが戻ってきている。その中には、足を血まみれにして、裸足で走っている選手もいた。
「千夏さん、スタートの時、裸足の選手はいなかったと思うけれど、戻ってきたら裸足になっている人がいるわね……どうしてだと思う?」
ノートに鉛筆を走らせ続けている乳母子に質問すると、彼女は「これは、千夏の推測ですが」と前置きして、
「恐らく、足袋や草履で走っていた選手が、競走の最中にそれを傷めてしまったのではないでしょうか」
と言った。
「東海道は、日本橋から川崎まで、昨年アスファルトで舗装されました。今回のマラソン競走は、六郷橋から東海道に沿って南下して、川崎を越えて東神奈川駅の前で折り返し、同じ経路を戻ることになっていました。アスファルトの舗装は硬いですから、それで草履や足袋が傷ついてしまったのではないでしょうか」
(なるほどねぇ……)
そう言えば、内務大臣の原さんが、この時の流れでの道路舗装は、“史実”の同じ時点より進んでいると言っていた気がする。もし、東海道が舗装されていなかったら、金栗さんたちの足が血まみれになることもなく、タイムももっと縮まっていたかもしれない。
(でも、道路の舗装はどんどんされていくだろうから、走る時の衝撃を吸収するような靴を開発する方がいいわね。靴底が、ゴムとかポリウレタンとかだったらいいのかな……うーん、ゴムは手に入るけれど、ポリウレタンなんて作れない。ああ、私がもっと化学に詳しかったら……)
運動場に戻ってきた選手たちを見ながら考えていた時、運動場の入り口から、自動車が入ってきた。前に赤い十字の旗を付けているということは、広瀬さんが教えてくれた赤十字社の医療自動車だろう。
と、運動場の隅に止まろうとしていた医療自動車が、急に方向転換して、トラックに向かって走り出した。場内の戸惑いの声をよそに、競技場に侵入した医療自動車は、私たちがいる天幕の前で停止した。何だろう、と思っていると、黒塗りの自動車の後ろの扉が勢いよく開き、
「急に医療自動車の仕事に回されて、早々に章子妃殿下に出会うか。私は運がいい……」
満面の笑みを浮かべながら、1人の男性が降り立った。……私が2度と顔を見たくないと願う人間の1人、渋谷町にある赤十字社病院の内科部長・青山胤通だ。
「ああ、まさかこんなところにお成りになっているとは、なんと素晴らしいのだろう。さぁ妃殿下、赤十字社の社長におなり遊ばして、我らが赤十字社を、医科研に負けぬ世界の医学の殿堂に……」
意味不明なことを言いながら、狂気じみた笑みを見せる青山は、私に向かって近づいてくる。
「ひ、広瀬さん、赤十字社の医療自動車に、青山が乗っているなんて……知っていたらここに来ませんでしたよ?!」
「私も把握しておりませんでした。おかしい、事前の話では、青山ではない別の医師が乗るということになっていたのですが……」
囁き合う私と広瀬さんに、
「どうします?実力で排除してもよろしいかと思いますが、目立つとまずいですよね?」
ノートを閉じた千夏さんが確認する。私は黙って頷くと、
「ひ、人違いです。私、士族なので!」
と、普段より高い声で青山に返答した。ところが、青山が立ち止まる気配は全くなく、
「ふふふ……正体を隠されていても、妃殿下は威厳で分かりまするぞ!」
と言いながら、一歩一歩、私との距離をつめて来る。
(こ、これ、どうしたら……)
次の行動をとっさに決められないでいると、
「ああっ、妃殿下っ!」
大隈さんの大声がすぐそばで聞こえた。振り向くと、いつの間にか私たちのそばに大隈さんが立っていた。
「いらっしゃるならそうと言って下さればよろしかったのに……ぬっ?!貴様、青山ではないか!妃殿下に話しかけるとは、一体誰の許可を得てのことであるんであるか!」
黒いフロックコートにシルクハットをかぶった大隈さんは、近づいてくる青山に鋭い視線を向ける。大隈さんの大声に青山が顔を青ざめさせる。そして、天幕の下の人たちも、「妃殿下?!有栖川若宮妃殿下のことか?!」「議長殿下がどうしてここに?!」と騒ぎ始めた。
「……これはもう、お帰りいただく他ないでしょう」
「そうみたいですね……」
広瀬さんに大きなため息をつきながら答えた私の手を、千夏さんが引っ張る。逃げましょう、ということらしい。
「さぁ、お早くお帰りを。私はあの無礼者を始末してから青山御殿に戻ります」
「……あんな人だけど、一応、医者としては優秀だから、殺さないでくださいね」
「……努力します」
広瀬さんの返事は、少し不安の残るものだったけれど、念押しする余裕は残されていない。私は千夏さんの手を引っ張りながら、集まってきた役員たちをかき分けて、運動場の出入り口へと向かった。
「妃殿下、お待ちを!どうか、我らが赤十字社に、厳しいご指導を……!」
背後で聞こえた青山の言葉の末尾は、広瀬さんの気合でかき消され、次の瞬間、人体が地面にたたきつけられた音が、羽田運動場に鈍く響いたのだった。




