国際オリンピック大会選手予選会(1)
1911(明治44)年11月11日午後2時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「かわいいねぇ……」
応接間の椅子に座った私は、9月22日に生まれた東條さんと千夏さんの長男・英道くんを抱っこさせてもらっていた。目元が東條さんに似ている英道くんは、私の腕の中で気持ちよさそうに寝息をたてている。
「恐縮です、宮さま……。英道を抱いていただけるなんて……」
育児休暇に入ったばかりの千夏さんは、そう言って私に頭を下げる。千夏さんの隣で、葉山別邸を預かってくれている東條さんも最敬礼した。
「本当は、私がこの子を取り上げたかったけれど……ごめんね、千夏さん。医師会と医師法の勉強に時間を取られて動けなかった」
謝罪した私に、
「そんな……気になさらないでください、宮さま!」
千夏さんは首を左右に勢いよく振る。
「宮さまは、国家にとって大切な方、千夏ごときの出産で、宮さまのお手を煩わせるなど……」
「何が“千夏ごとき”よ」
私は千夏さんにツッコミを入れると、軽く睨んだ。「私の乳母子なのよ。大事な人に決まっているじゃない。もっとも、今は乳母子というより、育児仲間かしら」
「宮さま……」
「私は千夏さんより、少し早く子供を授かった。だから、千夏さんを助けられることもあるかもしれない。逆に、千夏さんが私を手伝えることもあるかもしれない。だから、これからもよろしくね、千夏さん」
そう言うと、私は千夏さんに笑顔を向けた。
「ありがとうございます、宮さま。千夏はこれからも、宮さまをお助け申し上げます!育児休暇が終わりましたら、千夏、女王殿下と、今度宮さまがお産みになるお子様を、心を込めてお世話申し上げます。帝国議会の会期中も宮さまにご安心いただけるように、千夏、精一杯頑張ります!」
私は少しだけ顔をしかめた。千夏さんの口から、“帝国議会”という言葉が出たからだ。来月の下旬には、また帝国議会に出席しなければならない。本格的な議事が始まるのは年明けだけれど、それまでの間、貴族院議長として、与党・野党・無所属の議員の代表と打ち合わせをして、議事の進行をどうするか詰めておく必要がある。
(くそー、このままだと、手術の腕が鈍る……。兄上とお父様の万が一に備えないといけないから、手術の腕は落としたくないのに……)
心の中に嫌な思いが蘇った時、
「あの、宮さま、いかがなさいました?何か、ご不快なことでも……」
千夏さんが心配そうな顔で私に尋ねた。
「ああ、ごめんね。議会のことを思い出したら、憂鬱になってしまって……」
私が答えると、
「千夏どの。妃殿下は今、余りご機嫌がよろしくないのですよ」
私の隣に座った大山さんがもったいぶった口調で言った。
「本日から熊本・長崎両県で行われる特別大演習に、第1艦隊も参加しております。従って、今週末と来週末は、若宮殿下がこのお屋敷にお戻りになりません。それで妃殿下は拗ねていらっしゃるのです」
「大山さん、“すねている”という言い方はどうなのかなぁ」
私が唇を尖らせると、
「おや、妃殿下は、若宮殿下の御不在というこの状況に対して、何の感想も持っていらっしゃらないのですか?」
大山さんは微笑しながら私に言い返す。
「……それは、寂しいし、辛いけれど」
そう答えてムスッとした私に、
「相変わらず、宮さまと若宮殿下は、仲睦まじくていらっしゃるのですね」
千夏さんは笑顔を向けた。
「ええ。書斎で勉強なさっている時は難しいお顔になっていらっしゃる妃殿下が、若宮殿下がおそばにいらっしゃると、心からの笑顔をお見せになるのです。まるで、美しい花がほころんだような……」
「……大山さん、いい加減にしないと怒るよ」
私が睨みつけると、我が臣下は「これは失礼いたしました」と微笑を崩さずに頭を下げた。
と、
「それなら、あの競技会を妃殿下にご覧いただくのはいかがでしょうか。……ねぇ、千夏さん」
東條さんが千夏さんの方を振り向いた。
「あ……“あの競技会”って、来週末の、ですか?それは……」
サッと顔色を変えた千夏さんに、東條さんが何事かを囁く。すると、千夏さんは「そ、そうですね」と緊張した表情で頷いた。
「どうしたの?」
私が首を傾げると、
「妃殿下は、来週末、国際オリンピック大会の選手予選会が開催されるのをご存じでしょうか?」
と東條さんが逆に私に聞いた。
「ええ。東京高等師範の嘉納校長が主催する競技会でしょう?新聞で見ました」
“東京高等師範の校長”より、“講道館の館長”の方が、世間では知られているかもしれない。嘉納治五郎先生は、東京高等師範学校の校長として、教員の育成に力を入れる一方、柔道を創始し、講道館で1000人以上の弟子を育てたという、とてもすごい人である。そんな彼は、柔道だけではなく、様々なスポーツを奨励している。それが近代オリンピックの創立者・クーベルタン男爵の目に留まり、嘉納校長は日本で初めての国際オリンピック委員会委員に就任したのである。それを受け、嘉納校長は各帝国大学・高等学校・専門学校のスポーツ指導者たちと語らって“大日本体育協会”を設立し、来年、スウェーデンのストックホルムで開催される第5回オリンピック大会に、日本から代表選手を派遣することを決めた。その代表選手を決める予選会が、来週末、羽田町にある運動場で開かれる……そこまでが、私が新聞で得た情報だ。
すると、
「実は、千夏さん、その競技会を見に来ないかと、嘉納先生に誘われているんですよ」
東條さんはこんなことを私に言った。
「ああ、千夏さんは嘉納校長のお弟子さんですからね。……そう言えば、嘉納校長はお元気なのかしら?私が糖尿病の食事療法を伝えてから、3か月ぐらい経っているけれど……」
「お、お元気でいらっしゃいます。宮さまの教えてくださった食事療法を実践なさって、尿に糖も出なくなったということでして……」
私が確認すると、千夏さんは嘉納校長の体調を報告してくれた。翁島村での避暑から戻った直後、千夏さんから、“嘉納先生が糖尿病で体調を崩されたので、どうすればよいか”と相談を受けたので、私の時代の糖尿病の食事療法の要点を書いた紙を千夏さんに渡したのだ。どうやら、それが功を奏したようだ。
(よかったぁ……。まぁ、嘉納先生の場合、1回に食べる量を減らせれば、血糖値は改善するのが目に見えていたからね。お昼に食べるお弁当の量は、明らかに普通の人の3、4倍はあった。いくら柔道で身体を動かしていると言っても、あのカロリー摂取量はどうかと……)
私が千夏さんから聴取した嘉納校長の食生活を思い出してため息をついた時、
「あの、妃殿下、話を戻してよろしいでしょうか。医学のことになると、妃殿下は見境がなくなってしまうので……」
東條さんが私を少しきつい目つきで見ながら言った。
「ああ、ごめんなさい。嘉納校長の改善前の食生活を思い出していたら、つい……」
私は軽く頭を下げると、「で、競技会に千夏さんが招待されている、ということでしたよね」と東條さんと千夏さんに確認した。
すると、
「その通りです。それで、俺、その競技会を、妃殿下も微行で見に行かれればよろしいのではないかと思うのです。千夏さん、嘉納先生に、“知り合いも誘って一緒に来るといい”と言われましたから、千夏さんとご一緒に」
東條さんは、私が思いも寄らなかった提案をした。
「……」
驚きの余り、何も答えられなくなった私の横から、
「東條くんも進歩しましたね」
大山さんが微笑しながら言った。
「お言葉ですが、大山閣下。俺も妃殿下に仕えて8年ほどになりました。妃殿下の無茶に、少しは慣れたつもりです」
(無茶で悪かったわね……。まぁ、否定はできないけれど)
大真面目に答える東條さんに心の中でツッコミを入れてから、
「……ええと、競技会の種目は何だったかしら?マラソンがあるのは覚えていますけれど」
私は東條さんの言葉を聞かなかったことにして質問した。
「マラソンの他に、100m、200m、400m、800m、1500m、5000m、10000mの競走があります。それから、幅跳びと高跳びですね。マラソンは日本で初めて、25マイルの距離で行われて……」
「メートル法!」
千夏さんの説明に、私は即座に指摘を入れた。「メートル法でないとダメ!度量衡法違反よ!尺貫法とヤード・ポンドは、この日本から滅ぼすべし!」
叫んだ瞬間、抱っこしていた英道くんが目を覚まし、大きな声で泣き始めた。慌ててあやし始めると、「宮さま、申し訳ありませんでした!」と謝りながら、千夏さんが英道くんを自分の腕の中に引き取った。
「あ、いや、私こそ、ごめんなさい。つい熱くなってしまって。でも、メートル法に統一しないと、色々と不便だから……」
私は千夏さんに頭を下げた。この時の流れでは、産技研が主導して15年以上前に度量衡法という法律が公布され、単位系はメートル法に統一されたのだ。
「失礼いたしました、妃殿下。約40.2kmのマラソンですね」
東條さんが千夏さんの横で頭を下げた。
「マラソンは42.195kmを走る場合もあるということですが、いずれにしろ、我が国では初めての距離になると聞きました。10年以上前に、大隈閣下が長距離の競走を日本で実施するように提言されたそうですが、大隈閣下はこの日が来ることを見越していらっしゃったのですね」
「た、たぶん、そうでしょうね……」
私は何とか東條さんに合わせて相槌を打った。大隈さんの提案は、元はと言えば、私が種をまいたものである。1896(明治29)年に初めての近代オリンピックが開催された時、私の時代に行われていた駅伝大会やマラソン大会の話を梨花会の面々にしたところ、
――とても面白そうなんである!吾輩、各学校に長距離走の大会開催を呼び掛けてみるんである!
大隈さんが張り切って、各学校に長距離走大会の話を持って行った。ところが、 “そんな長距離の競走が出来る訳がない”“大隈伯の大言壮語だ”と言われて全く相手にしてもらえず、長距離走の大会開催は実現できなかったのだ。
「英機さん、千夏、大隈閣下のそのお話は初めて聞きましたよ。もっと詳しく教えてください」
英道くんをあやしながら、千夏さんが夫に要望する。
「うん、いいよ。千夏さんには、いい観戦記を書いてもらわないといけないからね」
「ひ、英機さんっ!」
千夏さんが東條さんの言葉に、顔を真っ赤にする。
「言わないで!は、恥ずかしいから!」
千夏さんの叫び声に驚いたのか、泣き止んでいた英道くんがまた大声で泣き始めた。
「いいじゃないか。千夏さんの文才が、嘉納先生に認められているということだから」
東條さんはそう言うと、再び千夏さんの耳に口を近づける。千夏さんが小さく頷くと、東條さんは千夏さんの腕の中で泣いている英道くんをあやし始めた。
「へー、千夏さん、競技会の観戦記を書くのね。すごいなぁ」
私の言葉に、千夏さんは渋々「は、はいです……」と答えた。
「そんなに嫌そうに言わなくてもいいじゃない。千夏さんは、私の和歌も代作してくれたこともあるし、女学校時代は作文が得意だったと聞いたわ。だからきっと、いい観戦記が書ける」
私は千夏さんに向かって微笑んだ。千夏さんは私に見せようとはしないけれど、同人誌に原稿を寄せているようだ。嘉納先生に観戦記の執筆を頼まれるくらいだから、きっと、文章は上手いのだろう。
(本当は観戦記を読ませてほしいけれど、千夏さん、私には恥ずかしがって読ませてくれないだろうな。内国博で原稿用紙を買っていたのを私に見られた時も、詮索したら怒られそうだったし……)
「……千夏さん、私、もちろんあなたの文章は読まないし、あなたの観戦の邪魔もしないようにする。私は客席の隅っこの方で競技を見るから」
警戒するように私を見つめ続けている千夏さんに、私は再び笑顔で言った。
「それは妃殿下、競技会にお成りになるということですね?」
「だめ?」
横から確認した大山さんに尋ねると、
「ダメということではありません。ご体調も安定されていますから、お成りになるのは構わないでしょう。しかし、その両日、俺は休みで、孫たちと一緒にその競技会を観戦することにしておりまして、妃殿下に付き添えないのです」
彼からはこんな答えが返ってきた。
「それは、お孫さんが優先ね」
私は頷いた。大山さんの長男・高くんは去年結婚したけれど、まだ子供はいないから、孫というのは、嫁いでいる娘さんの子供だろう。大山さんの休日を、私の用事で邪魔するわけにはいかない。
「じゃあ、別の人をお供につけてもらおうか。体調が万全だったら、付き添いは千夏さんだけでいいのだけれど、今は妊娠しているから」
私がこう言うと、
「では、青山御殿の広瀬君が借りられないか、問い合わせてみましょう」
我が臣下は私に答えた。
「そうか。広瀬さんも講道館で鍛えているから、嘉納校長とももちろん知り合いよね」
「そうですね。では、後で青山御殿に問い合わせます」
「頼んだよ、大山さん。……じゃあ千夏さん、来週末はよろしくね」
千夏さんに頭を下げると、彼女は「はいです」と力強く頷いて、私に向かって最敬礼したのだった。




