表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第52章 1911(明治44)年雨水~1911(明治44)年芒種
410/803

万智子の初参内

※地の文を一部変更しました。(2021年11月17日)

 1911(明治44)年3月10日金曜日午前11時5分、皇居・表御座所。

「いとぼいのう……本当に、いとぼいのう……」

 私の長女の万智子(まちこ)を嬉しそうに抱っこしているのは、黒いフロックコートを着たお父様(おもうさま)だ。生まれてから50日目、盛岡町の家から初めて外出して、宮中三殿を参拝した万智子は、自分を抱きかかえている母方の祖父を、無邪気な瞳で見つめていた。

「お(かみ)、いい加減、私にも万智子さんを抱っこさせてください」

 若草色の通常礼装(ローブ・モンタント)を着たお母様(おたたさま)が、身を乗り出しながらお父様(おもうさま)に聞くと、

「ダメだ。まだ、万智子の愛らしさをじっくりと味わっておらん!」

お父様(おもうさま)は頭を左右に勢いよく振り、万智子の顔に再び目線を合わせた。慈愛に満ちた笑顔……と言えばいいのだろうか。とにかく、こんなに穏やかで嬉しそうなお父様の笑顔を、私は初めて見た。

 と、

「ああ、この瞳、章子にそっくりだ。射干玉(ぬばたま)のような、黒曜石のような、しっとりした漆黒の輝きを放つこの瞳、幼いころの……幼いころの、章子の瞳、そのままで……」

そう言ったお父様(おもうさま)の目から、涙が一筋、静かに流れ落ちた。余りのことに、とっさに反応できない私の前で、

「ふ、章子が……“史実”では、1歳の誕生日を迎えられなかった章子が、こんなに、こんなにいとぼい子を生んで……」

お父様(おもうさま)は顔をくしゃくしゃに歪め、声を放って泣き始めた。それに驚いたのか、お父様(おもうさま)におとなしく抱っこされていた万智子も、大きな声で泣き出した。

「あらあら、びっくりしたわね、万智子さん。さ、おばばさまが抱っこしてあげましょうね」

 お母様(おたたさま)がこう言いながらお父様(おもうさま)に近づく。お父様(おもうさま)から特に抵抗も受けずに万智子を受け取ると、お母様(おたたさま)は万智子を抱っこしてあやし始めた。

「……おいとぼくて、元気な子ですね。口元は、栽仁(たねひと)さんに似ていらっしゃるのかしら」

 万智子に慈愛のこもった眼差しを向けていたお母様(おたたさま)は、万智子を一通りあやすと、

「ところで、増宮(ますのみや)さん。子育ての方はいかがですか?」

今度は私にこう尋ねた。結婚したのだから、他の宮家の妃殿下たちと同じように、私のことも“章子さん”と名前で呼んでくれていいと思うのだけれど、お母様(おたたさま)は私のことを今でも“増宮さん”と呼ぶ。

「うまく行っています、と言いたいのですけれど……。正直なところ、(みな)に助けられて、何とかなっている状態です」

 私は苦笑しながらお母様(おたたさま)に答えた。「万智子の成長に気付かされると、疲れが吹き飛んでなくなります。けれど、しばらくすると、やはり疲れてしまって……。だから、そういう時は、捨松さんや大山さんや乳母さんたちに万智子を任せて、のんびりしています。貴族院の議事録にも目を通さなければならないので、余りのんびりもしていられないのですけれど」

「それでよろしいと思いますよ」

 お母様(おたたさま)は私の目をしっかり見て頷いた。

節子(さだこ)さんが、欧州に出発なさる前々日に、私に言っていました。子育てはいろいろな人の手を借りなければやっていけませんよ、と増宮さんに申し上げたけれど、自分が旅行している間に、増宮さんが過労で倒れてしまわないか、その不安がどうしても拭い去れない、と……」

 私は黙ってうつむいた。私の兄嫁でもあり、親友でもある人を、私は深く思い煩わせてしまった。

 と、

「増宮さん」

お母様(おたたさま)が私を優しい声で呼んだ。

「増宮さんの前世のお母様は、医師として働いていたと聞いたように思いましたけれど、どうやって子育てをなさっていたのですか?」

「……ほとんど、ほったらかしにされていました」

 私は前世の記憶を必死に手繰り寄せながら答え始めた。「小さいころは、一緒に住んでいた祖母が私の面倒を見てくれました。母は仕事が大好きな人でしたし、深夜に仕事で病院に呼び出されることもありましたから、顔を合わせるのは、1日1回あるかどうかでしたけれど……」

 私は下に向けていた顔を上げ、お母様(おたたさま)を見つめた。

「でも、前世の母は、娘として、私をちゃんと思ってくれていたと思います。大きくなるにつれて、母のことを、“母親”ではなくて、“女医の先輩”ととらえるようになってしまいましたけれど、でも……」

 うまく言葉が続けられない。口が動かなくなってしまった私に、

「……一緒に過ごす時間が短くても、増宮さんの前世のお母様は、増宮さんのことを愛していらっしゃって、増宮さんも立派に育ったのですね」

お母様(おたたさま)は春風のような調子で言った。

「増宮さん。子育ての方法など、親子の数だけ、家族の数だけあるのです。色々な方のお話を聞いていると、それがよく分かります。でもね、その様々な方法に共通する大事なことが、たった1つあるのです」

「様々な方法に共通する、たった1つの大事なこと……?」

 お母様(おたたさま)の言葉に釣り込まれ、オウム返しのように呟いた私に、

「子も、そして親も、ともに健やかにあることです」

お母様(おたたさま)は春の陽射しのような微笑で応じた。

「増宮さんにとっては初めての育児ですから、ご自身でも気が付かないうちに、気負っていらっしゃると思います。ですが、増宮さんは、万智子さんの母親だけではなく、様々なお役目を、今も、そしてこれからも担う方です。ですからどうぞ、ご無理をなさらず、万智子さんと栽仁さんと、お健やかに過ごしてくださいね」

「……かしこまりました。お心づかい、ありがとうございます」

 身体は子供から大人に成長して、結婚して、そして子供を授かったけれど、今生の私がお母様(おたたさま)の娘であることは変わらない。嫡母の愛情のこもった言葉を、私は謹んで受け取ったのだった。


 いったん別室に下がって万智子に授乳した後、捨松さんと乳母さんに万智子を託し、私は表御殿でお父様(おもうさま)お母様(おたたさま)と一緒に昼食を取った。“去年の夏以来会えなかったのだから、ゆっくり話がしたい”と、数日前にお母様(おたたさま)に誘われたのだ。

「兄上は今頃、上海に着いた頃でしょうか」

 昼食が終わり、人払いをした別室に移ってお父様(おもうさま)お母様(おたたさま)と3人で食後のお茶をいただいている時、私は両親に尋ねた。

「昨日、上海に無事に到着したという電報があったな」

 お父様(おもうさま)はそう言うと、お茶を一口飲んだ。

「上海は、蘇州(そしゅう)の街にも日帰りで行けるそうな。蘇州には寒山寺(かんざんじ)という古刹がある。嘉仁(よしひと)がそこに行ったら、きっといくつも漢詩を作るのだろうな」

「上海を発たれるのは明日ということでしたから、明宮(はるのみや)さんも節子さんも、きっと寒山寺を訪問なさっていますわ」

 視線を遠くに投げたお父様(おもうさま)に、お母様(おたたさま)が穏やかに話しかけると、

「そうだな。上海から朕によこす手紙に、早速漢詩が書き付けてあるかもしれん。読むのを楽しみにしていよう」

お父様(おもうさま)は上機嫌で頷いた。

「……ということは、今月の末か、来月には、兄上の上海での活動写真が見られるでしょうか?」

「そうですね、増宮さん。明宮さんと節子さん、どんな顔をして活動写真に写っているかしら」

(たぶん、カメラ目線をバッチリ決めているだろうなぁ……)

 浮きたつような声で言うお母様(おたたさま)に、私は心の中でこう答えた。写真嫌いのお父様(おもうさま)とは対照的に、兄は写真を撮るのも撮られるのも大好きで、写真慣れしているのだ。ただ、お母様(おたたさま)に“カメラ目線”と言っても、たぶん通じないだろうと思ったので、心の声を音声には変換しなかった。その代わり、

「……お母様(おたたさま)、上海から兄上の活動写真が届いたら、迪宮(みちのみや)さまたちと一緒にご覧になったらいかがでしょうか。迪宮さまたちも、きっと喜びますよ」

お母様(おたたさま)にこう提案してみると、

「それはいいですね。私たちも迪宮さんたちに会えますし。……ね、お(かみ)?」

お母様(おたたさま)お父様(おもうさま)にニッコリと笑いかけた。

「……そ、そうだな。嘉仁と節子がいない間、朕が裕仁たちを教え導かなければならないからな」

 頬を緩めかけたお父様(おもうさま)は、次の瞬間、わざと厳めしい顔を作って頷いた。

(素直になればいいのに)

 そう思ったけれど、口にしたら最後、お父様(おもうさま)が猛烈に反論してくるので、

「あ、でも、昌子(まさこ)さまの結婚の日取りと、活動写真の上映会が、被らないようにしないといけませんね。ええと、昌子さまの婚儀、確か来月の……何日でしたっけ、お母様(おたたさま)?」

私は思いついた質問をお母様(おたたさま)に投げた。

 すると、

「来月16日の日曜日だ。そなたと栽仁の婚儀と、ほぼ同じ日取りにしたのだ。自分の妹の晴れの日ぐらい覚えておけ」

答えようとしたお母様(おたたさま)の言葉を、お父様(おもうさま)が横から奪った。

「まったく……“史実”では3年も前に結婚していた恒久(つねひさ)と昌子が、ようやく結婚できるというのに……。そなたが栽仁と結ばれるのを待っていたら、遅くなってしまった。まぁ、仕方がないことではあるが」

「申し訳ありませんでした」

 明らかに不機嫌になったお父様(おもうさま)に、深く頭を下げると、

「……その、どうだ、章子。栽仁とは、うまくやっているのか?」

お父様(おもうさま)は私に突然、こんなことを尋ねた。

「あ、はい、とても……」

 とっさにこう答えると、

「お(かみ)、うまく行っていない訳がありませんよ。増宮さんを見れば、すぐに分かります。増宮さんのお顔がこんなに穏やかなのは、栽仁さんに愛されて、お心を支えられているからですよ」

お母様(おたたさま)が微笑を含んだ声で言う。私は胸元に右手をやると、少し頬を赤くして下を向いた。今は服の布地で見えないけれど、右手の下には、銀のチェーンに通して首から下げた結婚指輪がある。日曜日の朝、寝起きのベッドの上で、栽仁殿下に“もっと素敵になるおまじない”を囁かれながらこのネックレスを掛けてもらうのが、毎週の恒例行事になっていた。

「増宮さんも、愛していらっしゃるのですね、栽仁さんのことを」

「はい……。いつも栽仁殿下に支えられてばかりで、私は殿下を全然支えられていませんけれど、私は、栽仁殿下を愛しています」

 お母様(おたたさま)に小さな声で答えると、

「……それならばよいのだ」

お父様(おもうさま)が私から視線を逸らしながら言った。

「その……そなたと栽仁が上手くやれている秘訣を、昌子にも伝えねばならんからな、うん……」

「互いに愛し合って尊重していること。他にも色々とあるでしょうが、まずはそれが大事なのではありませんか、お(かみ)?」

 お母様(おたたさま)の言葉に、お父様(おもうさま)は返事をしなかった。横を向いているので、お父様(おもうさま)の頬が赤くなっているのが、私にもはっきりわかった。

「……ふ、章子。議会に出るのは、来週の土曜日からであったな?」

 数秒の沈黙の後、私に向き直ったお父様(おもうさま)が言った言葉は、先ほどまでの話とは全く関係のないことだった。

「はい」

 素直に頷いた私は、お父様(おもうさま)に一礼する。育児休暇に入る、つまり予備役に一時的に回る3月18日から、私は貴族院に登院する。現在開かれている帝国議会の会期は、今月の31日までだ。本会議に出席する機会は10回もないだろうけれど、もちろん初めてのことなので、やはり緊張する。

「女子の登院は初めてのことだ。その意味でも気負ってしまうだろうが、これもそなたが上医となるために必要なこと。身体をいたわりながら、励めよ、章子」

 厳かな調子になったお父様(おもうさま)の声に、私は黙って最敬礼をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 史実の明治天皇は孫の裕仁親王(昭和天皇)や秩父宮にも愛情を示さず、孫が参内しても一言も口を利かず黙っているだけだったそうなので、このような孫バカ天皇の姿はさすがに違いすぎると思う。
[気になる点] 「結婚指輪のネックレス」と聞いて、不覚にも黄金の鉄の塊でできた謙虚な騎士が出てきてしまいました……いや、指にはめているといろいろ不自由なので、ひもを通して首にかけているというのは十分承…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ