泣き虫親子
1911(明治44)年1月20日金曜日午前1時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「ん……」
本館とは別に増築された分娩所の中。仮の寝室として使っている洋室のベッドの上で、私は目を覚ました。下腹部に、鈍い張りを感じる。今週で妊娠40週となり、お腹の中にいる赤ちゃんがいつ生まれてもおかしくない状態である。
ただ、
(まぁ、お腹が張っているだけよね)
眠気まみれの頭で、私はそう判断した。臨月に入ってから、2、3日に1回、時には1日に1回、お腹が張ることが出てきた。昨日の吉岡弥生先生の診察でも、子宮口は閉じているということだったから、おそらく今回も、陣痛にもならない、単なる子宮の張りだろう。そう考えたのだ。
(とりあえず、寝よう……)
一度開けた眼を閉じると、お腹の張りも消えたらしく、私はすぐに眠りに落ちた。
再び目を覚ましたのは、午前3時ごろのことだ。やはり、下腹部の張りで起こされてしまった。
(あれ、またお腹が張った……)
1日の間に2回お腹が張るのは、初めてのことである。ひょっとしたらこれは、陣痛なのかもしれない。そう思ったけれど、
(寝るぅ……)
私はすぐに布団を掛け直し、瞼を閉じた。1日に2回お腹が張ったからと言って、それがすぐに陣痛に変わるわけではない。それに何より、私はとても眠かったのだ。これで今度こそ、朝までぐっすり眠れる、そう思っていたのだけれど……。
下腹部は、時間を置いてまた張ってしまう。ウトウトしていたところをお腹の張りで起こされてしまい、張りがおさまるとまたウトウトする、ということを繰り返していたら、いつの間にか、寝室には朝の光が差し込み始めていた。
(張りが繰り返しあるなぁ……とりあえず、お手洗いを使おうかな)
ベッドから起き上がり、ドアを開けてお手洗いへと向かう。お手洗いのドアを閉めてショーツを下ろした時、違和感に気が付いた。ショーツに真新しい血痕があったのだ。
「こ、これ……“おしるし”?!」
赤ちゃんは子宮の中では“卵膜”というものに包まれている。卵膜は、子宮の壁に張り付いているのだけれど、分娩が近づいてくると壁から剥がれる。その時の出血が“おしるし”と呼ばれているのだけれど……。
(分娩が近づいているということ?じゃあ、このお腹の張りは陣痛なの?)
半信半疑ながらも、用を済ませて寝室に戻ると、またお腹が張ってきた。少しだけ、痛いような気もする。痛みが引いた隙に、枕元にあった懐中時計を手元に引き寄せ、お腹の張りが次にいつ来るかを測定する。6時50分からにらめっこを始めた時計の針が7時ちょうどを指した時、再びお腹が張り始めた。
(10分間隔……ということは、弥生先生に連絡しないといけないのよね)
お腹の張りが無くなると、私はベルを鳴らして、分娩所に泊まり込んでくれている大山さんの奥様・捨松さんを呼んだ。
捨松さんが電話で連絡して、弥生先生が盛岡町の家に来てくれたのは、午前8時ごろだった。その頃には、規則的に襲ってくるお腹の張りは、完全に痛みに変わっていた。
「どうですか、弥生先生。子宮口は開いていますか?」
早速内診をしてくれた弥生先生に確認すると、
「そうね、少しだけ開いていましたよ。1cm」
弥生先生はサラっと私に答えた。
「やはり、陣痛が始まったということですね」
「ええ、まだまだ時間が掛かりますよ。妃殿下は、今回が初めてのご出産ですからね」
「では、あと何時間……はうっ!」
かかるだろうか、と続けようとした言葉が、下腹部の激しい痛みに奪われた。先ほどの陣痛より、痛みが強い。ベッドの上で身体を縮こまらせた私に、
「そうですね。夕方までに終われば運がいいと思いますよ」
と弥生先生は告げ、「ベルツ先生と近藤先生にも、連絡をしなければいけませんね」と言いながら、洋室から去って行った。
ベルツ先生と近藤先生が分娩所に到着したのは、午前10時過ぎだった。その頃には陣痛は7、8分間隔になり、強さは更に増していた。お腹が絞られるような、裂けるような痛み、と言えばいいのだろうか。とにかく、今までに経験したことのない激しい痛みが、規則的に私の身体を襲っていた。
「妃殿下!ご体調はいかがですか?!」
私の策略の一環で呼び寄せられた近藤先生が、部屋に入るなり私のベッド脇に駆け寄った。
「だ、大丈夫……あう……っ!」
近藤先生に答えようとした私に、陣痛が襲い掛かる。
「どうやら、陣痛が徐々に強くなってきているようですね」
ベルツ先生が軽く顔をしかめる。一方、近藤先生は、陣痛に苦しむ私を見つめて呆然としていた。そこに弥生先生が現れ、
「ああ、ベルツ先生も近藤先生もいらっしゃいましたか。ちょうどよかった、妃殿下の内診を介助していただけませんか?」
落ち着き払った様子で2人に依頼する。この3人の医師の中で、分娩を扱った件数が一番多いのは弥生先生である。その貫禄に負けたのか、ベルツ先生と近藤先生は素直に弥生先生の指示に従った。
「弥生先生、どうですか?子宮口、全開大していますか?」
内診を終えた弥生先生に、縋るように尋ねてみたけれど、
「いいえ、2㎝ね」
彼女は私に残酷な現実を突きつけた。
「に……2cmですか?たったの?」
子宮口が10cmまで開く……つまり、全開大にならなければ、分娩の次のステップには移れない。それが2cmしか開いていないということは、分娩にはまだ時間が掛かるということになる。
「児頭はきちんと降り始めているようですから、滞りなくお産は進んでいますよ。これから、陣痛はもっと強くなりますからね。ご覚悟ください、妃殿下」
(た、確かにそうだけれど……)
今でさえ、激烈な痛みに苦しめられているのだ。これが増強してしまったら、私はどうなるのだろうか。弥生先生に反論しようとしたその時に、再び激しい陣痛が始まり、組み立てていた言葉は頭の中で消えてしまったのだった。
正午を過ぎると、陣痛の間隔は6、7分に狭まり、弥生先生の言葉通り、強さを更に増していた。お腹の中が爆発して、骨盤が破裂してしまいそうな痛みが、私の身体を何度も攻め立てる。
「妃殿下、何か召し上がりますか?ご朝食も召し上がっておられませんし、何か口に入れないと、体力が持ちませんよ」
3人の医師の助手として働いていた捨松さんが私に声を掛けた。いつの間にか、横須賀国軍病院にいるはずの新島八重さんも室内にいた。
「む、無理です、こんな痛い中で、食べるなんて……」
陣痛の合間を狙い、私は口を開いた。
「弥生先生、点滴を入れてください……水を飲むのも辛いですから……」
すると、
「ご要望にお応えしたいのは山々なのですが、私、点滴の針が入れられないのですよ」
弥生先生はこう答えて、首を左右に振った。
(え……?)
思わず問い返そうとしたけれど、自分自身で立てた策のことをすんでのところで思い出し、私は何とか言葉を飲み込んだ。
「困りましたね。点滴は作りましたが、中島君は、緊急手術が入ってしまって、こちらにまだ向かえないのでしょう?」
両腕を胸の前で大仰に組んだベルツ先生に、捨松さんが「はい、まだ手術が終わったというご連絡はありません」と答える。捨松さんにも策のことは伝えてあるから、ベルツ先生に合わせてお芝居しているのだろう。
「となると、近藤君、君に点滴の針を入れてもらうしかない」
ベルツ先生が厳かに告げると、
「わ、私が、ですか?!」
近藤先生は目を丸くした。
「そうです。私も近頃老眼が進んでしまい、手元が見えづらい。これでは妃殿下に針を刺す時、思わぬところを傷付けてしまうかもしれない。それに、近藤君は点滴の方法に関しても理論を確立したではないですか」
「確かに、ベルツ先生のおっしゃる通りですが……」
近藤先生の額には、冬の最中だと言うのに汗が光っている。やはり、直宮の身体に点滴の針を刺すということに緊張してしまっているのだろう。
(近藤先生、頑張って!ここを乗り越えて、私に点滴の針を刺してもらわないと、兄上の渡欧が……)
心の中の応援の言葉が、下腹部から湧き上がった痛みで粉々に壊された。また、骨が裂けてしまいそうな激しい陣痛が始まり、「痛い!」と私は叫んだ。
「む、無理、無理だから!もう私、水も飲めないから!は、早く、点滴の針を刺して、お願いー!」
(くそー!陣痛、ナメてた!もっと楽だと思っていたのに!)
叫びながら、私は自分の予測の甘さを、思いっきり呪っていた。節子さまも、山階宮家の範子妃殿下も、陣痛に襲われていた時、叫んではいなかった。それに、私が立ち合わせてもらった弥生先生のお産もそこまで辛そうではなく、陣痛が来た時に、“来たわっ!”とおどけた声を出す余裕すらあったのだ。それと比べると、私の身体を攻め立てて来る陣痛は、何倍も激しいもののように思える。
「わ、分かりました、妃殿下!それでは、この近藤、点滴の針を入れさせていただきます!」
叫んでいる私に向かって、近藤先生が言う。陣痛がひどくて、彼の表情をうかがい知る余裕は無かった。
「そ、それでは、ただいまより、刺します、妃殿下!」
近藤先生が上ずった声で私に宣言した。
「お、お願いしますぅ!」
再び陣痛の大波に飲まれていた私は、こう返事をした後、言葉にならない叫びを上げ続けていた。身体を引き裂くような痛みで意識が占められている間に、点滴の針を刺す処置は終わっていたらしい。痛みの波が引いた時に、左腕に違和感を覚えたので見てみると、既に点滴の針は腕に刺さっていた。
「も、申し訳ありません、妃殿下ぁ!」
気が付くと、近藤先生が土下座していた。
「わ、私は、私はっ、恐れ多くも妃殿下の腕に、は、針を3回も刺してしまうという罪を犯してしまいましたぁ!ど、どうか、私に罰を……私に、お身体を傷付けた罰をぉ!」
「何をおっしゃるのですか、近藤先生……」
呼吸を整えながら、私は近藤先生に答え始めた。
「治療のために必要だったことです。この点滴が入らなかったら、私、分娩中に脱水になるところでした。それに、近藤先生、本当に針を3回刺しましたか?全然痛くなかったですよ」
本当は針を刺された時、それなりに痛かったのだろうと思う。けれど、陣痛の最中に刺されたので、陣痛の方に気を取られ、針の痛みのことは頭の中から抜け落ちていた。
「流石、近藤先生です。痛みなくやってくださって、本当に良かったです。この状況で私に針を刺せるのは、近藤先生しかいらっしゃらないです。お願いですから、罪に問われるなどと思わないでください」
近藤先生の精神的負担を、何とかして軽くしなければならない。私は必死に言葉を紡いだ。早くケリをつけないと、また陣痛が来てしまう。
「お優しいお言葉をありがとうございます、妃殿下……。ならば、お言葉に従い、罪に問われるとは考えないように致します」
近藤先生は床に正座して、涙を流しながら私に言う。とりあえずは、作戦の第1段階はクリアしたけれど、治療のためになら皇族の身体に傷を付けることを、これで近藤先生がためらわないようになったとは思えない。私が更に近藤先生に言葉を掛けようとしたちょうどその時、下腹部に爆発的な痛みが再び襲ってきた。
「あ……あ゛あ゛あ゛あ゛!む、無理、無理っ、もう無理っ!弥生先生、子宮口、まだ全開大にならないですか?!」
「では、そろそろ診察致しましょうか」
弥生先生はそう言うと、ベルツ先生たちに声を掛け、私の内診をする。
「……今で、子宮口は4cmですね」
「ええっ?!まだそれだけですか?!」
絶望にかられ、文句を言ってしまった私に、
「何をおっしゃっているのですか。私が博人を産んだ時より、分娩の進みは早いですよ」
弥生先生は冷静な口調で言い、「まだまだ時間が掛かりますから、私は昼食を取ります。皆様方も、交代で休憩を取ってください」と言って、部屋から出て行ってしまった。
午後3時頃になると、陣痛が襲ってくる間隔は3、4分ごとに縮まった。身体を切り刻まれて、更に機械に掛けられてミンチにされるような痛みと言えばいいのだろうか。とにかく、更に陣痛は激しくなり、私は陣痛のたびに言葉にならない絶叫を上げた。意識も朦朧として来て、今が何時なのか、私の周りに誰がいるのかもよく分からなくなっていた。
(ああ、私、死ぬのかな……)
確か、私の時代だと、10万人の妊婦のうち、死亡する妊婦は3から4人ぐらいだった。一方、今の時点では、10万人の妊婦のうち、死亡する妊婦の数は約6500人。私の時代と比べると、驚くほど多くの妊婦が亡くなってしまうのだ。もしかしたら私も、その死亡者の仲間入りをすることになるのだろうか。
「もう……無理!耐えられない!死んじゃう……!だ、誰か、私の、遺言を……!」
陣痛が途切れた合間に喋るのも、とても辛くなっている。私は周りの状況を把握できないまま、口を開いた。
「遺言を、書きとめて……!こんなところで、死んでしまって、兄上に、申し訳ない……。私が死んでも、私の魂魄はこの世にとどまって、兄上をお守りします、と……」
ぼんやりしてきた脳みそを使って必死に考えた言葉を、叩きつけるように音声に変えていった時、
「妃殿下、しっかりなさいませ!」
耳元で突然、大きな声がした。
「に……新島、さん?」
彼女はなぜ、ここにいるのだろうか。混乱する記憶の中をさまよう私の意識を、
「妃殿下のお子様は今、暗くて狭い産道をくぐり抜けようと、必死に頑張っていらっしゃるのですよ!」
新島さんは大きな声で外界に引っ張り出した。
「ですが、ここで妃殿下も頑張ってお子様を助けなければ、お子様は産道を通り抜けられません。お子様を助けて、この世に産み出せるのは、妃殿下だけなのです!」
「……っ!」
「いくら叫んでも、いくら喚いてもようございます。しかし、お子様を産み出せるのは妃殿下だけだということは、忘れずにいてくださいませ!」
「……分かりました。新島さん、ごめんなさい」
目を伏せたと同時に、再び陣痛が始まった。頑張らなければいけない、と思っても、やはり、痛いものは痛い。言葉にならないうめき声を上げながら、私は必死に痛みに耐えた。
「妃殿下、無痛分娩に切り替えますか?私、麻酔薬も準備しておりますが……」
弥生先生が声を掛けてくれたけれど、「いや、いいです」と私は左右に首を振った。
「腹圧が、弱くなってしまうかもしれませんよね……。もしそうなると、赤ちゃんが上手く出られなくなるから、このままでいいです……」
既にこの時代、吸入麻酔を使った無痛分娩が行われている。けれど、事前の弥生先生との話し合いで、私はそれを選択しなかった。今私が言ったように、腹圧が弱くなって、赤ちゃんが産道から出づらくなってしまう可能性もゼロではないからだ。陣痛がこんなに辛いものだとは思っていなかったけれど、出来ることならこのまま産みたい。私はそう思った。
そこから、どのくらいの時間が経ったのだろう。ますます激しくなった陣痛は言葉で言い表せないほどの強さになり、間隔も短くなっていた。
「子宮口が全開大してからの進行が速いですね」
「ええ、もう少しで発露しそうですね。やはり会陰切開をする方がいいでしょうか」
何度目になったか分からない陣痛に見舞われている時、ベルツ先生と弥生先生が話し合う声が、遠くから聞こえた。
(も、もう、無事に生まれるなら、煮るなり焼くなり、どうとでもして……)
陣痛に合わせて、必死にいきんでいると、弥生先生が「近藤先生、会陰切開をお願いできますか?」と近藤先生に尋ねた。
「え、わ、私が……?!」
近藤先生が戸惑いの声を上げた次の瞬間、凄まじい殺気が私の全身を襲った。これは、大山さんの殺気……とは少し違う。新島さんから放たれている殺気だ。
「近藤先生……」
殺気を全身から立ち上らせた新島さんが、低い不気味な声で近藤先生を呼ぶと、彼は「ひぃっ」と叫んだ。
「わ、分かりました、や、やります!私が、会陰切開をやらせていただきます!」
近藤先生がこう言ったと同時に、
「妃殿下!会陰を切開致しますよ!」
弥生先生が私に声を掛ける。
「りょ、了解……い、痛い痛い痛い゛い゛い゛っ!」
私の返事は途中で醜い叫びに変わった。陣痛がまたやって来たのだ。痛みに負けそうになりながら、それでも必死にいきんでいると、その間に近藤先生の処置は終わったらしい。
「妃殿下、もういきまないでください!お子様、出ていらっしゃいますから、軽く呼吸をして!」
その声でふと横を見ると、右手に剪刀を持った近藤先生が立っていた。微かに震える右手の剪刀には、少しだけ血が付いている。どうやら、私たちが事前に考えていた通り、分娩の処置の一環として、近藤先生に私の身体に傷を付けてもらうのは成功したようだ。……陣痛が半端なく激しくて意識が飛びそうになっていたから、会陰を切られたのが分からなかった。
と、
「妃殿下、お生まれになりましたよ!」
赤ちゃんの泣き声と一緒に、弥生先生の声が聞こえた。足元に視線を動かすと、弥生先生が何か大きなものを持ち上げているのが見えた。
(あ……!)
「元気な女王殿下ですよ。今、処置をしてしまいますからね」
弥生先生に持ち上げられている赤ちゃんは、元気な産声を上げている。栽仁殿下と私の、初めての子供だ。
(良かった……私、産めた……)
陣痛に苛まれていた間は、終わりの見えない拷問を受けているようだった。陣痛をナメてかかっていた数か月前の自分を、思い切り蹴飛ばしたくなったし、自分の死が頭を過ぎった時間帯もあった。
(でも、産めたんだ……私でも……)
視界が涙でぼやけた瞬間、
「梨花さんっ!」
部屋のドアが、吹っ飛んでしまうほどの勢いで外側から開けられた。
「た……栽さん?」
栽仁殿下は今、横須賀にいるはずだ。なぜ帰宅しているのだろうと考える間もなく、栽仁殿下は私の枕元まで駆け付け、両手で私の左手を握った。
「た、栽さん、後産、終わってないのよ?もうちょっと、部屋の外で待って……」
「待てないよっ!」
私の言葉に、栽仁殿下は即座に言い返した。
「心配で、たまらなかったんだ!陣痛が始まったって知らせがあったから、休暇を取って帰ってきたら、梨花さんが“遺言を書きとめて”って言ってるのが聞こえて……梨花さんのそばにいたかったのに、父上と大山閣下に力づくで止められて……でも、心配で、僕、梨花さんが、死んじゃうんじゃないかって、心配で……」
夫の顔は涙でぐしょぐしょになり、いつも整っている髪も、寝起きの時のように乱れている。こんなに取り乱した夫の姿を見るのは初めてだった。
「泣かせてごめんね、栽さん。陣痛、想像していたのより、滅茶苦茶痛くて……」
夫の眼をしっかり見ながら、私は事情を説明し始めた。
「でも、大丈夫。私、生きているから。先生方もいらっしゃるし、万全の処置が取れるから、安心して、栽さん……」
栽仁殿下は黙ったまま私を見つめ、ボロボロと涙をこぼしている。
と、
「若宮殿下。いくら若宮殿下と言えども、主治医の許可なく分娩室に入ることは許されませんよ」
胎盤を取り出している最中の弥生先生から、栽仁殿下に厳しい注意の声が飛んだ。
「も、申し訳ありません!直ちに、退出いたします!」
夫は慌てて立ち上がり、弥生先生に最敬礼する。
「頭を下げている暇があったら、早々にここを立ち去ってください、若宮殿下」
なおも厳しく告げる弥生先生を、
「まぁまぁ、弥生先生。女王殿下の御処置も診察も終わりましたから、若宮殿下に女王殿下を抱いていただきましょう」
横からベルツ先生がなだめる。ベルツ先生の腕には、処置を終えて肌着にくるまれた赤ちゃんが抱かれていた。夫はベルツ先生から元気に泣いて四肢をばたつかせている赤ちゃんを受け取ると、ぎこちない手つきで赤ちゃんを抱き、また私のそばに屈んだ。
「ああ……すごく元気そう。チアノーゼもなさそうだし、しっかり呼吸している……。栽さん、この子に触らせて……」
栽仁殿下は私の寝台に近づくと、泣き続けている赤ちゃんを抱え上げ、私の左手に近づけた。薄い髪の毛に包まれた小さな頭に左手が触れた時、引っ込んでいた涙が一気に瞼から溢れ出した。
「梨花さん……、泣いてるの?」
「そ……それは、泣くよ。やっと、この子に会えたから……。そう言う栽さんだって、泣いているじゃないの」
「だって、それは、梨花さんが心配だったから……。ありがとう、梨花さん。無事でいてくれて、この子を産んでくれて、ありがとう……」
栽仁殿下に返そうと思った言葉は、涙でかき消されてしまった。栽仁殿下もそれ以上言葉を発することは無く、とめどなく涙を流していた。
「女王殿下だけではなく、若宮殿下と妃殿下までお泣きになって……。皆様に、“泣き虫親子”と言われてしまいますよ」
遠くで、捨松さんの声が聞こえた気がしたけれど、私も夫も、そのセリフを気に留める余裕は無く、生まれたばかりの子供と張り合うかのように、ずっと泣き続けたのだった。
……こうして、1911(明治44)年1月20日午後6時55分。私は第1子となる長女を出産した。
私の今生での満28歳の誕生日の、6日前のことだった。




