ピクニック
1908(明治41)年10月4日日曜日午後0時45分、青山御殿の庭園。
「輝仁叔父さま、早く!」
庭園に生えている大きな欅の木。その太い枝に跨って大声を上げているのは、兄と節子さまの次男、この9月に学習院の初等科に入学した淳宮さまだ。とても活発な淳宮さまは、学習院でもヤンチャぶりを発揮していて、“増宮さまや満宮さまのご幼少のころを彷彿とさせる”と言われているらしい。
「叔父さま!」
淳宮さまの1本上の枝には、淳宮さまのお兄様・兄と節子さまの長男である迪宮さまが腰掛けて、地上に向かって手を振っている。初等科2年の迪宮さまは、淳宮さまほどヤンチャではないけれど、外でよく遊び、相撲や昆虫採集、魚捕りが大好きな少年に成長していた。
「よーし、じゃあ、俺も木に登るぞ!」
幼年学校の2年生、もうすぐ15歳になる私の弟・満宮輝仁さまが、座っていた縁台から立ち上がり、欅へと駆けていった。昨年9月、最下位に近い席次で幼年学校に入学した輝仁さまだけれど、航空士官になるために猛勉強を続けていて、この9月に無事に2年生に進級している。
「3人とも、落ちないように気を付けるのよ!」
欅に向かって叫んだ私のそばでは、兄の長女で4歳5か月になった希宮さまと、兄の3男で3歳になったばかりの英宮さまが、花壇に咲いているコスモスを、千夏さんと一緒に摘んでいる。
『皇孫殿下方も、満宮殿下も、大変お元気ですね』
縁台に腰かけているハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ先生が、ニコニコと微笑みながらこう言った。
この青山御殿の庭園に、コッホ先生とコッホ先生の奥様・ヘドヴィッヒさん、そして私の可愛い甥っ子姪っ子たちが一緒にいる理由を説明するには、7月31日、私と栽仁殿下の婚約が内定した日まで、時計の針を戻さなければならない。
あの日、鎌倉の御用邸でコッホ先生夫妻と医科研の北里柴三郎先生を招いて昼食会を開催した私は、昼食会終了後、お客様たちを案内して鶴岡八幡宮に参拝する予定だった。ところが、正門を出たところで新聞記者たちに婚約内定を告げられた私は、案内どころではなくなり、結局大山さんに連れられて帰京してしまった。急な予定変更でコッホ先生ご夫妻に迷惑を掛けてしまったので、そのお詫びという意味で、私はコッホ先生ご夫妻を青山御殿の昼食会に招くことにした。日程は、コッホ先生ご夫妻が日本各地への講演旅行を終えて東京に戻った後、10月4日に決め、大山さんや東條さんに、昼食会の準備を進めてもらっていた。
ところが、私が昼食会を開くことを知った甥っ子姪っ子たちが、自分たちもその昼食会に出たいと言い始めた。兄と節子さまは、東北地方への視察のため、9月7日から今月の10日までの予定で、東京を留守にしている。彼らが寂しくならないように、休みのたびに皇孫御殿に顔を出していたけれど、10月4日は私が休みなのに、皇孫御殿に来ないというのが、彼らの……特に、年少の希宮さまと英宮さまには不満だったらしい。
そこで、彼らの輔導主任である乃木歩兵中将とも相談して、可愛い甥っ子姪っ子たちにも、昼食会に出席してもらうことにした。ただ、普通に食堂で食事会を開くと、年少の2人はお行儀よくしているのがとても大変だろう。だから、庭園に縁台を出し、お弁当を広げてみんなで昼食をいただくことにした。ちょっとしたピクニックのような形式の昼食会にすれば、甥っ子姪っ子たちのお行儀が多少悪くても、笑って済ませられる。途中で子供たちは大人のおしゃべりに飽きて遊び始めるだろうけど、その遊ぶ様子を眺めるのも、大人たちにとってはまた一興だ。コッホ先生ご夫妻にも、甥っ子姪っ子の同席と、昼食会の形式を確認したところ、“是非それでお願いしたい”ということだったので、晴れた空の下、私はコッホ先生ご夫妻や迪宮さまたちと一緒に、お弁当を広げていたのである。
『迪宮殿下は、今は小学校の2年生でしたか。ご活発ですが、弟君や妹君を思われる優しいお子ですね』
“淳、そこは危ない!ちゃんと枝をつかんで!”と大声を上げ、危なっかしい淳宮さまを注意する迪宮さまを見ながら、コッホ先生は頷いた。
『それに、希宮殿下は本当に愛らしい。昔、増宮殿下の幼いころの写真を拝見したことがありますが、そのお写真の中の増宮殿下によく似ていらっしゃって美しい。まるで天使のようです』
『本当は、私と希宮さま、目や口の形が少し違うんです。でも、希宮さまは叔母の私から見ても、本当に可愛いです。目に入れても痛くないくらいです』
コッホ先生にドイツ語で答えると、
『増宮殿下は、皇孫殿下方の中で、どなたが一番お好きなのですか?』
彼はこんな質問を私に飛ばした。
『コッホ先生は、とても難しい質問をなさるんですね』
私はコッホ先生に苦笑いを向ける。『全員、大好きです。でも……強いて言えば、一番大切なのは迪宮さまですね』
その迪宮さまは、欅の太い枝に腰かけ、今度は遠くに視線を投げながら、
「いい景色だぁ!」
と歓声を上げている。この子が、“史実”では1945年、“耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す”という終戦の詔勅を出すことになるのだ。
(そんな辛いこと、迪宮さまには……ううん、お父様にも兄上にも、迪宮さまの子孫にも、将来の日本の国民にもさせられない。そんな辛い思いをさせないで済むように、私、出来ることをやらなきゃ……)
淳宮さまと一緒に無邪気に笑う迪宮さまを見上げながら、私は改めて決意したのだった。
『ところで、増宮殿下がご婚約なさった方は、一体どのような方なのですか?』
お茶を一口飲んだコッホ先生が、湯飲みを縁台に置くと私に尋ねた。
『8月9月と、日本の色々なところを旅しました。北は宇都宮、仙台、盛岡、西は静岡、名古屋、伊勢、奈良、京都、大阪、神戸、高松、広島……。どこへ行っても、あなたのご婚約の話題で持ちきりでした』
『旦那さま、私、そんなことは聞きたくありません』
コッホ先生の隣で、ヘドヴィッヒさんが不機嫌そうに言った。
『美しい騎士様は、どなたとも結婚なさってはならないのです。騎士様は純潔を保ち、御主君を守る存在として……』
何かを力説しようとしたヘドヴィッヒさんの口の動きが、突然止まった。鋭い匕首のような視線が、彼女に突き刺さったのだ。それを発したのが、私の斜め後ろに控えている我が臣下であることは明白だった。
『まぁまぁ』
コッホ先生は奥様をなだめると、
『しかし、地方で出会った皆さんは、“なぜ増宮殿下の婚約相手は竹田宮殿下ではないのか”と言っていました。確か、竹田宮殿下は、増宮殿下と同じ年で、独身なのですよね?』
と私に質問した。
『ええ』
『なぜ、彼ではなく、5歳年下の有栖川宮家の若宮殿下が、殿下のご婚約の相手になったのでしょうか?実は、これについては、我が皇帝陛下もご関心をお寄せになっておられます。“何故、増宮殿下のご婚約相手は有栖川宮家の若宮殿下になったのか、可能ならばドイツに戻る前に増宮殿下に聞いて参れ”と、ご親電をもって私にお命じになりまして……』
(はぁ?)
コッホ先生の言う“我が皇帝陛下”というのは、もちろんドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世のことである。日本とドイツの間に皇族の行き来があるたびに、私の写真を要求してくる彼だけれど、とうとう、日本を訪問している自国の医学者に、こんな命令を下すようになってしまったらしい。
「あの、大山さん……」
これは答えてしまっていいのだろうか、と尋ねようとした時、
「どうぞ、コッホ先生におっしゃってください」
大山さんは穏やかな微笑みとともに言った。
「ちょ、ちょっと、これ、話したら、皇帝に伝えられちゃうんだよ?それでもいいの?」
「ええ。もし直す方がよいところがありましたら、俺が訂正いたします」
「だったら、あなたが最初から話せばいいじゃない!あなた、谷保天満宮での一部始終だって、私から聞き出したよね。話すの、本当に恥ずかしかったのに!」
8月の初め、山田さんのお見舞いから戻った直後、大山さんに数時間にわたって質問攻めにされたことを思い出す。言葉の内容や相手の表情のみならず、私の気持ちや考えの細かい移り変わりに至るまで、大山さんは私を抱きしめたまま執拗に問いただしたのだった。
そして、私を質問攻めにして、失神寸前まで追い込んだ私の臣下は、
「これも増宮さまが立派な淑女になられるためのご修業でございます。どうぞ、若宮殿下との馴れ初めから、コッホ先生にお話しくださいませ」
穏やかな微笑みを崩さぬまま、主君に迫る。
(そんな理屈、絶対におかしいよ……)
猛抗議したいのだけれど、ここで抵抗すれば、後でまた彼が“ご教育”をしてくるのは目に見えている。観念した私は、
『私と彼が初めて出会ったのは、彼が本当に小さかった頃です……』
ドイツ語でコッホ先生に説明し始めた。
『もう10年以上前でしょうか。彼はまだ、小学校の2年生だった頃から、私にお正月、会いに来てくれていました。その頃から、彼のご両親に舞踏を習い始めたので、舞踏の練習の時に、彼と顔を合わせることもあったんです。私は彼のことを意識していなかったのですが、彼の方は……私を、将来の伴侶にしたいと思っていたようで……』
『ほう、そのように幼いころからですか』
『はい……』
頷くと、やはり身体に熱が回り始めたのに気が付いた。私は深呼吸をして心を落ち着かせると、再び口を開いた。
『それで……私も、彼を意識していたようなんです。2年前に、イギリスのコンノート公の来日歓迎晩餐会の席上で、私、倒れてしまったんですが、彼が、倒れた私を助けてくれて、その時に……』
『なるほど……確か、あなたはこの3月に、彼の虫垂炎の手術を執刀なさったと北里君から聞きましたが、辛くはありませんでしたか?』
『はい、とても心が乱れました。よく手術をやり果せることが出来たと、今となっては思います』
『しかし、増宮殿下はその試練に打ち勝ち、見事に若宮殿下の手術を成功させた。……そして、お2人が想い合われていることが分かって、ご婚約が決まったのでしょうか?』
『いえ、そうではなく……』
私は胸に手を当て、もう一度呼吸を整えた。ドイツ語がちゃんと出て来るか心配だけれど、怖い臣下が横で見張っているから、何とか説明を終えなければならない。
『彼が、自分の父親と、私の父に、私との結婚を直訴したのだそうです。それで、婚約が決まりました』
『その、婚約が決まった翌日ですか……あなたは若宮殿下と一緒に、自動車で出かけられたそうですが、その時に、若宮殿下から、何かあなたにお話はあったのですか?』
『“愛している”と……“あなたを苦しめるものから、あなたを一生涯守る”と……そう、言われました……』
顔を真っ赤にしながら、何とかドイツ語で言い終わった時、
『旦那さま、もうおやめになって!』
ヘドヴィッヒさんがヒステリックに叫んだ。
『どうしたんだ、ヘドヴィッヒ。とてもロマンティックではないか。若宮殿下は先月お誕生日があったと言うし、増宮殿下から若宮殿下に何かプレゼントなさったかどうか、これから質問して……』
コッホ先生がなだめるようにヘドヴィッヒさんに言うと、
『もう……もうこれ以上、美しい騎士様を汚さないでください!』
ヘドヴィッヒさんはコッホ先生に抱き付いた。
『騎士様が他人から守られてはいけないのです!純潔を保ち、常に御主君を守るのが騎士様!“明治牛若伝”の晶子さまだって、病気を治した白雪の君の求婚を、2週間前に発売された最新号で退けたではありませんか!』
『あ、あの、“明治牛若伝の2週間前の最新号”って……』
2週間前、ヘドヴィッヒさんはもちろん日本にいた。ということは、“2週間前の最新号”というのは、日本で発売されたものだ。彼女は日本語が読めないから、誰かがその最新号とやらをドイツ語に翻訳して、ヘドヴィッヒさんに渡したことになる。
(誰だ、余計なことをしやがったのは!後で大山さんに頼んで、訳した奴を見つけ出してぶん殴って……)
私が両目を吊り上げた時、
『主人からドクトル北里に頼んでもらったら、医科学研究所の研究員たちが手分けしてドイツ語に訳してくれたんです』
ヘドヴィッヒさんから、思わぬ答えが返ってきた。
(はい?!)
私は思わずよろめきかけた。医科研の所長以下、組織ぐるみの犯行……しかも、医科研の総裁はこの私である。これでは、北里先生以下を罰したら、私も責任を取って医科研の総裁を辞任しなければならない。
(し、仕方ない、今後、研究を頑張ってもらうことで、大目に見るしかないか……)
ため息をついた私の前で、
『とにかく!あなた様に男が愛を囁くなど、絶対にあってはならないのです!晶子さまと同じように、男を遠ざけ身を清くして……』
ヘドヴィッヒさんはいきり立っている。彼女の剣幕に、抱き付かれたままのコッホ先生もどうしていいか分からないようだ。
(これ、止めないと、絶対マズい……)
大山さんに相談しなければ、と思って、隣を振りむいたけれど、大山さんはそこにはおらず、いつの間にか、希宮さまと英宮さまと一緒にいる千夏さんのそばに立っている。そして、彼女と小声で話し合うと、大山さんはヘドヴィッヒさんに近づき、何事かを囁いた。
『何ですって?!そんなことが許されると……』
ヘドヴィッヒさんの顔がサッと青ざめた。そんなヘドヴィッヒさんに、大山さんは更に囁き続ける。すると、ヘドヴィッヒさんが今度は目を丸くした。どこかに動こうとするのを、大山さんが腕を出して制止し、更に彼女に小声で何かを言った。
『そうですね。あの方がそうおっしゃるならば、それが読者にとっては絶対です。私としては、全面的に従わなければなりません』
身体からすっかり怒気が消えたヘドヴィッヒさんは、よく分からないことを言いながら、しきりに頷いている。
「お、大山さん、あなた、ヘドヴィッヒさんに何をしたの?まさか、催眠術を掛けたとか、洗脳したとか……」
こちらにやって来た大山さんに、声を潜めて尋ねると、
「いえいえ、俺はただ、ご神託を伝えただけでございます」
彼もよく分からないことを私に言った。
「し、神託?」
キョトンとした私に、
『増宮殿下、申し訳ございませんでした。どうぞ、晶子さまと同じように、純愛を貫いてくださいませ!』
ヘドヴィッヒさんが更に意味不明な言葉を告げる。
(いや、あの……意味がさっぱり分からないんだけど……)
誰か、私に分かるように状況を説明してほしい。そう思った時、
「梨花さま、一度中座なさる方がよろしいのでは」
大山さんが私の耳元で囁いた。
「え?でも、そんなことをしたら、コッホ先生に失礼じゃ……」
すると、
「実は、つい先ほど、江田島から手紙が届きまして」
大山さんはそう言いながら、フロックコートの内ポケットから白い封筒を取り出した。封筒の表に書かれた宛名は私……間違いない、江田島の海兵士官学校にいる、栽仁殿下の筆跡だ。
「先月の若宮殿下のお誕生日に、贈り物をなさいましたね。そのお礼状ではないでしょうか」
「だね……」
栽仁殿下は、先月の22日、満21歳になった。栽仁殿下に何か贈り物をする方がよいだろうかと千夏さんに相談したところ、“是非贈るべきだ”と言われたので、文房具店で万年筆を買い、手紙と一緒に江田島に贈ったのだ。
「ここは俺が御不在を取り繕っておきますから、お手紙に目を通されてはいかがですか?」
大山さんはそう言うと、優しくて暖かい瞳を私に向ける。
「……わかった。じゃあ、居間で少し休む」
本当は、コッホ先生たちの相手をするべきところなのだろうけれど、好きな人の手紙を今すぐ読みたい、という誘惑には、どうしても勝てなかった。私は大山さんから栽仁殿下の手紙を受け取ると、そっと縁台から離れたのだった。




