青天の霹靂(2)
「は、はははは……何をおっしゃっているんですか、皆さん?」
思わず乾いた笑い声を漏らしてしまった直後、思考回路がちゃんとつながった私は、新聞記者たちの間違いを正しにかかった。
「あり得ないですよ。若宮殿下は私より5歳も年下ですから、年が釣り合いませんよ」
それゆえ、彼と私が結婚するなんてことは、万が一にもあり得ない。そう言葉を続けようとした矢先、
「しかし、我々、聞いたのですよ!有栖川宮の若宮殿下と増宮殿下のご婚約が内定したと!」
新聞記者たちは再度主張した。
「はぁ。誰からお聞きになったんですか?」
――よいですか、梨花さま。情報というものは、質が大事なのですよ。
いつだったか、大山さんが教えてくれたことがある。発信源は確かなのか、偏った内容の情報ではないのか……質の良い情報を得るためには、常にそれを意識して、入ってきた情報を一つ一つ吟味することが必要だ。日本の非公式諜報機関である中央情報院総裁という裏の顔を持つ我が臣下は、そのようなことを私に言った。まだまだ私は未熟だから、大山さんの教えを守れない場面も多いけれど、ここは絶対、彼の教えに従うべきところだろう。そう思って、発信源を確認してみたのだけれど、
「山縣閣下です」
記者たちからは、私の想定外の答えが返ってきた。
「11時前でしたか、山縣閣下が皇居から退出された際、涙を流しておられましたので、“いかがなさいましたか”と尋ねましたら、“増宮さまのご婚約がたった今内定した。お相手は有栖川宮の若宮殿下だ”とお答えになりまして……」
「はぁ?!」
情報のソースとしては、これ以上無いものである。
(た、たった今決まったって……そんなことあるか。事前に私に断りを……ってこの時代だから、娘に断りなしに、親が勝手に婚約を決めるのは普通にあることだけど……)
それにしても、同い年の竹田宮殿下ではなくて、5つも年下の栽仁殿下が私の婚約相手というのは、一体どういうことなのだろうか。
「殿下……殿下!」
突然、耳元で叫ばれて、私は我に返った。東條さんが真剣な表情で私を見つめている。
「殿下は榎戸さんとご一緒に、御用邸にお入りください!」
「え?」
とっさに反応出来ない私に代わって、
「確かに、その方がいいですね。この状況では、宮さまがコッホ先生のご案内をなされば、周囲が記者たちで混乱します。東條くん、たまには役に立つことを言うんですね」
千夏さんがこう答える。
「あ、あの、コッホ先生の案内は……」
ようやく思考が現実に追いついた私に、
「それは俺と北里先生で何とかします。殿下は御用邸にお戻りを!」
東條さんが力強く言った。
「さ、宮さま、お戻りを!」
私の右手を、千夏さんがものすごい力で引っ張る。
「ああ、増宮殿下!」
「お待ちを!」
新聞記者たちの叫び声を置き去りにして、千夏さんに引きずられた私の身体は、あっと言う間に御用邸の正門の中に入ったのだった。
「どういうことよ……」
ピッタリと閉じられた正門を前に、私が呆然としていると、
「おめでとうございます、宮さま!」
千夏さんが私に抱きついた。
「良かったではないですか!お相手は若宮殿下ですよ!」
「いや、それ、……本当なの?情報源はしっかりしていたけど、ニセの情報かもしれないし……」
「ニセの情報?山縣閣下がですか?!そうだとして、一体何のために!」
千夏さんの反論に、
「い、いや、ニセ情報って訳じゃなくて、記者が聞き間違えたかもしれないじゃない!私を昌子さまとか、栽仁殿下を竹田宮殿下とか!」
私は慌ててこう言い訳した。確かにそうだ。山縣さんが私の婚約に関してニセ情報を流したとしても、彼にとって得がある訳ではない。……どうやら、私は相当混乱しているようだ。
「お、落ち着いて、情報を精査しなきゃ……千夏さん、御用邸の電話を借りよう」
「はいです」
私は千夏さんと一緒に御用邸に入り、管理している職員さんにお願いして、玄関に近い小部屋にある電話機を借りた。
まず電話を入れたのは、青山御殿の別館だ。大山さんの執務机の上にあるホットラインなので、番号は限られた人間しか知らない。その番号を交換手に告げ、つながるのを待っていると、
「もしもし、金子でございます」
意外にも、電話に出たのは我が臣下ではなく、中央情報院副総裁で私の弟・輝仁さまの輔導主任も務めている金子堅太郎さんだった。
「あ、金子さん、章子です。突然電話してごめんなさい。そちらに大山さん、いますか?」
そう尋ねると、
「実は今、総裁は不在でして……」
金子さんは申し訳なさそうに答えた。
「え、じゃあ、本館にいるんですか?」
「いえ、宮内省です。11時ごろでしたか、会議を終えたところに、山縣閣下から呼び出しの電話が入りまして……。そのまま宮内省に向かわれて、まだ戻られておりません」
「そうですか……」
「それより、増宮さま、ご婚約のご内定、おめでとうございます。我々も正午前に、新聞記者から問い合わせがあって初めて知ったのですが、きっと大山閣下が山縣閣下に呼び出されたのは、ご内定についてのことでしょう……え?秋山君?」
金子さんの声が妙な具合に途切れる。何があったのか、判断できないでいると、
「増宮殿下っ!」
受話器から、金子さんではなく、中央情報院の職員・秋山真之さんの声が流れてきた。
「ご婚約のご内定、誠に、誠におめでとうございます!この秋山、非常に嬉しく思います!」
「あ、はぁ……」
「しかもお相手が有栖川宮の若宮殿下とは、非常に素晴らしいことです!お家柄はもちろんですが、士官学校での成績もご優秀で、お人柄も素晴らしく、まさに未来の国軍を背負ってお立ちになる人物であらせられます!ご優秀でお美しい増宮殿下にふさわしきご夫君となられることは間違いなく……」
私はそっと電話を切った。このまま、秋山さんの機関銃のような言葉を聞き続けていたら、私が欲しい情報が手に入らない。私はまた電話機のハンドルを回し、今度は宮内省の、大臣執務室の電話を呼び出した。もちろんこちらも、公表されていない電話番号である。
「増宮さま、有栖川宮の若宮殿下とのご婚約、誠に、誠におめでとうございます……」
すぐに電話に出た山縣さんは、開口一番、涙声で私にこう言った。
「そう言うってことは、山縣さん、婚約の話は本当なんですね?!私、鎌倉の御用邸を出ようとしたところでそれを聞いて、デマだろうと思ったから確認のために電話したんですけれど」
「何を仰せられますか!断じてデマではございません!」
山縣さんは涙声ながら、強い口調で私に否定した。
「だ、だってありえないじゃないですか。相手は、まだ学生だし……」
「増宮さま、増宮さまの時代ではどうなっているかは存じ上げませんが、この時代なら、双方が成年に達しておらずとも結婚の約束を交わすのは、ごく当たり前のことです。皇太子殿下と皇太子妃殿下のご婚約も、発表されたのは、皇太子殿下が御学問所に入られた御年14の時でございましたぞ」
「い、いや、それは知ってますし、兄上の婚約発表のことも覚えてますけれど!」
私は叫ぶように答えると、
「相手、私より5歳も年下なんですよ?!そんな婚約、世間一般の常識から外れてますって……」
少し声を抑えながらツッコミを入れた。
と、
「陛下のご意向に反する常識など、常識の皮を被った迷信でございます」
山縣さんが、とんでもないことを言い出した。
「そんな迷信は、陛下の御稜威の前に、粉々に砕け散るべきなのです。梨花会の総力をもって、世論を操作して……」
「ちょっと、山縣さん?!その思想、妙な方向に走ったら大変なことになりますから、今すぐ改めてください!」
「いいえ、改めません。陛下の御稜威は絶対でございますし……」
(ダメだ、こりゃ……)
私は電話を切った。妙なスイッチが入ってしまった山縣さんを説き伏せる力は、私には無い。とりあえず、放置した方が良さそうである。
(ってことは……ここに掛けるしかないのかな……)
この時代の電話は、私の時代のように自動では相手に繋がらない。電話機のハンドルを回すと、まず話すのは交換手さんだ。ハンドルを回して出た交換手さんに私が告げたのは、皇居の中にある侍従長室……徳大寺侍従長の机の上にある電話の番号だ。私と兄の他には、番号を知っている人間は5人もいないこの電話は、執務机の上に電話を置いていないお父様の、実質的なホットラインだった。……とはいえ、電話で話すのはお父様の意を受けた徳大寺さんで、お父様の声を電話で聞くことはないのだけれど。
「徳大寺でございます」
侍従長兼内大臣の徳大寺実則さんは、すぐに電話に出てくれた。
「章子でございます。突然電話して申し訳ありません」
目の前にお父様がいる訳ではないし、もちろん、直接話している訳でもない。けれど、自然と頭が下がった。
「確認したいことがありまして、電話を差し上げたのですが……」
「ああ、もしかすると、ご婚約のご内定……」
変なところで、徳大寺さんの言葉が途切れた。回線が切れてしまったのかと思ったけれど、どうもそうではないらしい。小さな雑音に混じって、人が話すような声が微かに聞こえる気もする。
「あのー、もしもし、徳大寺さん?聞こえますか?」
確認を入れた数瞬後、
「章子か」
突然、徳大寺さんではない声が、受話器から流れてきた。
「お、お父様?!」
私の叫び声に、
「うん」
お父様はゆったりと答え、
「絶対そなたが電話して来ると思っていた。徳大寺は“それは無い”と言っていたから、予測が外れた方が歌を5首詠むことにしたのだがな。朕を賭けに勝たせてくれて礼を言うぞ、章子」
と言った。
「はぁ、それはどうも……なんですけど、お父様!何で私、婚約だか結婚だかしないといけないんですか!皇族の平和のために、私は結婚しないで一生を過ごすんだと思っていましたよ!」
直接文句を言えるのなら、かえって都合がいい。とんでもない婚約を決めてしまった自分の父親に猛抗議を始めたところ、
「そなたは何を言っているのだ」
お父様は呆れたように言った。
「自分の娘が結婚して幸せになることを願って何が悪い。それに、皇族の平和とやら、我が娘の幸せより、価値は遥かに劣るぞ」
「あ……はぁ……」
上手い返し方が思い付かず、私はこう相槌を打つしかなかった。
「それにな、章子。そなたの夫は栽仁しかいないと、朕はずっと思っておった」
「ず、ずっとって……そんな、ここ数日で決まったことじゃ……」
すると、
「そうだな。あれが中等科の1年だった時だから、7年前の6月からだな」
受話器から、信じられない答えが返ってきた。
「はぁ?!ど、どういうことですか?!」
「将来どのような進路に進みたいのか、あれの父親と一緒に参内させて、試問したことがあってな」
完全に動揺してしまった私に、お父様は楽しそうに答えた。
「すると栽仁はな、“立派な海兵になって、姉宮さまをおそばでお守りしたいです”と、こう答えたのだ。威仁が目を丸くしておったなぁ」
「はぁ?!」
私は受話器を持ったまま、思わず仰け反ってしまった。そんな話は初耳だ。
「栽仁と同じ年頃の、成久や鳩彦たちにも、同じことを尋ねたがな、お前を守るとまで申した者はいなかった。だから、そなたの夫の第一候補は栽仁だと、ずっと朕は思っておったぞ」
「そんな……」
「早くそなたに告げたくてたまらなかったのだが、大山も伊藤も朕を止めてなぁ……。万が一、そなたに栽仁に嫁ぐように言った後で、栽仁が“史実”と同じように死んでしまったら、そなたが心に大きな痛手を負ってしまうと……。“病気など、章子が何とかするだろう”と言ったのだが、あの2人だけではなく、斎藤も高野も、他の梨花会の面々も必死に止めるゆえ、黙っておったのだ」
「じゃあ、なんで……なんで今、栽仁殿下と私が婚約するなんて言い始めたんですか?!」
私の問いに、
「今朝、栽仁が父親を連れて、朕のところに直談判しに来た。そなたを娶らせてくれとな」
お父様は信じ難い回答をした。
「はいぃ?!」
「一生涯そなたを守って必ず幸せにする、そう朕に言い切りおった。そこまで言われてしまっては、嫁にやらぬと言うことはできん。例え、手元で珠のように慈しみたいそなたであってもな。それゆえ、婚約を許したのだ。ああ、美子もここにいれば、電話に出させるのだが、今、慈恵医院の視察に行っていて……」
「あ、あの、お父様?」
「ん?」
「……軍の階級、私の方が栽仁殿下より上ですよね?女性の方が男性よりも地位が高いっていうのは、夫婦のあり方として正しくないと言う人たちだっていますから、私と彼が婚約っていうのは……」
「そんなもの、20年も経てば、栽仁がそなたに追いつくだろう。階級が高くなればなるほど、昇進に時間がかかるのだから」
「あ゛」
そういえばそうだ。私は今、軍医中尉だけれど、少尉から中尉になるまでに約3年かかった。次の階級は大尉だけれど、普通に勤務を続けていても、昇進には4、5年かかるだろう。お父様の言う通り、時間が経てば経つほど、私の昇進のスピードは落ちるから、20年あれば、栽仁殿下の階級は私に追いつくだろう。いや、ひょっとしたら、向こうが私を追い抜くかもしれない。
「で、ですけど、私、彼より年上ですし……」
年の差は、流石に年月の経過では埋められない。必死にツッコミを入れた私に、
「美子は朕より3つ年上だが?」
お父様はつまらなそうに言った。
「う、うにゃぁぁぁっ?!」
(そうだったぁーーーー!!!)
変な声で叫んでしまった私の右肩が、ポン、と優しく叩かれる。
(ふぇ?)
振り向いた私の視界に飛び込んだのは、
「こちらにいらっしゃいましたか、梨花さま」
山縣さんに呼び出され、宮内省に行っていたはずの大山さんだった。
午後2時20分。
「宮内省に参りましたら、梨花さまのご婚約が内定して、しかもそれを山縣さんが新聞記者たちに喋ってしまったと聞きまして、取るものも取り敢えず、鎌倉に参上致しました」
新橋に直通する列車。殆ど人のいない一等車の座席に、私と大山さんは並んで座っていた。
「新聞記者たちから婚約のことをお聞きになってしまったら、梨花さまはきっと激しく戸惑われて、コッホ先生の接待をなさる余裕がなくなると思いましたので。東條くんが、コッホ先生の接待を滞りなく進める手配をしてくれて良かったです」
大山さんは、穏やかな声でこう言った。
「新聞記者たちも追い払ってくれれば、もっと良かったのですが」
「……それは無理だよ。あなたじゃないんだから。あなたの追い払い方も大概だと思うけれど」
私はため息をつきながらツッコミを入れた。御用邸の正門を出て、大山さんと2人で鎌倉駅に向かおうとすると、正門前に屯していた新聞記者たちが、やはり私に殺到した。すると、私に付き従っていた大山さんが、フルパワーの殺気を新聞記者たちに向かって放ったので、彼らは蜘蛛の子を散らすように走って逃げたのだ。
――おや、意気地の無い連中ですな。この程度で、特ダネを掴む折角の機会をふいにするとは。
必死に逃げて行く新聞記者たちの後ろ姿を眺めながら、我が臣下はこう嘯いていたけれど……。ちなみに、千夏さんは、私が東京に戻ることをコッホ先生たちに伝えるために鶴岡八幡宮に向かったので、ここにいる私の関係者は大山さんだけだった。
と、
「申し訳ありませんでした、梨花さま」
大山さんが、私に向かって深く頭を下げた。
「どうして謝るの?」
純粋に、大山さんが私に謝罪する理由が分からなかったので尋ねると、
「結婚は、いつの時代であっても、人生の節目となる大事な出来事でありましょう」
彼は、こんなことを言い始めた。
「ですから、梨花さまには、きちんとした場所で、俺の口から、ご婚約のことをお伝えしたいと思っておりました。それがこのような、不意を打つようなやり方で伝わってしまい……」
「なるほどね……」
私は首を縦に振った。「それは確かに、その方が良かった。新聞記者の口から聞くなんて、思ってもいなかったから。……でもね、大山さん」
私は大山さんの目を真っ直ぐに見た。
「私は、自分の結婚や婚約の話なんて、一生聞くつもりはなかった。だって私は、兄上とお父様を守るために生きればそれでいいから」
すると、大山さんが寂しそうに私を見つめた。
「やはり、お忘れになってしまっておいでですね」
「え?」
「医術開業試験をお受けになると決めた時に、天皇陛下と皇后陛下に、こうお誓いになりましたね。“幸せな恋と結婚をあきらめない”と」
大山さんは微笑を私に向けた。
「お誓いになってから10年近くが経ち、様々な運命の悪戯で、梨花さまは軍人になられました。しかし、軍人が結婚で幸せになってはいけないという法は、この世のどこにもありません」
「私、今でも十分に幸せだよ、大山さん」
私はなるべく心を落ち着かせるよう努力しながら、大山さんに言った。
「仕事が充実してるから。この時代だと、女性の幸せは良い夫に仕えて家庭を守ることにあるって風潮が強いけれど、私の幸せは、仕事にある。それを否定されたくはないな」
「もちろん、否定はしておりません。ですが梨花さま、俺は梨花さまに、あらゆる幸せを味わっていただきたいのです。仕事でも、恋でも、結婚でも」
「し、仕事でも、恋でも、結婚でも幸せを、って、そんな、欲張りなこと……」
「おや、俺の大切な内親王殿下ですから、それぐらいは当然のことでございますよ」
「と、当然って……」
身体が一気に火照ってしまい、大山さんから目を逸らすと、彼は横から私の身体を抱きしめた。
「若宮殿下に、恋しておられるのでしょう?」
囁いた大山さんの声に、私は身体を強張らせた。
「え、あの、その……」
「恋した殿方のおそばにいるならば、仕事での幸せを全て諦めなくてはいけないという法はありません。もし、そんなものがあるのでしたら、俺が梨花さまのために、全て壊して差し上げます」
「い、いや、だから、大山さん、待って、なんで、私が、栽仁殿下に、恋してるって、決めつけるの……」
熱さでまとまらない思考をなだめながら、ようやく言葉を絞り出すと、
「決めつけるも何も……丸分かりでございますよ」
大山さんがクスッと笑った。
「は?!あなた、まさか千夏さんを脅して……いや、それか千夏さんと私のことを盗聴して……!」
「そのようなことをしなくても、梨花さまを見ていれば、若宮殿下に思いを寄せておられることは、手に取るように分かります。……昨年末の“利根”の進水式の際、若宮殿下のお姿を観客の中に見つけられて、ひどく動揺されておられましたね」
「?!」
思ってもみない言葉を投げられ、私は目を丸くした。確かにあの時、栽仁殿下と目が合ってしまって、慌てて視線を逸らしたけれど……。
「正月の剣道大会でも、若宮殿下が声援を送られたら、集中が途切れて新島どのに負けておられました。もっとも、あの隙だらけの状態なら、相手が新島どのでなく、迪宮さまであっても勝てたと思いますが」
「あ、あなた、あの試合、観てたの?!だって、広島に着くのは、大会が終わった直後になるって……!」
大山さんを睨みつけたけれど、彼は微笑みを崩すことはなく、優しくて暖かい瞳を、じっと私に向けている。
「棒倒しの際に若宮殿下を叱りつけられて、そのまま若宮殿下に会わずにご帰京されるのかと思っておりましたが、井上さんに電話を入れられた日に、江田島の若宮殿下を訪ねられたようですね。……さて、梨花さま、その時、若宮殿下とどんなことをお話になったのですか?大典太光世の行方とともに、問いたださなければなりませんね」
「ちょ……お、大山さん、そ、それは……」
「ふふ、列車が新橋に着くまで、時間はたっぷりございます。お心の丈、全て打ち明けていただきますよ。ご覚悟ください、梨花さま」
……こうして私は、ここ数年、栽仁殿下に抱いていた気持ちを、その変遷も含めて、父親代わりのような大切な臣下に話す羽目になったのだった。




