青天の霹靂(1)
1908(明治41)年7月31日金曜日、午前8時半。
「それでは千夏どの、東條君、増宮さまのことを頼みましたよ」
青山御殿の車寄せ。直立不動の体勢になっている千夏さんと東條さんに、大山さんは厳かに声を掛けた。その真剣な表情につられてか、
「はいです」
「精一杯、増宮殿下とともに、コッホ博士をもてなして参ります」
答えた千夏さんも東條さんも、緊張した顔になった。
「私も頑張るよ、大山さん。今日はコッホ先生を招待する側だもんね」
和装の私もニッコリ笑って、大山さんに頷く。今日はこれから、鎌倉の御用邸に移動して、コッホ先生夫妻を主賓とした昼食会を開催するのだ。コッホ先生夫妻の他に招待しているのは北里先生だけというこぢんまりとした昼食会だ。食事が終わったら、出席者たちと人力車に分乗して、鶴岡八幡宮に参拝することにしていた。
「荷物の中に、鎌倉観光の案内本も入れたから、それを見ながら鶴岡八幡宮の案内をするよ。浅草でも川崎大師でも同じようなことをやったから大丈夫。もし分からなかったら、北里先生にも助けてもらう」
そう言うと、
「是非、そうなさってください」
と言いながら、大山さんが私に近づいた。なんだろう、と思っていると、彼は私の耳元に口を寄せて、
「どうか、平常心をお保ちになりますように、梨花さま。俺が一緒に鎌倉に行けないのが、とても残念なのですが……」
と囁いた。大山さんは、今回の鎌倉行きには同行しない。いよいよ内部での革命が起こり始めたトルコ、そしてその周辺の諸国から入る情報を、中央情報院の副総裁の金子堅太郎さんと一緒に分析するためだ。トルコの革命は死傷者も無く進み、皇帝・アブデュルハミト2世が憲法の復活を宣言して議会選挙の準備が始まったそうだけれど、諸外国の余計な介入を防いでいかないと、バルカン半島の情勢がおかしくなる可能性もある。トルコにいる山田寅次郎さんなど、中央情報院の職員たちとともに、余計な戦争を招かないようにしなければならない。
「分かってる。私は私の仕事をするから、あなたもあなたの仕事をしてちょうだい」
私も小さな声で大山さんに返すと、「じゃあ、行ってくるね」とわざと大きな声で言い、馬車に乗り込んだ。
新橋駅に到着すると、待ち合わせていた医科研の所長・北里柴三郎先生と合流した。今日の移動は微行なので、東條さんに4人分の切符を買ってもらって一等車に乗り込むと、列車はすぐに南に向かって走り出した。
「コッホ先生の様子は時々見に行っておりましたが、医科研で行われている研究について、不審に思われる様子はありませんでした」
列車の中で鎌倉の案内本を読んでいた私に北里先生が小声で言ったのは、列車が川崎駅を過ぎ、千夏さんと東條さんが、私から少し離れた時だった。
「そうですか。それは良かったです。もちろん、これからも油断は禁物ですけれど」
案内本を閉じながら、囁くように言うと、
「総裁宮殿下のお心を煩わせることのないよう、今後も対応に努めます」
北里先生は私に軽く頭を下げた。
「それから、コッホ先生の体調はどうですか?」
ついでなので、もう一つ、気がかりだったことを尋ねると、
「今は元気でいらっしゃいます。歩行には全く問題ありません。発作も起こっていないようです」
北里先生はホッとしたように答えてくれた。
実は、コッホ先生、狭心症を患っているようなのだ。彼がアメリカを経由して日本に向かう途中、ハワイで静養期間を設けたのは、長い階段を上り下りすると、すぐに胸の痛みが生じたからだった。多少は軽くなったけれど、来日してからも症状は続いていたので、コッホ先生に過度な運動負荷を掛けないように、歓迎委員会の委員一同が、東京滞在中の見学ルートやスケジュールを調整したそうだ。
「本当に狭心症だったら、私の時代だったら色々と治療法があるけれど、コッホ先生を私の時代に連れて行くのは無理ですしね。煙草をやめてもらって、動脈硬化の危険因子を抑えるような食事療法と運動療法をしてもらうしかないですね。もちろん、発作に備えて、ニトログリセリンも持ってもらって」
「ええ」
北里先生は沈鬱な表情になった。「コッホ先生には、なるべく元気で長生きをしていただきたいですから」
「そうですね。私もそう思います」
私がこう答えた時、列車は大船駅に到着した。この列車は鎌倉には乗り入れないので、大船で乗り換えをしなければならない。私は慌てて座席から立ち上がった。
11時前に鎌倉駅のすぐそばにある御用邸に入ると、既にコッホ先生夫妻は到着していて、応接室でお茶を飲んで待っていた。
『お待たせして申し訳ありませんでした、コッホ先生』
ドイツ語で夫妻に謝罪すると、
『いえ、我々も、たった今到着したところです。ホテルから、ゆっくり歩いてまいりましたから』
コッホ先生はにこやかに答えてくれた。ところが、奥様のヘドヴィッヒさんは、私の姿を見るなり、少し不満そうな表情を顔に浮かべた。
(まずいな……私たちが遅く到着したから、怒ってるのかな)
彼女をどうなだめようか考えようとした時、
『殿下、今日は袴のない和服をお召しでいらっしゃるのですね』
ヘドヴィッヒさんはこう言って、軽くため息をついた。
『はい。今日は和食を召し上がっていただきますし、この後、鶴岡八幡宮にも参拝しますから、それに合わせて和装がよいかと思いまして』
私が今日着ているのは、白地に紫色の水玉を散らした和服だ。今日は数少ない、私主催のコッホ先生の歓迎行事なので、“好きな格好で行かせてもらいます”と言って、和服を着ることにしたのだ。それまでの歓迎行事で、歓迎委員会の先生方の指定で、通常礼装やら軍装やら、ずっと洋服を着ていたから、こちらの方がかえってコッホ先生に受けるだろうという目論見もあった。
すると、
『そうですか。残念でしたわ。サムライのようなお姿を拝見できると思っておりましたのに』
ヘドヴィッヒさんはこんなことを言った。
『女袴を付けて、髪型もシニヨンではなくて、この国の女学生の間で流行している“ポニーテール”という髪型になされば、本当に美しいサムライにおなりになれますわ。“明治牛若伝”の主人公そっくりな殿下のお姿、拝見しとうございました』
(は?!)
『あの、ヘドヴィッヒさま、その本、どうやってお読みになりましたの?』
流石に来日して2か月足らずで、日本語の小説が読めるようになるとは思えない。不審に思って問いただすと、
『ドイツで、ドイツ語に翻訳されたものを読みましたの』
ヘドヴィッヒさんから、とんでもない答えが返ってきた。
『昨年の秋から、日本での連載が中断していたそうですね。でも、来月発行の号から連載が再開されるらしいとホテルの職員から聞きました』
(誰だよ、あの小説を翻訳しやがったのは!)
私は右の拳を握り締めた。どう考えても私をモデルにしているとしか思えない主人公が出て来る“明治牛若伝”、とうとう海外にも進出してしまったらしい。
「おのれ、尾山紅梅……翻訳者ともどもぶん殴って、“明治牛若伝”を発禁処分に……」
「で、殿下、どうかお怒りをお鎮めに……!」
横からの東條さんの声に我に返って周囲を見渡すと、東條さんの顔は引きつっていた。千夏さんも血の気が引いたような表情をしている。どうやら、怒りをあらわにし過ぎたらしい。私は、一つ咳ばらいをするとヘドヴィッヒさんに柔らかい笑顔を向け、
『失礼いたしました。正確な日本文化を紹介しなくてはならないと思って、つい頭に血が上ってしまって』
とドイツ語で謝罪した。
御用邸の食堂に移って、昼食会を始める。コッホ先生の食事療法のことも考え、塩分と脂肪分を控えめに、と御用邸の料理人さんたちにあらかじめ頼んでおいたメニューは、どれもとても美味しかった。食事中は、コッホ先生夫妻がこの1か月で巡った神社仏閣の話や、鎌倉近辺の名勝の話で盛り上がり、医学の話題は殆ど出なかった。
昼食会が終わったのは午後0時半ごろだ。人力車が御用邸の門前に着くまで、着物を直しながら待っていると、
「宮さま、ちょっとよろしいでしょうか」
千夏さんが私に声を掛けた。
「御用邸の門前に、新聞記者が集まっているようでして……」
「新聞記者が?」
私は庭に面した障子を、少しだけ開ける。庭の向こう側には御用邸の正門が見えるのだけれど、確かに、正門前の道に、新聞記者らしき人が数名立っていた。この御用邸に入るときには、新聞記者は全くいなかったのだけれど。
「宮さま、新聞記者を追い払いましょうか?」
「別にいいんじゃないかな?」
千夏さんの提案に、私はこう答えた。「私が鎌倉に来るのが珍しいから、取材に来たんじゃないかな。いつもみたいに黙って写真を撮られとけばいいだけよ。放っておきましょ」
先月の、コッホ先生夫妻の歓迎行事が立て続けにあった時もそうだったけれど、新聞記者は結構な頻度で、私の取材にやって来る。取材、というよりは、私の写真を撮りにやって来るという方が正確で、記者たちは私や職員たちには一切質問せずに私の写真を撮り、後日、“式場にご臨席の章子内親王殿下”などというタイトルとともに、その写真を掲載するのである。“黙って撮られてくださいませ。皇室に対する国民の崇敬を高めることにつながりますから”と大山さんに言われているので、記者たちの写真撮影は拒否しないことにしていた。
「それもそうですね。では、放っておきます」
千夏さんは納得したように頷くと、私のそばを離れていった。
人力車は2、3分も経たないうちに御用邸の門前に到着した。昼食会の参加者たちを私が人力車まで案内したところで、
「増宮殿下!」
新聞記者の1人が私に声を掛けた。何度か見たことのある顔である。
新聞記者が私に声を掛けるのは珍しいので、
「なんでしょうか?」
と尋ねると、
「ご婚約のご内定、誠におめでとうございます!」
……新聞記者の口から、信じられない言葉が飛び出した。
「……千夏さん、そんな話、聞いたことある?」
乳母子に尋ねると、彼女は首を左右に勢いよく振った。
「だよねぇ……あ、昌子さまの婚約が内定したってことかしら」
小さい声で一番上の妹の名前を挙げたつもりだったのだけれど、新聞記者たちの耳に届いてしまったらしく、
「違います!増宮殿下のご婚約ですよ!」
……こんな声が返ってきた。
「はぁ?」
(私の婚約だぁ?)
私は思いっきり顔をしかめた。私が婚約するなど、100%あり得ない。未婚の皇族男子の中で、私と年が釣り合うのは、私と同い年の竹田宮恒久王殿下だけれど、小さいころに戦ごっこで叩きのめして以来、彼は私に完全に怯えてしまっている。向こうから私を妻に望むことはまず無いと言っていい。
(あ、でも、お父様が勅命を下しちゃったら、竹田宮殿下でも、私との結婚は断れないか……そういうことか)
私は無理やり納得した。かわいそうに、竹田宮殿下は、自分が大嫌いな人間を妻にすることになってしまった。とりあえず、結婚早々別居して、夫婦別々の人生を送るのが、お互いにとって幸せな道である。
「で、相手は竹田宮殿下ですよね?」
ざっと未来予想図を頭の中に描いた私が、確認するように新聞記者たちに問いかけると、
「違いますよ!」
先ほどとは違う新聞記者が言った。
「有栖川宮の若宮殿下です!有栖川宮の若宮殿下と、増宮殿下のご婚約のご内定なんですよ!」
「……………………は?」
自分の耳を疑う言葉に、私の思考は一瞬停止した。




