ロリコンなのか、爺バカか
1907(明治40)年11月24日日曜日午後2時、広島市上流川町にある泉邸。
「……」
泉邸の庭園内にある茶室・清風館で、私は無言でお茶を点てていた。今日はお母様からいただいた反物で、母が縫ってくれた和服を着ている。薄い朱色の地に、流水とその上に浮かんだ菊の花という模様は、お母様が“秋らしい物を”と言って選んでくれたものである。
茶室の中には、私の他に2人の男性が正座している。
1人は、前外務大臣で立憲自由党の総裁でもある陸奥さん。
その隣に座っているのは、前厚生大臣で、立憲自由党に所属している衆議院議員の原さんである。
私が点てて出したお茶を、陸奥さんも原さんも黙って飲み干す。“今日は堅苦しい作法は抜きで”と初めに2人にはお願いしたけれど、“しぐさが美しくない”とか、何か私にいちゃもんを付けるつもりだろうか。
(いや、ここでうろたえたらいけない。あくまで堂々としてなきゃ……)
そう思ったので、悠然と構えていると、
「手強くなられましたね、殿下は」
陸奥さんが薄く笑った。
「僕と原君に、付け入るスキを与えないとは。広島に移られてから、何か特別な訓練をなさいましたか?」
「朝に早起きして、竹刀の素振りはしていますけれど、それ以外には特に……ああ、もしかして、これは関係あるかしら」
「どうした?」
尋ね返した原さんに、
「毎日広島城の天守閣が見られること」
と答えると、陸奥さんが吹き出した。
「相変わらずだな、主治医どのは」
原さんはあきれ顔になり、ため息をつく。
「勝手に言ってなさい。本当は、毎日でも中に入って見学したいくらいなんです。今日だってお休みだから、お昼ご飯を食べたら天守閣に行く予定にしていたのに、あなたたちが来るって言うから……大体、あなたたちが何で広島にいるんですか」
「申し上げたでしょう、立憲自由党の中国地方大会を広島で開催したからだと」
「それは知ってます。昨日来た西園寺さんにも同じことを言われました」
陸奥さんの返答に、私はムスッとした。「私が聞きたいのは、何でこの時期に地方大会をやることにしたのか、ということで……」
すると、
「それは、原君に答えてもらいましょう」
陸奥さんは傍らにいる原さんをチラッと見やった。
「なぜわたしが答えなければならないのですか、先生」
渋い表情をする原さんに、
「だって、熊本と、この広島で地方大会を開催しようというのは、殿下の広島ご転勤が決まった直後に、君が提案したことじゃないか」
陸奥さんはこう指摘して微笑する。
「先生、九州と中国地方での党大会開催は、元から要望があったことです。それに、我々が次の衆議院議員選挙で与党に返り咲くためには、地方の有権者たちに我々の政策を知ってもらわなければなりません。主治医どのの時代のように、通信機器が発展していないのですから、地方に我々の訴えを届けるためには、我々自身が地方に出向く他はないのですよ」
「……と言っているが、君は嬉々として党大会の準備を進めていたね」
原さんの必死の反論に、陸奥さんはニヤニヤしながら返す。「素直に言ったらどうだい?殿下にお目にかかりたかったから、党大会を開催したのだと」
「そ、そうではなく、……わたしはただ、山縣と大隈が悔しがる顔が見たかっただけです。宮内大臣と文部大臣ならば、よほどの用が無い限り、東京を離れる訳にはいきませんからね」
「ふーん、殿下にお目にかかりたかったことは否定しないのだね。それは気付かなくてすまなかった。気付いていれば、一緒に泉邸に参上しようとは誘わなかったよ。昨日の西園寺さんのように、殿下とは2人きりで会いたかっただろうしね」
「そ、そんなことは……!」
頬を少し赤く染めた原さんは、陸奥さんから目を逸らしながら答える。そんな2人のやり取りを眺めながら、
(一緒でもバラバラでも、こっちはあなたたちに来られると困るのよ……)
私は盛大にため息をついた。
広島に転勤した私のところには、月1度、医科学研究所所長の北里先生が、医科研の現状を報告しにやって来る。それとは別に、梨花会の面々が、1か月から2か月に1度、私に国政や経済、外交のことなどを講義しにやって来ることになった。そして、その第1陣として、野党・立憲自由党に属する陸奥さん・原さん・西園寺さんが、一昨日広島で行われた立憲自由党の中国地方大会に合わせて広島入りしたという訳である。
「……で、お2人とも、何かお話ししたいことは?昨日も西園寺さんが来て、たくさん話して帰りましたから、手短にお願いします。今日はうちの料理人さんたちに疲れて欲しくないから、食事をして帰るのはご遠慮くださいね」
ちなみに、西園寺さんは“増宮さまがきちんとしたものを召し上がっているかどうか、この五感で確認する”と言い張り、夕食も食べて帰った。食通として知られる西園寺さんがお客様なので、料理人さんたちは普段以上の緊張を強いられてしまったようで、西園寺さんが帰った後、彼らはへたり込んでしまっていた。……ちなみに、西園寺さんの講評は、“流石は増宮さまに仕えている料理人ですね”という誉め言葉らしきものであったことは、料理人さんたちの名誉のために付け加えておく。
「主治医どのをたっぷりいじめたいのは山々なのだが、わたしたちも広島の支持者たちとの懇親会に出席しなければならなくてな。心配しなくても、夕方にはここを出て行ってやる」
原さんは私にこう言った。相変わらずの偉そうな態度である。
「そういうことにしておこうか」
陸奥さんがクスクス笑う。「原君をいじるのも楽しそうだけれど、それは帰りの汽車の中でも出来る。まずは殿下を議論でいたぶって差し上げる方からだね。それじゃ、早速取り掛かるとしようか」
「お手柔らかにお願いしますね……」
まるで、悪魔がプレーボールのホイッスルを吹いたかのような心地がする。この後の展開に思いを馳せた私は、またため息をついたのだった。
「しかし先生」
原さんがそう言いながら、両腕を組んだ。「殿下をいたぶるのに、適切な題材がありますか?昨日、西園寺さんは内政のことについて殿下に問いを試みたということ。では我々は外交を……と言っても、朝鮮の行く末は、ほぼ決まってしまったようなもの。“史実”で伊藤さんを暗殺した犯人の名前を、わたしも斎藤さんも高野も思い出せない、というのが気がかりではありますが……主治医どのも、まだ思い出せないのだろう?」
「ええ。ただ、それ、この時の流れで問題になりますかね?日本は朝鮮から手を引いたから、朝鮮に恨まれる道理はないし」
私が原さんにこう答えた時、
「原君、題材はあるじゃないか。ヨーロッパだよ」
と陸奥さんが言い出した。
「ポルトガルですか?しかし、ポルトガルの情勢を見るに、共和主義者と王政派の争いは激化しています。我々が手を伸ばしても、“史実”であった国王暗殺を阻止するぐらいがせいぜいで、共和化への流れは止められないかと……」
反論する原さんに、
「バルカン半島だよ。ボスニア・ヘルツェコビナさ」
陸奥さんは答えると、そばに置いてあったカバンを開く。そして、
「さて、この写真に見覚えはありませんか、殿下?」
と言って、一枚の写真を私の前に置いた。
写真に写っているのは、何かの絵のようだ。ところどころに、“オーストリア”や“オスマン帝国”という文字が入っている。しかも、私の字でだ。間違いない、これは……。
「こ、これ、私が何年か前の梨花会で兄上に描かされた、バルカン半島の地図じゃないですか!」
私は思わず腰を浮かせた。
「なんで写真に残ってるんですか!しかもあの時、陸奥さん、この地図をさんざんこき下ろしてましたよね?!」
極東戦争が起こる前年だっただろうか。中央情報院の明石さんがセルビアに潜入して、セルビア国王の暗殺を阻止した。そして、国王暗殺を企んだセルビア国内の過激派と、彼らと別に王位簒奪を狙っていた王妃一派を一掃したのだけれど、その報告が梨花会でなされた際、私は兄の命令でこの下手くそな地図を黒板に描いた。“海岸線や国の面積が滅茶苦茶”だの、“イタリアが無い”だの、当時外務大臣だった陸奥さんにツッコミを入れられた記憶がある。そんな地図が、なぜ写真に撮られているのだろうか。
「なかなか、味のある地図でしたからね。ご出席の皆様方の要望もありましたから、殿下が帰られた後、写真に残したのですよ。確か、陛下の御手許にもあるはずです」
私の猛抗議に、陸奥さんは落ち着き払ってこう応じた。
「人の黒歴史を残さないでほしいんだけどなぁ……」
頭を抱えた私に、
「ふふ、流石先生。ここでこの写真をお使いになるとは」
原さんの得意げな声が容赦なく浴びせられる。
「さて、殿下の“黒歴史”とやらを掘り起こしたところで、本題に入りましょう。現在、ボスニア・ヘルツェコビナは、実質的にはオーストリアが支配していますが、名目上、オスマン帝国の領土となっています。その地域が“史実”では来年、オーストリアによって“併合した”と宣言されます。オスマン帝国で革命が発生して、帝国内部が混乱しているのに乗じてね。原君と麒麟児君によると、“史実”ではこの併合にセルビアが猛反発し、あわや戦争が始まるか、というところまで情勢が緊迫したそうですが……」
歌い上げるようにスラスラと説明した陸奥さんは、ここで言葉を一度切ると、「そこで、殿下に質問いたしましょう」と早速私に言った。
「殿下なら、この地域を平和の裡に保たせるために、どんな手を打たれますか?」
「また難しい質問をしますね、陸奥さんは……」
私はため息をついた。「まぁ、一番いいのは、オーストリアにボスニア・ヘルツェコビナの併合を宣言させないことでしょうけれど……」
「ほう。では、説明してもらおうか、主治医どの」
原さんは相変わらず偉そうな態度で、私に回答を催促する。ため息を連発したいのをこらえて、
「まず、セルビアに関して言えば、国王暗殺を明石さんが阻止した影響で、国内情勢はだいぶ変わっています」
私は心を落ち着かせながら答え始めた。
「セルビアはオーストリアと融和的な政策を取りながら、国内の発展に力を入れています。過激派も明石さんが文字通り一掃したから、ボスニア・ヘルツェコビナがオーストリアに名実ともに併合されてしまっても、反発は“史実”よりは少なくなると思います」
「その通りですね。鉱産資源の開発と工業化で国家財政を再建しつつあるセルビアでは、国民・軍人・官僚ともに、今の最大の関心事は、国内の産業発展にあります。かつての過激派によって唱えられそうなボスニア・ヘルツェコビナをセルビアに併合せよ、という領土拡大論は鳴りを潜めています」
陸奥さんは軽く頷くと、「他の観点からはどうですか?」と私にまた尋ねる。
「他の観点……というと、オスマン帝国ですかね。確かに、オスマン帝国では、皇帝の専制政治が国の発展を妨げている印象があります。政治体制は変えていくべきですけれど、国中を混乱に陥れるような変更の仕方ではいけない。より穏やかに変えられれば、オーストリアに付け入るスキを与えることはないでしょう」
「そちらは、山田寅次郎君が頑張っていますね。エルトゥールル号遭難の義捐金をオスマン帝国に持参してから15年……彼は本当によくやっています」
山田寅次郎さんは、中央情報院の対トルコ責任者である。“史実”でも日本とトルコの交流に尽くした彼だけれど、この時の流れでは更に重要な役割を担っていた。
「それから、ロシアやドイツ、イギリスやフランスやイタリアあたりに、“余計なことをするな”とオーストリアに釘を刺させる、っていう手もあるでしょうか?」
「上手く出来れば、その手も有効だな」
原さんが頷く。「バルカン半島における各勢力の均衡が崩れないように配慮しなければならないが、大山閣下と明石なら可能だろう」
「あとは、そうですね……名実ともにボスニア・ヘルツェコビナを併合する、という考えを、オーストリアが持たないのが一番ですけれど、そんなことが出来ますかねぇ……」
私が考え込むと、
「何、簡単なことです」
陸奥さんは微笑して、
「殿下、もう一度お茶を点てていただけますか。喉が渇いたので、お代わりを所望いたします」
と言った。確かに、陸奥さんの茶碗が空になっている。
「ああ、ごめんなさい。すぐにやります」
私は次の間に出してあった茶道具から、別の茶碗を持ってくると、またお茶を点て始めた。手に意識を集中させていると、突然、カメラのシャッターを切る音が響く。驚いた私は、手の動きを止めてしまった。
「ふむ。真剣で、どこか物憂げな……よい表情ですね」
いつの間にか、陸奥さんは両手でカメラを支えていた。国産の携帯用カメラで、分厚い辞書ぐらいの大きさがある。もちろん、私の時代のカメラよりはだいぶ大きい。
「な……なんで、陸奥さんがカメラを持ってるんですか?!」
「もちろん、孫の小次郎と麟太郎の可愛らしい表情を、未来永劫残しておくためですよ」
カメラを下ろした陸奥さんが力強く答えた。「そのために購入したカメラで、殿下のお写真を撮らせていただいたという訳です。“ボスニア・ヘルツェコビナをオーストリアが併合するという動きを憂慮する増宮殿下”という新聞記事を作って、この写真とともにオーストリアの新聞に掲載すれば、オーストリアのフランツ殿下は、きっとボスニア・ヘルツェコビナ併合を断念するよう、皇帝陛下に進言するでしょう」
(はい?!)
オーストリアのフランツ・フェルディナント殿下は、“史実”とは違って、自分の家柄にふさわしい女性と結婚し、2人の男の子の父親になっている。それもあり、彼は正式にオーストリアの皇太子となったそうだけれど……。
「女性の写真に心動かされて政治姿勢にまで影響を及ぼすって、それ、色々と問題がありますよ……」
畳に突っ伏すのを辛うじて堪えながら陸奥さんにツッコミを入れると、
「もちろんそうですね。僕たちも心しなければなりません。しかし、僕たちには殿下と希宮殿下がいらっしゃる。それに僕には小次郎と麟太郎がいますから、例え絶世の美女が目の前に現れても、心動かされはしませんよ」
陸奥さんは落ち着き払って、聞き捨てならない返答をした。
「待ってください、陸奥さん。なんで希宮さまが出て来るんですか?」
困惑しながらも聞き返すと、
「もちろん、小次郎と麟太郎に負けず劣らず、愛らしくて美しいからですよ」
……陸奥さんは断言した。
「い、いや、確かに、小次郎君も麟太郎君も可愛いし、希宮さまも、叔母の私の贔屓目抜きにしても、本当に可愛いですけど……」
この4月に満3歳になった兄夫婦の愛娘の姿を思い浮かべながら反論しようとすると、
「今、皇孫御殿には、梨花会の面々が代わる代わる訪れているぞ。高橋さんと牧野さん、それに斎藤さんと高野は全く行かないがな。通い詰めている連中曰く、“増宮殿下に会えぬ悲しみを、希宮殿下で癒している”ということだが……、無理は無い。かつての主治医どののように、希宮殿下は愛らしく美しいからな」
原さんがこんなことを言い、私は畳に突っ伏した。
(こ、このロリコンどもめ……いや、ロリコンじゃなくて、爺バカ?)
非常に理解に苦しむ。もし、後世の歴史家が梨花会のことを知ったら、“幼女を愛でる変態集団”と断言してしまうだろう。
「日本を代表する超一流の人物たちが、一体何をやっているんですか……」
畳に突っ伏したまま、私が力なく呟くと、
「何をおっしゃっているのです。美しいものを愛でることは、明日への活力を生むのです。風景や草花、そして動物や人……ありとあらゆるところに美は潜んでいます。それを見つけ出して愛でることは、人の生活を豊かにしてくれるのです」
陸奥さんは自信たっぷりに私に返した。
(いや、騙されない。名言っぽく言ってるけど、私は絶対に騙されないぞ……)
何か、反論の糸口はあるだろうか。頭をフル回転させようとしたところに、
「という訳で、殿下に小次郎と麟太郎の写真をご覧いただきましょう」
カバンからアルバムを取り出した陸奥さんが、実に嬉しそうに言った。
「本当は、2人とも連れてきたかったのですが、小次郎はこの9月から幼稚園に通っていますし、麟太郎はまだ列車での長旅に耐えられない。そこで、2人の成長ぶりを撮影して、殿下にご覧いただこうと思い立ったのですよ」
「い、いや、確かに、小次郎君も麟太郎君も、陸奥さんに似てイケメンですけど……」
何とか身体を起こした私の目に、可愛い子供の写真が飛び込んでくる。縁側で遊んでいる4歳の小次郎君と、もうすぐ2歳になる麟太郎君だ。
「さぁ殿下、うちの小次郎と麟太郎の写真で、どうぞ存分に心を癒してください」
「あの、陸奥さん……」
「すまんな、主治医どの。……だが、この小次郎どのは、満4歳ながらとても凛々しいだろう?」
陸奥さんを止めてくれるのかと思ったら、原さんも横からこんなことを言う。その口調は、なぜだかとても嬉しそうだ。
……それからたっぷり3時間、陸奥さんは小次郎君と麟太郎君の写真を私に見せながら、2人の愛らしさと美しさについて力説し、孫自慢を長時間浴びせられてぐったりした私は、広島城の天守閣を見学する時間を失ってしまったのだった。




