能楽堂
1907(明治40)年6月8日土曜日午後3時30分、皇居内の会議室。
「増宮さま」
兄と私が参加して開催される月1度の梨花会が終わり、お父様とお母様が会議室から去った直後、梨花会に参加していた有栖川宮威仁親王殿下が私を呼んだ。
「何でしょうか、大兄さま?」
私が尋ねると、
「来週の13日は、何かご予定がおありですか?」
威仁親王殿下はこう質問してきた。バッグからスケジュール帳を出してページをめくると、言われた日には国軍病院の勤務も、帝大病院の勤務も入っていなかった。
「仕事はお休みで、特に予定も入っていませんね」
「それは良かった」
微笑した威仁親王殿下は、
「能楽の会にいらっしゃいませんか?」
という、私が思ってもいなかった質問を投げてきた。
「舞踏の練習じゃなくて、能楽の会ですか?」
「ええ。各宮家の持ち回りで、数か月に1度、靖国神社の能楽堂で能楽の会を開いているのですよ。今回は私が主催の番でしてね。増宮さまにも、ぜひおいでいただきたいのですよ」
「それはありがたいんですけど、私の他には、どなたがいらっしゃる予定ですか?もしかして、主だった皇族の方は全員招待されています?」
首を傾げながら尋ねると、
「おや、ご心配なことがおありですか」
威仁親王殿下が不思議そうな顔をした。
「いや、私が招かれたって知ったら、逃げ出すお客様が出るんじゃないかって……」
私は親王殿下に正直に答えた。皇族や華族の男性の中には、私を怖がっている人たちがいる。皇族だと、竹田宮家の恒久王殿下、伏見宮家の跡継ぎである邦芳王殿下、久邇宮家のご当主の邦彦王殿下、梨本宮家のご当主の守正王殿下、そして北白川宮家のご当主の能久親王殿下の5人だ。皇居でのご神事に私が参列すると、彼らが私に見つからないように身を小さくしているのがよくわかるのだ。
(もし私が能楽の会に招かれてるって知ったら、あの人たち、絶対逃げ出すなぁ……)
そう思っていると、
「そんな奴らのことは無視しろ、梨花」
威仁親王殿下の横から、兄が不機嫌そうに言った。「あんな臆病者たちのことなど、お前が気に病まなくてもよいのだ。お前は義兄上の招きに応じて、能楽の会に行けばいい」
「ええ。そんな方々のことより、増宮さまが広島に赴任されるまでに、芸術に心を寄せていただく機会を少しでも増やす方が、私にとっては大切ですからね」
「ちなみに、俺と節子は行くぞ。お母様もお出ましになるはずだ」
口々に言う兄と威仁親王殿下に、
「じゃあ、遠慮なく参加させていただきます」
と答えて、私は隣に立っている大山さんの顔を覗き込んだ。
「もちろんよろしゅうございますよ、梨花さま。そのつもりでこちらも準備をさせていただきます」
私が確認の言葉を口にする前に、非常に有能で経験豊富な我が臣下はこう言って一礼した。
「ところで大兄さま。他にはどなたが出席する予定ですか?」
親王殿下に私が更に尋ねると、
「私の知り合いの華族を何人か」
と彼は答えた。「三条どのもお招きしたかったのですが、議会の関係の会合があってお出でになるのが難しいということでした。しかし、慶喜どのは来る予定ですよ」
「ああ、ケイキさんも来るのですか」
親王殿下の答えを聞いた兄が、嬉しそうに頷いた。勝先生の臨終の床で、初めて対面してから6年。兄とケイキさん……徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜さんは、毎年冬に一緒に狩猟に出かける、よき狩猟仲間になっていた。
「それから、皇后陛下が何人か人を連れていらっしゃるそうです」
「わかりました。では大兄さま、13日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします、増宮さま」
私と威仁親王殿下は、お互いお辞儀をし合ったのだった。
1907(明治40)年6月13日木曜日午前10時25分、靖国神社境内にある能楽堂。
「やっぱり、能久親王殿下は来てないわねぇ」
「久邇宮と梨本宮もだ。軍の勤務があるゆえ欠席する、ということだったが、本当かな」
能楽堂の入口に並んで立っている私と兄は、私たちと同じように入口の両サイドに並んで立っている人たちに視線を走らせながら小声で言い合った。今日の能楽の会の主賓は兄夫婦ではなく、お母様である。お母様を出迎えるため、威仁親王殿下に招かれた皇族方や華族たち、そして今日の能楽の出演者たちは、お母様の到着を待ち受けているのだ。私と兄も、当然その列に加わっていた。
「増宮さまが見られないなんて、かわいそうな殿方ねぇ」
「本当ですね、慰子さま。章子お姉さま、こんなにお奇麗なのに」
兄の隣で、威仁親王殿下の奥様の慰子妃殿下と節子さまが、クスクス笑っている。空色の通常礼装を着た私は、「どうもありがとう、節子さま」と小さな声でお礼を言った。能楽の会だから、和装でもいいかと思っていたのだけれど、西洋かぶれの我が臣下に「洋装で御成りになるべき」と押し切られてしまったのだ。
「艦隊勤務中の東伏見宮さまと華頂宮さま、それから、増宮さまが結核を治療しておいでの山階宮さまは仕方ありませんが、私からの招きがあると言えば、軍隊の休みなど簡単に取れるのに……」
今日の能楽の会の主催者である威仁親王殿下が苦笑する。男性の成年皇族の出席者が少ないのは、間違いなく私のせいなので、威仁親王殿下に謝ろうと思った瞬間、兄がじっと私を見つめているのに気が付いた。
「あの、兄上?」
兄と視線を合わせると、
「……お前、義兄上に謝る必要はないのだぞ」
兄は真剣な表情で私に言った。
「意気地なしのあいつらが悪いのだ。土曜日にも言ったが、お前が気に病む必要は全くない」
「いや、それは納得するけどさ」
私は小さな声で兄に言い返す。「大兄さまが他の皇族と仲が悪くなったら申し訳ないなと思って」
「それこそお前が気に病むことではない。義兄上の問題だ」
「だけどさぁ……」
更に反論しようとした私の耳に、「皇后陛下、ご到着でございます!」という能楽堂の職員さんの大声が届く。私は慌てて頭を下げた。そのままじっとしていると、何台かの馬車が停まる音がして、優しい気配が私に近づいてきた。
「まぁ、増宮さん!いらしてくれたんですね!」
優しくて穏やかな声が、私の頭上から降って来る。少しだけ頭を上げると、若草色の通常礼装を着たお母様の笑顔が目に飛び込んできた。
「はい、有栖川宮さまからお招きいただきましたので」
親しい人だけがいる場なら、いつものように“大兄さま”と呼ぶのだけれど、この場には、お母様付きの女官さんたちをはじめ、余り交流のない皇族や華族も多数いる。だから威仁親王殿下のことを、私は“有栖川宮さま”と呼んだ。
「そうですか。一緒に能を楽しみましょうね、増宮さん」
「はい、お母様」
私が微笑すると、お母様は満足げに頷き、奥に向かって歩き始める。お母様と話せたのが嬉しくて、高揚した私の首筋に、突然、冷たい氷の刃のような視線が突き刺さった。
「ほう、増宮殿下がいらしているとは」
少ししわがれた声が耳朶を打つ。恐る恐る、声が聞こえた方を向くと、濃紫の袿に紅の切袴を付けた老女が立っていて、私に鋭い目を向けている。お父様の実の母、つまり、私と兄の実の祖母である、一位局こと、中山慶子さんである。
「今日は、軍装ではないのですか」
「ええ。軍人として招かれている訳ではございませんので」
厳しさがこもった声に、感情を押し殺しながら答える。皇居でのご神事や新年宴会のように、その場にいるための条件に“軍籍を持っていること”が含まれていれば軍装を、そうでなければ一般的な女子としての服装をすることになっている。単純に決められないケースの場合は、その都度大山さんや伊藤さんに相談して、着ていく服を選ぶことにしている。今日の能楽の会は、軍籍を持っているから招かれたという訳ではないので、通常礼装を着てきた。
すると、
「ほう、道理で、皇族の方々のご出席が少ないわけじゃ」
一位局は周囲を見回しながら顔をしかめた。
(うわぁ……)
一位局は、“男に怯えられるような女子など、女子のあるべき姿ではない”とでも私に言いたいのだろうか。返答せずに黙っていると、突然、総毛立つような居心地の悪さが私を襲った。
「局っ!」
私の隣に立っていた兄が足を一歩前に踏み出し、私と一位局の間に身体を入れる。兄の眦は吊り上がり、身体からは明らかに怒気が溢れていた。
「章子を愚弄するのか……?」
「……そう思われるなら、それで結構」
兄と一位局がにらみ合う。2人の視線が交差し、空中で火花が散ったような感じがした。
(と、止めなきゃ、兄上を……)
これ以上、騒ぎになるのはまずい。けれど、にらみ合う2人の間に入っていくことがどうしてもできない。
その時、
「皇太子殿下も一位局どのもおやめください。皇后陛下の御前ですぞ」
穏やかだけれど、どこか威厳のある声が発せられた。華族たちが控えているあたりからだ。素早く視線を動かすと、声の主はすぐに見つかった。本日の招待客の一人、徳川幕府最後の将軍……従一位公爵・徳川慶喜さんだ。
「「……」」
慶喜さんの声を合図にしたかのように、場の緊張した空気が急にほどけた。一位局と兄が、互いに視線を逸らしたのだ。一位局は私と兄に背を向けると、お母様を追って歩き出す。しゃんと伸びた彼女の背中は、兄の鋭い視線を素っ気なく跳ね返し、お母様に続く列は、何事も無かったかのように進み始めた。
(相変わらずだなぁ、お祖母さまは……)
一位局の後姿を見送った私は、大きなため息をついたのだった。
能楽は昼食をはさんで、午後5時近くまで続いた。その間、私は節子さまや慰子妃殿下、節子さまのお姉さまである山階宮家の範子妃殿下と一緒に、なるべく目立たないように過ごした。悪目立ちしてしまうと、また一位局がキツい言葉を投げて来ると思ったからだ。一位局は、ずっとお母様のそばに座っていた。お母様に私の悪口を言っているかもしれないけど、わざわざ反論しに行く必要はない。一位局と私の価値観は違う。私が彼女を理解できないように、彼女も私を理解できないだろう。
(他人に自分の価値観を押し付けるのだけは、止めて欲しいけどな……)
そんなことを考えながら能楽を鑑賞していると、番組が全部終わっていた。最初と同じように能楽堂の入り口に並んで、皆と一緒にお母様一行をお見送りしたけれど、今度は何事もなく、お母様も、そして一位局も帰っていった。
(ふう……)
お母様と一位局が乗った馬車の音が遠くなると、私は大きく息を吐いた。あてもなく視線をさまよわせると、徳川慶喜さんと目が合った。ちょうどいい。私は列から離れ、慶喜さんの前に歩いて行った。
「あの、慶喜公」
声を掛けると、
「ケイキさんで結構ですよ、増宮殿下」
慶喜さんはこう言って微笑する。それには答えず、私は「今朝は私のことでご迷惑をかけてしまいまして、申し訳ありませんでした」と慶喜さんに向かって頭を下げた。
「ああ、謝罪などなさらなくてもよろしいのに」
慶喜さんの声は穏やかだ。その声を聴いていると、先ほど、緊迫した場面があったというのがウソに思えてしまう。
「一位局どのは、なかなか厳しい方のようですね」
「ええ……」
私は頷いて、顔に苦笑いを浮かべた。
「私とは、持っている価値観が違います。だからこそ、一位局さまは私が憎らしく見えてしまうのでしょう」
その価値観を押し付けることだけでも、やめてくれればいいのになぁ、と思った瞬間、
「一位局どのを見ておりましたら、私の父のことを思い出しました」
慶喜さんは意外なことを言い始めた。
「慶喜公のお父様と言うと、徳川斉昭さん、ですか」
幕末の頃、御三家の一つ・水戸藩の藩主だった人だ。安政の大獄で永蟄居となり、処分が解けないまま亡くなった。
「ええ」
慶喜さんは頷くと、「私の父は、とても厳しい人でしてね」と話し始めた。
「私は悪戯ばかりしていましたから、よく父に叱られました。罰として、座敷牢に押し込められたこともあります。寝相が悪かったので、夜寝るときに、枕の両脇にカミソリを立てられたこともあります。“武士にふさわしくないお前の悪い寝相を直すためだ”と言われて」
「カミソリですか?!……流石に、刃は枕の外側に向かって立っていたんですよね?」
すると、慶喜さんは顔に苦笑いを浮かべた。
「いいえ、もちろん、カミソリの刃は私の方に向いていましたよ」
(は?!)
「それ、寝返りを打ったはずみに、刃が顔を傷つける……いや、眼とか頸動脈に刺さったらどうするんですか!出血多量で死んじゃいますって!何という危ないことを……」
私の時代なら、間違いなく児童虐待に当たる行為だ。思わず全力でツッコミを入れると、
「ですかね」
慶喜さんはまた苦笑した。
「ただ、今振り返ってみると、あれも父なりの愛情の示し方だったと思うのですよ。将来人の上に立って恥ずかしくない武士になってほしい……そう思っての厳しいしつけだったのでしょう。きっと、増宮殿下とは異なる価値観の考え方でしょうから、わかりづらいかもしれませんが」
「はぁ……」
「一位局どのも、きっと増宮殿下のことを嫌ってはおられませんよ」
「そう思いたいんですけれど……」
私はため息をついた。「一位局さまは、自分の価値観を私に押し付けようとするので困ってしまいます」
今から5年ほど前、衆議院で徴兵令の改正案と女子志願兵法が可決された日、青山御殿にやって来た一位局と話したことを私は思い出した。あの時も、一位局は私に、医師免許を返上してよい婿と結婚しろ、それこそが女の幸せだ……と強く主張していた。
(女性の幸せのすべてが、結婚して家庭に入ることにあるってことはないんだけどなぁ……)
またため息をつきそうになった時、
「きっと、一位局どのにも、何か理由がおありなのですよ。思いを口にするのが不得手なだけで」
慶喜さんは穏やかな声で私に言った。
「増宮殿下と一位局どのが分かり合える日がいつか来ることを、お祈りさせていただきます」
「ありがとうございます」
私はやや機械的に慶喜さんに頭を下げた。もちろん、そんな日が来ればありがたいけれど、来ない可能性も十分にある。こちらが一位局のことを理解しようとしても、一位局が私を理解することを拒絶するだろう。
……結論から言えば、慶喜さんの願いは後に叶うことになった。ただし、少し悲しい形で。




