転勤命令
1907(明治40)年6月1日土曜日、午後2時。
「広島ですか?!」
皇居の表御座所で、私は思わず、前に座っているお父様に向かって叫んでしまった。
「うむ、9月からだ」
いつもと同じ黒いフロックコートを着たお父様は、私の眼を見ながらゆったりと頷く。
「不服か?」
「いや、そうじゃないですけど!」
慌ててお父様に否定した私は、
「あの、差し支えなければ、なぜ今の時期なのか、聞いてもよろしいでしょうか?」
表御座所にいる一同を見渡した。人払いがされた表御座所には、お父様と私の他に、宮内大臣の山縣さん、枢密院議長の伊藤さん、内閣総理大臣の井上さん、国軍大臣の西郷さんが椅子を与えられて座っている。もちろん、大山さんも隅の方に控えていた。
「んじゃ、それについては西郷さんから説明してもらいましょうか」
井上さんが話を振ると、
「一言で表すならば、増宮さまの医師としてのご成長が著しいからです」
西郷さんは笑顔で私に説明し始めた。
「築地の国軍病院からの報告によれば、増宮さまは既に、上官の監督下ではありますが、様々な手術をご経験されて、いくつかの手術では、既に術者としても一人立ちなさっているとのこと」
「まぁ、私の時代の駆け出しの外科医と比べたら、経験している手術の種類は少ないですけれど」
私は一応、西郷さんのセリフに注釈を入れる。必要な道具や技術が開発できていなくて、私の時代でなら経験できたであろう手術――例えば、腹腔鏡下手術や、人工心肺を使った手術、金属やセラミックスで出来た人工骨を体内に埋め込む手術など――それらは流石に経験していない。少しずつ、手術で使う道具や技術も進展させなければいけないけれど……そう思った私の耳に、
「そうなると、そろそろ後輩の指導などもお願いしたいところですし、更に手術の腕を磨いていただかなければならない。それには、ご勤務いただいている場所を変えることが必要だろう……高木医務局長からそのような上申がございましたので、国軍上層部内で検討した結果、ご転勤が必要であるという結論に至りました」
という西郷さんの言葉が届いた。
「……なるほど、転勤することについては、よく分かりました」
言われたことを素早く吟味し終えると、私は西郷さんに軽く頭を下げた。高木兼寛医務局長……脚気騒動以来、15年以上の長きにわたって国軍の軍医のトップに立つ彼は、部下である軍医たちの配置が非常に上手い。その人事は、足りない箇所に人員を補充するだけではなく、軍医一人一人の技量や性格、期待される成長度まで考慮に入れて行われるのだ。その彼が“転勤すべし”と言うのであれば、私自身の成長のためにも、彼の言葉に従って転勤するべきだろう。
「だけど、なぜ場所が広島なのでしょうか?」
少し首を傾げながら尋ねると、
「それは、増宮さまが内親王であらせられるから、ですな」
伊藤さんがこう答えて微笑する。
「……伊藤さん、ちょっと意味が分からないから、詳しく説明してもらっていいですか?」
流石にこのセリフだけでは、伊藤さんの言葉の裏の意味をくみ取ることが出来ない。眉根に皺を寄せながら申し出ると、伊藤さんは「これは失礼いたしました」と頭を下げ、快く説明を加えてくれた。
「内親王であらせられるがゆえ、増宮さまには、おそばで仕える者以外にも、たくさんの者が付き従います。例えば、厨房を預かる料理人や、馬車や馬の整備をする者など……。更に、花松どのが増宮さまについて行かれることになりますと、付き従う者の数は増えます。それだけの人数を収容できる建物はなかなかありません。しかし、広島市街には泉邸という、浅野侯爵家の別邸がございます。そこなら、増宮さまも花松どのも、増宮さまに従う者たちも収容できます」
「なるほど……広島に、そんなところがあったんですね」
広島には、東朝鮮湾海戦が終わって日本に帰国した直後、東京に戻る途中に立ち寄ったことがある。その時は将官倶楽部に泊まったから、そんなお屋敷があることは知らなかった。
「あれ?そうしたら、離宮があるから、名古屋でもいいですよね?名古屋なら、万が一お父様と兄上の身に何かがあっても、半日で東京に駆け付けられますけれど……」
更に疑問点を問いただそうとすると、
「では章子、朕と美子が京都に行く途中、名古屋に泊まらなければならない時はどうするのだ?」
お父様が私にツッコミを入れた。
(う……確かにそうだ……)
線路の広軌化や線形変更、機関車や客車の技術の進歩により、鉄道の所要時間も短くなってきている。けれど、新橋から京都までは、ノンストップでも12時間ほどかかってしまう。1日で行けなくはないけれど、身体に負担を掛けないように移動するには、名古屋辺りで1泊するのが無難だろう。名古屋でお父様とお母様の宿所にふさわしいのは、当然、現在離宮として使われている名古屋城だ。そこに私が居座っていて、お父様とお母様が名古屋の別の宿に泊まるのは体裁が悪い。もちろん、お父様とお母様が名古屋に滞在している期間だけ、私が離宮を明け渡すという手段もあるけれど、荷物や人員の移動がとんでもなく大変になる。
「……分かりました。水戸城に行く話が無くなったのは残念ですけれど、広島に行きます」
ため息をつきながら答えると、
「水戸城……ですか?」
山縣さんが首を傾げた。
「もし転勤のお話が夏までに出なければ、夏季休暇に水戸城に行きましょう、というお話をしていたのですよ」
大山さんが私の言葉を補足してくれる。「梨花さまのストレスが溜まってどうしようもなくなっておりましたので」
「なるほどな。そうでなければ、盛岡であのような無茶はせぬか」
クスクス笑いながら言うお父様に、
「ストレスが溜まってなくてもやりました!」
私は即座にこう返した。結局、私が盛岡で聖寿禅寺・東禅寺・護国神社に行ったことについては、“初めからそこに行く予定だった”ということにされ、新聞でもそのように報道された。
――何、簡単なことですよ。東條くんと千夏どのには出来ないことですが……。
隠蔽工作を終え、私に向かってニッコリ微笑む大山さんを見て、私はこの臣下の実力を、改めて思い知らされたのだけれど……。
「分かっておる。まぁ、これ以上ストレスを溜めると、そなたの健康を害しそうだからな。……井上、章子が広島に転勤したら、広島城はいつでも見学できるように取り計らってやれ」
「それはもちろん、手配させていただきます」
お父様に一礼する井上さんに、
「ありがとうございますっ!これなら、広島でも頑張れます!」
私は深々とお辞儀をした。広島城には現在、第5軍管区の司令部が置かれている。国軍の指揮権を持っている総理大臣の井上さんがこう言ってくれれば、私はいつでも、広島城を見学できるという訳だ。
「我々としては寂しいことではありますが、これも、増宮さまが医師として成長するための過程の一つ。増宮さま、新天地でのご活躍を祈念いたします」
「はい、西郷さん。私、広島でもたくさん修業をして、医師として成長して東京に帰ってまいります!」
のんびりと言った西郷さんに、私は最敬礼したのだった。
その日の夜7時、青山御殿。
「そっか、章姉上、転勤するのか……」
食堂で夕食をとりながらこう言ったのは、私の異母弟の輝仁さまだ。平日なら、大山さんや、輝仁さまの輔導主任で中央情報院の副総裁も務めている金子堅太郎さんのどちらかが一緒に食卓につくのだけれど、今日は土曜日なので、食堂の小さなテーブルに一緒に座っているのは、母と輝仁さまだけだった。
「じゃあ、ここも寂しくなるね。花松さんも、章姉上と一緒に広島に行くんでしょ?」
「そうさせていただこうと思っておりますの。東京に残っていると、有梁の愚痴ばかり聞かされてしまいそうですから」
お茶を一口飲んだ母が、輝仁さまにそう言うと苦笑いを向ける。母の弟、つまり、私の叔父である千種有梁さんは、現在、2期目の貴族院議員を務めていて、相変わらず三条さんにこき使われている。
「そうか……じゃあ、これで、輝仁さまが幼年学校に合格したら、この御殿、もっと寂しくなるわね」
「本当に、合格したら、って感じだけど。合格するか五分五分だって、秋山さんに言われたよ。今日の入学試験、7割ぐらいできてそうなんだけど、全体の順位がどうなるか……」
私にそう言った弟は、珍しく難しい表情になった。確かに、幼年学校の入学試験には、全国から秀才が集まる。輝仁さまも猛勉強していたけれど、輝仁さまを上回る成績をたたき出す受験生はたくさんいるのだ。
「人事を尽くして天命を待つ、ってやつだね。ジタバタしてもしょうがないから、後は運を天に任せるしかないよ。私ももちろん、合格判定が出るようにお祈りするけど」
私が言うと、「そうだね」と弟は頷いた。
「やれるだけのことは、俺もやったつもりだよ。合格か不合格か分からないけど、これで終点ってわけじゃないから、これからも一生懸命勉強する」
輝仁さまの声には、強い決意がみなぎっている。この様子なら、幼年学校が合格でも不合格でも、彼はきちんと目標に向かって進んでいけるだろう。
「そうね。私も輝仁さまに負けないように、広島に転勤しても、医術も剣道も一生懸命修業しないとね」
「……和歌も詠まないと、山縣閣下に泣かれるんじゃない、章姉上?」
「……そ、そうね。歌題が送られてきたら、仕方ないから詠むけど」
「では、山縣閣下にわたくしから頼んでおきましょうか、章子さん」
「……たぶん、母上が頼まなくても、山縣さんから送ってきちゃうから大丈夫だよ」
このままでは、和歌の話題が続いてしまう危険がある。それは和歌が余り得意ではない私にはキツいから、話題を変える方がいいだろう。私は軽くため息をつくと、「それにしても、広島に行くまでにやらないといけないことがたくさんあるわ」と言った。
「章姉上、やらないといけないことって?」
「輝仁さまと内国博に行かないといけないでしょ」
うまく乗ってきてくれた。内心ほくそ笑みながら私は言った。「それから、医科研の運営の相談をどんな形でするかを、北里先生たちと相談しないといけないでしょ。山階宮殿下の治療も、三浦先生に引き継がないといけないし、輝仁さまの勉強を誰が見るかを考えないといけないし、もちろん荷造りもだし……横須賀に赴任した時以上に大変だな。でも、それが終わって広島に赴任したら、広島城を自由に見学できるから、それを励みにして頑張ろうっと。知り合いが全然いない土地だけど、広島城があるから、私は全然寂しくないわ」
すると、
「え、いるじゃない」
輝仁さまがこんなことを言った。
「は?」
私が首を傾げると、
「江田島の栽仁兄さまと輝久兄さま。江田島って広島県だったよね?」
輝仁さまは更にこう続ける。
(そ、そう言えば……)
私の頼れる弟分である有栖川宮栽仁王殿下と北白川宮輝久王殿下。2人とも、昨年の9月から広島県の江田島にある海兵士官学校に進学し、寄宿舎生活を送っている。広島市は確か、瀬戸内海に面していたけれど、同じく瀬戸内海にある江田島とは、どのくらい離れているのだろうか。
「千夏さん!」
私は、ちょうど食堂に入ってきた千夏さんを呼んだ。
「何でしょうか、宮さま?」
銀縁メガネの奥にある目を、不思議そうに私に向けた乳母子に、
「広島市と、海兵士官学校のある江田島は、どのくらい離れているか知っていますか?」
私は慌てて尋ねた。
「い、いえ……」
「じゃあ、誰か分かる職員さんを探して、聞いてみてください!」
「は、はいです!」
私のお願いに、千夏さんが食堂から駆け出していく。
(お、同じ県内でも、北海道の宗谷岬と函館みたいに、何百kmも離れてる可能性もあるし……)
私が必死に心を落ち着かせていると、すぐに千夏さんは戻って来て、
「そこに広瀬さんがいらしたので聞いてみたのですが、広島市内と江田島とは、直線距離で15kmも離れているかいないかで、連絡船も日に何度も往復していると……」
私にとって絶望的な知らせをもたらした。
「ど、どうしよう……そんなに近いの?」
頭を抱えると、
「え?いいじゃない、章姉上!栽仁兄さまと輝久兄さまに、いつでも会えるんだよ?」
追い打ちをかけるかのように、輝仁さまが私に言う。
(た、栽仁殿下……)
なぜ、彼の笑顔が脳裏にちらつくのだろう。彼は妹たちの……妹たちの未来の夫なのに。なぜこんなことで、胸が苦しくなるのか……。
(落ち着け、私!私は医師として、内親王として、こんなことで動揺してたらいけないんだ!)
「……決めた。私、広島への転勤の話、西郷さんと井上さんに断る」
必死に心を落ち着けながら、私は輝仁さまに断言した。
「は?!なんでだよ?!」
「あの2人の修業の邪魔になるでしょ」
明らかに訝しげに尋ねる弟に、私は頭をフル回転させながら説明を始めた。
「広島は中国地方で一番の都会よ。遊ぶところだっていっぱいあります。もし、あの2人が私に会うために広島に出かけて、その帰り道に広島で学業をおろそかにして遊びほうけることになったら、私、大兄さまにも能久親王殿下にも申し訳が立たないもの」
「あ、はぁ……」
「あの2人の堕落をきっかけにして、海兵士官学校の生徒たち全体が堕落しちゃったら……国軍にとって大きな損失になっちゃう!そうなったら、私、西郷さんにも井上さんにも、もちろんお父様にも、どうやって詫びを入れたらいいのよ?!」
「お、落ち着けよ、章姉上!」
話しているうちに感情が高ぶって、叫ぶように言った私を、輝仁さまが慌てて止める。それでも私は自説を主張していたけれど、
「長期休暇中は別ですが、それ以外の日曜祝日は、海兵士官学校の生徒は江田島の外に出ることが禁じられております。もちろん平日も、でございます」
騒ぎを聞きつけて食堂に駆け付けた広瀬さんがこう言ったので、私の舌の回転が止まった。
「……生徒が皇族でも?」
「はい」
「あ、そう……」
広瀬さんの返事を聞いた私は、ふうっと大きく息を吐いた。
「それなら、私、広島に赴任します……」
士官学校の生徒が取れる長期休暇は、夏期と冬期の2回ある。その時に、私が休みにならないよう、勤務を調整すればいい。
(うん、それなら、会わなくて済む。けど、この状況、いい加減何とかしないと。はぁ、一体どれだけ医学と剣道の修業を積めば、栽仁殿下のことで動揺しなくなるんだろう。広島に転勤しても、修業を続けなきゃ……)
私は心の中で、修業に励む決意を新たにした。けれどこの時、私をじっと見守る存在があったことに、鈍感な私は全く気が付けなかったのである。
※千種有梁さんは実際には1906(明治39)年に亡くなっていますが、寿命を延長しています。ご了承ください。




