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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第43章 1906(明治39)年白露~1907(明治40)年穀雨
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うつらぬものは(2)

 寺の門を入ってすぐ左に、上へと続く長い石段が見えた。古いもののようで、ところどころ、段の石材の端が欠けている。

「この石段は、歴代の殿様の墓所に続いています」

 石段の上方に目をやった私に、車夫さんが教えてくれた。「ただ、見た目よりこの石段は長いですよ。それに、殿様の墓所もたくさんあります。全部回っていたら日が暮れますよ」

「……それはちょっとまずいですね」

 私は石段の下で考えた。東條さんに今朝、“何かあったら開けるように”と言い置いて渡した手紙には、“事が済めば、必ず将官倶楽部に戻ります”と書いておいた。けれど、私を警察官たちが探し回っている可能性は十分にある。一か所に長くとどまっていたら、彼らに捕らえられてしまって、目的が果たせなくなる可能性もあるだろう。

「仕方がない。ここから遥拝させてもらいましょう」

 私は、石段の上にある南部藩の歴代藩主の墓所に向かって、深く頭を下げ、彼らの冥福を祈った。

「……よろしいですか?」

 車夫さんが私に声を掛けたのは、私が頭を下げて、1分ほど経過したころだ。

「ええ。上まで行けないのが残念ですけれど」

「戊辰の役の慰霊碑は、すぐそこにありますから、行けないということはありませんよ」

「それは助かります」

 車夫さんが言うように、戊辰の役で亡くなった盛岡藩士の慰霊碑は、私が立っている場所から数mしか離れていないところにあった。人の背丈より遥かに大きい石の表面に、“盛岡藩士卒戊辰戦死之碑”と彫られている。

「その隣に立っているのが、佐渡さまが政府に赦された時に、有志を募って建てた碑です」

 そう言って、車夫さんはこれまた人の背丈以上の大きさのある石碑を示す。なるほど、確かに上の方に“楢山佐渡之碑”と彫られていた。下に彫られているのは、彼の経歴を記した漢文のようだ。

「皆さんに、大事に思われていたんですね、佐渡さんは……」

「そりゃあもう」

 車夫さんが頷く。私は盛岡藩士の慰霊碑と楢山佐渡さんの碑の根元に、それぞれ摘んだスミレを手向けると、再び最敬礼をした。

「……では、佐渡さまのお墓にご案内します。少しだけ歩きますよ」

 車夫さんがまた私に声を掛けてくれる。私は彼の後ろについて、だだっ広い芝生の広場を突っ切った。聞けば、この芝生の広場には、数年前まで、先ほど参拝した桜山神社があったのだそうだ。その奥に、目指す楢山佐渡さんのお墓がある。小高い山の中腹に設けられた墓地の一角にある彼のお墓には、今も時折誰かがお参りしているようで、花立にはしおれていない花が入り、ろうそくや線香を燃やした跡も残っていた。

「手桶まで持っていただいて、ありがとうございました」

 井戸で汲んだ水を入れた手桶を持って案内してくれた車夫さんにお礼を言うと、

「い、いや、殿下のお使いの方に、こんな重いものを持たせるわけにはいきませんから!」

彼は慌てて私に向かって一礼する。これより重いものを持ったことは数えきれないほどあるけれど、それを指摘するのはやめて、私はニッコリ微笑むだけにした。

「さて、私はこれからお参りしますから、車夫さんはさっきの門のところに戻っていてください。今度は、東禅寺まで走っていただきますから」

「かしこまりました。お待ちしております」

 車夫さんの足音が遠ざかると、私は幼子の背丈ほどの高さがある楢山佐渡さんの墓石に、ひしゃくで水を掛けた。花立にも水を入れ、摘んできたスミレを差し入れる。軍服のポケットから、内国博の売店で買ったマッチと西洋ろうそく、線香を取り出すと、ろうそくを立てて火をつけ、その火を線香の束に移した。そして、心を落ち着けて、楢山佐渡さんの墓石に静かに手を合わせた。

「……私は、今上の第4皇女、章子と申します」

 祈りの言葉は、口から声になってこぼれた。車夫さんは遠くに行っているから、この墓地には誰もいない。その安心感から、自然に口が動いたのだろう。

「あなたのことを田中館(たなかだて)先生から聞くまで、私、恥ずかしながら、戊辰の役のことがよくわかりませんでした。あんなにすごい内戦をやったのに、なぜこの国はお父様(おもうさま)の下に一つにまとまっているのか……。それが分かりませんでした。あなたのことを田中館先生から聞いて、自分でも勉強して色々考えて、ようやく納得がいきました。戊辰の役以来、この国で戦って死んだ人はみんな、お父様(おもうさま)のことを大切に思ってくれたこと。ただ、意見の相違があって、戦わざるを得なくなって、勝ち負けがついてしまったこと。だから本来、官軍・賊軍なんて区別は無いということ」

 私は一度、伏せていた顔を上げた。楢山佐渡さんの墓石は物言わず、ただ私の前に立っている。そこに故人の霊もいる……というのは、私の願望に過ぎない。けれど、楢山さんに、これは言っておかなければならない。お父様(おもうさま)の娘として。

お父様(おもうさま)を大切に思ってくれて、ありがとうございました」

 私はそう言うと、楢山さんの墓石に向かって、深く頭を下げた。

(あ、あと、これも言っておかないといけないな……)

 事情を知っている人しかいない席では、私に対していつも偉そうだ。時には、今生では内親王であるはずの私に命令することすらある。けれど、私の将棋の先生ではあるし、師匠の陸奥さんと一緒に、議論そのものの進め方や、政治・行政のことについて色々と教えてくれるのは事実だ。その彼がお世話になった人だから、お礼は言わないといけないだろう。

「……それから、原さんを育ててくれて、ありがとうございました」

 私はもう一度、楢山さんの墓石に最敬礼した。

「原さんはいつも偉そうで、将棋でも議論でも、私をとことんまでやり込めようとします。だけどそれは、私が内親王としても医師としても頼りないから、将来私が、上医として兄を助けられるように鍛えているのだと思います」

 それは、本当にそう思う。というか、そう思わないと、毎週土曜日の陸奥さんと原さんとの討論はとても乗り切れない。

「原さんと私の心は違います。けれど、兄をあらゆる苦難から守りたいという目的は一緒です。その目的が達成できるように、どうかあの世から、原さんのことを守ってください。そして、原さんの抱えた心の傷が癒えるように、あの世から力を貸してください」

 私は頭を上げた。楢山さんの墓石は、もちろん変わらずそこにある。

「……よし、火の始末をして戻るか」

 そう呟いて、手桶の中に立てたひしゃくに、手を掛けた時だ。1mほど離れたところに、人が佇んでいるのに私は気が付いた。黒いフロックコートを着た、背の高い、見事な白髪のこの人は……。

「は、原さん……?」

 私が口を動かすのに、3秒ほどの時間がかかった。

「どうして、ここに……?」

「それはこちらのセリフだ、主治医どの」

 原さんは、私をじっと見つめている。その眼の奥に揺れている光の強さに、一瞬息が詰まりそうになった。けれど、きちんと理由は答えなければならない。

「……皇族としての公式な訪問だから、訪問先を治めた先人の霊には挨拶するべきだと思いました」

 私は、声をなるべく落ち着かせ、慎重に思いを口にした。

「それに、戊辰の役以降、この国で流れた血は、全てお父様(おもうさま)を大切に思ってくれた人たちのものです。ただ、意見の違いがあって、悲しいことに敵味方に分かれて戦わざるを得なくなって、勝ち負けが付いてしまった。だから本当は、官軍・賊軍なんて区別はないんです」

 原さんの両眼が大きく見開かれる。それに構わず、私は話し続けた。

「だから私は、亡くなった方みんなが大切に思ってくれたお父様(おもうさま)の娘として、内親王として、戊辰の役以降、この国で起こった戦いで死んだ方の霊には、敵味方の区別なくお礼を申し上げて、そのご冥福を祈りたいんです。たとえ周りに何と言われようと、それが皇族としての務めだと思うから……」

 すると、原さんが、ふうっと息を吐いた。

「やはり、知っていたのか、あなたは……」

「何を、ですか?」

 早とちりしないように確認すると、

「“顧みるに、昔日もまた今日のごとく、国民誰か朝廷に弓を引く者あらんや”……」

原さんは、私の聞いたことのない言葉を口にした。

「“戊辰戦役は政見の異同のみ”……“史実”でわたしに大命が降下する前年のことだったかな。この近くの報恩寺(ほうおんじ)という寺で、南部藩士の戊辰戦役殉難者50年祭が行われた。その時にわたしが読み上げた祭文の一部だよ」

 原さんはまた、私を強い視線でじっと見つめている。

「この時の流れで、会津宰相が亡くなった時にも、主治医どのは今言ったのと同じようなことをわたしに言った。だから驚いたのだ。わたしが読んだこの祭文を知っていたのかと」

「ご期待に応えられなくて大変申し訳ないのだけれど、その祭文のことは、今、初めて知りました。だから、私が今言ったことは、楢山さんのことを聞いて、戊辰の役のことを勉強して、それで思ったことです」

 私は原さんに軽く一礼すると、再び口を開いた。

「でも、そう思っているから、私は機会が与えられれば、戊辰の役以来、この国で起こった戦いで命を落とした人のご冥福を、敵味方の区別なく祈っています。内親王として、その心は一生変えません。あなたの心が変わらないように」

 すると、原さんの顔に、自嘲めいた微笑が閃いた。

「わたしも、そう思っていたが、な……」

 原さんは、楢山佐渡さんの墓石に目をやると、

「“花は咲く 柳はもゆる 春の夜に うつらぬものは 武士(もののふ)の道”……」

と呟いた。

「その和歌は?」

「佐渡さまの辞世だよ」

 そう言うと、原さんは楢山佐渡さんの墓石に向き直った。

「佐渡さまが報恩寺で処刑されたのは、明治2年の夏のことだ。わたしは小さいころから佐渡さまに可愛がられていたから、佐渡さまが処刑されると聞き、居ても立っても居られなくなって、処刑が行われる日の夜、報恩寺の裏山に潜んでいた。我が父亡き後、父とも叔父とも思っていた佐渡さまの首が斬られたのを気配で察した時、夜の闇の中で声を押し殺して泣いたのを、昨日のことのように覚えているよ。佐渡さまは、立派な勤王の士だった。そんな佐渡さまを、盛岡藩を、奥羽越列藩同盟に加わった諸藩を、薩長の連中は五箇条の御誓文を掲げておきながら一方的に“逆賊”と決めつけ、そして、佐渡さまの命を理不尽に奪ったのだ!……だから、わたしは誓ったのだよ。東北の諸藩に、我が盛岡藩に、佐渡さまに逆賊の汚名を着せた薩長の連中に復讐しようと。藩閥政治を一刻も早く崩壊させて立憲政治を確立し、わたしが内閣総理大臣になることで、その恨みを晴らそうと。それがわたしの心だと、南部の武士としての道だと、それは決して移らぬものだと……そう思って、いたのだが……」

 原さんは吐き出すように言い終わると、「あなたのせいだぞ」と、私を振り返って軽く睨みつけた。

「は?」

「あなたの存在によって、“史実”とこの時の流れは変わった。東北を逆賊と蔑む風潮も、“史実”より和らいできている。それはあなたが自分の心に従って動き、天皇陛下や皇后陛下、皇太子殿下をはじめとする皇族方を、そして元老の連中を巻き込んだからだ。しかし……まさか、岩手公園内の盛岡城址を見学する予定を蹴って、佐渡さまの墓にまで来てくれるとは、な……」

「当たり前でしょう」

 私は少しムッとしながら答えた。「戊辰の役で、お父様(おもうさま)を大切に思いながらも亡くなった方なんですよ。それに、……私の将棋と政治と議論の先生が、お世話になった人なんですから。その方のお墓にお参りするのは、内親王として私がするべきことです」

「だからと言って桜山神社から脱走するとは、前代未聞の型破りな手段だぞ、主治医どの」

 そう言うと、原さんは楢山佐渡さんの墓石に視線を戻した。私たちが話している間も、物言わぬ墓石は、そこに変わらず立っている。

「あなたのせいで、わたしの武士の道は変わってしまった。佐渡さまには、回避不能な事故に遭ってしまったと、あの世で許しを請うしかないな。やれやれ、面倒なことになった……」

 ため息をついた原さんに、

「……変わってないですよ」

私は素直に、感じたことを伝えた。

「何?」

 原さんが顔をしかめたけれど、私は無視して言葉を続けた。

「動機はどうだか知りません。けれど、この日本を良くしたいという心は、“史実”の原さんも、この時の流れの原さんも一緒でしょう?」

「……いつもの屁理屈か」

 原さんはまた、自嘲じみた微笑を顔に浮かべた。「だが、その屁理屈に、この国も、わたしも、だいぶ救われているな」

 微笑する原さんの左頬に、薄い桃色の、小さな花びらが掛かった。山桜の花だろうか。

「原さん、頬に花びらがついてます」

 声を掛けたけれど、原さんは手を動かそうとしない。仕方なく、私は軍服のポケットからハンカチーフを出して、原さんの頬をぬぐった。原さんの頬は濡れていた。

(泣いてる……)

 けれど、それを指摘すれば、原さんは絶対に強がって、話がややこしくなる。私は涙のことには触れず、上を見上げた。来るときには気が付かなかったけれど、私たちのすぐそばには山桜の木が生えていて、枝のところどころに薄桃色の花を咲かせていた。

「ああ、山桜の木があったんですね。今、三分咲きかしら。やっぱり、盛岡は東京より、桜が咲くのが遅いですね」

「北国だからな。まぁ、わたしにとっては、この時期に桜が咲くのが当たり前なのだが」

 答えた原さんに、

「そうなりますよね。……奇麗ですね、桜」

私は山桜の花から目を離さずに言い、更に続けた。

「今の時代でも、私の時代でも、東京でも盛岡でも、桜の花は奇麗ですね」

「なるほど。……桜の花の美しさも、“うつらぬもの”だな、主治医どの」

「ですね」

 振り向くと、原さんと目が合ったので、私は微笑んだ。すると、原さんも笑みを返した。

 私が初めて見る、原さんの、心からの笑顔だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] とうとう… 原さんも陥落ですか… これで梨花会メンバーで落ちてないのはダルマさんだけか… 
[一言] 天皇陛下も皇后陛下も… 時代として、今上陛下の方が相応しいかと思います。
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