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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第43章 1906(明治39)年白露~1907(明治40)年穀雨
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閑話 1907(明治40)年穀雨:東條英機の受難

 1907(明治40)年4月20日土曜日午後1時30分、岩手県盛岡市、盛岡城三の丸跡地にある桜山神社。

「で、殿下あああああ?!」

 境内で悲鳴を上げたのは、青山御殿付きの宮内省職員・東條(とうじょう)英機(ひでき)だった。

 東條は、東北地方を公務で訪問中の今上の第4皇女・増宮章子内親王に随行し、今回の彼女の公務に関する事務を取り仕切っていた。入職4年目にして彼がこの大役を果たすことになったのは、日ごろの仕事ぶりを評価されてのことだったが、彼はその期待に応え、事前の準備も抜かりなく行った。その結果、17日からの章子内親王の公務は順調に進んでいた。

 ところが、5日間の東北訪問の4日目である今日、その主役たる章子内親王が、桜山神社の参拝を終えて岩手公園に移動しようとしたとたん、岩手公園とは逆の方向に向かって走り出した。突然のことに東條の頭も体も反応できず、彼が我に返った時には、軍医少尉の正装に身を包んだ章子内親王の姿は既に境内から消えていた。

(あ……あ……)

 顔を青ざめさせ、思考を完全に停止させた東條に、

「東條くん、宮さまを追いましょう!」

相変わらずの元気な声で言ったのは、章子内親王付きの女官で、東條の先輩でもある榎戸(えのきど)千夏(ちなつ)だった。

「え、で、殿下を……追う?」

「だから、宮さまにお戻りいただくんです!」

 東條は顔を青ざめさせたまま反応せず、千夏を呆けたように眺めている。すると、

「もういいです、千夏だけでも宮さまを追いかけます!」

彼女は吐き捨てるように言うやいなや、その場から駆け出した。彼女の後に続き、警備に当たっていた警官数名も神門を飛び出していく。しかし、数分後、彼女たちは息を切らしながら、桜山神社の境内に戻ってきた。

「く……千夏、修業が足りません。宮さまに追いつけないなんて……」

「え、榎戸さん……」

 恐る恐る声を掛けた東條を、千夏はキッとにらみつけ、

「東條くんは、何か考えたんですか?!」

と叫んだ。

「へ……?」

「宮さまが誰も護衛を付けずにどこかに行ってしまわれたというこの非常事態、どう収めるかを考えたんですか?!」

 更に叫んでも反応しない東條の襟首を、千夏は右手で乱暴に掴んだ。彼女は嘉納(かのう)治五郎(じごろう)の講道館で柔道の鍛錬を重ね、宮内省の中でも猛者として知られている。たちまち、東條の両足が地面から離れて宙に浮いた。

「あのですね、東條くんは、宮内省側の責任者なんですよ?!ですから、この事態を収める最善の策を考えて実行する役割があるんです!そんなことも分からずに、責任者をしていたんですか?!」

「え、いや、俺は、その……」

「言い訳を考える暇があるなら、策を考えなさい!この役立たず!」

 千夏は鬼のような形相で、後輩をにらみつける。つるし上げられた東條が、目を白黒させていると、 

「おい、英機」

東條に近づく人物がいた。この盛岡選挙区から選出された衆議院議員で、前厚生大臣でもある原敬である。

「は、はいっ」

 東條がひきつった表情で返事をすると、

「増宮殿下が仙台で立ち寄られたのはどこだ?」

原前厚生相は、東條が思いもよらない質問を投げてきた。

「へ、仙台で、ですか?」

 突然の質問に、記憶を上手くたどれない東條を見かねてか、

「東北帝国大学の開学式典にご出席の後、附属病院をご視察され、県庁でご昼食をとられています」

千夏が東條をつるし上げたまま、代わって原前厚生相に答え始めた。

「ご昼食の後、経ヶ峰(きょうがみね)の伊達家墓所にお参りされました。その際、伊達家墓所内にある、戊辰の役と函館戦争で犠牲になった仙台の方々を慰霊する弔魂碑(ちょうこんひ)、西南の役に参加して亡くなった東北の士族たちの慰霊碑にもお参りされています。それから、宮城県知事閣下のお申し出に応じられて、西南の役で国事犯として仙台に収容され、釈放前に仙台で亡くなった西郷軍の者たちの墓にもお参りされました」

 すると、

「まさか……そういうことなのか?」

呟きながら顎を右手で撫でた原前厚生相は、そのまま神門へつかつかと歩いていく。そして、神門を出ると、ちょうど通りかかった流しの人力車を呼び止め、それに乗り込んでいずこかへと去ってしまった。

「は、原閣下は、一体、どう、なさったん、でしょうか?」

 つるし上げられたまま、疑問を口にした東條に、

「知りませんよ。そんなことを考えるより、この場を収める策を考えなさい!」

千夏は罵倒の言葉を投げつけると、空いている片手で東條の頬を打った。

「ま、まあまあ、女官どの、落ち着いて……」 

「そうですよ。警察部長に、盛岡市内の警察官を総動員して、殿下の行方をお探し申し上げるよう、言いつけましたから……」

 東條が平手打ちされたのを見て、流石に止めないとまずいと感じたのか、盛岡市長と岩手県知事が左右から千夏をなだめにかかる。しかし、

「あなた方のお申し出は、大変にありがたいのですけれど!」

千夏は東條をにらみつけたまま大声で言った。

「それは本来、このクズが考えて、あなた方に依頼するべきことなのですよ!全く、3年以上も宮さまのおそばに仕えていながらこの体たらく、千夏が一から根性を叩き直して……」

 と、

「そのくらいにしておあげなさい、千夏どの」

ここにはいないはずの人間の声が、桜山神社の境内に響いた。聞き覚えのあるその声に、東條と千夏が、そろって目を丸くする。声のした方角を見やると、県知事と市長たちを取り巻いている県職員たちの中に、明らかに彼らより品格が高い、立派な紳士が一人いる。それは東條と千夏の上司である、青山御殿の別当・大山巌伯爵だった。

「お……大山閣下?!」

「いつ、盛岡にいらっしゃったのですか?!」

 叫ぶように問う東條と千夏に、

「つい5分ほど前ですよ」

大山別当はゆっくりと近づいていく。

「お、大山閣下、申し訳ありません……増宮殿下がこの場を離れられてしまい、行方を見失ってしまいました。責任は全て、この俺にあります」

 千夏につるし上げられたまま、東條が目を伏せる。

「責任を取って、宮内省を辞職して、自殺します……」

「それで解決になると思っているのですか?!」

 低い声で言った東條を、千夏が再び怒鳴りつける。「とにかく今は、一刻も早く宮さまを見つけなければいけないでしょう!」

 すると、

「それはその通りですが、千夏どの」

大山別当が微笑を含んだ声で言った。「増宮さまがどこにいらっしゃるか、千夏どのには見当がついているのですか?」

「どこにいらっしゃるか……それは、この盛岡のどこかにはいらっしゃるだろうとは思いますが……」

 千夏の声のトーンが、途端に下がった。

「まだまだ修業が足りませんね、東條くんも千夏どのも」

 大山別当が再び微笑して、部下たちを交互に見やった。「この頃は(おい)よりも増宮さまのそばにいるというのに……。これでは、将来の青山御殿、君たちに託すことができませんよ」

 千夏は唇を引き結んでうつむいた。東條の襟首をつかんでいた手も力を失い、東條はようやく地面に立つことが出来た。

「確かに、大山閣下のおっしゃる通り……乳母子(めのとご)でありながら、千夏、宮さまに心を開いていただけておりません。東條くんよりも長く、おそばにお仕えしておりながら、大山閣下のようには……」

 消え入りそうな声で呟く千夏に、

「榎戸さん、もしかしたら……」

体勢をようやく整えた東條が、その場所の名前を告げた。

「何ですって?!本気ですか、東條くん?城郭が何よりお好きなあの宮さまが、岩手公園のご見学を諦めてそちらに行かれるなど……」

「しかし榎戸さん、事前の増宮殿下の思い入れを考えると、そこしか考えつきません!」

 怪訝な表情の千夏に、東條は力説する。「盛岡城址……いえ、岩手公園のご見学も、非常に楽しみにしていらっしゃいましたが、仙台でのことも考えると、十分にありうることかと!」

「ですが、仙台城址を見られなかった宮さまが、盛岡城址を目の前にしたこの状況で、そちらに行かれるなんて……」

「……では、行きましょうか、東條くん、千夏どの」

 2人の話を黙って聞いていた大山別当は、そう言うと静かに歩き始めた。

「大山閣下?」

「一体、どちらにいらっしゃるのですか」

「もちろん、増宮さまのいらっしゃるところですよ」

 大山別当は部下たちに答えながら桜山神社の神門を出ると、流しの人力車を捕まえ、

「聖寿禅寺へお願いします」

と車夫に告げた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 「常にお側に侍り、思いを同じくしなさい」 と大山閣下は言いたいのだと思う。
[一言] 更新お疲れ様です。 作者様が史実の東京裁判でA級戦犯になって処刑された東条英機が大嫌いだということがよくわかりました。
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