夢を託す
1905(明治38)年12月16日午後3時、花御殿の兄夫妻の居間。
「そうか、輝仁が航空を志望したのは、そういう事情があったのか」
椅子に並んで座った和服姿の兄と節子さまは、私から先日の所沢での出来事を聞き終わると、同時に深く頷いた。
「先週の梨花会で、お父様が“輝仁は航空士官を目指す”と言ったから、本当に驚いてなぁ……」
「私も最初に聞いた時はビックリした」
私は苦笑を顔に浮かべると、出されたお茶を一口飲んだ。
「航空事故に輝仁さまが巻き込まれたらどうしよう、って思ったからさ。でも、輝仁さまの決心は固いみたい。所沢に行った次の日には、学習院の帰りに皇居に行って、お父様とお母様に、“航空士官になりたいから、幼年学校に実力で合格します”って宣言したんだって。それで今、一生懸命勉強してるよ」
「まぁ!輝仁さま、とても素敵ね!」
9月末に第4子となる男の子を出産した節子さまが、目を輝かせた。
「うん、それは俺も同意するが……輝仁、幼年学校に合格できるのか?あまり成績は良くないだろう」
眉をしかめた兄に、
「私もそう思ったから、10日の日曜日に、経験者を招集した」
私は答えて、もう一度お茶を飲んだ。
「経験者?」
「北白川宮の成久殿下と、久邇宮の鳩彦殿下と稔彦殿下だね」
私の言葉を聞いた兄は、
「なるほど、全員、幼年学校を卒業しているな」
と言ってニヤッとした。幼年学校の受験倍率は、毎年3、4倍ほどあるそうだ。中学1年と中学2年、合計2回の受験の機会が与えられていることも、倍率増加の要因なのだろう。けれど、この3人は、中学1年の時に、その難関を自力で突破していた。
「そこに有栖川宮の栽仁殿下と北白川宮の輝久殿下が加わったから、合計5人ね。彼らが色々と輝仁さまに質問して、学習院の成績も見ながら、学力を分析した書類を作ったの。それから、私と大山さんと金子さんも加わって検討した。それで出た結論が、“中学1年で受験したら、合格するかどうかは五分五分だけれど、中学2年で受験したら十分に見込みがある”。もちろん、今から必死に勉強することが大前提だけどね」
「なるほどな」
兄は大きく息を吐いた。「是非頑張って欲しいな、輝仁には。俺は軍艦には乗ったが、飛行器に乗れるかどうかは分からない。今の技術の水準では、俺が飛行器に乗ると言ったら、周囲に必ず止められるからな。だから、輝仁には、俺の代わりに空を飛んで欲しいのだ」
「あら、嘉仁さま」
節子さまがクスリと笑った。「技術がうんと進んで、飛行器が安全になればよろしいではありませんか」
「それを達成するまでに、どのくらいの年月が掛かると思っている。梨花の時代には、世界各国の首脳が空を往来していたというが、そこまで俺が生きていられると思うか?」
「まぁ、長寿日本一は無理にしても、兄上にはずっと元気で長生きしてもらうからね。覚悟してちょうだい」
私は兄に笑顔を向けた。兄がずっと元気に健康で過ごしてくれること。それが私の一番の願いなのは、原さんに“史実”で兄を襲った原因不明の病気のことを聞いた時から変わりは無い。
(そのためには、何だってやるよ。例え、逆賊とか大悪人とか罵られたって、上医として、兄上の主治医として、そして、兄上の大切な妹として、出来る限りのことを……)
私が決意を新たにしていると、廊下から節子さまを呼ぶ女官さんの声が聞こえた。
「そろそろ、英宮さまのお乳を……」
「大変、もうそんな時間でしたか。梨花お姉さま、ごめんなさい。皇孫御殿に行ってきます」
「それなら私も付いていくよ。今日は当直明けだから、迪宮さまたちの顔を見て癒やされたいな」
そう言うと、「相変わらずだな、お前は」と兄が苦笑した。
「当たり前じゃない。迪宮さまも淳宮さまも希宮さまも英宮さまも、私にとっては天使だもん」
笑顔のまま答えると、
「そんなに子供が好きなら、自分も子供を産んだらよかろう」
兄があきれたように私に言った。
「想像が付かないな」
本当は、言いたいことはたくさんあるのだけれど、口にすれば最後、兄は私に猛烈なお説教を食らわすだろう。一言だけ答えて心を無にすると、私は廊下に飛び出て、渡り廊下を通って、さっさと皇孫御殿に向かった。
皇孫御殿に入ってすぐの部屋では、乃木歩兵中将の奥さんの静子さんと希宮さまが、おもちゃで遊んでいた。
「おばさまー!」
1歳8ヶ月になった希宮さまが、私の姿をいち早く見つけて声を上げると、静子さんが振り向き、私に慌てて平伏した。
「出迎えもせず申し訳ありません、増宮さま」
「いえ、こちらも連絡もせず来ましたから、気になさらないでください」
静子さんに答えている間に、希宮さまがとことこと歩いてきて、「おばさま、だっこー」とせがむ。その言葉通りに抱き上げると、希宮さまが笑顔になった。
(あぅ……かわいい……)
希宮さまは、小さい頃の私のように、前髪をパッツンと切り揃え、他の部分の髪は長く伸ばしている。絹のような手触りの黒い髪、漆黒の光を湛えるつぶらな瞳、そして形の良い鼻に小さな口、……全ての要素が絶妙の位置に配置され、彼女の美しさと愛らしさを構成していた。
「そうして並んでいると、章子と珠子の美しいのが、一層際立つな……」
「本当ですね。伊藤さまや山縣さまたちが、青山御殿と皇孫御殿に押し掛けたくなるのもわかる気がします」
私に追いついた兄夫婦が、希宮さまを抱っこした私を眺めている。
「奇麗ですって、希宮さま。よかったねー」
「うん!」
腕の中の希宮さまと話していると、兄夫婦は更に皇孫御殿の奥へと進んでいく。希宮さまを床に下ろすかどうか迷った私に、
「英宮さまのところでございましょう?どうぞ、希宮さまを連れておいでになってくださいませ」
静子さんがこう言ってくれた。
「ありがとうございます」
私は静子さんに軽く頭を下げると、希宮さまを抱っこしたまま、兄夫婦の後を追った。
私と希宮さまが皇孫御殿の日当たりのいい一室に着いた時、節子さまはもう、英宮さまにお乳をあげ始めていた。英宮さまは、9月27日に生まれた兄夫婦の末っ子の男の子で、名前を尚仁という。私が葉山から東京に戻る日の早朝に生まれたので、私は残念ながら、出産には立ち会えなかったけれど、生まれたばかりの、本当にかわいらしい彼には対面することができた。
「愛らしいな、尚仁は」
お乳を吸う英宮さまを、節子さまのそばにかがんだ兄が、愛おしそうに見ている。
「この子はどんな道に進むかな。輝仁のように、空に羽ばたいていくのだろうか」
「さすがに、今から英宮さまの将来を考えるのは早すぎないかな、兄上?」
あきれた私がツッコミを入れると、
「そんなことはない」
兄が顔を上げ、真面目な表情になった。
「きっとお父様もお母様も母上も、俺がどんな皇太子になるか、小さいころから心配でしょうがなかったのだ。俺は小さいころ、本当に体が弱かったから、余計に心配だっただろうな。親になってみて、それがよく分かった。なぁ、節子」
「はい」
節子さまがニッコリ笑って頷いた。
(親になる、ねぇ……)
私自身には絶対に起こらないことだな、と反射的に私は思った。親になるということは、内親王である私の場合、皇族の誰かと結婚して子供を産むということだ。軍医になることを選んだ、皇族としても、この時代の女性としても規格外の人間を嫁にしようなどと考える皇族男子など、絶対にいない。
(それはもう、兄上と節子さまに託せばいいな)
そう思った瞬間、
「どうした、章子」
兄が私をにらみつけた。
「まさかお前、また……」
「希宮さま、乃木閣下のところに行こうか」
「うん!」
私は兄の言葉を無視して腕の中の希宮さまに声をかけると、さっと身を翻して廊下に出た。このままこの部屋に居続ければ、兄のお説教を食らうのは、火を見るよりも明らかだ。
廊下を奥へ歩いていくと、“やぁ”“やぁ”と可愛らしい掛け声が聞こえる。その合間に、“45、46……”と数え上げるキビキビした声も聞こえた。
(ああ、今日もやってるな)
私は一つ頷くと、声のする方へと急いだ。
廊下に面したところは、一面に芝生の広がる庭になっている。そこに2つの小さな人影と、1つの大きな人影があった。剣道の稽古着を着た4歳7か月の迪宮さまと3歳5か月の淳宮さま、そして同じく稽古着を着た、輔導主任の乃木歩兵中将である。迪宮さまと淳宮さまは体格に合わせて短くした竹刀を、そして乃木さんは普通の長さの竹刀を握り、乃木さんの声に合わせて素振りをしていた。
「49……50!」
一際声を大きくして竹刀を振り下ろすと、乃木さんは左右に立っている迪宮さまと淳宮さまを交互に見て、
「よく、50回をやり遂げられましたな」
と満足そうに頷いた。
「「はい!」」
日課の竹刀の素振りを終えた2人が、元気よく乃木さんに返事したとき、
「のぎ!」
私の腕の中にいた希宮さまが、大きな声で叫んだ。
「これは希宮殿下……増宮殿下もいらっしゃいましたか」
乃木さんが、慌てて私のそばに駆け寄り、一礼する。その後ろから、迪宮さまと淳宮さまも「梨花叔母さまー!」と私を呼びながら追いついてきた。
「こんにちは、乃木閣下。花御殿に来たついでに、遊びに来ました」
私が乃木さんに軽く頭を下げると、
「おばさま、おろして!」
希宮さまが私に要求する。その言葉通りにすると、
「のぎ、だっこ!」
彼女はすぐさま乃木さんにおねだりした。
「おお、よろしいですぞ」
乃木さんが身体を抱き上げると、途端に希宮さまは顔をほころばせた。さっき、私に見せた以上の満面の笑顔である。
(やっぱり、乃木さんにすごくなついてるなぁ、希宮さまは)
生まれた直後からそうだった。希宮さまは、どんなに機嫌が悪くても、乃木さんが抱っこすると、必ず泣き止むのだ。ちなみに、彼女が生まれて初めて発した言葉は、“お父様”でも“お母様”でも、もちろん“おばさま”でもなく、“のぎ”だった。もちろん、乃木さんと同じく、兄も節子さまのことも大好きなようなので、そこは安心できるのだけれど……。
と、
「ねぇ、梨花叔母さま」
私のそばまでやって来た迪宮さまと淳宮さまが、私を呼んだ。
「私は章子だよ」
いつものように訂正を入れてから、「どうしたの?」と尋ねると、
「叔母さまが、小さいころ、ニワトリを飼っていらしたっていうのは本当ですか?」
迪宮さまは可愛らしい仕草をしながら私に質問した。
「よく知ってるねぇ。誰から聞いたの?」
「ベルツ先生。昨日、往診にいらしたの」
確認すると、淳宮さまが答えてくれる。東京帝国大学の常勤職を退いてからのベルツ先生は、東京女医学校の生徒を教えたり、医科研の顧問をしたり、様々な仕事をしている。花御殿と皇孫御殿の侍医団の顧問もその一つで、月に一度ほど、兄夫婦とその子供たちの診察をしにやってくるのだ。
「叔母さま、なぜニワトリを飼おうと思ったんですか?」
「森先生の実験のお手伝いだよ」
私は迪宮さまと淳宮さまに微笑んだ。「彼がニワトリを使った実験をしようとしていたけれど、ニワトリを飼う場所が無いってベルツ先生に聞いたから、場所を貸してあげたんだ」
本当は、私とベルツ先生が主導した脚気のニワトリ実験だけれど、迪宮さまはもちろん、私の前世のことを知らない。知るにしても、もう少し大きくなってからの方がいいだろう。だから、こういう話し方をしたのだけれど、
「ホントかなぁ?」
迪宮さまが澄んだ目で私を見つめながらこう言った。
(う……迪宮さま、鋭い)
勘が鋭い兄の血を引いているからなのだろうか。けれど、ここで私の前世のことを明かすわけにはいかない。優雅な微笑みで鉄壁のガードを続けていると、
「迪宮殿下、淳宮殿下、お部屋の中で服を着替えましょう」
希宮さまを抱っこしたままの乃木さんが、実に的確な助け舟を出してくれた。迪宮さまと淳宮さまは輔導主任の言葉に素直に従い、「じゃあまたね、叔母さま」と頭を下げると、乃木さんと一緒に去っていった。
(ふう、危なかった……)
ほっと息をついた時、すぐそばに、優しい気配があるのに私は気が付いた。いつもは、そばにあって欲しいと願う気配だけれど、お説教の危険があるので、今回ばかりは身を遠ざけるようにして振り返る。
「そんなに警戒しなくてもよかろう……」
廊下には、呆れ顔をした兄が佇んでいた。
「ああ、ごめんね。迪宮さまに警戒してたから、つい」
「ん?裕仁と何かあったのか?」
「うん。昨日、ベルツ先生に、私がニワトリを飼っていたことを聞いたらしくてね。私の前世のことをまだ言う訳にはいかないから、“森先生にニワトリを飼う場所を貸してた”って言ったら、“ホントかなぁ”って言われちゃったの」
「なるほど。お前もごまかすのが上手くなったとは思うが……裕仁の勘が鋭いのかな」
私の言葉に答えた兄は、そう言いながら私に身を寄せた。
「裕仁が成年するころ、世界はどうなっていると思う、梨花?」
私のそばに立った兄は、青空を見上げながら私に尋ねた。
「それはまた、難しい質問をするわね、兄上は……」
私は両腕を組むと、眉をしかめて考え込んだ。「“史実”なら、第1次世界大戦が終わったぐらいの時期だね。第1次世界大戦自体がどうなるか……。明石さんのクーデターつぶしのおかげで、セルビアはオーストリアと友好関係を保っているから、“史実”であったセルビアとオーストリアの対立は起こらないで済みそうだけれど、バルカン半島の火種ってそれだけじゃないからなぁ……」
「院の工作がどこまで効くか、だな。だが、可能な限り、火種は消す方がよい。今のままでは爆発したときに、威力が大きくなりすぎて、戦後の世界まで深刻な影響を出してしまう」
「そうだね。それに日本は、関東大震災が控えているし。第1次世界大戦が“史実”ぐらいの規模と期間になっちゃったら、スペイン風邪の流行はあるだろうし……。はぁ、そこにたどり着くまでも、難題がたくさん控えてるなぁ」
私が思わずため息をつくと、
「それでも、その難題に立ち向かわなければならないだろう、俺は」
兄が言った。「お父様を助ける者として、そして、お父様の跡を継ぐ者として、俺の未来も、裕仁の未来も、……この国に生きるすべての者が、未来に夢を託せるようにしなければな」
「そうね……私、兄上を助けなきゃいけないから、泣き言は言ってられないか」
無理やり微笑すると、兄の右手が私の頭の上に乗った。暖かくて頼もしさを感じる手が、私の頭を慈しむように撫で回す。
「頼りにしているぞ、梨花。お前は俺の主治医で、大切な妹なのだからな」
「了解、兄上」
兄の目を見てしっかり頷くと、優しい微笑みを顔に浮かべた兄は、私の頭を“頼むぞ”とでも言うように、ポンポンと軽くたたいたのだった。
※実際には、幼年学校の倍率は日露戦争後6倍から7倍以上にもなったようです。(斎藤利彦.軍学校への進学: 明治後期中学校史の一断面.日本の教育史学.日本の教育史学 32(0), 31-50, 1989.)ただ、拙作では陸軍系が全く活躍していないこともあり、極端な倍率増加もないだろうと仮定して、このぐらいの倍率に設定してみました。




