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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第40章 1905(明治38)年芒種〜1905(明治38)年秋分
306/803

微行(おしのび)の父娘

※セリフを一部訂正しました。(2021年2月2日)

 1905(明治38)年8月19日土曜日午前8時、葉山御用邸別邸近くの砂浜。

「大丈夫ですか?」

 私は、少し前を歩く高野五十六海兵少尉に声を掛けた。

「ああ、殿下……」

 夏用軍装を着た高野さんは、私の方を振り向く。その顔には、生気が余り感じられない。私は小走りで、高野さんに追いついた。

「顔色が良くないですよ」

 薄紫色の女袴に付いた砂を払いながら、私は高野さんに言った。今日は高野さんがこの別邸にやって来て以来、初めて休みが取れたので、紫の矢羽根模様の和服に女袴を付け、彼の歩行訓練に付き添っているのだ。

「申し訳ありません。今日、初めて天皇陛下にお目にかかるので、緊張しておりまして」

 高野さんはそう言うと、頭を軽く下げる。先月、御用邸本邸に滞在しているお母様(おたたさま)が横須賀国軍病院にお見舞いに来たので、高野さんはお母様(おたたさま)には会ったことがある。けれど、“史実”では、高野さんはお父様(おもうさま)と言葉を交わしたことがない。だから、今日の午後、御用邸本邸で開催される梨花会でお父様(おもうさま)に会うのが、とても大変なことだと感じているのだろう。

「大丈夫ですよ。お父様(おもうさま)いかめしい顔をしてますけれど、怖い人ではないですから」

 高野さんの緊張を和らげようと思ってこう言うと、

「それは殿下だからでしょう……」

高野さんはため息を付いた。

「殿下、本当に、前世で皇族の方々と関わることはなかったんですか?」

「あ、今は“殿下”って呼ばないで下さい」

 私は小さな声で、高野さんに注意した。この砂浜は一般の人もやってくることがあるので、私は髪型をいつものシニヨンではなく束髪にして、“療養中の海兵士官に付き添う看護師”を演じている。私の知り合いが見たら、すぐに正体を見破ってしまうだろうけれど、高野さんが私を“殿下”と呼んでしまったら、変装の意味が更に無くなってしまう。

「……まぁ、前世の父方の祖父は、皇室は大事なものだって事あるごとに言ってましたけど、私の前世は平民です」

 そう答えると、「本当かなぁ」と高野さんは首を傾げた。

「元老の方々、それに、両陛下や皇太子殿下に対して、でん……じゃない、貴女が全く気負うところがないから」

「だって、小さい頃から、梨花会のみんなには数え切れないくらい会ってますもん」

 今度は私が首を傾げた。「それに、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)も兄上も、私の大切な家族です。そりゃ、転生したって分かった当初は恐れ多かったですし、私の前世の感覚で考えたら、親子や兄妹で会う機会が少な過ぎますけれど、私に愛情を注いでくれているのはちゃんと分かります」

「うーん、貴女がそう言うなら、そうなんだろうが……」

 無理やり、という感じで首を縦に振った高野さんに、

「高野さんこそ、梨花会の面々に本当に萎縮してるんですか?」

と私は聞き返した。「大山さんに聞きましたよ。“高野は我々に物怖じする様子が無い。度胸がある”って」

「……ハッタリです」

 高野さんは難しい表情になった。

「貴女は勤務に出られているから知らないでしょうが、毎日毎日、元老の方々に散々に論破されています。俺の記憶の中でも、あんな過酷な試験を受けたことはありません。貴女が今の時の流れでの情勢を教えてくれなかったら、もっと酷い有り様になっていたでしょう」

(そうなるよねぇ……)

 私は苦笑するしかなかった。流石、一流の人材揃いの梨花会の面々だ。私の想定を、簡単に上回って来た。これでは、私が医者の権威を振りかざしながら、“トレーニングを優先させるように”と言って高野さんを救出するのは難しいだろう。

「しかし、昭和16年12月の時点でアメリカと戦うには、俺がやったようなやり方で一撃を食らわすしかないだろう、とは元老の方々に言われました」

「そうなんですか……」

「しかし、そうせざるを得ない状況を作り出しては絶対にいけない。戦いというものは、自分があらゆる面で有利な状況で始めるものだ、と児玉閣下に釘を刺されましたが」

「あらゆる面、っていうのは、例えば、資源の備蓄量とか、外交関係とか、経済力とかも含めての話ですか?」

「もちろん。正直に言うと、ハワイを奇襲した時の日本は、アメリカ・イギリスにあらゆる面で負けていました」

「だから本当は、あの状況そのものが無ければよかった……」

 私は呟くように言った。「アメリカと戦争しなければならなくなった遠因は、アメリカが日本と戦争をしていた中国に支援をしていたから。中国と戦争をしなくちゃならなくなった要因は……って大元をたどっていったら、日本が満州や朝鮮に手を出そうとしたのがマズかったということになる。転生したと分かったばかりの私から“史実”の話を聞いた梨花会の面々は、話を徹底的に分析してそういう結論を出した。だから日清戦争を起こさないように努力をしたし、朝鮮からも手を引いた……伊藤さんや山縣さんに、後でそう聞きました。アメリカやイギリスの考え方が混じっている私の話から、よく状況が分析できたなって思いますけれど」

「しかし、元老の方々がそうやって努力されたからこそ、“史実”と状況は大きく変わっている。今の日本が取るべき方向は、経済力を付け、諸外国から孤立しないよう、時に国際的な謀略も使いながら、巧みな外交を行って生き残ること。経済を回すには、日本を出発する船の、そして日本に到着する船の航海の安全を保証しなければならない。もちろん、万が一、敵が日本に上陸した時に備えることも必要」

「色々兵器も開発しないといけませんね。海上哨戒をやりやすくするために、飛行器はもっと発達させないといけないし、レーダーに潜水艦にソナー、それから対空兵器も充実させて」

「これから“ドレッドノート”が建造されてしまう。ただ、飛行器とそれに積む爆弾が発展すれば、戦艦はたくさん作っても意味が無い。戦艦よりは、海上護衛に適した駆逐艦や巡洋艦、空母を建造する方が……」

 そこまで言った高野さんの顔が歪んだ。

「……地味だ。とても地味だ」

「地味じゃいけないんですか?船団護衛や国土防衛だって、立派な軍人の仕事だと思いますけれど」

「それはわかるが、やはり軍人たるもの、日本海海戦、いや、対馬沖海戦のような……」

「高野さん、静かに」

 ヒートアップしてきた高野さんを、私は右手で制した。うるさかったからではない。前方に人影が見えたのだ。薄い青色の和服を着流した背の高い男性が、こちらに向かって砂浜を歩いてくる。それに気づいた高野さんが、慌てて口を閉ざした。

 男性は波打ち際を、だんだんこちらへと近づいてくる。銀縁の眼鏡を掛け、立派な口髭と顎髭を生やした中年男性だ。どこかで見たことがある気がして、記憶を探った私は愕然とした。

(お……お父様(おもうさま)?!)

 間違いない。服装こそ違うけれど、あの顔は数年前、私とイタリアのトリノ伯の剣道の試合をこっそり見に来た時のお父様(おもうさま)の顔と同じだ。それに、お父様(おもうさま)は昨日から葉山御用邸の本邸に滞在しているし、御用邸にいる時は、微行(おしのび)で、一人で散歩に出ることがあるのだ。実際にその現場に行きあったのは初めてだけれど、まさか変装して散歩をしているとは思わなかった。

「立派な方ですね。別荘に滞在中の客でしょうか」

 高野さんがそんな感想を漏らしている間にも、お父様(おもうさま)と私達との距離は縮まり、10mほどになった。流石に声を掛けないといけないな、と私が思った瞬間、お父様(おもうさま)が一瞬、私を睨みつけた。

(しゃ、喋るなってこと?!)

 私達が立ち止まっている間にも、彼我の距離はどんどん詰められていく。高野さんは男性の正体に気が付いていないけれど、知っている人が見たら、あれはお父様(おもうさま)が変装しているのだというのがバレバレだ。

「高野さん、余り人目につきたくないから、少し陸の方に寄りましょうか」

 私が小声で高野さんに言ったその時、お父様(おもうさま)が急にバランスを崩した。

「危ない!」

 私より先に、高野さんの体が動いた。無事な左脚で砂浜を蹴り、倒れ込もうとするお父様(おもうさま)の左肩を掴んで体を引き起こそうと……。

「あ」

 という声が、私の口から出たのか、それとも高野さんの口から出たのか、ハッキリとは覚えていない。ただ、右脚で着地した高野さんが、砂に脚を取られたのは分かった。負傷した側の脚だ。やはりまだ、完全には調子が戻っていないのだろう。

 そして、

「あたたた……」

高野さんは倒れ込んだ。

 ……お父様(おもうさま)の身体を下敷きにして。


「も、申し訳ありません!大丈夫ですか?!」

 流石、現役の海兵士官である。お父様(おもうさま)の身体を巻き込んで倒れてしまった高野さんの次の動きは迅速だった。

「お怪我はありませんか?!」

 パッと上体を起こし、お父様(おもうさま)の身体に体重を掛けないようにすると、高野さんは砂浜に倒れたお父様(おもうさま)の身体を後ろから抱きかかえる。

「あ、ああ、怪我は無い……です」

 立派な口髭と顎髭を持つ中年男性の声は、間違いなくお父様(おもうさま)のものだった。付け髭も砂に塗れているけど、剥がれてはいないし、銀縁のメガネも無事だ。

「ありがとう……ございます、海兵士官どの」

 お父様(おもうさま)の口から、普段は聞かない丁寧な言葉が出て来る。どうやらお父様(おもうさま)はこのまま、天皇ではない単なる一般人を演じるつもりのようだ。

 ……そう言えば、お父様(おもうさま)は、小さい頃もだけど、今でもイタズラ好きなのだ。宮中でも、お母様(おたたさま)や女官たちをしょっちゅうからかうし、他愛もないイタズラを仕掛けることもある。それと同じ感覚で、どこの馬の骨とも知らない一海兵士官と、自分の正体を隠したまま喋ろうと企んでいるのだろう。

(いや、ちょっと待てよ。今、御用邸別邸にいる海兵士官は高野さんだけって、お父様(おもうさま)は絶対知ってるはずだから……で、でもとにかく、高野さん、お願いだから無事にこの場を切り抜けて!)

 私は少し離れた場所から、祈るように2人を見つめることしか出来なかった。

「そな……海兵士官どのこそ、大丈夫ですか」

(今、言いかけた!“そなた”って言いかけたー!)

 お父様(おもうさま)は、自分の正体を隠そうと思っているにも関わらず、一般人にはふさわしくない言葉を口にしようとしてしまっている。このままでは絶対にボロが出る。

「いえ、俺は大丈夫です。俺の方こそ、あなたを下敷きにしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

 唯一救いなのは、高野さんが目の前の男性の正体に気付いていないことだろう。高野さんは立ち上がったお父様(おもうさま)に、深々とお辞儀をした。

「ご丁寧に、ありがとうございます。……横須賀の軍港から外出されたのですか?」

「いえ、そうではなく……」

 お父様(おもうさま)の問いに、高野さんは一瞬言葉を詰まらせ、

「この近所に家を借りて、療養しているのです。後ろの女性は、俺に付き添ってくれている看護師で……」

こう続けた。外に出る前の申し合わせ通りの設定だけど……お父様(おもうさま)には私の変装は、とっくにバレているだろう。お父様(おもうさま)がチラッと私に視線を向けたその時、

「俺は、先日の対馬沖海戦で怪我をしまして」

と、高野さんが大きな声で言った。恐らく、相手の注意を私から逸らそうとしてくれたのだろう。ありがたいけれど、この場合、余り意味はない。しかし、

「ほう、あの大海戦でですか」

お父様(おもうさま)は見え見えの計略に乗っかってくれた。多分、高野さんの意図は見抜いているけれど。

「きっと、活躍されたのでしょうね」

 お父様(おもうさま)の言葉に、

「いえ……」

高野さんは首を横に振った。

「俺は、大砲の爆発に巻き込まれて怪我をしてしまい、戦いの場から離れざるを得ませんでした。我が方の勝利が確定した時の万歳三唱を、俺は負傷者の収容所で聞きました。俺は何で、あの万歳三唱に参加できなかったのかと思うと、今でも悔しさがこみ上げてきます」

(あ……)

「俺は、乾坤一擲の大海戦の場にいたのに、何の役にも立てませんでした。だから身体が治ったら、今度こそ華々しい戦果を挙げて、国のお役に、天皇陛下のお役に立ちたいと思うのです」

 そうお父様(おもうさま)に話す高野さんの表情は、真剣そのものだ。もちろん、目の前の男性の正体がお父様(おもうさま)本人だとは悟ってはいないけれど……。

(もしかして、高野さん、“軍人は華々しい武勲を挙げなければならない”って思ってる?)

 私はそうは思わない。国土防衛や補給、諜報など、一見地味に見える分野こそが、日本を真に守ることに繋がると信じている。けれど、それは、私が未来の日本で生まれ育ったという前世を持っているから抱く思想なのかもしれない。この時代の軍人は、……いや、どの時代の軍人も、派手な勝利や華々しい戦果を目標にする人が大半だろう。

(もしその考えが、“史実”の日本海海戦の勝利によって、当時の軍人の中で強化されていたとしたら……もしそうなら、“史実”の日本海海戦以上の勝利になった対馬沖海戦が、分かりやすい勝利を求める考えを強化する危険があるってことよね。そうなると、日本の軍事戦略が変な方向に……!)

 私が最悪の想像をしてしまった時、

「ち……わたしは、貿易商をしておりましてね」

突然、お父様(おもうさま)がこんなことを言い始めた。

(……じ、自分のことを“朕”って呼ぶ貿易商が、どこの世界に存在してるのよ!)

 私は心の中で、思いっきりツッコミを入れた。もちろん、私の方を見ていないお父様(おもうさま)に気づかれることはなく、

「わたしは去年の秋、北アフリカのタンジールという街に商用で滞在していました」

お父様(おもうさま)は嘘の自分語りを続けた。

「ある日、街を散歩しておりましたら、日本人の男を見掛けました。遠く離れた異郷の地です。つい懐かしくなり声を掛けまして、色々と話し込みました。すると、“ここで会ったのも何かの縁だ。助けてくれないか”と男が言い始めたのです」

「はぁ……」

 高野さんは、呆気に取られたような表情で、お父様(おもうさま)の話を聞いている。私だったら、即座に話を止めてしまうところだけど、きちんと聞いているのは、高野さんの人がいいからだろう。相手の正体に不審を抱く様子もない。

「彼は、タンジール中の石炭と食料を買い占めたいのだと私に言いました。しかし、予想よりも食料が多く、買い占めるのに資金が足りないと。だから、私に金が無いだろうかと打診して来たのです。ちょうど仕事で大きく儲けたところで、彼が言う金額は簡単に出せる額でしたので、情けは人のためならず、と思い、くれてやるつもりでその男に金を渡したのです。そして、そのまま金のことは忘れていたのですが……その後立ち寄ったイギリスで、ある新聞記事を読みました」

「新聞記事ですか」

「ええ。タンジールに寄港したバルチック艦隊が、タンジールでの物価高騰により、補給がままならなくなった、という内容でした」

 お父様(おもうさま)の言葉に、高野さんがハッとしたように目を見開いた。

「そして、5月に日本に帰って来た時に、貿易商仲間から、更に興味深い話を聞きました。マラッカ海峡で、たまたまバルチック艦隊を見かけた。その時、軍艦に乗っている兵が見えたが、みな幽鬼のように痩せ細っていた、と……」

 その話は私も聞いた。けれど、話の発信源は、貿易商ではもちろんなく、ドイツに向かっていた有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下である。恐らく、お父様(おもうさま)は聞いた話も使いながら、話を作っているのだろう。

「その後、日清連合艦隊の勝利の報を聞き、わたしは確信しました。タンジールでわたしに金を借りた男は、きっと日本の軍の命を受け、食料や石炭を買い占めることで、バルチック艦隊の力を削いでいたのだろう。そして、彼と同じような役目を負った者たちが、世界各地でバルチック艦隊を妨害して、バルチック艦隊の兵たちを幽鬼のように飢えさせたのだろうと……そのような状態では、砲弾も命中させられないでしょう。“腹が減ったら戦は出来ぬ”とも言いますし……おっと、血気盛んな海兵士官どのには、してはいけない話だったでしょうか」

「いえ……大変勉強になりました。お話いただいて、大変ありがたいです」

 そう言って一礼した高野さんは、

「しかし、まだ胸の中に、もやもやしたものがありまして……」

と呟くように言った。

「わたしでよければ、是非聞かせてください」

 微笑するお父様(おもうさま)に、

「その……確かに、敵の戦力を戦わずして削ぐことも重要なのですが、華々しい戦果が出る方が、天皇陛下もお喜びになるのではないかと思いまして……」

(……き、聞いちゃったよ!高野さん、本人に聞いちゃったよ!)

 高野さんは、前に立っているのはお父様(おもうさま)だと分かっているのだろうか。いや、もし分かっていたら、絶対にこんなことは聞かないだろう。……こうなったら、高野さんがこのまま、前に立つ人物の正体を悟らずに会話を終えることを祈るしかない。

「そうですね。これはあくまでわたしの意見ですが……」

 私はハラハラしながら、しかし外面では平静を装いながら、お父様(おとうさま)と高野さんの様子をうかがった。

「もちろん、華々しい戦果もお喜びになるでしょう。ですが、日の当たらないところで努力を重ね、他の者の戦果を引き寄せた者がいたならば、天皇陛下はそれを見逃さず、その者をきっとお褒めになると思います」

「……そうでしょうか?」

(そりゃ、本人がそう言ってるんだからそうだよ!)

 首を傾げた高野さんに、私は心の中でツッコミを全力で入れた。そんな私の状況を知ってか知らずか、

「ええ」

お父様(おもうさま)は微笑を見せながら頷いた。

「幸い、天皇陛下のおそばには、数多の賢臣が侍っていると聞き及びます。その方々を手足のように使い、国の隅々までご覧になって、例え目立つことが無くても、国のために努力をなさった方々をお褒めになる……それが陛下の仕事だと、わたしは信じております」

(あ、そうか……)

 私は、心の中でツッコむのをやめた。

――帝王たるもの、全ての者を分け隔てせず平等に愛さねばならぬ。

 お父様(おもうさま)は、私が戦場から帰って来た時にこう言っていた。そう思うから、派手な戦果を挙げた人だけではなく、見えないところで努力をして、国家に貢献した人も褒める、そう高野さんに答えたのだろう。それが自分の役割だと……天皇としての役割だと考えているから。

 と、

「おや、看護師さんが心配していますよ、海兵士官どの。そろそろ、宿所に戻る方がよろしいのでは?」

お父様(おもうさま)が、微笑を含んだ瞳で私を見やった。

「そ、そうですね。ためになる話を聞かせていただき、ありがとうございました」

 高野さんが再び、お父様(おもうさま)に頭を下げた。

「療養が終わった後、どんなに地味な役目が課されようとも、一生懸命こなす所存です」

「一介の貿易商の話が、役に立ったようでよかったです。では、わたしはこれで」

「はい、お気を付けて」

 お父様(おもうさま)は砂浜を、元来た方向へ悠々とした足取りで去っていく。高野さんと私は、その後ろ姿が小さくなるまで見送った。


「色々と、反省いたしました」

 御用邸別邸に戻る途中、高野さんがポツリと言った。

「反省……ですか?」

 私の問いに、高野さんは「ええ」と頷くと、

「どうしても、頭の中に日本海海戦の劇的な勝利があるのです」

と話し始めた。

「それは俺だけではなく、“史実”の日本人、全てがそうだったかもしれません。戦争の決着は、華々しい戦いで付けなければならない。そう思い込んでいたところがありました。……しかし、戦争は決して、華々しい戦いばかりではない。索敵や補給、諜報など、一見地味な部分も大事です。そういったものの上に、この時の流れでの対馬沖海戦の勝利があったのだと実感しました」

「“史実”でも、似たようなことはやってたみたいですよ」

 私は横から付け加えた。

「ただ、今回は、梨花会の面々がバルチック艦隊を散々にいたぶったんです。寄港予定地の物資買い占めもそうですけれど、イギリスに手を回して、スエズ運河の通行基準を変えてバルチック艦隊を通れなくしたり、イタリアのマスコミを操って、“バルチック艦隊がイタリアを攻撃する”ってイタリア海軍に思い込ませて、イタリア海軍に地中海でバルチック艦隊を妨害させたり……おまけに、マスコミに偽の情報を流してバルチック艦隊を疑心暗鬼にさせて、同士討ちを誘発させたりしたんです。本当に、敵ながら可哀想になるくらいでした。それなのに、あの人たち、“日本海にたどり着くまでにバルチック艦隊を沈めてしまうつもりだったのに”って歯軋りして悔しがって」

「それは……ロジェストヴェンスキー提督が気の毒になって来ました……」

 高野さんの顔が再び青ざめた。「一致団結したあの方々に敵うものなど、何もありませんから……」

「まぁ、今回の海戦が分析されたら、バルチック艦隊の弱体化に諜報が大きく関わってたことは世界に知られるでしょうね。そうしたら各国が諜報組織を作り始めるから、こんな上手くは行かなくなると思いますけど」

「そうか……俺も認識を改めなければな」

 高野さんが両腕を組んだ。

(私も……だね)

 私は高野さんに心の中で返答した。お父様(おもうさま)は、高野さんだけではなく、私にも、自分が天皇として何を大切にしているか、それを教えてくれたのだ。それを踏まえてどうするか……私は兄に、どのような為政者になって欲しいのか、それを考えなければならない。

(梨花会の面々と対等に議論が出来るって、おまけを貰って認められた感じだけれど、更にその先を考えないといけない、っていうことか。本当、お父様(おもうさま)も梨花会の面々も、私に対して容赦がないなぁ)

 そんなことを考えていると、

「……しかし、戦争のいわゆる“裏方”部分に人材を集めるには、“裏方もカッコいい”と国民に思わせる必要がある」

高野さんがこう言った。

「医学分野は殿下がいるから宣伝は不要としても、補給、兵器開発、兵器生産、海上護衛、諜報……」

「学校教育で刷り込んだ方がいいかもしれないですね。国語や道徳の教材に、“裏方もカッコいい”みたいな文章を使ったり、諜報部隊同士の戦いを扱った小説を流行らせたり……西園寺さんに相談してみてもいいかもしれないですね」

「諜報部隊同士の戦いとは……また突飛なことを考えつかれますね」

「前世の父親が、その手の娯楽映画が大好きだったんです。でもその手の映画って、最後は、爆薬と筋肉で全てが解決することが多いんですけどね」

「なるほど。確かに娯楽なら、派手な方がいいからなぁ」

 微笑した高野さんが、「そう言えば……」と、突然難しい表情になった。

「あの貿易商、一体何者でしょうか」

(うっ!)

 私は動揺を顔に出さないよう、必死に自分をコントロールした。

「話し相手が俺だったから良かったが、中央情報院の活動は、なるべく大っぴらにならない方がいい。余り話し過ぎないよう、口止めする方がいいかもしれない」

「そ、そうですね」

 眉を曇らせた高野さんに向かって、私は慌てて首を縦に振った。

「後で大山さんに会ったら、あの人の正体を調べるように伝えておきますね」

「お願いします」

 高野さんは特に私の態度を不審がることなく、私に軽く一礼した。

 それから2分ほど歩いて、御用邸別邸に戻ると、

「あら、章子さん、高野さん、お帰りなさい」

母が私達を出迎えてくれた。

「ちょうどよかった。たった今、本邸から、陛下から章子さんにご伝言がある、と電話が入ったんです」

「私に……伝言?」

 一体なんだろう。首を傾げた私に、

「ええ。“言うでないぞ。絶対に言うでないぞ”というお言葉だったんですが……」

(はいぃ?!)

「章子さん、何のことだかわかりますか?」 

「さ、さぁ……?」

 もちろん分かる。さっき砂浜で出会った貿易商の正体が自分だと、高野さんに悟られるな、ということだ。やはりお父様(おもうさま)は、さっき話した海兵士官が梨花会の新入りだと知っていて、わざとあんな話をしたのだ。ニンマリ笑ったお父様(おもうさま)の顔が、目の前に見える気がした。きっとお父様(おもうさま)は、午後からの梨花会の席で、「朕の顔を見忘れたか?」と高野さんに言いながら、銀縁眼鏡と付け髭を顔に装着するに違いない。

 一方、お父様(おもうさま)のイタズラのターゲットにされた高野さんは、

「さて、麦湯をいただいたら、竹刀の素振りでも致しますか」

と言いながら、別邸の廊下を食堂の方向へと歩いていく。その足取りはしっかりしていた。

 数時間後に彼の身の上に起こるであろう惨劇を思い、私は思わず、高野さんの後ろ姿に軍隊式の敬礼を送ったのだった。

※あくまで主人公個人の見解ですよ!「爆薬と筋肉ですべてが解決する」っていうのは!(強調)



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[気になる点] 誤字ではありませんが、五十六さんのセリフで気になる点がありました。 ------------------- 「申し訳ありません。今日、初めて天皇陛下に会うので、緊張しておりまして」 -…
[一言] この世界では謀略と美女の写真で決着が付くのがエンタメの定番に……
[一言] お父様 良いこと言ってんだけどな… やっぱり、いたずら好きは治らないと。 対馬沖海戦の悪影響 確かにこれは問題ですね。史実でも日本海海戦の大勝利を得た海軍に対し、奉天会戦で決定的勝利を逃して…
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