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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第39章 1905(明治38)年雨水~1905(明治38)年芒種
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1905(明治38)年4月の臨時梨花会

※ミスを訂正しました。(2020年12月27日)

 1905(明治38)年4月22日土曜日午後2時半、皇居。

「……という訳で、有栖川宮(ありすがわのみや)殿下がご出発前になさった予測が、見事的中した形になりました」

 恭しく報告した参謀本部長の斎藤さんに、

「うむ」

お父様(おもうさま)がゆったりと頷いた。

 今月の1日、有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下夫妻が、ドイツ船籍の客船でヨーロッパに向かった。その航海の途中の16日、シンガポールに入港する直前に、親王殿下夫妻の乗った船がバルチック艦隊とすれ違ったのだ。親王殿下一行の中には、中央情報院の職員がいる。更に、親王殿下自身も現役の海兵中将である。艦隊が何隻で構成されているか、という基本的なことだけではなく、練度や艦の整備状況に至るまで、親王殿下一行は詳細に観察し、シンガポールに到着すると、すぐさまその情報を東京に打電した。そのため、今日急遽梨花会が開かれることになり、たまたま休日だった私も、日帰りで会議に参加することになったのである。

「戦艦が8隻、装甲海防艦が3隻、巡洋艦が9隻……“史実”では途中まで分離していたバルチック艦隊が、一挙にやって参りましたな」

 国軍次官の山本さんが唸るように言うと、

「一緒に来ても、やることは変わりないがなぁ」

国軍大臣の西郷さんがのんびりと応じる。そのやり取りを聞きながら、

(いや、やり過ぎな気がするんですけどねぇ……)

 私はこっそりこう思っていた。

 去年の11月初めにバルト海に面した港町・リバウを出港したバルチック艦隊は、梨花会の面々に執拗な嫌がらせ……ではなかった、様々な妨害を受けていた。

 バルチック艦隊はバルト海から北海に出て、そこからヨーロッパ大陸の西岸に沿って南下した。そして、スペインの南にあるジブラルタル海峡を通って地中海に入り、その東側にあるスエズ運河を通ってアジアに入る予定だった。

 ところが、地中海の入口、モロッコのタンジールというところまで来た時に、“砂の流入により、スエズ運河の水深が浅くなったため、喫水の基準が厳しくなった”という連絡が艦隊に入った。バルチック艦隊の目的地はウラジオストックだけれど、ウラジオストックの補給は、清軍やユダヤ人ゲリラ、日本海に展開する日本と清の艦隊に妨害されていて、燃料や弾薬などの補給がし辛いことが予想された。このため、バルチック艦隊は様々な物資を軍艦に満載したので、各軍艦は積み荷の重さで喫水が深くなっていた。従来のスエズ運河の喫水基準なら何とかスエズ運河を通行できたのだけれど、今回の基準改正により、バルチック艦隊はスエズ運河を通行できなくなってしまったのだ。もちろん、この基準改正に、外務大臣の陸奥さんの働きかけがあったのは言うまでもない。

――物資を捨てなければ、スエズ運河を通れない。

――しかし、物資を可能な限り持って行かなければ、極東で戦えない。

 バルチック艦隊の幕僚の間では、喧々諤々の議論が戦わされた。間の悪いことに、寄港しているタンジールでは、石炭や食料など、航海に必要な物資が極端に値上がりしていた。焚いても煙がほとんど出ない良質な石炭は全て品切れになり、悪質な石炭が普段の5倍以上の値で売られているという状況だった。もう少し先の寄港予定地なら多少は値段が下がっているかと思いきや、どの港でも同じ状態だった。これは、大蔵大臣の松方さんと、まだロンドンにいる大蔵次官の高橋さんの仕業だった。松方さんの指示を受けた高橋さんが、ヨーロッパの主要な港で、良質な石炭や保存のきく食料を買い占めたのだ。ちなみに、買い占めた良質な石炭は日本と清の艦隊に回され、食料はイギリス艦隊やドイツ、イタリア、オーストリアの艦隊に融通された。

 こんな状況なので、本国からは“持っている物資を大切に使うように”という指令が艦隊に届いた。艦隊が寄港地で購入する物資の代金は、最終的には国庫から払われることになる。それがとんでもない金額に膨らんできたが故の指示だったけれど、その指示に従うためには、空の輸送船を何隻か、どこかから融通してもらう必要があった。バルチック艦隊の要請に、“黒海の艦隊から輸送船を回す”と本国から回答があったのは、11月の末のことである。

 ところが、ここでも梨花会の妨害が入った。

 黒海と地中海との間には、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡という2つの海峡がある。この両海峡は、1878年、露土戦争で生じた国際紛争を解決するために締結されたベルリン条約で、“どの国の軍艦も通ってはならない”と規定されていた。

 ダーダネルス海峡とボスポラス海峡を領有するオスマン帝国は、ロシア外務省の必死の交渉にも関わらず、黒海艦隊に籍がある全ての船の通行を拒否した。もちろん、輸送船の通行も、である。ロシア側は諦めずに、黒海にいる仮装巡洋艦……普段は商船として活動しているけれど、有事になれば武装して戦争に参加する汽船を何隻か黒海から極東に派遣しようと目論んだそうだけれど、イギリスの圧力を受け、それも断念せざるを得なかった。“史実”では、何隻かの仮装巡洋艦が、この両海峡を通って極東までやってきたそうだけれど、この時の流れでは、オスマン帝国は、バルチック艦隊に参加しようとする船を1隻も黒海から出さなかったのである。外務大臣の陸奥さん、そして中央情報院が実行した策に翻弄され、バルチック艦隊は本国からの輸送船を待つしかなくなってしまった。

 本国から空の輸送船がやって来て、余剰の弾薬などをそちらに移してスエズ運河を通れるようになったバルチック艦隊は、12月20日ごろにタンジールを出港した。ところが、イタリア領のサルデーニャ島の近くまで来た時に、近海を警戒中のイタリア艦隊が、バルチック艦隊に砲を向けて立ちふさがり、

――増宮殿下のみならず、サルデーニャ島を奪おうとしている盗人野郎ども!停船せよ!さもなくば、砲をぶっ放す!

と無線で通告してきた。……この電文を打ったのは、どうやらイタリア艦隊に乗り合わせていたアブルッツィ公らしいのだけれど、これは、イタリアの新聞数紙に、“物資が枯渇しているバルチック艦隊は、略奪を行わんがため、サルデーニャ島を攻め取ろうと考えている”という記事が大々的に掲載され、それを信じたイタリア海軍がサルデーニャ島近辺を厳重に警戒していたために発生したことだった。中央情報院のマスコミ操作に、イタリア政府がまんまと乗せられてしまった結果である。

 バルチック艦隊がイタリア艦隊と戦ってしまえば、イタリアだけではなく、イタリアの同盟国であるドイツとオーストリアもロシアの敵になる。バルチック艦隊は慌てて地中海を西に引き返し、タンジールに戻った。もちろん、ロシア外務省は、バルチック艦隊にサルデーニャ島侵略の意志はないことをイタリア政府に説明したけれど、

――それならば、バルチック艦隊は地中海を航行しないでいただきたい。さもなければ、我々の艦隊が逆にバルト海に攻め入る。

という、イタリア政府の非常に強硬な態度を軟化させることはできなかった。結局、バルチック艦隊はアフリカの喜望峰を回って極東に向かうことになり、再度タンジールを出港して、アフリカ大陸西岸を南へと向かったのは、今年に入ってからだったのである。

 しかし、梨花会の嫌がらせはまだ続いた。今度は、中央情報院だけではなく、各メンバーが、日本の新聞記者や、日本に駐在している外国人の新聞記者に、“国軍が、少しでもバルチック艦隊の軍艦の数を減らして、来たるべき艦隊決戦で優位に立つために、アフリカ沿岸に水雷艇を派遣した”というニセ情報を流し始めたのである。

――わし、参謀本部に知り合いがおりましてなぁ。そのお方から聞いたとっておきの話、聞かせてあげましょか?

――おお、君、君、耳寄りな情報があるんである!君と吾輩の仲であるから、特別に教えるんである!

――僕は文部大臣に過ぎないから、この情報の価値が最初分からなかったのだが、フランス留学時代の知り合いに聞いたら、重大な情報だと言われたんだ。……知りたいかい?

 いつもは冷たい対応しかしてくれない議員や閣僚たちが、急に記者たちに甘い言葉を掛けてきた場合、疑ってかかる方がいいと思うのだけれど、新聞記者たちはこの単純な作戦に見事に引っかかり、“日本軍が水雷艇をアフリカに派遣した”という記事を、日本の新聞にも海外の新聞にも載せた。それをロシア本国が知り、バルチック艦隊に注意喚起する。バルチック艦隊は実際には存在していない日本の水雷艇や潜水艦に怯えながら、アフリカ西岸を南下することになった。

 そして、その極度の緊張状態が一つの悲劇を生んだ。今年の2月上旬、バルチック艦隊の1隻の駆逐艦の舵が故障した。隊列から離れ、その場で回るような航路を取り始めたその駆逐艦を、後続の軍艦が“日本の水雷艇の突撃”と誤認した。結果、バルチック艦隊の中で同士討ちが発生し、舵が故障した駆逐艦は沈められてしまった。この事件で、艦隊の士気は大きく下がってしまったのだった。

 その他、バルチック艦隊の寄港予定地では、“バルチック艦隊の将兵は略奪や強姦を行う”“日本軍が飲料水に毒を入れた”など、中央情報院の手の者がバルチック艦隊に不利な噂を流しまくっている。もちろん、物資を買い占めたり、物資を積み込むのに必要な(はしけ)を全部借り上げたりと、嫌がらせをすることも忘れてはいない。

「有栖川宮殿下のご報告から考えますと、バルチック艦隊は、“史実”以上に消耗しております」

 報告を読み上げた斎藤さんは、そう結論付けた。

 と、

「手厳しいとお思いですか、梨花さま?」

私の隣に座った大山さんが、私に優しく尋ねた。

「……さっさとギブアップして、日本近海に着く前に航海を中止してほしいなぁとは思うけれど」

 慎重に言葉を選びながら答えると、

「とんでもない。まだまだこれからでございますよ、増宮さま」

枢密院議長の山縣さんが冷たい声で言った。

「その通りだな、狂介(きょうすけ)。おそれ多くも増宮さまの身柄を狙う不届き者たち、この程度の妨害では生ぬるい……」

 総理大臣の伊藤さんが引きつった笑顔で山縣さんに同意すると、

「バルチック艦隊の諸君にも、無能なロシア政府の諸君にも、殿下を害そうとした罰を、たっぷり与えてやらなければねぇ……」

数々の嫌がらせを大山さんたちと一緒に行った外務大臣の陸奥さんが、瞳の奥に鬼火をちらつかせながら呟き、それに出席者のほぼ全員が一斉に頷いた。……どうやら、ロシア帝国は、一番敵に回してはいけない人たちを敵に回してしまったらしい。

(もしバルチック艦隊が日本近海にたどり着けたら、ロジェストヴェンスキーは“偉人”って称えられていい気がする……)

 私は思わず、バルチック艦隊に同情してしまった。

「卿らの妨害工作で、梨花に仇なすバルチック艦隊が、日本までの道中で海の藻屑と消え去ればよいが、このまま彼奴等が進めば、日本の近海に達するのはいつごろになるのだ?」

 厳しい声で問いかける兄に、

「“史実”と違って、バルチック艦隊の全勢力が結集しているので、“史実”であったカムラン湾で後続を待つのに数日を費やす、ということはないでしょう」

斎藤さんが冷静な口調で答え始めた。「しかし、“史実”より整備が不足していることもあり、バルチック艦隊の船足は若干“史実”より遅めです。恐らく、日本近海にバルチック艦隊が到達するのは“史実”通りの日取り……」

「ということは、“史実”のあの大海戦が見られるわけだな!」

 とても嬉しそうにこう言った参謀本部次長の児玉さんに、

「あの、そうとも限りませんよ?あなたたちのせいで、バルチック艦隊は弱体化しているみたいだから、日本近海にたどり着けない可能性もあります」

私は半分呆れながらツッコミを入れた。

「確かに増宮さまのおっしゃる通りですが……」

 児玉さんは私に向かってニヤリと笑った。「この目で見てみたいのですよ。奴らが、どれほど弱体化したかを」

 すると、

「ずるいぞ、源太郎(げんたろう)(おい)も海戦を見に行きたいのに!」

「そうだ!俺も見に行きたい!こんな経験、滅多にないからな!」

山本さんと、国軍大臣官房長兼軍務局長の桂さんが、駄々っ子のように口々に叫んだ。

(おい)も、連合艦隊がバルチック艦隊を追い詰める様子を見物したいですのう」

 彼らを止める立場にあるはずの上官の西郷さんも、のんびりとこんなことを言っている。

(国軍の上層部全員で連合艦隊の軍艦に乗り込んでどうすんだよ……)

 余りのことに、私はその場に崩れ落ちそうになった。

「斎藤君は、海戦を見に行かんでええのか?」

 上座の方から、三条さんが穏やかな声で尋ねる。「“史実”では海軍次官で、日本海海戦には参加してないやろ。今回は行ったらどうや?」

「やめておきます」

 斎藤さんは深いため息をついた。「この人たちが、全員連合艦隊の軍艦に乗ってしまったら、誰が本省と参謀本部の仕事をするのですか。それに、世界各国から、観戦のために武官を軍艦に乗せて欲しいという申し込みや、記者を従軍させて欲しいという申し込みが来ているのです。……いいですか、あなたたち全員を乗せられる隙間は、連合艦隊の軍艦には残っておりません。せめて1人に絞ってください」

 セリフが後半に入った時、斎藤さんは上官たちを睨み付けた。声にも激しい怒気が混じった。滅多に怒らない人が怒った時ほど、恐ろしいものは無い。児玉さんも桂さんも山本さんも、そして上官である西郷さんも、叱られた子供のようにしょげ返った。

「あー……じゃあ、今、軍艦に乗る人を決めちゃいますか?話し合いで決めようとすると、永久に決まらないでしょうから、くじ引きで」

 私がこう提案すると、

「ご慧眼でございます。では、早速くじを作ってしまいましょう」

大山さんが言って、白い紙を私に差し出した。渡された紙を4等分に切って、1枚だけに丸印を書くと、それぞれの紙を三角に3回折り畳む。混ぜ合わせた上で先ほどの4人に紙を選んでもらうと、当たりくじを引いたのは児玉さんだった。

「後でベルツ先生に、児玉さんの健康状態を手紙にして、“三笠”の軍医長に送るように頼んでおきますね。児玉さんには新しい薬を飲んでもらってますから」

 “新しい薬”というのは、忍にいるヴェーラが3年前に臨床試験をしていたインドジャボクの抽出物から作った降圧薬……血圧を下げる薬である。初めて児玉さんに出会った10年以上前から、児玉さんには減塩と運動療法をしてもらっているけれど、それでも血圧が抑えきれなくなった。たまたま、今年の初めに降圧薬の臨床試験が完了したので、それを内服してもらうことにしたのだ。ちなみに、懸念されていた“気分が沈む”という副作用は、児玉さんには発生しておらず、児玉さんの血圧は順調に抑えられていた。

「かしこまりました。お気遣いありがとうございます、増宮さま。十分に身体にも用心して、決戦を見に行くことに致しましょう」

 とても嬉しそうな顔を私に向けると、児玉さんは深々と一礼した。


 午後3時。

「兄上!」

 梨花会が終わり、お父様(おもうさま)が会議室から去ると、私は兄に呼びかけた。

「名簿を清書したやつ、今渡していいかな?」

「分かった。受け取ろう」

 兄が私に近づいてくると、大山さんが私に大きな封筒を恭しい手つきで渡す。その封筒を、私は兄に丁寧に渡した。

「うん、確かに預かった。昌子(まさこ)たちの書いたものと一緒にしておこう」

 兄が神妙な顔で受け取った封筒の中には、今回の戦争で戦死したロシア兵の名前を私が清書した紙が入っている。紙に書かれた名前は、全部で500人。こんなことをしているのには、とある事情があった。

 去年の10月、私がまだ横須賀国軍病院に赴任する前のこと。高輪御殿に住んでいる私の異母妹・昌子さまと房子(ふさこ)さまと允子(のぶこ)さまが3人そろって青山御殿にやってきたのだ。私の方から高輪御殿に遊びに行くことはあるけれど、彼女たちから青山御殿に来ることはほとんどない。どうしたのかと尋ねたら、

――実は、章子お姉さまがお父様(おもうさま)に、“敵味方問わず戦死者の冥福を祈りたい”っておっしゃったと聞いて、私たちも何かできないかと考えていて……。

――そうしたら、佐々木の爺が、“戦没者の名前を清書して、それを然るべき場所に奉納したらどうだ”って教えてくれたの。

――ねぇ、章子お姉さま。私たち、戦没者のお名前をお清書していいかしら?

 華族女学校の高等中等科第3級の昌子さまと初等中等科第1級の房子さま、そして初等中等科第2級の允子さまは、口々にこう言った。私の時代の言い方だと、中学2年から高校1年、まだ15歳前後の妹たちが、自分たちで出来ることをしっかりと考えている。彼女たちの輔導主任である佐々木伯爵の教育の賜物だと私は思った。

――もちろんいいと思うよ。

 私は妹たちに微笑した。

――でも、私も仲間に入れて欲しいな。それに、兄上も仲間に入れて欲しいって言うと思う。兄上の予定を問い合わせて、一緒に話してみようか。

 私の答えに、妹たちは揃って“はいっ”と返事してくれた。

 その後、兄や、他の弟妹たちにも呼びかけた結果、私のきょうだい全員が、戦死者の名前の清書に参加することになった。允子さまと輝仁(てるひと)さま、それに聡子(としこ)さまと多喜子(たきこ)さまが日本軍の戦死者名を、兄と節子(さだこ)さま、昌子さまと房子さま、そして私がロシア軍の戦死者名の清書を担当する。けれど、ロシア軍の戦死者名簿を手に入れるのに難航し、私が清書を始められたのは今月に入ってからだ。ちなみに、清書した名簿は、日本軍のものは靖国神社に、ロシア軍のものはニコライ堂に納められることになっていた。

「陸戦での死者がほとんど出てないのは幸いだね。ロシア軍も清軍も、戦争が始まってから半年以上経った今でもにらみ合ったままだし、沿海州のユダヤ人ゲリラも、シベリア鉄道の破壊だけに全精力を注いでるしね」

 私がそう言うと、「そうだな」と兄は首を縦に振った。

「しかし、ロジェストヴェンスキーが諦めなければ、海戦での死者はまた増えるだろうな」

「そうだね……。ああ、明石さんの工作が、その前に成功すればいいんだけど、ロジェストヴェンスキーの奴が何らかの形で失敗しない限り、事態が動かないんでしょ。決着がつくのが長引くと、また増税か外債発行をしないといけない……」

 戦費を調達するため、外債の発行だけではなく、増税も行われている。今まで塩や砂糖、絹織物に掛けられていた消費税が、毛織物と石油にも掛けられることになり、相続税が新設された。また、煙草も政府の専売制になっている。伊藤さんや原さん、斎藤さんによれば、

――地租や所得税、営業税などの税率が上がっていない分、“史実”よりはまだマシです。

……ということだけれど、戦争がとても長引いてしまえば、更に増税をしないといけないかもしれない。そうすると、日本国民からの不満も出てくるだろう。

「難しいな、国家の問題の調整というものは」

 兄が軽くため息をついた。「しかし、……俺もいずれは、やらなければならない時が来る。その時は梨花、お前も上医として、俺を助けてくれよ」

「ん……頑張るよ、兄上」

 頷くと、兄が私の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。

※トルコのダーダネルス海峡・ボスポラス海峡の通行については何度か条約が結ばれていますが、この時点ではベルリン条約でいい、はずです。(池井優.日露戦争とトルコ:日露戦争史の一断面.法學研究.第77巻第3号.P1-17)

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― 新着の感想 ―
[一言] 梨花会の、どころじゃない政府の良心、斎藤さんって感じだな。
[気になる点] ポスポラス海峡ではなくボスポラス海峡では…?
[一言] ロジェストヴェンスキー めげないなあ。でもこのままだと史実と違い、海の藻屑になりそうですが。というか、良く、バルチック艦隊の水兵たちが反乱を起こさないものかと。 海峡通貨問題 私も以前、wi…
感想一覧
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