お茶会兼お見合い
※多喜子内親王の学年設定が間違っていたため訂正しました。(2021年7月31日)
1904(明治37)年10月1日土曜日、午後3時。
「梨花さま、そろそろ機嫌を直してください」
宮城から青山御殿に戻る馬車の中。私の右手を握りながら、黒いフロックコートを着た大山さんが、私にそっと囁いた。
「大山さん……私、機嫌は悪くないよ……」
軍医少尉の真っ白な正装に身を包んだ私は、うつむいたまま力無く答えた。
「ただ、ツッコミを入れたい、じゃない、文句を言いたいことが多過ぎて、あきれてるだけで……」
ため息をつくと、先程新しくお父様からいただいて身につけた勲一等旭日桐花大綬章が、とても重たく感じられる。もちろん、腰の軍刀は、あの国宝級の名刀・大典太光世だ。昨日軍医学校を卒業出来たから、今日付で軍医少尉にもなった。一昨年の夏、私が軍医学生になるのに伴って行われた貴族院令の改正により、貴族院議員にも今日付で就任している。現役の軍人なので、実際に議会に出席はしないけれど、それでも、日本初の女性国会議員になったのには違いない。様々な重苦しさが私にのし掛かり、心身の疲れを増幅させていた。
「ほう、どのようなことでしょうか。差し支えなければ、俺に教えていただければ幸いです」
そんな私に、大山さんは優しく声をかける。
「あなたに怒られそうだから、言いたくない」
私は唇を軽く尖らせた。「今の日本には必要なことって、分かっているつもりだし……」
「なるほど」
頭上で、大山さんが微笑する気配がした。
「しかし、今回は事情が異なります。このまま梨花さまが思いを隠されておりますと、こじらせてしまうように思われます」
大山さんの手が、私の頭の上にそっと乗せられる。軍帽ごしに、彼の手の暖かさが伝わってくるようで、私はふうっと息を吐いた。
「ですからどうぞ、お心の中にあるものを俺にお聞かせください。俺は梨花さまの臣下でありますゆえ」
「欧米の銀行家たちが、公債の引き受けと引き換えに、私の写真を求めてきたって聞いてね……」
先程、大蔵大臣の松方さんから聞かされたことを、私は口に出した。アメリカでもイギリスでも外債を引き受けてくれる銀行が現れたので、総額600万ポンドの外債は無事に発行出来ることになった。ところが、引き受けた銀行側は、外債を引き受ける条件の一つとして、軍医少尉の正装を着た私の写真の贈呈を要求してきたのだ。
「嫌だって言ったら、万が一バルチック艦隊が日本海に回航して来た場合に戦争が続けられない。だから、国のためにはイエスって言うしかなかった」
「それはよく我慢なさいました」
大山さんは私の頭を軽くなでながら、私をねぎらってくれる。どうやら、今は何を言っても怒られないようだ。私は安心して、溜まった感情を外に吐き出し始めた。
「それにねぇ、ニコライが私の身柄目当てに戦争をふっかけるわ、日本だけならまだしも、欧米で私の写真が高値で取引されるわ、……ホントにもう、女一人にマジになっちゃってどうするの!後世の人に馬鹿にされるわよ!ああ、もうやだ、この欧米……」
「俺のご主君が大変に美しい淑女と世界に認識されたのはとても喜ばしいですが、こうも人気になってしまいますと、梨花さまのご夫君になられる方が大変になってしまいますね」
盛大にため息をつき、暗い顔でうなだれた私に、大山さんは顔に満面の笑みを湛えながらこんなことを言った。
(まぁ、そんな苦労をする人は、未来永劫現れないだろうけど)
大山さんに指摘しようとした時、馬車の動きが止まった。青山御殿に到着したのだ。私は大山さんのエスコートに従って、馬車から降りた。
「お帰りなさい、章姉上!」
玄関には、弟の輝仁さまが出迎えてくれていた。いつもこの時間なら和服に着替えている輝仁さまだけど、今は学習院の制服を着ている。これから、輝仁さま主催で、私の叙勲と任官を記念したお茶会が開かれるからだ。招待客は少なく、私の妹たち5人と、輝仁さまの遊び相手として青山御殿に来てくれる王殿下たち7人の計12人である。
「もうお客さまたち、みんな来てくれてる。あとは章姉上だけだよ」
「分かった。じゃあ、今日のお茶会の主催者として、案内をよろしくお願いします」
わざと輝仁さまに深々と頭を下げると、
「まかせてよ、章姉上!」
輝仁さまはにっこり笑って頷き、先に立って私を案内してくれた。
お茶会の会場となっている食堂には、既に招待客が全員集合していて、私の姿を見ると一斉に歓声を上げた。
「姉宮さま、軍医少尉の正装がとても似合っていらっしゃいます」
砲兵士官学校の2年生、北白川宮成久王殿下が、感激したような目で私を見つめている。他の王殿下たちも私に尊敬の眼差しを向けていた。
「そうかな?」
白い制帽を取りながら私は答えた。軍医学校時代の制服とは違って、軍医少尉の正装は金ボタンが2列になっている。赤い十字が染め抜かれた腕章は無くなり、代わりに医官である印の、蒲の穂をデザインした小さな徽章が襟についている。デザインが蒲の穂なのは、もちろん、大国主命の因幡の白兎の神話にちなんだものである。両肩には、黒地の階級章が肩の線と平行についていて、両袖にも山型の袖章が1本、金色の糸で刺繍されている。国軍が合同してから15年、軍人の正装の形も少しずつ変化しているそうだけれど、何が何だか、正装初心者の私にはよく分からなかった。
「章子お姉さま、とても素敵です!凛々しくて……」
すぐ下の妹の昌子さまが、私をうっとりと眺めている。
「ええ、もし章子お姉さまが殿方だったら、私、惚れてしまいそうです」
2番目の妹の房子さまはこんなことを言い、私に熱い眼差しを注いでいた。
「……どうもありがとう」
さっき皇居で欧米の銀行家に渡す写真を撮られた時と同じような営業スマイルで、みんなにお礼を言っておく。集まる視線が余りにも多いのでさり気なく目を逸らすと、食堂の後ろの方に、見慣れない2人が並んで控えているのが見えた。上の3人の妹たちの輔導主任である佐々木高行伯爵と、下の2人の妹の輔導主任である楫取素彦男爵だ。
(ああ、昌子さまたちが心配でついて来たのかな。けど、内輪の集まりだから、そんなに心配しなくてもいいのに……)
そう思いながら彼ら2人の様子を見ていた私は、奇妙なことに気が付いた。佐々木伯爵も楫取男爵も、自分たちが世話をしている昌子さまたちの方ではなく、成久殿下以下の凛々しい王殿下たちを、じっと見つめているのだ。まるで、品定めでもするかのように……。
(変だなぁ?)
そう思った時、
――そろそろ、どこに誰を嫁に出すか、考えなければならん。
お父様の言葉が、急に頭の中に蘇った。私が“日進”に乗る直前の送別会で、お父様が言っていた言葉が……。
(あ、これ、もしかして……昌子さまたちの、お見合い?)
動揺してしまった私は、愛想笑いを顔に浮かべて立っているのがやっとだった。
私のすぐ下の妹・常宮昌子さまは、華族女学校高等中等科の第3級。私の時代流で言うと高校1年生だ。
一方、この場にいる私の頼れる弟分たちの中で、一番年上なのは成久殿下だ。学習院に通っていれば中等科6年のはずだから、私の時代の高校3年生に相当する。ちなみに、弟分たちの中で一番年下なのは、中等科2年の北白川宮正雄王殿下。妹の中で一番年下の貞宮多喜子さまは、まだ初等小学科の第3級……小学1年生だ。
転生したばかりのころなら、高校3年生の男子と高校1年生の女子の、更にはもっと年下……小学生の女子が相手のお見合いなんて、“どう見ても早過ぎる”と文句を言っていた。けれど、今は明治時代である。女学校の生徒が結婚のために退学するというのはよくある話だ。それに、兄と節子さまなんて、兄が学習院の初等科を卒業した時に婚約が発表されている。小学生がお見合いのようなことをしても、全然不思議ではないのだ。
そして、この時代、妹たちや弟分たちの年代の男女が、一緒の空間にいる機会は少ない。もちろん、会ったことのない男女が婚約して結婚するなんてことはこの時代なら普通のことだけれど、婚約の前に顔見知りになっておければ、親密になる確率も上がるだろう。だからこそ、佐々木伯爵と楫取男爵は、このお茶会を、私の妹たちにふさわしい結婚相手を探す機会として活用することにしたのだろう。
(……なら、妹たちの幸せな結婚のために、この章子お姉さま、頑張っちゃうぞ!)
「じゃあ輝仁さま、おもてなしをよろしくね」
動揺から素早く立ち直った私は、こう決意すると、輝仁さまに優しく微笑んだ。
輝仁さまが廊下の方に合図をすると、青山御殿の職員さんたちがケーキを運んでくる。まずケーキを楽しんでから全員で集合写真を撮り、その後、くじ引きで5つのテーブルに分かれて歓談して解散する……というのが、私も手伝いながら輝仁さまが立てたお茶会のスケジュールだ。
(後半戦になってからどのテーブルでもお話が弾むように、前半戦で楽しい、和やかな雰囲気にしなきゃね)
そのためには、私以外の人にも話題の中心が移るといいと思うのだけれど、お客さまたちの質問は私に集中してしまった。王殿下たちは、東朝鮮湾の海戦のことを聞きたがる。妹たちは妹たちで、軍艦での生活……食事はどうしていたのかとか、自由時間は何をして過ごしていたのかとか、そういう日常的なことに関する質問を連発した。私が他の出席者たちが中心になりそうな話に誘導しようとしても、誰かがその目論見をすぐに崩してしまう。おかげで、お茶会の前半は、私が半分ぐらい喋る羽目になった。
廊下に出て集合写真を撮っている間に、職員さんが食堂のテーブルの配置を変える。私達が戻った時には、食堂には5つの丸いテーブルが配置されていた。
「では、増宮さま。この中から、紙を1枚お取りください」
四角いお盆を持った大山さんが微笑む。お盆の上には、紙が14枚乗っている。全て何回か折りたたまれ、書いてある中身が見えないようになっている。私はその中から無造作に1枚選んで、紙を開いた。
「“は”の1番ですね」
大山さんが中身を確認して、一同に紙を掲げてみせる。テーブルは“い”“ろ”“は”“に”“ほ”と記号が振られ、椅子にも番号が振られている。“は”のテーブルは2人席、残りのテーブルは3人席だ。
(よっしゃ!)
私は心の中でガッツポーズを決めた。これで、“は”の2番を輝仁さまが引けば、残りのテーブルはお客さまたちで占められることになる。妹たちのお見合いには絶好のチャンスだ。
(ふふふ……これで、昌子さま達が残りのテーブルにうまくバラければ!)
紙は、生まれた順に選ぶことになっている。輝仁さまと相席になるように、そして、招待客たちの男女比がうまくバラけるように、私は祈っていた。
ところが、
「あ」
有栖川宮栽仁王殿下が、紙を開いた時に、弾んだ声を上げた。
「“は”の2番ですね」
大山さんがこう言いながら、紙をみんなに示す。
(あう……)
計画が早くも崩れ去り、私は落ち込んでしまった。何ということだ。これでは、栽仁殿下が見合いの席からあぶれてしまうではないか。
(うーん、私が何とか退席出来れば……ってダメだ。一応主賓だから、食堂に居続けるしかない。かと言って、今から席の配置を変えるのも無理だし……)
どうやったら、栽仁殿下を、妹たちと上手く近づけることができるだろうか。必死に考えているうちに、席は全部決まってしまい、私はおとなしく指定の席に座るしかなくなってしまった。
「姉宮さま?どうなさったんですか?」
栽仁殿下は、私の顔を見るやいなや、心配そうに私に尋ねた。
「何だか、とてもお顔が怖いです。どうしたんですか?」
「あ、ああ……何でもない、うん」
私は慌ててテーブルの上のビスケットをつまみ、口に持っていった。流石、我が青山御殿の料理人さん謹製のお菓子、どれも美味である。
「ごめんね、栽仁殿下。私が相手じゃ退屈でしょ。輝久殿下のテーブルに行ってきたら?」
ビスケットを食べ終わった私は、学習院の同級生の名前を挙げて、こう促してみた。けれど、
「ううん、僕、ここのテーブルから動きません。姉宮さまとご一緒できて嬉しいです」
栽仁殿下はこんなことを言って、ニッコリ微笑む。
「ダメよ。このままだと、あなた、一生後悔することになる。あなたのお父様も悲しむかもしれない」
有栖川宮家の跡取りである栽仁殿下のお嫁さんなら、家柄的に最適なのは内親王……つまり、私の妹たちだ。この機会を逃せば、妹たちの婿候補リストから、栽仁殿下の名前が抜けてしまう。そう思って言ったけれど、
「何でですか?」
と逆に栽仁殿下に聞かれてしまい、私は答えに詰まってしまった。
(た、栽仁殿下、このお茶会は昌子さまたちのお見合いも兼ねてるって、知ってるのかな……えーと、えーと、えーと……)
「……姉宮さま?姉宮さま?」
身体が急に揺れ、考えていたことが頭の中から消えてしまった。気が付くと、栽仁殿下の心配そうな顔がすぐ目の前にあった。
「大丈夫ですか?今度は、お顔が真っ赤になって……少し休まれる方がいいんじゃないですか?」
「だ、大丈夫よ。大丈夫……」
視線で飲み物を探したけれど、あいにくとテーブルの上には見当たらなかった。すると、栽仁殿下が軽く手を挙げて、廊下に控えている職員さんを呼ぶ。やってきたのは、なぜか大山さんだった。
「姉宮さまに、何か飲み物を持ってきていただけますか?」
「これは失礼いたしました。紅茶をお持ち致しましょう」
「ああ、お、大山さん、私がやるから……」
栽仁殿下に一礼した大山さんを、私が慌てて立ち上がりながら制すると、
「増宮さま」
大山さんが苦笑しながら私を見つめた。
「このような時は、淑女は紳士の好意を、素直に受け取るものでございます」
「い、いや、だけど、あなたに紅茶を持ってこさせるわけには……」
「俺が致します」
食い下がる私を軽く突っぱねると、
「これもご修業でございますよ、増宮さま」
大山さんはニッコリ笑って去っていった。
「はぁ……」
(ご、ご修業って何よ、もう……。いや、確かに、このまま立ち去れたらラッキーだな、とは思ったけれど……)
ため息をつきながら椅子に座り直すと、
「やっぱり、姉宮さまって、自分でやれることは自分でやろうとなさいますね」
栽仁殿下が微笑しながら言った。
「そうね。……それに、大山さんは私の大切な臣下だから」
そう答えると、
「大切な……臣下ですか」
栽仁殿下が、少し驚いたように言った。
「そう、大切な臣下。色々あって、そんなことになったけれど、……でも私にとっては、臣下とは言っても、先生の1人でもあるし、父親代わりみたいな人だから、頭が上がらないし、大切な人だと思ってる」
彼と初めて会ってから、もう15年経つ。今まで彼と一緒に経験したことを思い出しながら、私はこう答えた。
「大切だと思うから、彼に何かしてあげられないのかなと思う。それに、軍の階級は、大山さんの方が私よりはるかに上だし、もちろん人物だって、私よりはるかに上。だから、さっきみたいに、自然と身体が動いてしまう。大山さんは、“それは淑女らしくありません”って決まって言うんだけれどね……」
苦笑いが自然と顔に浮かんだ。内親王らしく、淑女らしく振舞わなければならない場面があるのは承知しているけれど、心のどこかで、それは自分を偽っているように感じてしまうのだ。
「だからせめて、私は早く一人前になりたい。医師免許はあるし、軍医学校も卒業して任官はされたけれど、医者としてはまだまだだ。だから、もっと修業して、一人前になりたい。それが大山さんへの恩返しかなって思ってる」
すると、
「僕も、早く一人前になりたいです」
栽仁殿下が力強い声で言った。
「早く一人前になって、姉宮さまを守りたいです」
「あら」
私はクスッと笑った。そう言えば、3年ほど前のお正月にも、私への子供らしい憧れから、栽仁殿下はそんなことを言っていた気がする。
(私の時代で言ったら、もう高校2年のはずなのに、まだ子供らしさが抜けてないみたい。可愛いなぁ)
「感心だね、私を守ってくれるなんて。じゃあ、もしもの時にはお願いするね」
思わず栽仁殿下の頭を撫でると、
「姉宮さま、僕、もう子供じゃないです」
彼はそう言って眉をしかめた。
「子供よ。だってまだ、あなた、士官学校にも入ってないじゃない」
「でも、もう17歳です」
「私より4つも年下じゃない。私より背が高いからって、変に大人ぶっちゃダメよ」
こんな子供っぽいことでは、昌子さまたちも栽仁殿下に好意を持ってくれない。ここは、姉貴分としてビシッと言っておいた方がいい。私は真剣な表情で栽仁殿下を見つめた。
「そんなんだと、昌子さまたちに呆れられちゃうわよ。あなた、今のスタート位置だと不利なんだから、成久殿下たちに負けないように、あなたの魅力を昌子さまたちにもっと伝えないといけないわ」
「え?」
「作戦会議よ、栽仁殿下。あなたと有栖川宮家の明るい未来のために、昌子さまたちにあなたを売り込むのよ!」
意気込んだ私だけれど、その直後に大山さんが紅茶を運んできたので、結局、作戦会議は出来ないまま、お茶会は終了してしまったのだった。




