近衛師団
※役職名ミスがありましたので訂正しました。(2020年9月27日)
1904(明治37)年3月1日火曜日午前9時、皇居・坂下門内にある近衛師団司令部。
「師団長閣下、本日より3か月間、医務部で実習をさせていただきます」
軍医学生の制服の白い詰襟のジャケットと白いズボンを身につけた私は、師団長室で前に立つ師団長に敬礼した。現在の近衛師団長は、歩兵中将の伏見宮貞愛親王殿下……一時期は私の結婚相手候補とも言われていた伏見宮邦芳王殿下の父親である。
「新島さんともども、どうぞよろしくお願いいたします」
私の後ろには、私と同じ制服を着た新島さんが立っている。彼女も国軍看護学校の実習で、今日から3か月間、医務部で私と一緒に実習するのだ。
「こちらこそ」
貞愛親王殿下は、私に答礼を返した。「まさか、軍服をお召しになった増宮殿下に会うことになるとは、2年前までは思ってもおりませんでしたが……非常に凛々しくて、美しくていらっしゃいます」
「お褒めいただき恐縮です」
「元山が朝鮮義勇軍を名乗るロシアの手先に占拠され、東アジアの情勢が不安定な中での実習になってしまい、不便なこともあるかもしれません」
「かも、しれませんね」
私はとりあえず、愛想笑いを返しておく。
「でも、せっかくですから、この機会に、軍医の業務のみならず、軍の実際の業務についても見聞を広げたいと思っています。それなら、ごたついている時期の方が、かえって勉強になります」
すると、
「おお……」
貞愛親王殿下が、感心したように頷いた。「流石は陛下のお子。肝が据わっていらっしゃる。“男であれば立派な大将になるだろう”と、幼いころには噂されておりましたな」
「恐れ入ります」
私が頭を軽く下げると、
「それに引き換え、邦芳は……」
貞愛親王殿下は、大きなため息をつき、
「本当に申し訳ありませんでした、増宮殿下」
そう言って、深々と頭を下げた。
「はい?」
「本当は、邦芳には、増宮殿下を娶って欲しかったのです。それなのに、邦芳は増宮殿下のことを嫌がり……」
「あー、全然気にしてないですよ」
私はわざと軽い調子で答えた。「そんな状態なら、無理やり結婚したとしても、お互いにとって不幸なだけです」
「しかし、それでは余りにも、増宮殿下にとって酷ではありませんか。亡くなられた想い人を心に秘められて、その方を亡くされた辛さと悲しみを紛らわせるために医学に打ち込み、そのまま一生を終えられるとは……」
(あー……)
貞愛親王殿下の言葉の奥にある思いを察した私は、戸惑ってしまった。この人は、“本来ならば、女性は仕事をせず、家庭に入るべきだ”と考えているのだ。女性の幸せは、仕事よりも、結婚して家庭に入り、家を守ることにある……そう思うから、“増宮殿下にとって酷”という言葉が出てくるのだ。
(幸せって、他人が決めるもんじゃないと思うけど……ま、しょうがない。ただ、真っ向からそのことを言って分かる人じゃないだろうから……あ、そうだ)
「“朕の娘ならば、医師免許のみならず、幸せな恋と結婚もあきらめるな”……お父様が以前、私が医術開業試験を受けると決めた時に、このような意味のことをおっしゃいました」
少し考えてからこう言ってみると、貞愛親王殿下が慌てて頭を下げた。宮家のご当主に、お父様の言葉が効くかどうか分からなかったけれど、どうやらこの場合は効果があったらしい。私は言葉を続けることにした。
「ですから私、一応、結婚も恋愛も諦めていません。医学の勉強は楽しいし、お父様と兄上を助けたいし、恋愛は苦手ですから、本当は結婚も恋愛も忘れちゃいたいんですけど、フリードリヒ殿下に怒られてしまいそうですから。……欲張りなんです、私」
「……失礼いたしました」
私に一礼して、頭を上げた貞愛親王殿下の顔には、微かに不満そうな色が出ている。それが一瞬で消えて、穏やかな表情に戻ったのは、私の視線が彼の顔に注がれているのに気が付いたからだろう。
「いいえ、気になさらないでください、師団長閣下。とにかく、これから3か月間、よろしくお願いいたします」
ここに長居はしない方がよさそうだ。それに、さっさと実習に入りたい。私は頭を深く下げると、踵を返して師団長室を退出した。
今日は実習の初日なので、まずは師団の概要の見学と業務の説明から……ということで、私は新島さんと一緒に、早速近衛師団の見学を始めた。案内してくれるのは、近衛師団の軍医部長の西郷吉義軍医大佐だ。東京帝国大学医科大学の卒業生で、森先生の1年後輩だと自己紹介された。
「せっかくの機会ですから、歩兵連隊の方にも参りましょうか」
軍医部長はそう言いながら、蓮池堀と三日月堀のほとりを歩いていく。石垣を眺めながらついていくと、江戸城北の丸の跡にある歩兵連隊の練兵場に到着した。おりしも、練兵場では歩兵・騎兵混じっての行軍訓練中のようで、威勢のいい掛け声が響いていた。
と、
「増宮さまだ!」
「増宮殿下がいらっしゃったぞぉ!」
練兵場から響く声の中身が急に変わった。
「うおおお!」
「増宮殿下、ばんざーい!」
行軍訓練中の歩兵さんの一部が、歩兵銃をその場に置き、こちらを向いて両手を上げ下げしている。
(あ、あんたら、訓練しろよ……)
そう思ったけれど、上官たちも彼らの行動を止める様子がない。とりあえず敬礼だけしておくと、兵隊さんたちが一斉に答礼した。
「増宮殿下が実習でいらっしゃると聞いて、我が師団の兵たちの士気が上がっているようでして」
「はぁ」
軍医部長に曖昧に返事をして、兵隊さんたちの様子を観察していると、一部の士官の顔が引きつっているのに気が付いた。周りの兵卒たちが興奮状態なので、怯えているのが余計に目立つのだ。
(あの士官さんたち、多分、学習院出身の人たちだよねぇ……)
私と同じ年ごろか、少し上の年齢の人たちは、順調にいけば士官学校を卒業して少尉になっている頃だろう。確か、近衛騎兵連隊の少尉である北白川宮恒久王殿下と、近衛第一歩兵連隊の歩兵少尉である伏見宮邦芳王殿下は、この練兵場の中にいるはずだ。それに、兄のご学友の南部利祥さんと徳川義恕さんも近衛師団の所属だったから、この練兵場のどこかにいることになる。
(ま、しょうがないよね。お互い、なるべく関わらないようにして過ごすしかないか)
泳いだ私の視線の先が、馬上の将校にぶつかる。恒久殿下だ。私と目が合った瞬間、彼は慌てて視線をあさっての方向にそらした。私はため息をつくと、軍医長に案内の続きをお願いした。
軍医部長の案内は、薬品や食料、そして兵器などの保管倉庫にも及んだ。どの倉庫にも、人が忙しく出入りして、大量の物資が集積されているのが分かった。
「軍隊の栄養補給、食事の献立に気を配るのも、我々軍医の仕事です。ここ10年で、軍隊の糧食は大きく変わりました。一番は、押麦を使った麦飯の導入です。あれで脚気の発生がピタッと止まりました」
軍医部長がこう説明してくれる。1895(明治28)年に国軍で麦飯が導入され、更に私と兄がほとんど毎日麦飯を食べていることが宣伝に使われた結果、麦の消費量は増大し、今まで安かった麦の値段は、ここ2、3年、米とほぼ同じぐらいで推移していた。
「森先生の功績ですね」
「ええ、惜しいことに、予備役に入られるそうですが」
軍医部長が軽くため息をつく。森先生が、ドイツの日本公使館で退役の手続きを始めたのは、先月の下旬のことだ。私にも森先生から電報が来て、“エリーゼと結婚します”と書かれていた。“詳報は別便で送る”とも書いてあったから、恐らく来月の終わりまでには、彼からの手紙が届くだろう。令旨を出すかどうかは、その手紙の内容を見て決めることにしたので、その旨、森先生に返電をしてもらった。
(私の時代なら、電話やメールで簡単に連絡が取れるけど、こればっかりは仕方ないよね。辛抱して待ちますか)
そんなことを思っていると、
「あの脚気論争では、増宮殿下も御活躍されましたな。まだ幼かった殿下が舞台に飛び出されて、青山君と石黒先生を叱りつけたのを、つい昨日のことのように思い出します」
軍医部長がニコニコしながらこう言った。
「やだ……ご覧になっていたんですか?」
「ええ、その頃には、私は既に軍医として奉職しておりましたから、当然、あの討論会に参りました。まさかあの場に殿下がいらっしゃるとは、夢にも思っておりませんでしたが」
(ですよねー……)
笑顔の軍医部長に、私は曖昧な微笑みを返す。このままだと、黒歴史をほじくり返され続けてしまうかもしれない。とっさに私は、
「軍医部長、栄養が適切に補給されれば脚気の発症は減りますけれど、その補給が前線でも適切に行われることが、脚気の撲滅には大事ですよね?」
と話題を変えに掛かった。
「流石です、増宮殿下」
軍医部長が深く頷く。「栄養のみならず、医薬品、衣服、そして兵器・弾薬・人員についても同じことが言えます。ですから、物資輸送が安全に、円滑に行われることは非常に大切です」
「だから輜重隊、それとその警護がすごく大事なんですよね。国内の輸送路の警備も」
「その通りです。いや、増宮殿下は本当によく、物資輸送のことを分かっていらっしゃいます」
軍医部長は嬉しそうに言った。
私がこの時代に転生したと分かって、初めて梨花会の面々に“史実”の知識を話した後、彼らに根掘り葉掘り聞かれたのが、日露戦争と第二次世界大戦・太平洋戦争の経過だった。
――本当に日露戦争で20万人も死傷者が出たのですか?!
――太平洋戦争では、最終的に本土攻撃・原爆投下に至ったということですが……どのような経過で?
お菓子や私の読めそうな本を手土産にして、爺の家を訪れる梨花会の面々は、様々な方向から質問を重ね、私の記憶を全て引き出そうと……それこそ、脳細胞の全てを白日の下に曝してしまえ、というような勢いで、私に回答を求めた。
そして、私の記憶を検証した彼らは、未来の破局を避けるため、様々な手を打った。
その中の一つが、軍隊の輸送の拡充と、その警備の充実である。輸送は素早く、そして安全に行わなければならない。だから新型の揚陸船も作ったし、人員、物資の輸送の際も、しっかりと護衛の人員や船舶を付けることが決められた。そして、伊藤さんが“史実”の記憶を得たことにより、“史実”の日露戦争で実際に行われた物資輸送の様子が詳しく把握され、更には、“史実”の記憶を持っていた斎藤さんが裏で奔走したことにより、輸送の強化はよりしっかりと行われた。現在、国軍における輸送用の人員は、“史実”の同じ時期の3倍ほどになり、護衛体制も強化された。沿岸警備も強化する方向で話が進んでいる。
「しかし、陸戦を行うことになれば、本当にあの物資量を輸送することになるのか……目いっぱい輸送して、ギリギリ間に合うかどうか……」
「ですよねぇ」
軍医部長の心配そうな口調に、適当に私も合わせておく。恐らく、日本が極東の動乱に巻き込まれるとしたら、まずは艦隊が出動することになる。それで元山を攻撃するか、ウラジオストックのロシア太平洋艦隊とぶつかるか、だろう。陸戦兵力が日本から投入される確率はかなり低いと私は思っていた。ただ、状況は刻々と変わるし、元山の事件を私は予測できなかったので、陸戦兵力が朝鮮半島に大量に輸送される局面も出現するかもしれない。
「朝鮮半島を取り巻く情勢は、風雲急を告げています。この近衛師団が外征する可能性もゼロではありません。何があってもいいようにしなければ……」
軍医部長がこう呟いた。確かにその通りだ。
「はい、軍医部長。私もこの3か月、頑張って実習します。よろしくお願いいたします」
私はこう言って、軍医部長に敬礼した。




