貴賓室(2)
※艦隊名のミスを訂正しました。(2020年12月10日)
「竹内艦長、事情を端折りすぎだよ」
竹内艦長の後ろにいた伊藤さんが、苦笑しながら言った。
「恐らく、この軍艦を買い入れたところから説明を始める方がよい」
「失礼いたしました」
竹内艦長は、まず私に、次いで伊藤さんに頭を下げる。そして、
「それでは、少し長くなりますが……」
と前置きして、事情を話し始めた。
イタリアのジェノバで建造中だった装甲巡洋艦“春日”と“日進”を、アルゼンチンから買い入れることが決定したのは、今から2年前、1902(明治35)年の夏だった。当時、フランスの日本公使館の駐在武官だった竹内艦長は、“日進”が完成した暁には、“日進”を日本に回航する責任者となるように命じられた。そのため、彼は“観光に行く”と称しながら、時折ジェノバの造船所を訪れ、工事の進捗状況を確認していた。
ところが、1903(明治36)年の年末、工事が終わって日本側に引き渡された“日進”を、設計図を見ながらもう一度確認していたところ、ある船室が設計とは違う仕上がりになっていることに気が付いた。注文した物より高級な家具が置かれ、机にはあろうことか菊の御紋があしらわれている。更に、その船室専用に、バスタブと洗面所、そしてお手洗いまでが設置されていたのだ。
――おい、これはどういうことだ!設計図と違うぞ!
当然、竹内艦長はジェノバの造船所の担当者を問い詰めた。設計通りに船が作られていない……それは場所によっては、想定外の脆弱性をその船にもたらし、沈没のリスクを上げてしまうのだ。
すると、
――なぁに、お代はそちらからはいただきません。サービスでさぁ。
造船所の担当者は陽気に答えた。
――いや、そういう問題ではないだろう!設計図通りに軍艦が仕上がっていないんだぞ!
竹内艦長は当然そう突っ込んだけれど、
――って言っても、勅令には逆らえませんぜ、旦那。
担当者は竹内艦長が予想していない言葉を告げた。
――ちょ、勅令?
――ええ、国王陛下の勅令ですぜ。おたくの国の、軍医になる別嬪なお姫さまのために船室を設えろって、勅令が下ったんでさぁ。
担当者は得意げに言うと、
――心配しなさんなって、水回りの配管とか動線とか、不具合がないように、あっしらがちゃーんとこしらえましたから。大船に乗ったつもりでいてくださいや。
と言いながら、竹内艦長に馴れ馴れしく近づき、肩をポンと叩いた。竹内艦長はイタリア側に正式に抗議することも考えたそうだけれど、グズグズしていると、ロシアの黒海艦隊が出張ってきて、“春日”と“日進”の回航を妨害する可能性もあったため、とりあえず日本への回航を優先することにした。
「で、設計図通りに作られていなかった部屋っていうのが、この部屋……」
私が確認すると、「さようでございます」と竹内艦長は大きく両肩を落とした。
(こ、国王陛下、余計なことを……)
今のイタリア国王はウンベルト一世。“史実”では4年前に暗殺されて亡くなっているのだけれど、梨花会が“史実”に介入した結果、暗殺を免れている。私に詫び状をくれたこともあったし、駆逐艦を1隻贈ってきたこともあった。
「そして、この机の上に、手紙まで置いてありまして」
「これですね」
陸奥さんが手紙を取り上げ、私に手渡した。封筒の表面には、“増宮殿下親展”“この机の上から動かすな”とフランス語で書かれている。裏面に書かれていた差出人の名前はヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=アオスタ……数年前、私と剣道の試合をした時に急に抱きつき、私が回し蹴りを食らわせた、あのセクハラ野郎・トリノ伯の本名だった。げんなりしながら封筒を開けると、私の読めない言語で文章が書かれた便箋が何枚か入っている。
「イタリア語……かな?」
と、
「私、大体読めます。公使時代に勉強しました」
牧野さんが右手を軽く挙げた。
(だから来たのか……)
“この机の上から動かすな”と書かれていても、“封筒の表裏を見るな”とは、封筒には書かれていない。私宛の手紙がイタリア語で書かれている可能性も考慮して、翻訳要員として牧野さんが呼ばれたのだろう。私は牧野さんに便箋を託し、翻訳した文章を読み上げるようにお願いした。
「久しぶりだね、増宮殿下!」
トリノ伯からの手紙は、やはり馴れ馴れしい呼びかけから始まっていた。
「君の姿を6年前に見て以来、君のことを片時も忘れたことは無かった!」
「私は忘れてたよ」
牧野さんが読み上げる翻訳文に、私は小声でツッコミを入れた。
「武勇優れた君との戦いは、今思い出しても胸が高鳴るのを覚える!」
「私は怒りを覚えたよ」
今まで面識が無かった男が、“結婚式を挙げよう”と言いながら、突然抱きついてきたのだ。怒らない方がどうかしている。
「さて、君が軍医になる道を選んだこと、誠に喜ばしく思う!やはり、武勇と知性を兼ね備えた女性は、どんどん社会に出て国家のために働くべきなのだ!」
「ああ、女性の社会進出に関しては、割と柔軟に考えてるんだ」
だからと言って、私にセクハラした罪が消えるわけではない。
「そこで、国王陛下の御命令もあった故、愚弟と語らって、我々からささやかな贈り物をすることにした!」
「愚弟って……、アブルッツィ公のことかな?」
確か、私と武芸をするか、登山をするかという本当にしょうもない理由で、お兄さんのトリノ伯と決闘をしていたはずだ。仲直りは出来たのだろうか。
「この部屋は、私と愚弟とで設計させてもらった!家具も増宮殿下に相応しい、最高級のものにしたよ!この手紙が乗っている机は、天板が開くようになっていてね。天板の裏は鏡になっているから、それを壁に立て掛ければ、ドレッサーとしても使えるぞ!本当は机とドレッサーを別にしたかったのだが、“家具は少ない方がいい”と愚弟が言うのでね。特注でこのようなものを作らせてもらった!」
大山さんが机に近づき、机の天板を上げる。確かにトリノ伯の手紙の通り、天板の裏には大きな鏡が付いていた。
「なるほど、工夫されていますね」
「これなら、髪の毛を結ったり、お化粧をしたりするときも使えそうだね」
大山さんに小声で返答していると、
「そして、机のそばの壁に掛けているのは、私が書いた小説の一場面を描いた絵だ!」
牧野さんの口から、とんでもない翻訳文が飛び出した。
「君の住まう国、日本を代表する高貴な戦士である“Samurai”が、炎を発する“KATANA”を振るい、雷を操る邪悪な“Ninja”と闘う場面だ!」
「はぁ?!天使と悪魔の戦いじゃないの?!」
私は壁に掛かった絵をもう一度見た。右側が“Samurai”で、左側が“Ninja”なのだろうけれど、どう頑張っても侍にも忍者にも見えない。しかも、侍も忍者も、こんな戦い方は絶対にしない。
「この小説は、2年前に書き始めてからヨーロッパ中で大評判になり、飛ぶように売れている!気高い“Samurai”が、闘いを繰り返す中で真の“Sekuhara-Yarou”を目指していく様は感動的だと、数々の評論家から賛辞を……」
「竹内艦長、あの絵、今すぐ取り外して捨ててください」
翻訳文の読み上げの最中だったけど、私はたまらず命令を発した。すぐに竹内艦長が動いて、壁から謎の西洋画を下ろす。
(マリーに変なことを吹き込んだ犯人、あんただったのかよ、トリノ伯!)
出会ったばかりのマリーが言っていた内容……それとトリノ伯が書いたという本の内容は一致する。どうやらこのセクハラ野郎、私の心証を、とことんまで悪くしたいらしい。
(マリーの読んだ本のあらすじを、もうちょっと詳しく聞いておくべきだった!セクハラ野郎って言葉が出た瞬間に、トリノ伯が犯人だって分かって、もっと早く手が打てたのに……!)
私が歯を食いしばっているそばで、
「この小説の主人公のように、私も立派な“Sekuhara-Yarou”を目指し、真の“Sekuhara-Yarou”になれる日を想像し……」
牧野さんの翻訳文の朗読は更に続いている。
「なるな!目指すな!妄想するな!」
私は手紙の向こうのトリノ伯に怒りを炸裂させた。
「日本文化が歪んで広められちゃうわよ、あんたの妄想のせいで!絶対に許さない!」
「なるほど、これですか、そのトリノ伯の著書は。作者の名前が“マリオ”となっていますが、ペンネームでしょうね」
陸奥さんが机の上に置いてある本を手に取った。
「大山さん!」
私は非常に有能で経験豊富な臣下に向かって叫んだ。「この本、発禁にできない?!」
「難しいですね、飛ぶように売れているということでは」
大山さんが苦笑する横から、「何、簡単なことです」と総理大臣の伊藤さんが言った。
「別の面白い本を、大々的に売り出せばよいのです。そして、トリノ伯の小説を大衆から忘れさせてしまうのです」
「別の面白い本と言うと、シャーロックホームズのシリーズとか?」
最近新作が発表され始めた、私の時代でも有名な名探偵の名前を挙げると、
「“明治牛若伝”です」
伊藤さんは厳かな口調で私に告げた。
「はぁ?!」
「あれを、ヨーロッパ諸国の諸言語に翻訳すればよい!それを大々的に売り込んで……」
「それは絶対にいやです!第一、あれだって発禁にして欲しいし、作者をぶん殴りたいのに!」
「それでは、李鴻章どのたちが書いている、増宮さまを彷彿とさせる美少女が出てくる本を翻訳して……」
「断固反対します!」
「そんな!あれも面白いのに、増宮さまはお読みになっていないのですか?!」
大騒ぎになってしまった私たちに、
「あの、増宮殿下、伊藤閣下」
斎藤さんが呆れ気味に呼びかけた。
「それで、この部屋はいかがいたしましょうか?」
「……一応、イタリア側の好意、という話になるから、使わないとまずいですかね、陸奥さん」
陸奥さんに尋ねると、
「そうですね。ここでこの部屋を破壊して、トリノ伯とアブルッツィ公の決闘をまた引き起こすのも一興ですが」
彼はニヤニヤ笑いながら私に答えた。
「けが人を出したくないから、使わせていただきましょうか」
「では、6月からの実習で、早速お使いいただくことになりますね」
「そうだね」
私は大山さんに向かって頷いた。軍医学校のカリキュラムでは、3月から半年間、師団や軍艦に派遣されて実習をすることになっている。私の場合、3月から5月までは近衛師団で、6月から8月まで軍艦に乗り込んで実習することになっていたけれど、どの軍艦で実習を行うかがまだ決まっていなかったのだ。
「じゃあ、早速その方向で進めてください。竹内艦長、6月からよろしくお願いします」
とんでもない西洋画を抱えている竹内艦長に、私は深々と頭を下げた。
こうして、6月からの私の実習先は、“日進”に決定した。そして、このことが、後にある出会いを呼ぶことになるのだけれど……それはまた、別の話である。




