それぞれの近況
1903(明治36)年11月15日日曜日午前11時、花御殿。
「体調がよくなったようで、本当によかったです」
薄い水色のジャケットを羽織り、紺色のスカートを穿いたお母様が、水色の和服を着た節子さまに満面の笑みを向けた。
「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした」
落ち着いた、けれど力強い声で答えた節子さまは、黒いフロックコート姿の兄のそばでお母様に一礼した。
お父様が、12日から兵庫県で行われる大演習の親閲のために東京を離れ、お母様は恒例となった家族水入らずでの食事会を企画した。けれど、節子さまは妊娠5ヶ月。つわりは落ち着いたけれど、無理は禁物だ。そのため、節子さまは兄と話し合い、「申し訳ありませんが、食事会は欠席します」とお母様に返事した。
すると、
――私が、花御殿に行きましょうか。
とお母様が言い出した。
――節子さんをお見舞いしてから、増宮さんと満宮さんのところでお昼をいただくの。そうすれば、節子さんにも会えますから。
……という訳で、少し変則的だけれど、恒例の食事会は青山御殿で行われることになった。本来なら、私は花御殿にいなくてもいいはずなのだけど、
――増宮さん、明日は花御殿にお迎えに来てくださいな。
と昨日の夕方、お母様から連絡があったので、急遽花御殿にやって来たのだ。ベージュのジャケットに焦げ茶色のロングスカートを穿いているけれど、ロングスカートはまだまだ慣れないので、少し居心地が悪い。
と、
「おばばさまー!」
兄が手を引いていた水兵服姿の迪宮さまが、元気な声を上げた。
「あら、迪宮さん。また大きくなりましたね。こちらにいらしてくださいな」
嬉しそうにお母様が呼ぶと、迪宮さまは兄の手を離れ、とことことお母様のそばへ歩いていく。
(ああ、迪宮さま、本当にかわいい……)
迪宮さまの相変わらずの可愛さにうっとりする私の前で、
「迪宮さん、抱っこをしてあげましょうか」
お母様が微笑んでいる。
「お母様、お待ちを。俺も手伝います。最近大きくなって……」
兄が慌てて迪宮さまの身体を支え、お母様と一緒に抱き上げる。無邪気に笑顔を見せる迪宮さまは、まさに天使そのものだった。
「淳宮さんもこちらにいらして。おばばさまにお顔を見せて下さいな」
お母様の声で、淳宮さまを抱っこした西郷さんの正妻・清子さんがお母様の側に動く。2歳半の迪宮さまと1歳4ヶ月の淳宮さま、2人並んでいる様子は愛らしいとしか言いようがなく、私にとっては天国だ。
「雍仁も大きくなりましたし、裕仁は片言でよくしゃべるようになりました。俺と節子のことも、“おもうさま”“おたたさま”と呼んでくれて……」
「まぁ、本当ですか。ほらほら、節子さんも増宮さんもおいでになって」
お母様のお誘いにありがたく乗っからせていただき、私は節子さまと一緒に、可愛い甥っ子のそばに歩いていく。すると、兄とお母様に支えられた迪宮さまが、節子さまと私を交互に見た。
「おたたさまー!りかー!」
「私のことは、雅号で覚えちゃったね……」
嬉しそうに言う迪宮さまに、私は苦笑いを向ける。恐らく、兄と節子さまが、人払いをしているところでは「梨花」と私を呼んでいるからだろう。
「よいではないか。こういう時のための雅号だろう」
小さな声で言う兄に、
「迪宮さまのことまでは、想定してなかったよ……」
私はため息をつきながら言い返した。
「一応、お父様からいただいた“章子”って名前があるんだから、そっちで呼んでほしいなぁ……」
私がそう呟くと、
「ならばそちらは、ご夫君に呼んでいただければよろしいのではないですか?」
お母様がさらっと言った。
「……はぁ」
(私が夫を持つ、ねぇ……)
そんな日が果たして来るのだろうか、と返答しようとしたけれど、兄の機嫌が悪くなりそうなのでやめた。怒った兄に怯えて、迪宮さまと淳宮さまが泣いてしまったら大変だ。
と、
「皇后陛下、そろそろご刻限です」
お母様付きの女官が声を掛けた。
「では行きましょうか。節子さん、お大事にね」
兄と一緒に迪宮さまを下ろしたお母様が、節子さまに再び笑顔を向けた。
「ありがとうございました、皇后陛下」
「では行ってくるよ、節子。裕仁と雍仁のことをよろしくな」
「はい、殿下。行ってらっしゃいませ」
節子さまが兄に向かって頭を下げる。最近、節子さまは、兄のことを“殿下”と呼ぶようになった。別に仲が悪くなった訳ではなく、プライベートの時は変わらず、“嘉仁さま”と兄を呼んでいる。ただ、節子さまなりに公私の区別は付けておきたいらしい。
(ちょっとだけ憧れるなぁ、こういうの……。でも、私が“旦那様、行ってらっしゃいませ”なんて言う日、今世紀中に来るのかなぁ……)
兄夫婦を見ながらぼんやり考えていると、
「章子?」
兄が不思議そうな目で私を見た。
「何をぼーっとしている。俺とお母様を案内しろ」
「……了解。じゃ、行きましょうか」
頭を軽く左右に振って妄想を振り払うと、私は2人の先に立って歩き始めた。
花御殿と青山御殿は、同じ赤坂御料地の中にある。御殿の境は柵で仕切られているわけではないので、歩いて10分から15分ほどで行き来できる。その往復に使っている小道を、私は先頭に立って歩いた。すぐ後ろには、お母様と兄がいる。侍従さんや女官さんたちは、大山さんの配慮で、私たちから少し離れたところを歩いていた。
「懐かしいですね」
お母様が微笑む気配がした。「今の宮殿に移る前はここにおりましたから。草花もよく手入れされていて……」
「うちの職員さんが頑張ってくれています」
我が青山御殿の職員の殆どは、中央情報院の職員という裏の顔を持っている。けれど彼らは、御殿の事務や手入れの仕事にも、決して手は抜かないのだ。
「輝仁が仕掛けた罠も、綺麗に片付けたしな。流石は大山大将の部下たちだ」
「ですね。……あら見て、明宮さん、増宮さん。ここからでも菊が見えるのですね」
お母様が指し示す方向には、大きな池がある。そのほとりには、数百もの鉢植えの菊が、整然と並べられていた。
「あー、やっぱり、菊はこうやって静かに見る方がいいなぁ」
私がため息をつくと、
「よかったな、観菊会に出なくて済んで」
兄がクスクス笑った。
一昨日、この赤坂御料地の庭園で、観菊会が開催された。お父様主催で毎年開催されている社交の会で、皇族や政府高官、各国の公使夫妻などが招待されて出席する。その時に展示されていた菊を、“青山御殿に来られる常宮さまたちも、食事会の後でご覧になられるでしょうから”と、大山さんが観菊会の時の配置のまま残しておいてくれていたのだ。
「観桜会の時もそうでしたけれど、なぜ増宮さんが出席しないのかしら、とみなさまおっしゃっていましたね」
苦笑しながらこう言うお母様に、
「出席者に“内親王”の記載はありませんから、お父様の思し召しに従ったまでです」
と私は早口で返した。
昨年の夏、私の国軍軍医学校入りに伴って、諸々の儀礼の形を検討していた際、この観菊会と、春に浜離宮で開催される観桜会に、私は出席するかどうか、という問題が持ち上がった。今までは、独身の内親王には出席の義務がなかったのだ。
――当然、“軍籍をお持ちの内親王”でありますから、ご出席いただくことになりましょう。
伊藤さんは厳かに私に告げ、梨花会の面々もそれに賛同した。そして、お父様にお伺いを立てたところ……
――な、ならん!
お父様は頑として拒否した。
――ロシア公使に、章子の姿を晒せと言うのか?!絶対に朕は許さんぞ!……絶対にな!
その言葉で、梨花会の意見が180度転換した。そして、独身の内親王は、例え軍籍があったとしても、観桜会と観菊会に出席する義務はない、という規定になった。出席したら、色々な人たちの挨拶を、黙ってほほ笑みながら受けなければならないので、堅苦しいのが嫌いな私には、非常にありがたい結論である。
「章子さんが苦手な行事なのは知っておりますが、ご結婚なさったら、いずれは章子さんも出なければならないのですよ」
(恒久殿下が怯えてる限り、結婚自体があり得ない話だけどな)
お母様の言葉に、反射的にそんな感想を抱いたけれど、そう言うと兄が怒るのは明白なので、私は愛想笑いを浮かべるだけにとどめ、
「そうだ、お母様」
と話題を変えにかかった。
「昨日の官報に、白石さんと河村さんが医籍に登録されたっていうお知らせが載ったんです」
「白石さんと河村さんと言うと……女医学校の同級生の方ですね」
お母様の質問に、私は力強く頷いた。
白石さんは私より9歳、河村さんは私より12歳年上だ。女医学校時代には、とても親切にしてもらった。私が東京女医学校と至誠医院を短期間手伝い、ロシアに正体が発覚して退職した直後、彼女たちは私の退職理由を問い詰めるため、叔父の千種有梁さんのところまで押し掛けた。流石に叔父にこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかないと思ったので、大山さんと相談して、彼女たち2人には、弥生先生経由で私の正体を明かしたのだ。
――お2人とも、勉学を続けられておりますよ。“宮さまだと知ってビックリ致しましたが、共に勉学に励んだ日々はとても楽しかったです。状況が許されれば、また女医学校においでください”と話していました。
時々、女医学校の様子を見に行ってくれている捨松さんが、彼女たちについてもこう報告してくれた。
「大山さんと相談して、昨日、合格のお祝いの手紙を弥生先生の所に送りました。それで、大山さん、お母様にも、東京女医学校に手紙か電報を送ってもらったらどうかっていうんです」
「確かに、増宮さんを除けば、東京女医学校から初めて医師になった方が出たのですからね」
「そういえば、女医学校の経営はどうなのだ?」
「順調みたいだよ」
兄の質問に私は頷いた。梨花会の面々が寄付をしたのもあるけれど、私が在校していたらしいという噂が広がり、東京女医学校にはたくさんの志望者が押し寄せているそうだ。一方、女子学生追い出し騒動があった済生学舎は、男女ともに入学者が減ってきているらしい。
――伊藤さんや原によれば、済生学舎は“史実”では今年無くなったそうですから、人気が落ちた程度でうろたえてもらっては困りますな。
我が臣下はうっすらと笑みを浮かべながら、こんなことを言ったのだけれど。
「わかりました、増宮さん。手紙か電報を女医学校に出しましょう」
お母様が笑った。「優秀な女性が世に出ていくのは、とても喜ばしいことですからね」
「ありがとうございます!」
「その方々に負けないように、増宮さんも頑張らなければなりませんね」
「はい、頑張って立派な軍医になって、お父様と兄上を助けて……」
感慨深げに頷くお母様に、私が張り切って答えていると、
「それももちろんだが、梨花には幸せな恋と結婚をしてもらわなければな」
腕組みをした兄が、私をジロリと見た。
「はい?」
ちょっと、何を言っているのか分からない。首を傾げた私に、
「“はい?”ではない!とぼけるな!」
兄が激しいツッコミを入れた。
「先ほども、“私は結婚できない”と思っただろう!俺の目を誤魔化せると思ったら、大間違いだぞ!」
「あのさ、兄上……」
私は大きなため息をついた。「私が結婚したいと思っても、恒久殿下の方で拒否したらそれで終わりじゃない」
「どうしてそこで諦めるのだ、そこで!結婚相手は、恒久だけではない!成久も輝久もいるだろう!」
「未成年者って時点で、手を出したら犯罪じゃない!」
池の向こうの菊を背景に、兄と私の口論は続き、
「ちょ……!兄上も章姉上も、大丈夫?!」
“余りに到着が遅い”と輝仁さまが迎えに来たときには、お母様を挟んで全力で言い合いを続けた私と兄は、疲れ果てて道端にしゃがみこんでしまっていたのだった。




