志願者(1)
1903(明治36)年7月9日木曜日、午前10時。
「なるほど。そんな感じだったんですか」
国軍軍医学校の教室。今日は軍医委託生だった学生たちと、衛生学など、医学関係の授業を受ける日だ。とはいえ、40人いるクラスメートのうち、半分は3か月間の実地実習に出ているので、教室は少し寂しくなっている。
「はい、なかなか厳しい指導をされました」
答えてくれるクラスメートは、4月から6月まで仙台に派遣され、現地の師団の軍医さんについて、実際の業務を体験した人だ。私は今後の参考にするため、彼の体験談を聞いていた。
「特に、補給は大事だ、熱量とビタミンをきちんと、美味しく取ることが大事だ……と言われて、栄養学の基礎を叩き込まれました」
「確かに、栄養学は大事ですもんね」
頷くと、クラスメートは「はっ、お、仰せの……」と言いかけた後、「はい、そうですね」と言い直す。
(あー、だいぶマシになったな)
私はクラスメートに気づかれないように、ほっと息をつく。入学当初、クラスメートたちは、私に対して喋る時、非常に敬った言葉遣いしかしてくれなかったのだ。それが余りにも辛かったので、森校長先生に相談して、“増宮殿下も一人の学生なのだから、増宮殿下に対して、過度に敬った言葉遣いはしないように”とクラスメートたちに通達してもらった。そのおかげで、何とかクラスメートたちとも、普通に喋れるようになってきた。
「しかし、その教えが実践されていたおかげか、食事は非常に旨かったです。一般兵卒と同じものを食べましたけどね」
クラスメートは咳ばらいをすると、また実習の思い出を語り始める。
「何日か野外演習にも出たので、戦闘用の糧食も食べましたが、それも美味しかった。軍医をしている父に聞いたら、昔と比べると、食事の質は格段に上がっているそうです」
「そうなんですね」
少し自慢げなクラスメートに、私は当たり障りのない相槌を打つ。国軍の食事の質が向上したのは、10年以上前の脚気討論会がきっかけだ。あれから、事あるごとに、国軍省に属している梨花会の面々に、私は兵士の糧食の改善を訴え続けた。どうやらそれが、確実に実を結んでいるようだ。
(あとは、有事の時に補給を途切れさせないような作戦を、きちんと立案すればいいのかな。この話をしたら、大山さんがきっと“その作戦を考えろ”って私に言って来るから、今のうちから考えておかないと……)
脳細胞をフル回転させようとしたその時、
「頼もぉーーーーーっ!」
ものすごい大声が教室内に響き渡り、クラスメート全員が動きを止めた。もちろん、私もだ。
「何だ?」
「道場破りか?」
「この辺に、武術の道場ってあったか?」
クラスメートたちのざわめきを、
「頼もぉーーーーーっ!」
再び響いた大声がかき消す。
「流石にこれ……敷地内で出してる声ですよね?」
恐る恐る、クラスメートたちに尋ねてみる。この校舎は、道路から少し離れたところに建てられている。この大声の持ち主が、学校の敷地外にいるとするならば……すぐそばでまともにこの声を食らったら、私は倒れてしまうかもしれない。
「じゃあ、この軍医学校に道場破りが来たってことですか?」
「よく分かんないなぁ」
クラスメートたちが首を傾げる。確かに、軍医学校に勝負を求めて現れる人間なんて……。
(医術で勝負しに道場破り?聞いたことないなぁ。しかも、この声、低いけど女の人の声のような気がするし……)
「……わかんないなら、見に行きましょうか」
本日3度目となる「頼もぉーーーーーっ!」という叫び声が教室に響き渡る中、クラスメートたちに提案してみると、
「え、本当ですか?」
「大丈夫かなぁ」
クラスメートたちが不安そうな表情になった。
「次の授業まではまだ時間があるし……ねぇ」
押してみるけれど、
「いや、殿下の身に何かあったら大変ですよ」
「そうそう、道場破りが殿下を襲ったらどうするんですか」
クラスメートたちは口々にこう言って、私を押しとどめようとする。
「……じゃあ、軍刀を差して行きます。それならいいでしょう?」
「いや、それでもダメですよ。どうしてもとおっしゃるなら、我々が代わりに様子を見に行きますから……」
一人のクラスメートの言葉に、残りのクラスメートたちが一斉に頷いた。
(むぅ……ちょっと様子を見に行くぐらい、いいじゃない)
私は、ひ弱なお姫様ではないのだ。こう見えても、剣道はそれなりにできる。
「行ってきます」
私は教室の後ろへつかつかと歩いていくと、個人用の戸棚から、軍刀を取り出した。もちろん、大典太光世ではなく、会津兼定さんに打ってもらった軍刀だ。国宝なんて、そう気軽に持ち歩けない。
「あのー、宮さま。“行ってきます”というのは……」
「もちろん、この声の発信源へ、ですけど?」
クラスメートたちに答えるやいなや、私は制服のスカートを翻し、廊下を走り出す。
「あ、宮様!」
「お待ちを―!」
クラスメートたちが慌てて追って来るけれど、小さいころから兄に鍛えられたこの脚力、追いつける男子はあまりいない。私は追走者たちを引き離して、玄関に向かった。
たどり着いた玄関先では、何人かの職員さんに、1人のご婦人が取り囲まれていた。もちろん、職員さんは全員男性なのだけれど、恰幅の良い和装のご婦人は、彼らの鋭い視線に、全くひるむ様子がなく、
「ですから、国軍看護学校に志願いたしたいと申し上げているのです!」
と、よく通る声を張り上げた。
(ああ、看護学校の方の志願者か)
人垣の方に向かいながら、私は納得していた。この軍医学校には、国軍の看護兵を養成する国軍看護学校が併設されている。もちろん、私が昨年軍医学校に入学した時に、看護学校も女性に門戸を開いている。どうやら彼女は、そちらに入学を希望しているようだけれど……。
(あの顔、どこかで見たことあるんだよなぁ)
記憶を探ろうとした時、
「失礼ですが、ご婦人」
職員さんの1人が、思い切って、という感じで口を開いた。
「ご年齢をお聞かせ願いたい」
「満で57ですよ」
「それでは、年齢制限に引っかかってしまいます。女子の志願兵の条件は、満17歳から40歳までと……」
すると、ご婦人が職員さんたちをギロリと睨み付ける。思わずひるんだのか、職員さんたちが一歩下がった。
「お言葉ですが、それは男子の場合でしょう。改正された徴兵令にも、女子志願兵法にも、女子志願兵の年齢制限は記されておりませんよ」
「……!」
そうだ。女子志願兵法には、年齢についての記載がない。そして、女子志願兵の兵役について定めた徴兵令にも……。
(ちゃんと条文を確認しないといけないけど、あの人の言う通りだ……!)
眼を見開いた私の前では、
「し、しかし、仮にそうだとして、看護師免許はお持ちか?!」
明らかに狼狽している職員さんが、大声でご婦人に問いかけている。
「ほらっ」
ご婦人が1枚の紙を職員さんに掲げて見せる。明治26年発行の看護師免許で、“京都府士族 新島八重”と、私のいる位置からでも名前が見えた。
(あの名前と顔、やっぱり覚えが……)
中断していた記憶の検証を再開する。目的とするものにたどり着くのに時間はかからず、
「そうか、同志社だ」
私は右の拳で、左の手のひらを軽く打った。
と、
「ああああっ!」
大きな喜びの叫びが、校舎の床を震わせる。次の瞬間、
「増宮殿下――――っ!」
一声叫んだご婦人が、5mほど離れたところにいる私に向かって突進してきた。
「な、なぜ殿下がここに?!」
「宮様、お下がりをーっ!」
2人の職員さんがご婦人の前に立ちふさがったけれど、彼女に軽くはねのけられ、壁に叩きつけられる。
「殿下、下がってください!」
追いついてきたクラスメートたちが、私の制服の裾を後ろに引っ張ろうとしたその時、ご婦人が私のすぐ前に平伏した。
「増宮殿下であらせられますか!」
「あ、はい」
私を害するという気は全くないようだ。少し間の抜けた返事をすると、
「初めてお目にかかります!私、同志社英学校を創立いたしました新島襄が妻、八重と申します!」
新島八重さんは、非常に大きな声で私にあいさつをしてくれた。
「まさか……まさか、増宮殿下が同志社英学校を御存じだったとは……私、感激しております!」
「はぁ……まぁ、それは……」
前世で会津の若松城(鶴ヶ城)を訪れた時、ちょうど彼女を題材にしたパネル展をやっていた。それを少し見学したので、新島八重さんのことは覚えていた。まさか、この時代には京都に住んでいたはずの彼女に、東京で会うことになるとは、夢にも思っていなかったけれど。
「あ、あの、新島さんは、国軍の看護学校に入学を希望されているのでしょうか?」
前世の知識があったから知っていたと言う訳にはいかないので、事務の職員のような話し方をして話題を逸らすと、
「はい、女の身ながら、国を守るために軍に身を投じようという増宮殿下のお志に感服いたしまして」
顔を上げた新島さんは、両眼を潤ませながら答えてくれた。
「あの、増宮殿下、お伺いしたいことがございます」
「あ、はい、なんでしょうか」
新島さんの勢いに押されながら返事をすると、
「今、腰に帯びていらっしゃるのは、兼定殿の打たれた軍刀でしょうか?」
彼女の強い視線が私に……私の差した軍刀に注がれた。
「はい、そうです」
頷くと、
「ああ……ありがたいことでございます……」
新島さんは顔を伏せた。
「会津の知人から、その軍刀のことを聞きまして……会津に心を寄せていただき、亡き大殿もさぞお喜びであろうと……」
(あ……)
「宮殿では、殿下をおそばで守る兵士は幾人もおりましょう。しかし、殿下が働かれる職場には、お側で殿下をお守りする兵士はおりません。患者の中に、殿下のお命を狙う不心得者がおりましたら、殿下が傷つけられてしまうやも……」
確かに、彼女の言う通りだ。私の時代でも、逆上した患者や患者の家族が、医療者に暴力をふるう事件が残念ながら発生していた。そんな事件が、この明治時代では起こらない、と言い切ることはできない。
「しかし、私がその職場に看護師として配属されれば、鍛えた武術で、多少は殿下をお守りすることができます。ですから私は、国軍看護学校への入学を希望しているのです」
「ありがとうございます」
私は、新島さんに向かって深く頭を下げた。
(この人……会津の人として、誇りを持っているんだ)
戊辰戦争から、もう30年以上の時が過ぎ去っている。けれど、新島さんの中には、会津の人としての誇りがあるのだ。薩摩や長州ではなく、会津が天皇を守っているのだという誇りが……。
(ありがたいことだな……)
頭を下げたまま、こんなことを考えていると、
「あ、あの……」
軍医学校の職員さんが、新島さんの後ろからそっと声を掛けた。
「看護師免許は確認できたのですが、新島どの、そのー、何かしらの武道の段位か級位は持っておられますか?」
「何か言われるだろうと思って、幼少の頃習い覚えた薙刀を再開して初段はいただきましたが、私は銃の方が得意でして」
振り返って職員さんに答える新島さんの言葉を、
「あのー、新島さんは、銃での実戦経験が豊富ですから、そんじょそこらの兵隊さんより強いですよ」
私が後ろから補強すると、職員さんの顔が明らかに強張った。
「まぁ、恥ずかしい。私の戦さぶりをご存知でしたか、殿下」
「ええ、まぁ、有名なので……」
私の時代で、と動きそうになった口を、私は慌てて塞いだ。新島さんに不審がられるかと思って警戒したけれど、
「懐かしいですね。鶴ヶ城の櫓から、敵を散々に狙撃しましたし、男たちに交じって夜襲をしたこともありました」
来し方を懐かしむ新島さんが私を疑う気配は微塵も無かった。
「攻めてくる敵の隊長らしき人間を狙撃すると、そいつが率いている隊が慌てふためいて、後ろに下がっていくんです。それが面白くて面白くて。いろんな奴を狙撃してやったけれど、今から思えば、あの戦で、私が仕留めた一番の大物は、大山歩兵大将かしらねぇ……」
(ん?)
「あ、あの、新島さん?」
「何でしょう、増宮殿下」
「大山歩兵大将って、もしかして、あの……」
嫌な予感がする。人違いであることを祈りながら、私は新島さんに尋ねたのだけれど、
「ええ、会津松平家の家政顧問・山川健次郎様の妹君と結婚した、薩摩の大山巌ですが?」
(な、なんだってぇー?!)
私が抱いたわずかな望みを、新島さんは容赦なく打ち砕いたのだった。




