思い出の京都
1903(明治36)年3月21日土曜日、午後3時。
「すっげー!」
私の隣の座席の輝仁さまは、車外の風景に釘付けになっている。
「大井川も、こんなに幅が広いんだ!」
名古屋行きの特別列車。学習院の制服を着た輝仁さまは、一等車のロングシートに膝立ちし、窓ガラスに顔を押し付けるようにして、大井川の川面を眺めている。その両眼は、キラキラと輝いていた。
「輝仁さまは、大井川を見るのは初めてだっけ?」
ベージュのジャケットに、くるぶしまである焦げ茶色のスカートを穿いた私が優しく尋ねると、
「うん、俺、箱根から西は行ったことがなかったから」
窓ガラスから顔を離した輝仁さまは、笑顔になった。
「章姉上は、関西に行ったことがあるんだよね?」
「そうだね。お母様と兄上の名代で、京都に行ったこともあったし、前回の内国博の時にも、京都と大阪に行ったね。それから、英照皇太后陛下の百日祭の時かな」
指を折りながら、記憶を確認する。そう言えば、初めて今生で京都に行ってから、もう12年も経つのだ。
(あれから、もうそんなになるのか……あ、そうだ)
「……輝仁さま、静岡県に入ってから、安倍川に続いて、2本目の大きな川だよ?」
回想を振り払って、弟に声を掛けると、
「だね。……あ、ノートにちゃんと書いておかなきゃ」
彼はロングシートに座り直し、側に置いてあったランドセルからノートと鉛筆を取り出した。
今月の1日から、大阪で内国勧業博覧会が開催されている。私と輝仁さまは、それを見学するため、今朝特別列車で東京を出発した。今回の内国勧業博覧会は、以前京都で行われたそれよりも、出展数が大幅に増えているため、全部を見学するのに5日ほどの日程が取られている。内国博の見学以外にも用事があるので、大阪までの往復を含め、全部で10日ほどの旅行となる予定だ。もちろん、旅行の期間中は、軍医学校を休むことになるので、出席日数が足りるのかと心配していたら、
――大山閣下や山本閣下とも協議したのですが、大阪の砲兵工廠の見学報告の書類作成と、軍事に関する簡単な考察問題をいくつか解いていただくことで、ご旅行は軍医学校の授業の一環であると認めることといたしました。
と、昨日、森校長先生に言われた。ちなみに、輝仁さまも、内国博の見学報告と、地理についてのいくつかの課題を仕上げる、という条件で、旅行期間中は学習院に出席したと見なされることになった。その課題の一つに、“静岡県の大きな河川を3つ挙げろ”というものがあり、輝仁さまは今、車窓の風景を確かめながら課題に取り組んでいるのだ。
(ふふ、可愛いなぁ)
ノートに何かを書き付けている弟の様子を見ていると、
「さて、増宮さまの方は、課題の進捗はいかがでしょうか?」
私の向かいのロングシートに腰かけた、黒いフロックコートを着た紳士が、私に微笑みかけた。もちろん、私が心から信頼する、非常に有能で経験豊富な……そして、時には手強い臣下である。“増宮さま”と私を呼んだのは、私の前世のことを知らない輝仁さまと金子さんがいるからだろう。
「……進んでるような、進んでいないような」
隠してもしょうがないので、私はそう答えて軽くため息をついた。私への考察問題は、大山さんが道中で出すことになっていた。そして、先ほど彼に出題されたのは、“静岡県に敵が上陸すると仮定し、その防衛策を述べよ”という問題である。
「今実現している兵器の範囲内で、ということよね?」
確認すると、「ええ、今回は」と出題者は答える。
「……船を沿岸にたくさん出しておく。無線を乗せた船をたくさん。1隻の船が、どれだけの範囲の海を目視で確認出来るかが分からないけど、3km平方ごとかなぁ。不審な船を発見したら、無線で知らせるの」
無線を送受信できる距離はどんどん延びている。2、300キロなら正確な通信が可能だ。原さんと斎藤さんによると、“史実”では、イタリアの科学者が無線技術を開発したらしい。けれど、この時の流れでは、無線関係の特許を保有しているのは産技研だ。内国博でも、無線通信に関する展示を、産技研が主導で行うと聞いている。
「こちらは、やってくる敵の艦船を追い払うことになる。艦隊を指揮して敵の艦船にぶつけ、撤退を勧告して、従わなければ撃沈する。もしそれで止められなかったら、沿岸に作った砲台で、それで追い払う……」
前世なら、船をたくさん海に出さなくても、レーダーや航空機を使って沿岸に近づく不審船を捕捉できるはずだ。ただ、飛行器はまだしも、レーダーなんてまだ開発されていないので、目視に頼ることになる。
「敵が上陸してきたら、その上陸行動中を叩く……例えば、砂浜なら防波堤の陰に隠れて狙撃したり、波打ち際に尖ったものをたくさんばらまいておいたり……。港なら、やっぱり防波堤に隠れて狙撃したり、作業小屋みたいなものに爆薬を仕掛けて、敵兵が通り掛かったら導火線に火を付けて爆破したり……」
小屋じゃなくて、放置された自動車でもいいかと思ったけど、自動車が超高級品であるこの時代、そんな高価なトラップは仕掛けられない。頭をフル回転しながら回答していると、
「章姉上、すげー……」
隣に座った輝仁さまが、尊敬の眼差しを私に向けた。
「軍事のことはたくさん聞かされてるから、一応このくらいは出来ないとね」
私は顔に苦笑いを浮かべた。毎週土曜日の軍事関連の座学では、大山さんと山本さんによって選抜された軍人さんが、入れ替わりで授業をしてくれる。山本さん曰く、「参謀本部の活きのいい連中」や第一線で活躍する指揮官、そして中央情報院の構成員……。一学生にはもったいない豪華なメンバーが、講師陣には勢ぞろいしていた。……ちょっとだけ欲を言えば、中央情報院の明石さんの話を聞いてみたかったのだけれど、彼は今、セルビアに出張中だ。
(まだ知識を乱雑に吸収している段階で、医学の知識みたいに、体系だって身につけられているわけじゃない。軍事に関しては、修業はたくさん必要だけど……それを大山さんに悟られたら、また“ご修業をしていただかなければ”って言われちゃうから、営業スマイル、営業スマイル……)
ふと、視線を感じて頭を動かすと、我が臣下が、微笑みながら、私を無言で見つめている。
「……」
その微笑に営業スマイルを返すと、大山さんも優しくて暖かい目で私を見つめながら、私に微笑し続ける。
「金子閣下、章姉上と大山閣下、笑い方が変だよ?」
「しっ、満宮さま、勝負の最中ですよ。邪魔をしてはいけません」
輝仁さまと、輝仁さまの輔導主任の金子堅太郎さんが、私と大山さんの方を見て、ひそひそ言い合っている。
と、
「……非常によろしいですね」
大山さんがこんなことを言った。
「!」
目を見開きそうになったけれど、ここは我慢だ。営業スマイルを崩したら、私の負けなのである。
「もちろん、ある部分は、でございますが……出来がよろしいと、ますます増宮さまのことを鍛えたくなってしまいます」
「……」
必死に笑顔を保っていると、
「章姉上の負けだね。顔が引きつってる」
弟が無慈悲にも指摘する。
「それは分かってるんだから、言わないで欲しいなあ、輝仁さま……」
「いえいえ、出来がよろしいというのは、本気で申し上げているのですよ。ただ、様々な視点が必要ですし、整理の仕方にも工夫が必要でしょう。静岡県のどこにどのような防衛策を施すか……それについても考察が必要です」
ため息をついた私に、大山さんはにっこり微笑んだ。
「おっしゃったことも使いながら、答案をまとめていきましょう。この大山もお手伝いいたしますゆえ」
「分かったよ。……あ、そうだ。名古屋で、答案作成の時間だけじゃなくて、名古屋城の本丸御殿の調度と、名古屋城の天守閣を見学する時間も取ってくれるのよね?」
「もちろんでございます。模型だけでは、増宮さまの我慢が限界に達してしまうのは、重々承知しておりますので」
「本当に頼むわよ。もう私、これ以上の我慢は無理……」
ちゃんと城跡に行ったのは、1、2年前の忍城跡が最後だ。ここ数か月は、栽仁殿下の名古屋城の模型修理に立ち会うという名目で、青山御殿の模型部屋に毎週立ち入っているので、それで何とか気を紛らわせているけれど、やはり自らの足で城跡に行くに越したことはない。それが、今回の旅行では、名古屋城にも、二条城にも泊まることができるし、大阪城の現存の建物も見学させてもらえる。本当に待ちに待った、欲を満たす機会なのだ。
「では、名古屋城での見学のお時間を多く取れるように、今から答案をまとめ始めましょう」
我が臣下の苦笑しながらの提案に、私は力強く頷いた。
大山さんにたくさんの添削を入れられてしまいながらも、車内で何とか答案を仕上げた私は、名古屋離宮……名古屋城に入ると、本丸御殿の調度を心行くまで鑑賞し、翌朝には輝仁さまと一緒に大天守に上がって、大天守からの景色を楽しんだ。
京都に向かう列車の中では、大山さんに、“関ヶ原の戦いの経過を、輝仁さまが理解できるように教える”という課題を出されてしまった。昔、桂さんから聞いた話を思い出しながら、地図も駆使して、必死に輝仁さまに説明した。ただ、分かったかどうか、輝仁さまに確認したら、
「うーん……分かったような、分からないような……」
と首を傾げられてしまったので、大山さんに手伝ってもらいながら、もう一度説明をやり直す羽目になった。……おかげで、沿線にある大垣城と彦根城を、窓から眺めることが出来なかった。
京都に着いたのはお昼過ぎだ。英照皇太后陛下の百日祭以来だから、ほぼ6年ぶりの京都になる。
(今回も、春かぁ……)
プラットホームに降り立った私は、陽射しを浴びながらぼんやりと思った。英照皇太后陛下の百日祭の時も、兄と一緒に関西旅行をした時も、この停車場に降り立ったのは4月のことだった。そして、大津で大山さんが襲われて、お父様の御召しで、私が京都に急行したのは5月だった。
(春か……大山さんと君臣の契りを結んだ時と同じ、春か……)
「いかがなさいました、章子さん?」
特別列車の別の車両に乗って、東京から私についてきていた母に、「ああ、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」と返事すると、私はプラットホームを歩き始めた。
停車場から直接泉涌寺に向かい、更に孝明天皇と英照皇太后陛下の御陵に参拝した。午後3時頃に、宿泊所に割り当てられていた二条離宮……二条城に入ると、兄から私宛てに至急電が届いていた。
「何て書いてあるの?」
読んでいるそばから、輝仁さまが文面を覗き込もうとする。
「……余り大したことではないよ。お土産を頼む、って書いてあるだけ」
慌てず騒がず、紙を折りたたみながら答えると、輝仁さまは納得し、「俺、先に部屋に入ってる」と言って、金子さんと一緒に本丸御殿の奥へと進んでいった。それを確認すると、私は紙をもう一度開いた。
(兄上、そういうことは早く教えてよっ!)
“簡単だと言う触れ込みでも 大山大将の課題は非常に手厳しいだろう 命が幾つあっても足りぬ 心してかかれ 生きて帰ってこい”……電報にはそう書かれていた。恐らく、私に課題が出されることを児玉さんか誰かから聞いて、慌てて電報を出してくれたのだろうけれど……時すでに遅し、という奴である。私はため息をついた。
と、
「これでも、手加減しておりますよ?」
突然、大山さんが私に囁いたので、私は飛び上がりそうになった。
「な、何を?」
「梨花さまへの課題でございますよ」
大山さんは私に微笑すると、「あの程度の問題、皇太子殿下なら苦も無く解けましょう。巡航の時には、もっと難しい問題を出させていただきましたから」と付け加える。
(巡航の時、一体、どんなレベルの問題を兄上に出したんだろう……)
私は暗澹たる気分に陥った。“もう思い出したくもない”と、いつか兄は巡航について言っていたけれど、本当に、どんな目に遭っていたのだろうか。
「しかし、いつかは、もっと難しい問題を、梨花さまにも解けるようになっていただかなければなりません。軍事だけではありません。政治のことや世界情勢のことも……。」
「確かにそうだけれど」
私は顔に苦笑いを浮かべた。「要求されることが多すぎるわ。しかも、淑女でなくちゃいけないし……」
「ええ、ですから一つずつ、出来るようになればよろしいのです」
大山さんはそう言って、私の頭を撫でた。「千里の道も一歩から、でございますよ、梨花さま」
「それは分かるけれど、長い道のり、少しは休むことも必要だと思うな」
私は軽くため息をついた。「女医学校に入ってから、ずっと走り続けてきたような気がする。それこそ、休む暇もないくらい。お父様には休めって散々言っている私が、去年の夏は全然休めなかった。ちょっと休んで英気を養っても、罰は当たらないと思う」
「ええ、ですから、これから二の丸御殿を、一緒に回らせていただけたらと思いまして」
大山さんが、すっと私に手を差し出した。
「そうね。……京都は、私と大山さんの思い出の場所だから、大山さんと一緒に二の丸御殿を見て英気を養うのは、悪い選択じゃないわね」
差し出された彼の左の掌に、私は素直に右手を乗せた。
「では、エスコートしてくれる?二の丸御殿に」
「御意に」
大山さんは、私に優しくて暖かい瞳を向けると、私の右手をそっと握ってくれたのだった。




