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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第31章 1902(明治35)年処暑~1903(明治36)年大寒
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この手を取る人

 1903(明治36)年1月10日土曜日、午後5時。

「やだ!俺がやりたい!」

 駄々をこねる輝仁さまに向き合いながら、私は両腕を組んで考え込んでいた。

 今年の1月26日は、私の二十歳の誕生日……私が成年皇族になる日だ。平日だけれど、学校はサボらせてもらって参内し、内親王として“勲一等宝冠章(ほうかんしょう)”という勲章を授けられることになっていた。これは、数年前に勝先生と三条さんが主導して行われた皇族令制定の際に作られた“皇族身位令”という皇族令に、“内親王は満15歳に達したる後勲一等に叙し宝冠章を賜う”とあるからだ。

 けれど、私の場合、話がこれだけでは終わらなかった。

 伊藤さんや原さん、斎藤さんによると、“史実”では、内親王が15歳になってすぐに勲章が授けられた訳ではなく、結婚の前日に勲章が授けられることが多かったらしい。しかし、軍籍がある私は、昨年夏の皇室身位令の改正により、軍医学校を卒業して軍医少尉に任じられた段階で、“勲一等旭日(きょくじつ)桐花(とうか)大綬章(だいじゅしょう)”という別の勲章を授けられることになっている。同じ勲一等でも、宝冠章と旭日桐花大綬章では、後者の方がランクが上なので、“史実”の通例通り、結婚の前日に宝冠章を授けられると、ランクが上の勲章をもらった後で、ランクが下の勲章をもらうというねじれ現象が発生するのだ。

――ここは“史実”にとらわれず、増宮さまが御成年となられる二十歳のお誕生日の際に、宝冠章をいただくことにするのがよろしいでしょう。そして、内親王として参列する儀式は宝冠章で、軍医として参列する儀式は旭日桐花大綬章を付けていただくのが最善かと。

 伊藤さんが言ったことは耳慣れなかったけれど、何回か頭の中で繰り返してようやく納得した。

(ということは、勲章をもらう式典が、私の成人式代わりになる訳か)

 前世では、成人式には参加しなかったので、私にとっては初めての成人式になる。とりあえず、式は派手なものには絶対しないように、とは伊藤さんにも大山さんにも、そしてお父様(おもうさま)にもお願いしておいた。

 さて、内親王として勲章をいただくので、今回は女子用の礼装で勲章を貰わなければいけない。そして勲章を貰う式の場合、女子が着なければいけないのは、最高礼装である大礼服(マント・ド・クール)である。服には()がついていて、その長さは通常礼服(ローブ・モンタント)小礼服ローブ・ミー・デコルテのスカートの裾の2倍、いや、下手すると3倍以上の長さがある。余りに長いためか、この裾は“御裳(おんも)捧持者(ほうじしゃ)”という少年たちが持ってくれることになっている。

 その御裳捧持者に、弟の輝仁さまが立候補したのである。

(私は別に構わないけどさぁ……)

 御裳捧持者は、学習院の中等科の生徒から選ばれることになっている。輝仁さまが強く望めば、年齢のことは不問にできるとは思うけれど……。

「大山さん、年齢のことはある程度目をつむれるだろうけど、いくら弟とはいえ、親王が私のドレスの裳を持つのは、まずいよね?」

 前に立つ大山さんに尋ねると、

「ええ、流石にご身分が高すぎます」

彼は顔に穏やかな微笑を浮かべながら頷いた。

「増宮さまのエスコートをなさるのであれば、問題はないでしょうが……」

 すると、大山さんの答えを聞いた輝仁さまがうつむいてしまった。

(ああ、裳を持つのが無理だから、すねちゃったかな……)

 そう思った時、

(ふみ)姉上をエスコートするのは、大山閣下だもん……」

輝仁さまはこう言って、唇を尖らせた。

「あー……」

 確かに、輝仁さまの言う通りだ。叙勲式でエスコート役が必要なのであれば、その役が出来るのは我が臣下しかいないし、私も他の人間には任せたくない。

 すると、

「そのようなことはありませんよ、満宮さま」

大山さんが私と輝仁さまに微笑を向けた。

「満宮さまも、小さいけれども紳士(ジェントルマン)でございます。姉君さまをエスコートなさる資格は十分にございますよ」

「閣下、本当?」

 パッと表情を輝かせた弟に、

「ええ。ですから、今回のエスコート役は、満宮さまにお願いいたします」

我が臣下は穏やかに告げた。

「あなたがいいならいいけど……折角の晴れの日だから、エスコート役はあなたがよかったな」

 私がこう言うと、

「思し召しはまことにありがたいですし、(おい)もそのつもりだったのですが、満宮さまがお裾を持たれることになりますと、相方を選ぶのに一騒動になりますゆえ……」

大山さんは薄く笑った。

「その代わり、満宮さまには皇居だけでエスコートしていただいて、青山御殿からご出発の際には、(おい)がエスコートさせていただきます」

「わかった。……じゃあ、大山さんも、輝仁さまも、当日はよろしくね」

 2人を交互に見つめて微笑すると、

「任せといて、(ふみ)姉上!」

輝仁さまは元気に請け負い、大山さんは暖かくて優しい瞳を私に向けて頷いた。


 1月26日月曜日午前10時、皇居。

「よいか、金次郎(きんじろう)

 控室の椅子に座った私の側で、真剣な表情でこう言ったのは松方さんだ。

「はい」

 返事をしたのは、学習院の中等科5年生である松方金次郎くんである。白いボンボンがたくさんついた紫紺のビロードの上着に半ズボンという、御裳捧持者の衣装をまとった彼は、父親の前に直立していた。

「増宮さまの初めての御裳捧持者に選ばれたのは、我が松方家にとって、非常に名誉なことである。気を抜かずに、しっかりと務めあげるのだぞ」

「はい、父上」

 重々しく注意をする松方さんに、金次郎くんはハキハキと返事をする。松方さんはその様子をみて、ニッコリほほ笑んだ。彼にしては珍しいことである。

(次郎ってことは、次男坊……じゃないよな、確か松方さんの次男って、外務省にいるって陸奥さんに聞いたような気がする……)

 すると、金次郎くんは松方さんの何番目の子供なのだろうか。松方さんに問いただそうかとも思ったけれど、すぐに答えは出てこないだろうから、聞くのはやめておくことにした。

(さてと、もう一人の方は……)

 視線を泳がせていると、もう1人の御裳捧持者はすぐに見つかった。大山さんのご長男の(たかし)くんである。金次郎くんと同じ、学習院の中等科5年に在籍している。金次郎くんより、ずいぶんと落ち着いた感じがする。

――適任者が、この2人しかおりませんで……。満宮さまと年が釣り合わなくなってしまいますので、満宮さまにエスコートをお願いいたしました。

 御裳捧持者の人選について、大山さんは以前、私にこう説明してくれた。

(確かに、この2人のどちらかが御裳捧持者から外れたら、松方さんと大山さんの間がこじれそうだからなぁ……)

 そう考えていると、

(ふみ)姉上―っ!」

廊下から、輝仁さまの声がした。私は皇居に着いてから身支度を整え直さないといけなかったので、輝仁さまより先に青山御殿を出たのだ。

「ああ、輝仁さま……」

 入り口に姿を現した弟に声を掛けると、

(ふみ)姉上、すごく綺麗だ……」

学習院の制服を着た彼は足を止め、私の姿をじっと見つめた。

「おとぎ話に出てくるお姫様みたいだ。普段と全然違う……」

「最後が余計だよ。まあ、しょうがないけど」

 私は苦笑した。普段青山御殿にいるときは、軍医学校の制服か、和服に女袴だ。それが今は大礼服(マント・ド・クール)……明るい青緑色のサテンのドレスに、同じ色のサテンでできた裳を腰から付けている。私自身、いつもと勝手が違い過ぎて戸惑っているのだ。

「でも、ありがとね、ほめてくれて」

 小さな紳士(ジェントルマン)でもある弟にお礼を告げると、彼は嬉しそうに頷いた。

「ドレスもアクセサリーも、よく似合っておられます」

 私の前に立っている大山さんが、そう言ってほほ笑む。

「本当は、ドレスも余り着たくないけど、豊田さんの自動織機で織った布地を使っているし、アクセサリーも、御木本さんがデザインしたものだから付けないとね」

 本当は、身動きがとりにくい大礼服(マント・ド・クール)は苦手だ。白い長手袋はまだ許せるけれど、イヤリングにネックレス、そしてティアラ……私には馴染みの薄いアクセサリーばかり身に付けなければならない。

 けれど、ドレスもアクセサリーも、着用を拒否する理由がない。このドレスに使われている生地は、産技研の豊田佐吉さんが、新作の自動織機を使って織ってくれたものだ。そして、アクセサリーには、同じく産技研に所属する御木本幸吉さんが養殖した真珠が随所に使われている。産技研の技術の産物ならば、私はそれを試さなければいけないのだ。

 と、

「ドレスもアクセサリーも、梨花さまのご容貌をよく引き立たせてくれております」

大山さんが私にそっと囁いた。

「そう。私には、正直よく分からない。何とか自分でアクセサリーを付けるのが精一杯だ」

 私が答えると、

「確かに……やはり、物足りないものを感じます」

我が臣下は少しだけ寂しそうに微笑した。

「ドレスもアクセサリーも、極力簡素なデザインにしてもらったけれど……派手な方が良かった?」

「そういう意味ではありません。少しだけ……ほんの少しだけ、気品が足りないように思うのです」

(んー……)

 どこかで、同じような台詞を大山さんに言われた気がする。それがいつだったか思い出せないうちに、

「父上」

高くんが大山さんを呼んだ。

「そろそろ、時間です」

 大山さんは軽く頷いて、「満宮さま、お願いいたします」と私の弟に声を掛ける。

(ふみ)姉上、行くよ」

 輝仁さまが私の右手を軽い調子で取った。

「ちょ……まっ……!扇子が!」

 急な動きについていけず、ハンディモップのような形をした真っ白な羽扇子が、左手から転がり落ちる。床に落ちたそれを、松方さんより一瞬早く大山さんが拾い上げ、

「どうぞ。……淑女(レディ)らしく、落ち着いて、歩を進められますように」

と注意しながら私に渡してくれた。

「あ、ありがとう、大山さん」

 羽扇子を、しっかり持ち直す。羽扇子の先が顎に触れて、少しくすぐったい。

「満宮さま、紳士(ジェントルマン)は、淑女(レディ)の動きを見ながらエスコートするものですよ」

 輝仁さまにも、我が臣下から注意が飛んだ。

「はい、閣下!」

 返事をした輝仁さまは、もう一度私の手を取り、元気よく歩き始めた。


 勲章は、お父様(おもうさま)から会場で直接渡されることになっていた。会場、と言っても、普段梨花会で使っている部屋だ。控え室からはほんの少し歩けば着く距離なのに、慣れない格好だし、ともすればはしゃいで走り出しそうになる輝仁さまを注意しながらの移動なので、油断すると転んでしまいそうになる。転ばずに会場までたどり着けたのが奇跡だと思った。

「おお、立派なものよ」

 扉から入ると、微笑するお父様(おもうさま)お母様(おたたさま)の姿が正面にある。お父様(おもうさま)は黒のフロックコート、お母様(おたたさま)は紅の大礼服(マント・ド・クール)だ。お父様(おもうさま)の隣には兄がいて、その他、左右にズラリと梨花会の面々が並んでいる。みんなの視線が私に集中しているのを感じて、身体が熱くなった。

 勲章を受け取ると、一旦会場を出て、控え室に戻る。勲章を受け取ったらおしまい、という訳ではなく、今もらったばかりの勲章を付けて、もう一度お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)に会わなければならないのだ。

 大山さんが私の右肩から左の腰にかけて、タスキのような大綬(だいじゅ)をかけてくれる。橙色の地に2本の赤い線が配置され、蝶々になった綬の結び目に、宝冠章の正章がセットされている。更に副章を左胸に付け、勲章の一式が全て付け終わるのだ。

「いかがですか?」

 大山さんに尋ねられて、

「成人と認められたんだろうけど……余り実感が湧かないな」

鏡の中の自分の姿を見ながら、私は苦笑した。

「この服も、着るのがやっとだよ。せめて軍医学校の制服に着替えたいな」

 そう大山さんに答えて、

「もちろん、今日は絶対にダメだっていうのは分かってるわよ。これから軍事訓練だって言われても、絶対にあなたが着替えさせてくれないもの」

私は慌てて付け加えた。

「よくお分かりでございます」

 大山さんがニッコリ笑う。

「本日は増宮さまに、立派な淑女(レディ)として振舞っていただく日ですから」

「しょうがない、観念するよ。……輝仁さま、もし私が転びそうになったら助けてね。さっきみたいに、慌てて私を引っ張らないようにしてね」

 隣の椅子にちょこんと腰かけている弟に頼むと、

「わかったよ、(ふみ)姉上」

上機嫌な彼は、何度も深く頷いた。

 身支度を整えると、再び先ほどの会場に向かう。2度目だからか、足を取られることはなかったし、輝仁さまもゆっくり歩いてくれたので、順調に進めた。会場の扉をくぐると、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)の姿があり、兄と梨花会の面々も立っている。お母様(おたたさま)の紅い裳には、艶やかな数々の菊華が縫い取られていて、私は思わず息を飲んだ。

「ようやく余裕が出たか」

 私の視線の動きを見て取ったのか、お父様(おもうさま)が苦笑した。

「はい……さっきは、無我夢中で……」

 隠してもしょうがないので、正直に答える。

「大方、慣れぬ服で動き辛かったのだろう。さきほどは、顔つきが余りに必死だったから、笑い声をこらえるのに苦労した」

(さようでございましたか……)

 同じスカートでも、制服のものなら、裾がひきずらないから自由に動けるのに、裾が長いだけでこのザマである。立派な淑女(レディ)への道のりは、まだまだ長そうだ。

「増宮さん」

 お母様(おたたさま)が穏やかな目で、じっと私を見つめる。

「二十歳のお誕生日、本当におめでとうございます」

「はい……今まで育てていただいて、ありがとうございました」

 私は今生の両親に向かって、深く頭を下げた。

「何か、抱負はあるか?」

「抱負……ですか?」

 お父様(おもうさま)の言葉に、一瞬頭が付いて行かなかったけれど、すぐに納得できた。今、ことさらに言う必要もないとは思うけれど……父親の要望であれば、言うしかないだろう。それに、“新成人の誓い”とやらは、成人式には付き物だ。

「はい。……軍医学生としての務めに励み、立派な軍医に、そして上医になることを目指します。それから……」

 こんなことを言っていいのだろうか。私を恐れているような連中は、この言葉をどう思うのだろう?迷ったけれど、お母様(おたたさま)の優しい視線に励まされて、私はもう一度口を開いた。

淑女(レディ)に……日本にこの人ありと言われる、立派な淑女(レディ)になります」

 ふと思った。

 私が立派な淑女(レディ)になれた時、私の手を優しく取って、エスコートしてくれる人は、一体誰なのだろう。

 輝仁さまでも、兄でも、大山さんでもなく、私の隣に立つ、頼もしい立派な紳士(ジェントルマン)は……。

 お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)の前だということは分かっていたけれど、白い長手袋に包まれた右手を見つめ、私は考え込んでしまったのだった。

※御裳捧持者は、学習院中等科の生徒で13から15歳までの生徒が選ばれたようです。(「明治宮殿のさんざめき」米窪明美著より)余りに適任者がいなかったので、多少年齢が上ですが、彼らにお願いしました。


※金次郎くんは、松方さんの11男です。

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