露見
1902(明治35)年6月27日金曜日午後3時、東京帝国大学附属病院。
「あんたか、今度外科に入るって言うのは……」
9月からの就職のため、近藤先生との面談と打ち合わせを終えた私は、近藤先生の部屋を出たところで、4人の男に取り囲まれた。年の頃は、全員20代。今のセリフから考えると、この病院で働く医者だろう。
「はい、そうです。私の先輩になる、外科の先生方でしょうか?」
高圧的な態度にムッとはしたけれど、それを隠してにこやかに応対すると、
「“先輩になる”だぁ?」
男の1人が睨み付けるように私を見た。
「ふざけるな。お前なんぞに先輩と呼ばれる筋合いはない」
「そうだ、医師免許も持っていないくせに」
「……持ってますよ?」
私は慌てず騒がず、背負ったカバンを身体の前に持ってきて、中から医師免許を取り出した。もちろん、大山さんに頼んで作ってもらった、“千種薫”名義のニセの免許証だ。十分に効果はあったようで、
「め、明治16年生まれ……?!」
「まだ二十歳にもなってないのか?!」
免許証を見せつけられた男たちが、明らかにひるんだ。
「おい、君たち、何をしている!」
扉の外の異変に気が付いた近藤先生が、部屋の中から出て来て、4人の男たちをジロリと睨む。だけど、
「近藤先生、一体何を考えていらっしゃるのですか!」
男たちは、今度は自分たちの上司に抗議を始めた。
「なぜこんな女を、我が帝大附属病院で医者として働かせるのですか?!」
「そうです。華族に袖の下を渡されたのですか?!」
「君たち、失礼なことを言うな!」
男たちの言葉に、近藤先生の顔が怒りに染まった。「賄賂など、断じてもらっておらん。彼女は医師免許を持っている。そしてこの外科で働きたいと言った。だから採用したのだ」
「しかし、採用試験なしで、でしょう?」
男たちは、上司の怒りにもかかわらず、なおも反論を試みる。どうやら、私のことがよほどお気に召さないようだ。
「採用試験は、採用希望者が多すぎた時のみに行うものだ。今年度は外科の志望者が少ない。それだけの理由だ」
近藤先生がそう述べると、
「ですが、採用者の質が低すぎても困りますね」
4人のうちの1人が、そう言いながら手にした紙を私に突き付けた。
「ほれ、女。この問題を解いてみろ」
「千種先生!」
近藤先生の叫びを無視して、私は紙に書いてある問題を眺めていた。物理の問題だ。難易度としては、帝国大学の入学試験で出される程度だろう。
「ちょっと失礼」
紙をひったくると、私はその余白に、鉛筆で問題の解法を書き付けた。この程度なら、元々理数系の科目が得意な私は余裕で解ける。紙を男に突き付け返すと、
「く……正解だ」
「なにぃ……女学校で、物理を教えているところは少ないのに……」
男たちが歯ぎしりした。
「くそっ、ならばこれはどうだ!」
今度は、数学の問題が書かれた紙が、男たちから私に渡される。これも、帝国大学の入学試験レベルだ。
(漢詩を作れとか、和歌を詠めとかじゃなくてよかったな)
そう思いながら数式を紙の上に並べ立て、機械的に紙を返すと、男たちの顔色は真っ青になった。
『くそっ、この女、何者だ?化け物か?』
男の1人がドイツ語で呟く。
『そんなモノになった覚えはありませんけど』
すかさず私もドイツ語で言い返すと、呟いた男は目を見開いた。
『気に入らなければ、実力で排除するんですか?ただ、こちらもそう簡単にやられませんよ。警視庁の剣道で、四級下の級位は持ってますから、それなりの覚悟をして掛かって来てください』
一昨年、級位認定を取り直した剣道の級位をドイツ語で告げると、男たちは黙りこくった。
『それとも、英語でお話する方がいいでしょうか?ドイツ語よりは、英語の方が得意でして。フランス語もできますけれど、皮肉をまくし立てられるほど達者という訳ではありませんの』
今度は英語で男たちに言ってやると、
「ふん……では、輸液の針を入れることはできまい!」
男たちは外国語で話すことを諦め、「ついてこい、女!」と私を左右から挟み込み、近藤先生が止めるのも聞かず、病室へと連れて行った。
私が押し込められるようにして入ったのは、男性患者用の4人部屋だった。その窓際のベッドにいる患者に輸液用の翼状針を刺そうとしたけれど、何度挑戦しても針が上手く留置できない……男たちはそう言っていた。だけど、
(どう見ても、針が刺せる太い静脈、たくさんあるよなあ)
その患者さんの腕をゴム管で縛った私は、心の中で首を傾げた。確かに、患者さんの腕には、何か所か翼状針を刺して失敗した痕があるけれど、そのどれもが静脈から明らかに外れた場所にある。ただ、それを指摘すると男たちが激怒しそうだったので、私は黙ったまま患者さんの腕をアルコールで消毒して、輸液用の翼状針を静脈に刺した。
「ちゃ、ちゃんと輸液が流れ落ちている……」
「そんなバカな……」
呆然とする男たちに、
「君たち、いい加減にしたらどうだ!」
近藤先生の厳しい声が降り注いだ。
「彼女は、きちんと実力がある医師だ。翼状針を刺す腕前は、恐らくこの私と並ぶだろう。君たちも相手を馬鹿にして自分の傷を広げる前に、きちんと翼状針を刺す練習をすることだ」
その近藤先生の言葉に、男たちは憮然とした表情で、黙って私に頭を下げた。
(点滴の針、前世で刺しまくっててよかったぁ……)
男たちに見られないように、私はこっそりため息をついたのだった。
その翌日、1902(明治35)年6月28日土曜日、午前8時半。
「それで結局、帝国大学の外科には、無事に採用されたんですね」
麹町区飯田町にある東京至誠医院。奥の一室で、つい先日誕生した長男の博人くんに授乳しながら、弥生先生は私の報告を聞いていた。
「はい、今話したようなゴタゴタはありましたけど、近藤教授が“採用”ときちんとおっしゃってくださって、事務手続きも終わりました」
「それはよかったです。……かわいそうに、千種さんにちょっかいを出した人たち、後悔することになりますね」
「私は、ちょっとやりすぎたかなと思って、後悔しているんですけど……」
弥生先生の言葉に、私はこう答えて曖昧に微笑した。あの程度のイジメなら、想定していた範囲内だから私は平気だ。問題は、いじめてきた奴らに、我が臣下が鉄槌を下そうと動くことである。それが怖いので、大山さんには昨日の事件のことは伝えなかったけれど、どこからか噂を聞き込んで、奴らの“処理”を私が知らないうちに済ませてしまっている可能性はある。何せ、我が臣下は、非公式の諜報機関のトップなのだから。
「別にいいのではないかと思いますよ。彼らにも、よい薬になったでしょう」
弥生先生は悪戯っぽく笑うと、
「ところで千種さん、9月からこちらの勤務はどうするの?」
と私に尋ねた。
「……実はどうしようか、迷っているんです」
私は軽いため息をついた。
東京帝国大学付属病院は、三浦先生と近藤先生が中心となり、この9月から業務改革が行われる。これは、昨年の12月、私が医科分科会の先生方と話し合ったことがきっかけだった。
私の時代でも、大学病院に勤める医者の中には、給料が支払われないまま働いている“無給医”が存在していた。そして、この時代でも、病院に採用されている医師の中には、“無給助手”として、給料をもらわずに勤めている人がかなりいる。そういう人たちは、空いた時間で他の病院や医院を手伝って生活費を得ているけれど、平日昼間の全て、そして時には当直業務で夜も病院に縛られて、更に生活費を稼ぐために空き時間で働く彼らの体力は限界に近い。これでは、医療事故が起こりやすくなってしまう。これから医療技術が高度になって、業務が煩雑になればなおさらだ。
そこで、病院に採用されている医師には、必ず給料を出すことにした。月給10円というのは、私の時代だと大体20万円程度。初期研修医の初任給としては少し安いかもしれない。ただ、医者を1年中休みなく患者に縛り付ける元になる主治医制度が撤廃された結果、不規則ながらも週休3日が保証され、当直勤務に入った翌日は必ず休むように勤務のローテーションが組まれるのだ。“体調を崩さない程度に”という条件で、アルバイトすることも許されているから、考えようによってはこちらの方が、私の時代の初期研修医よりも労働条件がよいかもしれない。いや、前世で過労死レベルの労働を続けた挙句事故死した私にとっては、きちんと休みが保証されているこの労働条件の方が絶対いい。例え今生の私が内親王でなくても、この労働条件を迷わず選ぶだろう。
少し話がそれたけれど、私にとっての問題は、病院で働いている期間にも、内親王としての仕事が入って来る可能性があることだ。内容は主として、外国の要人が来日した際の面会である。そのような予定は曜日に関係なく入ってしまうから、休みの日と上手くぶつかればいいけれど、休みではない時に入ってしまうと、予定の調整が大変になるだろう。そこに至誠医院や女医学校の仕事が加わってしまったら、予定調整が更に難しくなる。なので、
「休みは不定休になるんです。だから、こちらをいつ手伝えるか、ハッキリしなくて……」
こう弥生先生に伝えると、
「じゃあ、ハッキリしたら教えてください」
彼女はそう答えて微笑した。「どの日も、人手があるのはありがたいことですから」
「分かりました。……では、診察室に行ってきますね」
私は一礼して立ち上がり、弥生先生の代診をするべく、診察室に向かった。
(しっかし、本当にこの数日、ドタバタだったなぁ……)
午前11時45分。待合室にいた患者さんたちもいなくなり、診察室に1人になった私は、マスクを外し、椅子に掛けたまま大きく伸びをした。
節子さまが産気付いたのは、水曜日の未明。引き続いて弥生先生の分娩が始まり、博人くんが生まれたのが翌日の朝だ。昨日は女医学校で午前中に授業をした後、帝大病院で意地悪な医局員たちに絡まれた。
そんな慌ただしい中、私の癒しになっているのは、もちろん、私の可愛い甥っ子たちである。水曜日に生まれた甥っ子は、来月1日の命名式の時に、称号を淳宮、名を雍仁と名付けられる予定だけれど、この子も迪宮さまに負けず劣らず可愛くて、天使のようなのだ。
(帰ったら、皇孫御殿に行って、迪宮さまと淳宮さまに癒されよう。ふふふ、天使が2人に増えたなんて、最高過ぎるなぁ……)
甥っ子たちの顔を脳裏に描き、幸せに浸っていると、
「ちょっと、何をするんですか!」
廊下から、看護師さんの叫び声と、何人かの足音が響いてきた。その直後に、診察室の扉が廊下側から引き開けられる。そこに立っていたのは、黒いフロックコートを着た恰幅の良い東欧人の男性だった。顔に見覚えがある。この人は……ロシア公使の、イズヴォリスキーさんだ。
(うそっ?!なんでこいつが至誠医院に?!)
とっさに状況を飲み込めない私の前で、公使は私に分からない言葉をしゃべった。いつの間にか、公使付きの通訳さんが、公使の隣に立っていた。そしてもう一人、30代半ばぐらいの、眼鏡を掛けた少し厳めしい顔をした日本人の男性もいる。この人もどこかで見たような気がするけれど、ロシア公使館の職員だろうか。彼らの後ろで、看護師さんが「いきなり入ってきて、一体何なんですか!」とわめいているけれど、看護師さんは完全に無視されていた。
「お久しぶりですね、増宮殿下」
イズヴォリスキーさんの言葉を聞いた通訳さんが、日本語で私に言った。「1月の、あなたの誕生日の時以来ですか。相変わらずお美しい」
「あのー、申し訳ありませんが、人違いです」
私はわざと高い声を作って、予期せぬ来訪者たちに答えた。
「私は千種薫と申します。畏れ多いことに、“増宮殿下に似ている”とよく言われますけれど」
椅子から立って、うやうやしく頭を下げると、
「何をおっしゃいますか。私は何度か増宮殿下には会っておりますから、見間違えるはずがございません」
公使のロシア語を受けた通訳さんがこう言った。
「いえ、私は初対面です。私は一応華族ですけれど、しょせんは貧乏華族の娘。公使などという偉いお方には、近づく機会などありませんわ」
作り声のままこう返す。この場は、“私は増宮ではない”とシラを切り続けて切り抜けるしかない。
「まだ否定されますか」
通訳を通して、イズヴォリスキー公使は言う。「では、この日本人に見覚えはあるでしょうか?ごく最近、あなたに会ったことがある方なのですが」
(ごく最近……?)
ロシアの公使には、今年1月の私の誕生日の時に、ニコライ陛下が持ってきた誕生日プレゼントを受け取って以来会っていない。もちろん、ロシア公使館の職員にもだ。ところが、この日本人の男性に、“あなたはごく最近会った”と先方は主張している。では、この日本人の男性には、私はどこで顔を合わせているのだろうか。記憶を必死に探っていると、
「水曜日は、診察していただいてありがとうございました」
日本人の男性が、私に向かって頭を下げた。
(診察……?!)
その言葉で、記憶が繋がった。
この男性は、淳宮さまが生まれて、弥生先生が産気づいた今週の水曜日、私が臨時で至誠医院の代診をした時に診察した患者さんだ。
「私、あなた様と同じように医師をしておりましてね。ドイツ語も分かるのですよ」
(?!)
――その頃から、咳嗽がありまして……。
――痰は黄色で膿性でした。
診察の時、彼が言っていた言葉が頭の中に蘇る。“咳嗽”や“痰が膿性”などという言葉は、一般の人が使う言葉ではない。少しでも医学をかじっている人間でないと、自然に出てこない言葉だ。
「ですから、聞いておりました。ドイツ人の医師があなた様のことを“殿下”とドイツ語で呼んで、あなた様がそれにドイツ語で返答したのを」
(そう言えば、あの時驚いたはずみで、マスクが顔から外れたな……)
完全に詰まされてしまった。私は患者に化けたこのスパイの前で、うっかりベルツ先生とドイツ語で会話をしてしまったのだ。しかも、“殿下”と呼ばれたのに返事をしてしまったという、致命的なミスまで犯した。……この状況では、どうあがいても、“私は増宮ではない”と言い逃れることが出来ない。私は、動揺を表情に出さないようにするのがやっとだった。
「どうやら、言い逃れが出来なくなったようですね、増宮殿下」
イズヴォリスキーさんが、私を見てニヤリと笑った。「私にはあなたのような進んだ女に価値があるとは思えないが、少なくとも、皇帝陛下には価値があるようだ。……あなたを手に入れるなら、何をしてもいいとおっしゃっているのだから」
(何をしてもいい……?!)
私は心の反応を、表情に出ないように必死に押し殺した。まさか、“何をしてもいい”というのは、私の身柄を力づくで奪うことも含まれるのだろうか。下手をすれば、戦争をしてもいいということまで……。
「……そうですね、増宮殿下が無事に医師免許をお取りになったのも分かったことです。これから陸奥大臣の所に行って、あなたのロシアへのお輿入れをご検討いただくとしましょう。賢明なご判断を要望致しますよ、増宮殿下」
そう言うと、イズヴォリスキーさんたちはくるりと踵を返し、診察室から出て行った。




