表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第28章 1901(明治34)年立夏~1901(明治34)年大雪
209/803

山階宮家のお産

 1901(明治34)年10月31日木曜日午前9時半、麹町区富士見町5丁目にある山階宮(やましなのみや)菊麿(きくまろ)王殿下のお屋敷。

「お久しぶりですね、増宮様」

 面長で穏やかな容貌の菊麿王殿下は、私と目を合わせると微笑した。私より10歳年上の菊麿王殿下は海兵大尉で、ドイツの海軍兵学校に留学していたこともある。節子さまのお姉さまの範子(のりこ)さまと6年前に結婚して、武彦(たけひこ)王殿下と芳麿(よしまろ)王殿下の2人の男の子を儲けていた。

 私がなぜ彼のお屋敷にやって来たのかと言うと、臨月を迎えた範子さまの分娩を見学させてもらうことになったからである。節子さまの分娩の時は、手伝うどころか、見学もさせてもらえなかったので、不満に思っていたところ、前輔導主任の伊藤さんが、

――この10月の下旬に、山階宮範子妃殿下がお産をされるはずです。その時に立ち会わせてもらうのはいかがでしょうか?

と提案してくれたのだ。

――それはありがたいですけれど、山階宮家の方で了承してくれますかね?

 そんなことを言っていたら、とんとん拍子で話が進み、山階宮家も、分娩を担当する東京帝大産婦人科の講師の中島先生も許可してくれたので、範子さまのお産を見学できることになったのだ。髪型はポニーテールにしなければならないので、分娩室の中までは入れず、外から覗かせてもらうだけになってしまうけれど、それでも十分過ぎるほどだ。ちなみに、今日の女医学校の授業と実習は、欠席する旨を千夏さんに伝えてもらうことにした。“知り合いのお産に立ち会えることになったので、分娩を見学する日はお休みします”と、弥生先生にはあらかじめ伝えて許可をもらっているので、問題ないはずだ。

「今日はありがとうございます。無理を言ってすみませんでした」

 私が菊麿王殿下に頭を下げると、

「何、気にしないでください。増宮様の夢、私は応援しております。勉強になるのでしたら、いくらでも協力いたしますから」

菊麿王殿下はニッコリ笑った。年の近い男子皇族の中には、伏見宮(ふしみのみや)邦芳(くにか)王殿下をはじめ、私を怖がる人が結構いるけれど、この人は私と普通に接してくれる。以前、その理由を聞いたら、

――変わり者だからですかねぇ。

と答えられた。彼の趣味は機械いじりと気象観測……。まぁ、確かに、この時代の常識から考えたら、変わっているのかもしれないけれど、私がそもそも、この時代の女子皇族としてはあり得ない職業を目指しているので、彼が変わっている人だとは余り思えなかった。

「医師免許が取れたら、少しは先生たちの手伝いが出来るんでしょうけれど……」

 私がこう言うと、

「ふふふ、そうしたら、次の時には、増宮様にお手伝いをお願いしましょうかね」

彼は笑いながら答えて、「そうだ、早く行かないと、範子の分娩が終わってしまいますよ」と私に勧める。私はまた丁寧にお礼を言って、屋敷に設えられた分娩室に向かった。

 分娩室には、現在の東京帝大産婦人科のトップである中島先生はじめ、東京帝大の産婦人科の先生が3人いて、助産師さんも2人付いていた。範子さまの側には、看護師さんも控えていて、範子さまの腕の翼状針からつながった点滴を確認しているようだ。分娩室の外の廊下には、東京帝大の外科教授の近藤先生も立っていて、私の姿を見ると一礼した。万が一、輸血が必要な時は、彼が供血者から輸血用の血を採取することになっていた。

「色々なものがありますね」

 マスクを着けながら、廊下から分娩室を覗いた私は、近藤先生に話しかけた。分娩室の壁に沿って、酸素ボンベや酸素吸入用のマスク、全身麻酔に使うエーテルの吸入器、点滴や輸血に使う道具、ペニシリンの入った瓶、滅菌ガウンや滅菌手袋、手術道具など、様々な医療器具が、整然と並べられていた。

「ええ、お産には危険が付きまといますからね」

 私と同じくマスクを着けた近藤先生が答えた。

 私の時代では少なくなっているけれど、分娩というものには、やはりリスクはある。分娩が止まったり、子宮に大きな傷が出来たりすることもあるし、分娩の最中に胎児の調子が悪くなることもある。そんな時には、緊急手術をしたり、母体に輸血をしたりしなければならないのだ。実は、節子さまのお産の時も、このような準備はちゃんとされていたのだけれど、使わずに済んだのは幸いだった。

「無事に分娩が終わるといいですね」

 私はそう言って分娩台を眺めた。分娩台の上の範子さまの身体は、滅菌された布で覆われている。産婦人科の先生や助産師さんも、滅菌ガウンと滅菌手袋を装着し、髪の毛が落ちないよう、手術用の帽子をかぶっていた。ちなみに、滅菌ガウンは、前世で使っていたものを参考にして、私がデザインしたものである。

「そうですね、それを祈りましょう」

 近藤先生も頷いて、私と彼は、範子さまの分娩の進行を見守った。


 1度胎児の頭が見えてからの、範子さまの分娩の進み方は早かった。あっという間に胎児の頭が出て、肩が出て、身体全体が外気に触れ、元気な産声が上がったのは10時前のことである。

「お元気な女王殿下ですね」

 近藤先生が呟くのに、私は黙って頷いた。

(よし、あとは胎盤だけだ!)

 胎盤は、妊娠中に、胎児と母親をつなぐ器官で、栄養や老廃物、酸素や二酸化炭素を胎児と母親の間で交換する。これがなければ、子宮の中で胎児は成長できないけれど、出産の後は要らなくなるので、へその緒などと一緒に母親の身体の外に出る。これが出てこないと、お産が終わったことにはならないのだけれど……。

「ちょっと、遅くないですか?」

 私が近藤先生に囁いたのは、赤ちゃんが範子さまの身体の外に出てから、30分ほど経ったころだった。

「確かに」

 近藤先生も私に囁き返すと、「出血量も多いような……」と付け加えた。産婦人科の先生たちも、胎盤を何とかして体外に出そうとしているようだけれど、なかなかうまく行かないようだ。

(まさか、これ……)

「殿下、このような病態、御存じですか。私も、産婦人科学は、通り一遍のことしか知らないので……」

 近藤先生が私に小声で尋ねた。

「もしかして、胎盤が癒着してるんじゃ……。私も、初めて見ましたけれど……」

 癒着胎盤。胎盤が、子宮の筋肉に食い込んでしまって、はがれなくなる状態だ。大量の出血を引き起こして、妊婦の死亡原因となることもしばしばある。私の時代でも、超音波やMRI検査で調べても、胎盤が子宮に癒着しているかどうかは診断できないことが多かった。まして、そんな検査機器の無いこの明治時代である。事前に癒着胎盤があることを判断することは不可能だ。

「私の時代だと、動脈塞栓術なんかもできましたけど、この時代にそれは無理だし、止血用の器具を使っても感染の危険もあるし……最善の方法は、子宮を摘出することだと思います」

「子宮の破裂に準じて、ということですか……。しかし、それでは、妃殿下にこれ以上の子が望めないということに……!」

「だけど近藤先生、このままだと、どっちにしろ、範子さまの命が……!」

 小声で言い合っていると、産婦人科の中島先生が、分娩台を離れ、私と近藤先生に近づいてきた。

「出血量が、1000mlを超えました。胎盤が強固に子宮に癒着していて、止血もままならない。子宮が収縮する様子もありません。……近藤先生、輸血の準備をお願いします」

「そうですか。……手術をなさるということですか」

「確かに、子宮を取ってしまうのは、止血方法としては最善なのですが……」

 近藤先生の問いに、中島先生は目を伏せた。

(まさか……)

 経験を豊富に積んでいる中島先生が、最善な治療を選ぶことをためらっている。それは、手術が危険だからではなく……。

(範子さまが皇族だから、しきたりがあるから、侵襲的な治療ができないということ?!それは……、そんなのは、許せない!)

「……あの、未熟者ですが、口を挟んでもよろしいでしょうか?」

 私は中島先生をしっかり見つめて、口を開いた。

「「殿下?」」

 同時に声を上げた中島先生と近藤先生に、

「必要なら、範子さまの手術をしてください」

私はキッパリと言った。

「このまま胎盤を残しておいても、出血が止まる保証はないと思います。それに、感染して産褥熱を起こす可能性も高くなるって勉強しました。助けるのに必要なら、範子さまの手術をするべきです!だから、麻酔用のエーテルも、手術道具も用意したんですよね?!」

「それは、そうなのですが……」

 中島先生の目には、明らかに迷いの色が見える。それを、完全に打ち消さなければならない。私は頭を必死にフル回転させながら、更に口を開いた。

「治療に関しては、直宮(じきみや)であるこの私が、全責任を持ちます。もし、皇族が手術を受けるのが、しきたりから外れるとか言う人が出てくるんだったら、私がその人たちから範子さまと先生方を守ります。範子さまにも、先生方にも、指一本触れさせはしません!だって、……助ける手段を知っているのに、しきたりのせいでそれが出来ないなんて、私、嫌ですから!」

 中島先生を、睨むように見つめると、

「分かりました……」

と彼は頷いた。

「あとは、山階宮殿下がそれをお許しになるかどうか、ですが……」

「私、殿下に説明してきます」

 私は即座に中島先生に返した。「産婦人科の先生方が今、分娩台を離れちゃいけないです。手術の準備だってしないといけないのに。近藤先生も輸血の準備がありますから、殿下に説明できる余裕があるのは私しかいません。だから、私が殿下に説明してきます。お願いします!」

 頭を下げると、

「殿下、頭を上げてください」

近藤先生はこう言った。言われた通りにすると、

「……良い目をしていらっしゃる」

突然、近藤先生はこんなことを言った。

「は……?」

 首を傾げた私に、

「西郷閣下の手術の時とは、目の輝きが違います。……殿下、大変申し訳ありませんが、山階宮殿下に、妃殿下の分娩の経過と治療方針について、説明をお願いできますでしょうか?」

近藤先生は頭を下げた。

「了解です。行ってきます!」

 私は立ち上がると、菊麿王殿下がいる部屋に急いだ。今までの状況を山階宮殿下に説明して、子宮全摘について説明すると、

「分かりました。増宮様と先生方にお任せします」

緊張した表情になった菊麿王殿下は、私に丁寧に一礼した。

「いいんですね?範子さま、もう子供は産めなくなりますけれど……」

「もちろん、それは承知の上です」

 私の確認の言葉に、菊麿王殿下は頷いた。「範子はもう、3人も私の子を産んでくれたのです。それなら……いや、そうでなくても、私は、範子が助かる可能性が高い方に賭けたい」

「わかりました。先生方にはそう伝えます」

 私は頭を下げると、素早く立ち上がって、分娩室の方に駆けた。

「了承、取れました!先生方、手術の準備を、早く!」

 分娩室の中に向かって、私は大きな声で叫んだ。


 1901(明治34)年11月30日土曜日、午後3時。

「本当に、ありがとうございました」

 麹町区富士見町にある山階宮菊麿王殿下のお屋敷。そこを再訪した私に向かって、菊麿王殿下が頭を下げた。

 ちょうど1か月前に行われた範子さまの子宮全摘の手術は、無事に成功した。やはり出血は多く、最終的な出血量は、全部で3500mlほどになった。輸血に備えて、供血者は2人控えてもらっていたのだけれど、1人から採血できる血の量は200から400mlほどなので、輸血量が足りなくなってしまった。山階宮殿下のお屋敷の職員にも供血してくれるようお願いしたけれど、それでも足りなくて、青山御殿、その次に花御殿と皇宮警察にも電話を入れ、手が空いている職員を山階宮殿下のお屋敷に急遽呼び集めた。結局、のべ12人から、合計3000mlの供血を受け、範子さまの手術が終わったのだけれど、私も血液型検査をしたり、輸血の手伝いをしたりしたので、手術が終わるころには、へとへとに疲れてしまっていた。

 範子さまには点滴を使って、ペニシリンも何日間か投与したので、産褥熱を出すこともなく、手術後は順調に経過した。今も、私の前で、産まれたばかりの女の子――安子(やすこ)と名付けられたけれど――を抱いて、ニコニコ笑っている。

「主人から、増宮さまが私の供血者になろうとしたと聞いて、ビックリしました」

 こう言った範子さまに、

「あー、実は、あの時、自分の血液型をまだ調べてなかったんです」

私は苦笑しながら答えた。「もしかしたら、範子さまと血液型が合ってるんじゃないかな、って思ったんですけど、大山さんに止められて……」

――なんで止めるのよ、大山さん!私、今から自分の血液型を調べる!それで、範子さまと適合したら、供血者になるの!

――なりません!梨花さまが供血者になれば、血を採取している間、誰が血液型判定をするのですか!

 範子さまの血液型はO型だった。緊急招集でやって来た、大山さんを含む青山御殿の職員8人の中に、O型は2人しかいなかったのだ。その時、自分自身が血液型検査をまだしていなかったことを思い出した私は、近藤先生に、私の検査用の採血をしてくれるように頼んだけれど、大山さんにこっぴどく叱られ、更に多くの供血候補者を募る方向に、方針を転換したのだった。

「頭に血が上っちゃったなぁ、って反省してます。しかも、後でゆっくり調べたら、私の血液型、A型だったから、範子さまに輸血できなかったんです。ごめんなさい」

 菊麿王殿下と範子さまに向かって深々と頭を下げると、

「そのお気持ちだけでも、ありがたいことですよ」

菊麿王殿下は静かに言った。「まして、範子の手術に、全責任を持つとまでおっしゃって、先生方の背中を押してくださった。感謝のしようもありません」

「ええ、その通りです」

 範子さまもこう言って微笑する。「妹から……節子さまから聞いていましたけれど、増宮さまは、お優しくて、勇気もおありなのですね。私は今回、お医者様たちに命を救われましたけれど、増宮さまのお気持ちにも助けられたのだと思っておりますの。本当に、ありがとうございました」

「範子さま……」

「安子にも、増宮さまのように、優しく、勇気のある子に育って欲しいです」

 そう言いながら、範子さまは腕の中の安子さまを抱き直した。安子さまは、スヤスヤと眠っていた。

「どうなんでしょう、それ」

 私は首を傾げた。「私みたいに育ったら、すごくお転婆になりますよ」

「確かに、そうなるかもしれませんね。女牛若2号ですか。……武彦と芳麿が、こっぴどくやられてしまうかもしれないな」

 菊麿王殿下がクスクス笑う。その笑い声につられ、私も範子さまも、大きな声で笑ったのだった。

※「東京帝国大学一覧」を見ると、この当時の産科学婦人科学のトップは助教授の千葉先生なのですが、留学中なので、講師の中島先生を引っ張って参りました。


※実際の範子妃殿下の出産時刻については、現時点で検索できる資料を当たった限りはっきりしませんでした。実際の経過は官報を参考にしました。最大限にいい方向に解釈しておりますので、ご了承のほどお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 暴走機関車梨花号 本当、人の生き死にが掛かると思いっ切り、突っ走りますよねえ、梨花様って。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ