輔導主任の慰労会
1901(明治34)年9月26日木曜日、午後6時半。
「本日はお招きいただき、まことにありがとうございます」
青山御殿の食堂で、伊藤さんが私に向かって頭を下げた。その横には山縣さん、大隈さん、陸奥さんが座っていた。
9月3日、衆議院総選挙が行われた。議席定数300に対し、大隈さん率いる立憲改進党の獲得議席は141。一方、陸奥さん率いる立憲自由党の獲得議席数は153だった。つまり、衆議院において、立憲自由党が過半数の議席を獲得したのである。
この結果を受け、かねてからの取り決め通り、山縣さんは内閣総理大臣の職を辞することになった。そして、昨日付で、伊藤さんが内閣総理大臣に就任した。
私の時代の感覚のままだと、第1党のトップである陸奥さんが、内閣総理大臣になるというのが自然な展開だ。ただし、政党側には、まだ大臣を担えるような人材が数えるほどしかいない。そのため、無理に政党内閣を作ってしまうと、実力のない議員に大臣をやらせなければならないのだ。これでは、行政に差しさわりが出て、そこから内閣が崩壊してしまう危険がある。
――僕が総理大臣をやってもいいのですが、政党に所属している者が総理大臣になるのは、まだ少し時期が早いでしょう。次か、次の次の組閣ぐらいが妥当かと……。総理も閣僚も全て政党に所属する人間からなる、完璧な政党内閣を組閣できるようになるのは、もう十数年先でしょう。その間は、有能な官僚にも、大臣の職を担ってもらわなければいけません。そして、その十数年の間に、育ってきた政党人を大臣の職につけて鍛え、徐々に内閣の政党色を強めていく……。
陸奥さんは、原さんと大山さんと私しかいない席で、こんなことを言っていた。そのため、伊藤さんは政党に所属することなく、総理大臣に就任した。
さて、伊藤さんの総理就任に当たって問題になったのが、今まで枢密院議長の職と兼任していた、東宮大夫と私の輔導主任職のことだ。内閣総理大臣は、大変な激務である。このまま、東宮大夫と輔導主任を兼務していれば、総理大臣の業務ができなくなってしまうだろう。
――兄上の方でも伊藤さんの慰労会をするだろうけれど、私も伊藤さんを、慰労の意味を込めて食事会に招きたいの。今まで輔導主任として、お世話になりました、って感じで。
大山さんにこう相談したのは、総選挙の大勢が判明した9月7日ごろだった。そして、大山さんは晩餐会をセッティングしてくれたのだけれど、なぜか余計なお客たちまでが招待されてしまったのだ。まぁ、文句を言っても、“梨花さまのご修業になるかと思いまして”と有能な別当さんに返されるのが目に見えているので、私は黙っていることにした。ちなみに、その別当さんは、私の隣にさも当然と言わんばかりに座っていた。
と、
「お聞きにならないのですね。なぜ僕らもここに列席しているのか」
陸奥さんが、私に微笑を投げかけた。今回の組閣で、彼はもちろん、外務大臣に就任している。
「答えが見えているからです」
私はややぶっきらぼうに答えた。今日は午前中の実習の時、ひどい肺炎の患者さんがやって来たので、診察やら看護やらで、同級生一同とともに、てんやわんやの大騒ぎをしていたのだ。それで、かなり疲れてしまっていた。けれど、もちろん陸奥さんは、そんな事情にはお構いなく、
「ほう、どのような答えでしょうか。是非聞かせていただきたいものです」
と微笑を崩さず尋ねた。
「私の修業のため、でしょう?」
私が答えると、
「たった今、その目的も付け加わりましたが……頼まれたのですよ、山縣殿に」
陸奥さんはこう言った。
「頼まれた?何をですか?」
「俊輔が、輔導主任を辞任するときちんと言うかどうか、証人として見届けて欲しいと……」
内閣総理大臣から、伊藤さんの後任の枢密院議長に転任した山縣さんが告げた。その口調は、なぜか厳かである。
「さよう、吾輩たちは、証人なんである!」
立憲改進党党首の大隈さんが、伊藤さんを睨み付けると、
「そこまで言われんでも、言うに決まっているだろう」
伊藤さんが軽くため息をつきながら大隈さんに答えた。「内閣総理大臣就任に当たり、東宮大夫も、増宮さまの輔導主任も辞める。こう言えばいいのだろう?」
「よし、俊輔。それを増宮さまに向かって言うのだ」
山縣さんが厳しい声で伊藤さんを促す。
「言われんでも申し上げる。あんなことをされてはな」
不機嫌そうに答えながら、伊藤さんは私に向き直った。
「長きに渡り務めて参りました輔導主任ですが、この度、退任することと相成りました」
「今まで、大変お世話になりました」
伊藤さんと頭を下げ合ってから、「ところで、一つ確認しておきたいんですけど」と私は一同を見回した。
「あなたたち、伊藤さんに何をしたんですか?」
「何、総理大臣官邸を、数日にわたって俊輔にじっくりと案内しただけですよ」
山縣さんが顔にうっすらと笑みを浮かべた。
「梨花会の面々が、交互にたっぷり案内しましてね。組閣作業もはかどりましたし、ちょうどよい機会になったかと思います」
陸奥さんもニヤニヤ笑いながら伊藤さんを眺めている。
「それって、もしかしたら、日本語で、軟禁しながら脅迫したって言うんじゃないですか?」
ため息をつきながらツッコミを入れると、
「吾輩の辞書に、そのような言葉はありませんな」
と、大隈さんが断言した。
「伊藤さんも、何とか反論したらどうなんですか?」
黙っている伊藤さんを促すと、
「……玄人の女子が抱けなかったのが、辛かったですなぁ」
……先ほどまで私の輔導主任だった人間は、しみじみとこう呟いた。
(輔導主任を辞めてもらって、本当に良かったよ……)
テーブルに突っ伏しかけた私は、何とか体勢を立て直すと、深く深くため息をついた。
「あのですね、輔導主任云々の前に、私、満で18歳なんですから、もう輔導主任を付ける年齢じゃないと思うんですよね……。それに、勉学方面のことで言ったら、一応、各方面、女学校卒業程度の学力はありますよ」
「それでも、まだ御成年には達しておられません」
私の隣に座った大山さんが、微笑する気配がした。「梨花さまのお気持ちも分かります。梨花さまは素晴らしい記憶力をお持ちですから、前世で得られた知識もご活用になり、女医学校でも、非常に優秀な成績を収められています。しかし……」
そこで言葉を切り、我が臣下は、いつもの暖かく、優しい瞳で私を見つめた。
「教養という面では、まだご修業が足りないものがございます。和歌・茶道・華道は、我が国が誇るプリンセスとして、身につけていただかなければいけません。それに、……苦手なことにも、是非取り組んでいただければと考えております」
「苦手なこと……ほう、では、あの歌集はお読みになりましたかな?」
伊藤さんが横からニヤリと笑いかける。
「歌集って……『みだれ髪』のことですか?」
答える私の顔は、若干ひきつった。「あの、ごめんなさい……その……す、ストレートな表現があって……あの……」
「あ、あれを増宮さまに読ませたのか、俊輔!」
山縣さんが、伊藤さんを睨み付けている。「黒田どのとも話していたのだ。発禁にする方がいいのではないか、と。増宮さまがお止めになったので、発禁は見送ったのだが……。増宮さま、今からでも遅くはありません、この歌集は発禁処分に……」
「それはやめて、山縣さん!」
私は慌てて叫んだ。「“史実”の文学史上に残る作品だから!森鴎外の文学史上の業績を無くしちゃったから、文化に関しては、余り手出ししたくないんです!」
「なるほど……ならば仕方がございません。黒田どのには、そう伝えておきましょう」
不承不承山縣さんは頷く。それを見て私はホッとした。“史実”の歴史の教科書にも載っていた、与謝野晶子――今はまだ、旧姓の“鳳”を名乗っているけれど――の歌集・『みだれ髪』。和歌のいくつかは、前世でも聞いたことがあったけれど、歌集を最初からじっくり鑑賞すると……私には刺激が強い箇所があったのだ。でもまぁ、多分、あれだ。私が恋とか愛とかに全然慣れていないから、こんな反応をするのであって、経験豊富な人なら、もっと冷静にあの歌集が読めるのだろう。うん、そうに違いない。それに、発禁にするならまず、“明治牛若伝”の方が先だ。
と、私の頭に、軽く重みが掛かった。
「苦手を克服したいからと言って、あのように、燃えるような激しい恋を、無理にしようとなさらなくてもよろしいのですよ、梨花さま」
大山さんがそう言いながら、優しく私の頭を撫でる。
「も、燃え……」
一気に熱くなった私の頭を、大山さんは撫で続けながら、
「恋にも愛にも、色々な形がございますから」
と囁く。
「や、やめて、大山さん……私、ちょっと、耐えられない……」
顔を下に向けると、首筋がチクチクするのに気が付いた。出席者たちの視線が、私に集中している。
「髪型をシニヨンになさってから、やはり一段とお美しくなったな、俊輔」
「うむ、皇后陛下のご慧眼は、本当に素晴らしい。輔導主任として、実に喜ばしいことだ」
「伊藤さん、確かにその通りじゃが、……伊藤さんは、既に輔導主任ではないんである!」
「どちらにしても、これほどの美しいプリンセスは、世界にそうはいらっしゃらない。是非上医としても、腕を振るっていただきたいところですね」
山縣さん、伊藤さん、大隈さん、陸奥さんが順に発言する。
「……まぁ、一応、誉め言葉として受け取らせていただきます」
何とか身体の熱を逃がした私は、またため息をつきながら答え、「ところで、伊藤さんが輔導主任を退くとして、新しい輔導主任は誰になるんでしょうか?」と一同に尋ねた。
「俺が務めさせていただきます。以前、代理で務めさせていただいたこともございましたから」
隣で、非常に有能で経験豊富な我が臣下が一礼する。そう言えば、伊藤さんが内閣総理大臣を兼任していた時に、そんなこともあった。
「では、今後ともよろしくお願いいたします」
姿勢を正して、大山さんに頭を下げると、
「こちらこそ、梨花さま」
と、大山さんも私に最敬礼した。
「ところで……」
青山御殿の料理人さんたちの料理をみんなで堪能し、食後のデザートとコーヒーまでメニューが進んだ時、私は口を開いた。
「結局、内閣の陣容って、山縣さんが総理大臣だった時と、余り変わってないんでしたっけ?」
「変わっていると言えば変わっていますし、変わっていないと言えば変わっておりませんな」
山縣さんが苦笑する。「内務・司法・国軍・逓信・大蔵・厚生の各大臣は、結局留任しましたから」
内務大臣の黒田さん、司法大臣の清浦圭吾さん、国軍大臣の山本さん、逓信大臣の前島密さん、そして大蔵大臣の松方さんと厚生大臣の原さんは留任が決定した。
ただし、原さんは今回の衆議院選挙で、立憲自由党から岩手の選挙区に立候補して、見事に当選している。これは、“立憲政治を育てるために、政党にもっと、人材を育成できる人間を回す方がよい”という、梨花会での合意によるものだった。ちなみに、この合意に基づいて、昨年には、貴族院伯爵議員の補欠選挙に大隈さんと井上さんが出馬し、議席を獲得している。井上さんは立憲改進党に入党していた。
「しかし、大臣が変わった部署も、引継ぎはきちんとしてもらいました。それで仕事が停滞するということはありません」
伊藤さんが言った。「外相は林君から陸奥君に変わった。農商務相は聞多から巳代治、文相は大隈さんから西園寺くん……」
「聞多さんと巳代治は、きちんと引継ぎはできたのだろうな?」
心配そうに尋ねる山縣さんに、
「それは大丈夫じゃよ。吾輩と高橋君と、それに伊藤さんも間に入ったからな」
大隈さんが自信ありげに頷いた。伊東巳代治さん……大日本帝国憲法を伊藤さんや金子堅太郎さん、井上毅さんと一緒に起草し、ここ数年、清に度々長期滞在して、清の憲法制定を指導していた彼は、井上さんの後任の農商務大臣として内閣入りした。少し気難しいけれど、仕事は出来る人らしい。
「巳代治さんの下に、牧野伸顕さんが次官で付くんでしたっけ」
私が確認すると、
「その通り。彼にも経験を積んで欲しいと思いましてね」
陸奥さんがニッコリほほ笑む。伊藤さんの後任の東宮大夫にするか、それとも省庁の次官級に採用するか……前イタリア公使の牧野さんをどこに使うかで、最後までもめたそうだけれど、結局、高橋さんの後任の農商務次官に落ち着いた。ただ、牧野さんはイタリアから戻っている最中なので、しばらくは高橋さんが農商務次官を続け、牧野さんに引き継ぐそうだ。ちなみに、高橋さんはその後で、松方さんの下で大蔵次官をすることが決まっている。
「そう言えば、大隈さん、高等学校の女子学生の件は、きちんと西園寺さんに引き継いでくれましたよね?」
「無論であります、増宮さま。済生学舎のようなことが起こってはなりませんからな」
大隈さんが私の質問に胸を張った。今年の9月から、高等学校には、女学校を卒業した女子が入学することが可能になった。その制度により、第一高等学校に2名の女子学生が入学したのだ。もちろん、正面から堂々と入学試験を突破して、である。
「私だったら、男子学生は実力で黙らせることが出来ますけれど、普通の人には難しいと思います。強姦とか乱暴とか、妙な事件が起こらないように守ってくださいね」
私が一同にお願いすると、
「もちろんです、梨花さま。日本男子は紳士であるべき……それを守れぬ不届き者は、容赦なく成敗致します」
なぜか、隣に座っている大山さんが、こう言って薄く笑った。いつもの暖かく優しい瞳が、今は不気味な輝きを帯びている。
「……大山さんは、やり過ぎないように注意して。一発殴るだけでも、打ち所が悪かったら死んじゃうんだから」
「心しておきましょう」
私のため息交じりの注意に、大山さんは恭しく頭を下げる。……とりあえず、変に人命が失われる事態が起こらないように、男子学生の諸君にも、襟を正してもらいたいところである。
「ところで陸奥どの、一つ聞きたいのだが……わしの外遊に同行されるのか?それとも、同行されないのか?」
山縣さんが陸奥さんに尋ねた。日英同盟の交渉をまとめるため、枢密院議長になった山縣さんは、10月に外遊に出発する予定だ。それに陸奥さんが付いて行くかどうか、というのが、一つの懸案になっていたのだけれど、
「さて、……どうしましょうか。実は、迷っているのです」
陸奥さんの口からは、珍しく、歯切れの悪い答えが飛び出た。
(あの陸奥さんが迷うって、一体どんなことなんだ?)
何か、対外情勢で気にかかることがあるのだろうか。けれど、“史実”でこの9月6日に発生したアメリカ大統領暗殺事件も、無事に発生を阻止することができた。同盟国である清との関係も良好で、今月半ばに来日した張之洞さんと、伊藤さん・山縣さんとの会談も無事に終わっている。
すると、陸奥さんは、私に向かってニヤリと笑った。
「殿下のせいですよ」
「は?」
一体何のことを言っているのか、さっぱりわからない。眉をしかめると、
「おや、けしかけておいて、シラを切られるおつもりですか?それとも……ああ、単にご自覚がないだけですか。なるほど、大山殿のおっしゃる通り、苦手なことに取り組んでいただかないと困りますね、殿下」
陸奥さんはなおもニヤニヤ笑いながら、よく分からないことを言い続ける。
そこに、
「ならば是非、『みだれ髪』をわしと一緒に読みましょう、増宮さま!」
伊藤さんが私に、謎の提案をした。
「待て、伊藤さん。輔導主任を退任すると言ったばかりではないですか!」
大隈さんが大きな声で伊藤さんを咎めると、
「ふ、輔導主任を退任するとは申し上げた。しかし……改めて、輔導“副”主任に就任するのは、別に構わんだろうが!」
伊藤さんは、すがすがしいまでのドヤ顔で、こう言い放った。
「ちょっ?!な、なによ、その概念?!」
目を見開いた私の前で、
「俊輔!それは許さん!ならばわしが……わしが、増宮さまの輔導副主任だ!」
「何を言うか、山縣さんも伊藤さんも!増宮さまの輔導副主任は、この吾輩であるんである!」
山縣さんと大隈さんが、これまた意味不明な抗議をする。
「面白そうですね。僕も立候補しておきましょうか、殿下の輔導副主任とやらに」
陸奥さんは、ニヤニヤ笑いを崩さずにこんなことを言う。……間違いない。この人は、この事態、そのものを楽しんでいる。
「いかがなさいますか、梨花さま?」
「みんなの気持ちはありがたいんだけれど……これ、どう対応するかは、輔導主任のあなたに任せる。ただし、殺気は出したらダメよ」
ため息をつきながら、我が臣下に答えると、
「梨花さまがそう仰せならば、仕方がありません。……それでは、勅裁に委ねましょう」
大山さんも軽くため息をつきながら、私にこう答えた。
(やっぱり、殺気でみんなを黙らせるつもりでいたんだ……)
内心冷や冷やしたものの、大山さんは慰労会の翌日、きちんとお父様に判断を仰ぎ、即日、“輔導副主任を置くことは認めず”という勅裁が、無事に下されたのだった。
※実際に『みだれ髪』が出版されたのは1901(明治34)年8月。この際の名義は旧姓の「鳳晶子」でした。




