史上最強の別当
1900(明治33)年4月22日日曜日、午前9時。
(ほぇー……)
私は、新居・青山御殿を、大山さんに案内されながら、母と一緒に隅々まで見て回っていた。
「お気に召されましたか?」
微笑む大山さんは、軍服ではなくて、黒いフロックコートを着ている。役職が東宮武官長から青山御殿の別当に正式に変わるのは今月末だけど、“もう別当の業務をしているから”ということなのだろう。
「ええと、広さに圧倒されて、まだそこまで考えが回ってない……」
大山さんに答えると、隣を歩く母がクスッと笑った。
「章子さん、この御殿は花御殿より、少し大きいくらいですよ」
「だけどさぁ、母上……花御殿は兄上と2人で使ってたけど、この御殿は私だけのための御殿なんだよ?」
私は戸惑いながら母に返答した。
花御殿では、私が使う区画にあったのは、寝室と居間の2部屋だ。ところが、この青山御殿では、私が使う区画には、更に部屋がもう2つあった。
1部屋目は、区画の東の角にある小部屋で、こちらは毎朝の拝礼の時に使う。花御殿にいた時は、朝起きて身支度を整えた後、寝室で、お父様やお母様、そして兄をはじめとする兄妹たちの無事と健康を祈っていたのだけれど、
――心静かに拝礼できる方がよろしいでしょうから。
と伊藤さんが提案した結果、この小部屋が作られたのだ。
2部屋目は、小さいころから梨花会の皆にプレゼントされた、全国各地のお城の模型を並べて置く部屋である。今まで、お城の模型は、他の荷物もある部屋に置いていたので、陳列するスペースをなかなか作れなかったのだ。昨日の夕方、大山さんに、整然と並んだお城の模型を見せられた時には、感激の涙が止まらなかった。
私が使う区画以外にも、母が使う区画もある。お客様が長期にわたって滞在しても大丈夫な区画を作ってもらったのは、兄の長期の行啓中に、節子さまが、青山御殿に気晴らしに逗留することもあるかもしれないと考えてのことだ。もちろん、応接間もあるし、食堂もあるし、職員さんたちが使う区画もあるし……それだけ使っても、なお部屋が余るというのは、一体どういうことなのか、理解に苦しむ。
「これ、掃除が大変だよ、母上……」
「章子さん、全部を章子さんが掃除しなくてもいいのですよ?」
「うん、流石に全部は無理だけど、花御殿にいた時みたいに、自分が使う区画の掃除は私がするよ。それでも、部屋の数が増えたからなぁ……」
ため息まじりの私の声に、
「城郭の模型の部屋で、掃除の手を止めないようにお願いいたしますよ、梨花さま」
別当が容赦なく注意をかぶせる。
「……止まらない自信がないな」
肩を落とすと、母がまたクスクス笑った。
廊下を歩いて、他の区画も覗いてみる。どの区画も、調度や襖絵などは、私の要望通り、シンプルだけれど上品なものになっていた。本当は、御殿に装飾はして欲しくなかったのだけれど、松方さんの“帝室技芸員の先生方の腕の振るいどころが無くなってしまいます”という言葉で考え直した。陶芸、蒔絵、彫金、刀剣、絵画など……美術・工芸の各分野の一流の作家を顕彰し、技術を保護し発展させる目的で、数年前に帝室技芸員制度が作られている。確かに、彼らに新しい作品を依頼することは、その芸術の保護と発展につながる。そこで、お母様と相談しながら、青山御殿の装飾をお願いしたのだけれど、技芸員の先生方はきちんと要望に応えてくれた。
「さて、ここが台所ですが……梨花さまのご要望通りになっているでしょうか」
大山さんが食堂の奥にある廊下の引き戸を開けると、そこには、私が求めていたものがあった。
「ガスコンロだ!」
台所の中央にあるのは、イギリスから取り寄せた最新式のガスコンロだ。そして、その横には調理作業をするテーブルがあり、壁際には立ったまま作業が出来る流し台もある。その横には、ご飯を炊けるように、日本式の竈も設えてある。私は思わず、ガスコンロの側に駆け寄った。
「ええと、元栓を開いて、マッチで火をつけたら、火力は手元のコックで調節するのか……。流し台も、立って作業が出来るし……やった、これなら私、少しはお料理が出来る!」
「それはようございました」
ガスコンロを撫でまわす私の背中に、大山さんの安堵した声が届いた。
料理の仕方は、前世の祖母に一通り仕込まれていた。だから、今生でも、多少は料理が出来るだろう……転生したと分かった当初はそう思っていたけれど、その考えは甘かったと後に思い知ることになった。
まず、ガスや電気が、台所で使われていなかった。爺の家に住んでいた頃には、ガス灯は屋外で使われていたけれど、電気が引かれていなかったので、灯りにはランプを使っていたのだ。電灯を使い始めたのは、花御殿に引っ越してからである。そんな状態なので、前世の一人暮らし時代に使っていたIHコンロなんてある訳がなかったし、実家で使っていたガスコンロですら存在していなかった。煮炊きはかまどや七輪で、薪や木炭を燃料にしてするものだから、火加減の仕方が全く分からなかったのだ。
また、食材や食器を洗うのは、前世では流し台で立ってするのが一般的だった。それが、この明治時代は、土間でしゃがんで洗うのが当たり前だったのだ。前世とまるで違う台所に私は面食らってしまい、花御殿では、台所から足が遠ざかってしまった。作りたい料理がたくさんあるにも関わらず、である。
ところが、青山御殿に引っ越す、という話が出た時に、ガスを引くという話が持ち上がった。当初は、湯沸用に使う、という話だったのだけれど、
――ガスコンロも導入しようよ。
と私が強く主張した。ついでに、食材や食器も、流し台で立って洗う方式にすることを提案し、この台所が出来上がったのだ。
「料理人たちからの評判も上々です。……ところで梨花さま、どのようなお料理を作っていただけるのでしょうか?」
「うーん、まだ、ハードルが高いんだ……」
大山さんの質問に、私は両腕を組みながら答えた。本当は、味噌煮込みうどんを、自分で作って食べたくてしょうがないのだ。けれど、だしの顆粒なんてもちろんないから、まず鰹節でだしを取るところから始めないといけない。あと、八丁味噌も取り寄せないといけない。
(そもそも、あれを食べると、どうしてもご飯が食べたくなるんだよな……でも、炭水化物に、更に炭水化物を加えるなんて、カロリー的に罪深過ぎる……)
「産技研のうまみ成分とだしキューブの研究が進めば、少しはハードルが下がるけど、うどんを打たないといけないから、しばらくは無理かな……」
「梨花さま、うどんを打つのですか?」
「うん、普通のうどんじゃだめだって、前世のばーちゃん、じゃない、祖母が言ってた。普通のうどんだと、煮込んだらうどんから塩が溶け出して、汁が辛くなりすぎるって」
あと、1人用の土鍋も必要だ。そう考えていくと、この時代で、理想の味噌煮込みうどんを作るには、まだまだ困難が立ちはだかっている。前世は本当に恵まれていたのだな、と痛感してしまうのだった。
「なかなか、こだわりがおありのようです」
大山さんが苦笑した。「いつか、困難を乗り越えられて、その料理を作られたときには、是非味見をさせていただきたいと思います」
(悪いけど、土鍋は1人用だから、味噌煮込みうどんは独り占めさせてもらうよ)
大山さんの言葉に、私は心の中でこっそり返した。
私の住居である和風建築の本館の隣には、職員の詰所である別館が建っている。
別館の敷地には、以前、能舞台が建てられていた。以前の居住者である英照皇太后陛下が、能がお好きだったので、お父様が建てさせたのだ。けれど、私の転居に当たり、能舞台は皇居の敷地に移築してもらった。国賓に能を見せるのに使えると思ったからだ。そして、その跡地に、別館が建てられたのだけど……。
(見ようによれば、こっちが本館って思われちゃうかな……)
別館を見上げた私はため息をついた。2階建ての洋館は、産技研の先生たちが大山さんと相談しながら設計したものだ。“あなたが使う建物だから、あなたの使いやすいように建てて”と大山さんに言ったところ、完璧な洋館になった。そう言えば、我が臣下は西洋かぶれだったと、設計図が完成してから思い出した。
「こっちを本館と間違う人、出ちゃうかな?大磯の伊藤さんの家も、西洋館が本館で、日本館は別館って扱いだったし……」
「それは大丈夫でしょう。門からの道は、本館に向かうものだけを舗装してありますから」
大山さんが私に苦笑いを向ける。ちなみに、舗装に使ったのは、秋田県の産油地帯でとれた天然アスファルトだ。将来、自動車での往来が増えることも見越して、アスファルト舗装にしてもらったのである。
「さぁ、ご案内致しましょう、梨花さま」
大山さんが私の手を取る。母は本館の案内が終わると、荷物の整理をするために自室に戻った。何故なら……ここは職員の他は、私しか入ってはならない領域だからだ。
玄関前に立っている職員さんが、私と大山さんの姿を見て敬礼する。それに礼を返しながら建物の中に入ると、何枚かの紙を持った別の職員さんが、たまたま前を通りかかった。
「これは増宮さま。総裁閣下も」
敬礼する職員さんに、
「手に持っているのは電報ですかな、明石君?」
軍隊式の答礼を返すと大山さんは尋ねた。
(明石、ということは……)
どうやらこの人が、明石元二郎さんらしい。いつか、原さんが“覚えておけ”と言って、“史実”での経歴を教えてくれた人だ。日露戦争の時、ロシア国内での諜報活動を行い、ロシア国内の様々な反政府勢力を支援してロシア国内を撹乱した。最後は台湾総督を務めて亡くなったそうだけれど、“とんでもなく出来る奴”と原さんは彼を評価していた。
「はい、南米の状況を知らせてきたものですが……増宮さまがいらっしゃるのなら、後に致しましょうか?」
「いえ、むしろ聞いていただく方がよいでしょう」
大山さんの返答を聞いた明石さんは、「承知しました」と答えて、私たちを玄関脇の一室に導いた。
実は、青山御殿の職員の詰所というのは、世を忍ぶ仮の姿で、この洋館の真の使用用途は、大山さんが総裁を務める諜報機関・中央情報院の新しい本部である。今まで、宮内省の建物の一部を借りて業務をしていたのだけれど、職員も増えてきて手狭になったということで、こちらに移って来たのだ。ちなみに、明石さんの他にも、金子堅太郎さん、福島安正さんなど、優秀な人材が揃っているし、大山さんの跡を継いで東宮武官長に就任する児玉さんも、業務の合間を見て、こちらを手伝いにくるそうだ。留学生や探検家、実業家などに偽装した職員さんたちは、もちろん世界中にたくさん散っているけれど、今東京にいる職員の殆どは、公式には“青山御殿に勤務する宮内省職員”という身分になっている。実際に彼らは、私の身辺警護や御殿での仕事も交代でするから、確かにそれでいいのだけれど……。
明石さんの報告を聞いた大山さんは、いくつかの指示を明石さんに出してから部屋を出ると、「どうですか、梨花さま」と私に声を掛けた。
「ええと……それは、何を答えればいいかな?今の話の内容についての感想?それとも……」
続けようとした言葉は、
「はい、今の明石君の報告についてのご感想です」
という、大山さんのセリフにぶつかって、飲み込まざるを得なかった。
「……チリとアルゼンチンの間の建艦競争は、止まる可能性はないのかな、と疑問に感じたのだけど」
私は口に出せなかった言葉の代わりにこう言った。南米にあるチリとアルゼンチンは、南米大陸の最南端・パタゴニア地域の領有をめぐって長年の間緊張状態にあり、両国とも海軍の軍備を増強しているそうだ。明石さんが持っていた電報は、その現況を伝えるものだった。
「止まる可能性は十分にあります」
大山さんはそう言って、
「どのようにして止まると思われますか?」
と、やはり私に問いかけた。
「力のある第3国が仲裁に入るのかな。私の時代ならアメリカになるんだろうけれど、この時代ならイギリス、フランス、ドイツ……」
「ほう、なかなか鋭いお答えです。今おっしゃった中ですと、どの国が仲裁をしそうですか?」
「うーん、南米のことは詳しく分からないけれど、チリとアルゼンチン、両方と商売をしている国かな。戦争状態になったら、取引している場合じゃないだろうし……」
「お考えの方向としては正しいです。それに該当するのはイギリスでしょう。アルゼンチンもチリも、イギリス製品の良い市場ですし、イギリスも両国の産物を欲しています。伊藤さんによると、“史実”では1902年にイギリスが両国の争いに介入し、建艦競争は一時止まったそうです」
「へぇ……。でも大山さん、なぜチリとアルゼンチンの動きに注目しなきゃいけないの?今、日本の仮想敵国はロシアだし、関税自主権の撤廃も狙っていくんだったら、列強に注目していく方がいいと思うのだけれど……」
「もちろん、それらの国々の動向も重要です。ですが、その両国に注目するのには、もう一つ理由があります」
「?」
首を傾げた私に、大山さんは微笑みかけた。
「実は、“史実”では、イギリスの介入によってチリ・アルゼンチン両国の建艦競争が止まった直後、アルゼンチンが発注して建造中だった軍艦が売却されることになったのです。それを、日本が購入しています。ロシアに購入されないように、という目的もあったそうですが……」
「ということは……」
私は両腕を組んだ。「“史実”と同じように、チリとアルゼンチンの建艦競争が止まった場合、両国で建造中の軍艦が売りに出される可能性がある。それをロシアに購入されないように、今から目を付けている、という訳ね?」
「その通りでございます」
大山さんが軽く頭を下げ、私は大きなため息をついた。怖すぎる。やはりこの非常に有能で経験豊富な臣下は、怖すぎる。
「おや、梨花さま、どうなさいましたか?」
私の隣を歩いていた大山さんが足を止めた。
「……ごめんね。普段と違うあなたが怖いって、ちょっと思ってしまった」
そう、大山さんが、中央情報院総裁として仕事をする姿を初めて見て、怖い、と思ったのだ。もちろん、今までに数えきれないくらい、この臣下の恐ろしさは味わっているけれど、大山さんと明石さんが話している時に感じたのは、それとは違う恐ろしさだ。先ほど、大山さんに“どうですか”と聞かれて、明石さんの話についての感想なのか、中央情報院総裁としての大山さんを見ての感想なのか、よく分からなかったので、あんな返事をしてしまったのだけれど……。
「そうでしたか」
大山さんが顔に苦笑いを浮かべた。「それは、確かに普段とは違うかもしれません。この国と梨花さまをお守りしなければと強く思いながら、こちらの職務に当たっておりますので」
「そう……」
私は頷いて、
「大山さん、もう一度聞くけれど、あなた、青山御殿の別当になるので、本当に大丈夫なの?」
と尋ねた。
「それで構わないと、梨花さまには何度も申し上げましたが」
微笑む大山さんに、
「だってさ、仮にも歩兵大将とあろう者が、別当なんて軽い役職を、って世間で言われちゃうんじゃない?だからやっぱり、参謀本部長になるか、せめて東宮武官長に留任する方がよかったんじゃないかって……」
と私は食い下がった。
すると、大山さんは少し身を屈めて、目線を私のそれの高さに合わせた。
「世間の言うことなど気に致しません。むしろ、大いにこの大山を馬鹿にしてもらって結構です。その分、この中央情報院の役目の方に専念できます。それに……」
大山さんは微笑んだ。いつもの優しくて暖かい瞳が、私を真正面から捉える。
「俺は梨花さまの臣下でありますゆえ、梨花さまにどこまでもついて参ります」
「全く……」
私は軽いため息をつくと、少し笑ってみせた。「……こっちは荷が重いよ。自分の屋敷の別当が、国の諜報機関を運営しているなんて、聞いたことがないからね」
別当……私の時代だと“お屋敷に務める執事”とでも言えばいいのだろうか。執事、というと、前世の感覚のままだと、執事服をピシッと着こなし、“お嬢様、どうぞ”などと言いながら紅茶を出すようなイメージがある。自分に仕える執事が元々は優秀な軍人、そこまではあってもいい話かもしれない。だけど、自分に仕える執事が、国の諜報機関の最高責任者だというのは、どう考えてもありえない話だ。間違いなく、執事として、いや、別当として、大山さんは史上最強だろう。
「ふふふ……では、少しでも荷が軽くなるよう、御修業に励んでいただいて、俺にふさわしいご主君になっていただきましょう」
非常に有能で経験豊富な私の別当さんは、こう言った。
「あなたにふさわしい主君、ってなると、本当に大変だ」
私は再びため息をついた。本当に、この史上最強の別当は、こんなところでも手を抜かない。
「ま、やってみなきゃわかんないから、頑張らないとね。まずは医師免許からかな。それで、お父様と兄上をあらゆる面で助けられる上医になって、大将、いや、元帥たる者にふさわしい主君に、名実ともになれるように……」
そう答えると、大山さんは、“よくできました”と言うかのように、私の頭をそっと撫でたのだった。
※「食道楽」に、大隈さんが1902年に建てた自宅の台所の様子が乗っています。ガスが燃料として使われ始めたころで、大隈邸にはガスコンロが備えられていました。という訳で、ちょっと早いですが、章子さんの自宅にも備えてみました。また、湯沸しのガス器具も明治後半にはあったようなので投入してみました。「食道楽」には大隈邸のご飯はガス釜で炊いたとありますが、そこまでは今回は導入していません。そのうちガス釜に改装される気もしますが。
参考にしたのは、拙作の現時点から数年後の資料になりますが、「台所改良 : 家庭宝典」(天野誠斎)、「割烹新書」(井上善兵衛, 嘉悦孝子)など。ガスミュージアムの「収蔵品で見るガス器具の歴史」、キッチン・バス工業会の「キッチンの歴史」などのページも参考にしました。
※明治11年に東京の昌平橋でアスファルト舗装が使われました。その時には秋田県産のものが使われたそうです。折角なので採用してみました。




