医科研の求人(3)
「で、あなたが本当に野口ひ……じゃない、野口清作だってことですね」
部屋の上座に正座した私は、ギロリと野口さんを睨み付けた。“清作”というのは、野口さんの元の名前で、“史実”で“英世”と名乗ったのは後年のことである。
「あ、はい」
坊主頭の野口さんは、私に向かって頭を下げた。けれど、怯えているという様子はない。私の両脇に並んで座っている伊藤さんも井上さんも西園寺さんも、明らかに怒気を発しているし、しかも、私たち全員、正体を野口さんに明かしたのだけれど、それを聞いても、彼は平然としていた。相当肝が据わっているようだ。
(よく見たら、顔も、紙幣の肖像画の面影があるし、さっき左手を見せてもらったら、火傷の痕もあったから、この人が、野口英世本人なのは間違いないな。私が内親王だと知っても動じないのは、流石、後世に偉大な医学者として知られるだけはあるわね)
気になるのは、幼いころに火傷したという、彼の左手だ。一応、指は動かせるようだけれど、指をきちんと伸ばすことはできないようだ。
(これ、どうしたら……)
考えようとしたところに、
「さて、郷里の恩師から借りた40円の大金を、どうやったら使い果たせるのか、そこから説明してもらいましょうか」
西園寺さんが冷たい声で野口さんに尋ねた。
一概に換算するのは難しいけれど、今の40円は、私の生きていた時代では80から100万円ぐらいの価値になるだろう。その大金を、彼は郷里の恩師から借りて、この9月に上京し……2か月ほどで使い果たした。もちろんこれは、中央情報院総裁の、我が臣下が調べ上げたことである。
「ふぇ?なんでご存じなんですか?」
野口さんがとろんとした眼を西園寺さんに向けると、
「そんな些細なことはどうでもいいから、さっさと答えろっ!」
井上さんが雷を落とした。
「ええと……下宿代は1、2か月分払ったんです」
「多くかかっても、今の相場だと、2か月分としても7円か8円ぐらいですね」
野口さんの答えに、私はこう返した。兄と微行で外出している時や、学校の行き帰りなどで街を歩いていると、下宿屋の張り紙を見かけることがある。だから、家賃の相場は大体知っている。
「医学書が必要だとしても、一通りそろえるのに30円もかからないでしょう。後期試験に必要な科目の分をそろえるのに、10円もあれば何とかなるんじゃないですか?で、残りの20円ほど、どこに行ったんですか?」
私が畳みかけると、
「使いましたよ?」
野口さんは悪びれもせずに答えた。
「どう使ったのかね?」
伊藤さんが、怒りのこもった声で尋ねると、
「お酒を飲んだり、姐さんたちと騒いだり、一緒に寝たり……楽しいんだな、これが!」
……とても楽しそうに、野口さんが答えた。
「“楽しいんだな、これが”、じゃないわよ!」
思わず立ち上がった私は、野口さんの胸倉をつかんだ。
「あなた、将来のために貯金するっていう考え方はないの?!生活するだけでも、それなりにお金がかかるのに!大金をいっぺんに使ってどうするのよ!」
「お金があったら、すぐに全部使わないといけないじゃないですかぁ」
私の渾身のツッコミに、野口さんはのんびりと答えた。吐く息からアルコール臭がするのが、マスク越しにも感じられる。
(理解できない……)
私は大きなため息をついた。前世では、家族の皆も友人も、みんな貯金を当たり前のようにしていたので、私も自然に貯金をするようになっていた。大学生になって、東京で一人暮らしを始めてからは、実家からの仕送りとバイト代を、家賃と生活費と教材費、そして趣味の城郭巡りの軍資金と将来のための貯金にどうやって配分するか、シミュレーションしたものである。自慢ではないけれど、前世では、借金を作ったことは一度もない。転生した直後は、物価が前世と余りに違い過ぎて、金銭感覚がおかしくなっていたけれど、最近はだんだんと、この時代の“普通”に近づきつつある。そう信じていたのだけれど。
「あの、井上さん。ちょっと自信が無くなったから聞きますけど……野口さんの金銭感覚って、この時代の“普通”ではないですよね?」
そう聞きながら、恐る恐る井上さんの方を振り向くと、
「ええ、普通ではありません。全く、この放蕩者めが」
井上さんは野口さんを睨み付けた。
「ですよね……」
私は少しほっとした。どうやら野口さんには、“将来を考えて貯金をする”という発想自体が無いらしい。
(こんなに金銭感覚がない人が、なんで私の時代にお札の肖像画に選ばれたんだろう……)
ため息をつきたいのを、必死に我慢していると、
「で、あなたは、なぜ顔を覆ってるんですかぁ?」
野口さんがお酒臭い息とともに尋ねた。「顔を隠さないで、僕と一緒に遊びましょうよぉ」
「アホかぁっ!」
理性を完全に吹っ飛ばされた私は、右手で野口さんの顔面を平手打ちした。
「しっかりしなさい、千円札っ!あんたが遊びまくって医術開業試験に合格しなかったら、日本の医学の歴史が変わっちゃうでしょうが!」
「ふえっ?」
不思議そうな顔をする野口さんの声に、
「既に相当、変わっておりますが……」
この室内にいる人間のものではない声が重なった。
「大山さん」
私が声を掛けると、廊下に面した襖がすっと開いて、大山さんが姿を見せた。その後ろにいる、鼻の下にひげを八の字に伸ばした男性は、私の知らない人だ。
「ええと、大山さん、そこにいるのはどなたですか?」
「伊皿子坂にある高山歯科医学院の講師の、血脇守之助先生です。野口氏の、東京での後見人的な立場にいる方のようでして……」
その言葉に違わず、室内を見た血脇先生は、
「の、野口君……!」
酔っぱらった野口さんの姿に目を止めると、顔を真っ青にした。
「血脇先生……」
野口さんも、血脇先生を見て、急に表情が真面目になった。
「君はこんなところで、一体何をしているんだね!」
「申し訳ありません!」
野口さんは血脇先生に身体を向け、その場にガバッと平伏した。
「私は君がこんなことをするために、学費を出しているのではないのだよ?」
「はい……」
至極真っ当なお説教の文句を、野口さんは素直に聞いている。先ほどのへらへらした態度とは大違いだ。
「君は成績優秀で、才能に溢れている。将来必ず医学者に、この日本の国が誇る医学者になるはずだ。そう思ったからこそ、上京した君に学資も出したんだ」
そう言いながら血脇先生は泣いている。この様子だと、彼は野口さんの才能にほれ込んでいるようだ。
「君が医術開業試験の後期試験に合格すること。それこそが今の私の願いなのに……」
(ん?)
「あ、あの、ちょっといいですか?」
野口さんの襟元から外れた左手を、私は軽く上げた。
「どうしました、お嬢さん?」
血脇先生は、私に不思議そうな眼を向けた。どうやら、私が内親王であることは、大山さんに知らされていないらしい。
「あの、医術開業試験の後期試験って、確か、実技試験もあるんですよね?」
すると、野口さんの顔が強張った。
(この反応……)
「そうですか……」
私は軽くため息をついた。「やっぱり、打診が出来ないですか」
「!」
血脇先生が目を瞠った。「お、お嬢さん、どうして打診を知っているのですか?」
「私も医師を目指しているので」
私はちらりと血脇先生に視線を投げてから、再び野口さんに顔を向けた。
“打診”……手や診察用のハンマーなどで身体を叩いて、身体の異常がないかを調べる方法だ。手で身体を叩いて打診をするときは、利き手と反対の手の中指の先を身体の表面に押し付け、中指の先端の骨の部分や、中指の第一関節を、利き手の中指でスナップを効かせながら叩く。打診した時に聞こえる音の種類や分布で、身体の状態を推察していくのだけれど……。
「野口さん、左手、もう一回見せてください」
着物の左袖口から、おずおずと差し出された野口さんの左手を、私は右手で持ち上げた。火傷の跡が残る手のひらの皮膚は、激しく引き攣れてしまって、指が伸びるのを邪魔している。この状態では、左手の中指の先を身体に押し付けることが出来ない。つまり、打診が出来ず、医術開業試験の後期試験に落ちてしまう、ということになる。
(でも、“史実”では、後期試験に合格して医者になってるんだよね……)
「伊藤さん、伊藤さん」
私は輔導主任を手招きして、側に呼び寄せると、
「あの、“史実”で野口さんに会った時、左手の指がどの程度動いていたか、覚えてます?」
と囁いた。
「……もう少し、動いていたように思いますがな」
「そうですか……ありがとうございます」
伊藤さんにお礼を言うと、私は考え込んだ。伊藤さんの言葉、そして、“史実”で医師免許を取ったということから考えると、“史実”でも、今の状態よりも手は動くようになったということだ。
「ってことは、やけどの痕が残った皮膚を切除して、引き攣れている状態を解除してから、切除した跡に、別の所から持ってきた皮膚を植皮したってことなのかな?」
野口さんの手を観察しながら、推論を立ててみた。私の生きていた時代では、形成外科の医師が行う治療法だ。
「今の日本で、植皮ってできるのかな?去年か一昨年の医学雑誌に、ドイツで植皮をやった記録が載っていたような気がするけれど……」
ブツブツ呟いていると、物凄く強い視線が、私に注がれたのに気が付いた。……野口さんだ。
「できるのですか?!」
「え?」
「植皮術をすれば、打診が出来るようになるのですか?!」
眼をキラキラ輝かせる野口さんに、
「色々と障害はあると思いますよ?」
私は冷静に告げた。「今の日本に、植皮が出来る技量がある医者がいるか、という問題はあるし、手術に伴うリスクは諸々考えないといけないし……その前に、これ、私の考えてる方法でいいかどうか、ベルツ先生と三浦先生に確認しないといけないですねぇ」
「ベルツ先生と三浦先生に……確認?!」
私の言葉を聞いた血脇先生が目を丸くした。「お嬢さん、ベルツ先生を御存じなのですか?」
「知っているというか……私の医学の師匠ですから」
野口さんの左手を持ったまま、血脇先生に答えると、
「そんな……!まさか、三浦先生というのも、東京帝大の“血圧の三浦”ではないでしょうね?!」
彼は更に私に尋ねた。
「ええと……その本人ですよ。北里先生や森先生と一緒に、毎週のように顔を合わせています」
「き、北里というのは……」
「医科学研究所の北里先生です」
「森というのは、脚気を解決した……」
「ええ、国軍の森軍医大佐ですけど?」
私が答えるたびに、血脇先生の顔が驚愕で歪んでいく。
「お、大山閣下、あのお嬢さんは、一体何者なのですか?!」
隣に座った大山さんを見やった血脇先生の顔は、少し青ざめていた。
「あ、そうか、血脇先生には名乗っていませんでしたね」
私はマスクを外して血脇先生に向き直った。
「自己紹介が遅れて申し訳ありません。私の名前は章子と言います。称号は増宮です」
すると、
「な……っ!」
「なんだってーーーーーっ!!!」
血脇先生と野口さんが同時に叫び、私に向かって平伏した。
「ちょっと待ちなさい、野口さん!」
私は野口さんに素早く身体を向けた。「なんで驚くんですか!私、あなたにはさっき自己紹介しましたよ?!」
「えっ?そうでしたか?!」
顔を上げてキョトンとする野口さんの胸倉を、私は思わずまた掴んでしまった。
「そうでしたか、じゃないですよ!私たち、ちゃんと名乗ったのに、あなたは平然としてるから、物凄く肝が据わってると感心していたのに……」
「すみません、記憶にございません」
野口さんは、私の時代の汚職政治家の答弁のような答えを返した。
「記憶にない?まさか、私に抱きついたのも覚えてないとは言わせないですよ?!」
「いやー……そんなこと、やってしまったんですかぁ……ははは……」
「笑って誤魔化すなぁ!」
私は渾身の力を込めて、野口さんの頬に平手打ちを見舞った。
「おう……こりゃ、派手にやりましたな」
畳に倒れ込み、動かない野口さんを覗き込みながら、西園寺さんが呟いた。「幸せそうな顔で気絶してる」
「まぁ、これなら、俺たちが更に制裁を加える必要はないか」
井上さんが苦笑する。
「気絶したのなら、ちょうどよかったわ」
私はため息をついた。「起きてたら、金銭的に込み入った話が出来ないだろうし。……とりあえず、この放蕩学生をどうやって医者にするか、後見人さんも交えて話し合いましょうか」
そうして始まった野口さんを巡る話し合いは、深夜にまで及んだ。日付が変わってから花御殿に帰った私は、疲労がたまり過ぎて起床の時刻に目を覚ますことができず、翌日の華族女学校の授業を休まざるを得なかったのだった。
※下宿代に関しては「東京遊学案内」(少年園、1896年)を参照にしました。拙作では日清戦争が発生していないので、この本に書いてあるよりも、もう少し相場が安くなっているでしょう。
※1894年の「中外医事新報」の第336から342号に、断続的に植皮術の記事が載っており、章子さんが読んだのはこれを想定しています。




