第九話 幸せの子ガラス、王様に夫の余裕を見せつける
王城の角にある王立騎士団の屯所では、静かに夜が更けていく。
暖炉が赤々と周囲を照らすそばで、銀髪の美女が木の机に頬杖をつき、企鵝人の部下の報告を聞いていた。
「なんか思っていたのと違うのよね……」
『なんですか!?』
「別にぃ」
美女シェーンルーグは物憂げに髪を流す。
頭にあるのは愚かな弟と、変な子ガラス。
(クロウの奴、名前まで変えるとはね……)
昔からいじめて利用してきた弟が、いよいよ成長してきた。
元々生まれつき魂の輝きが強い子供だった。狩りに失敗するのもこのせいだ。だが、あえて教えてやる必要もない。
だが……村のリーダーに向かっていった時、シェーンルーグは焦った。
あいつは最早、どの狼人よりも凌駕した力を持っているのではないか。その力を持って自分に仕返しをするのではないかと。
だから自分を恐れているうちに「一族の恥」を建前にして、始末しようと思ったのだ。
力は強くとも幼いころからいじめた分、あいつは私に恐怖を覚えている。心の傷を利用するのはシェーンルーグの常套手段である。
目の前のペンギン野郎は役に立った。
企鵝人は鳥のくせに空も飛べない。足も速くなく、力すらない連中だ。しかし「国」の施策なんでも従うこいつらは、実に使い勝手がいい。
現に弟が保護する白い鴉人を、こうして捕獲して差し出してきたのだから。
いつもヘコヘコしているペンギンが、私の顔を伺う。
『そのう。ヴァルちゃんは元気でしょうか』
「キング巡査。あなたが連れて来たくせにずいぶんと心配するのね」
『そりゃあそうですよ! あの子は良い子ですから! 王が「保護」をおっしゃらなければずっと街に居て欲しかったっすね!』
「……まあ、むかつくシマエナガよりは、断然マシね」
あの白い子供は本当に変わり者だ。
力もない幼鳥のくせに、やつは狼の姿のシェーンルーグに向かって『ルミのお義姉さんだね! ルミを幸せにするのは僕だからね! 喧嘩しちゃだめだよ!』と明るく挨拶をしてきたのだ。
自分が囚われになっているという事実を『屋根のあるところでルミを待っていればいいのね! ありがとう!』感謝してきたくらいだ。
たぶん残念な頭をした子なのだろう。
シェーンルーグは考える。
だけど、なんだか調子が狂う。
白い変異体であることをまるで気にしていない子供の、シマエナガの連中によく似たフォルム
何を言ってもへらへら笑って。何をされても、前向きに喜んで。
あいつらよりも毒気がない分なんとも―――――癒される。
「は!? 今私何を思ったの!?」
『はいっ!? なんでありますか!?』
シェーンルーグは驚愕した。
叫ぶ彼女にビビったキング巡査。
女として魅力を振りまくことと称賛を集めることに血道を上げてきた人生だった。
最後には最高権力者の王を惚れさせて承認欲求を満たそうと国に出仕し、シマエナガのようないけ好かない女どもと競争しながら地道に出世をしてきたが、最近少し疲れてきたのだ。
変身人種。
この国でのし上がろうとすると、必ずぶつかる壁。
純人の価値観を基準に作られたこの国の中枢は、あれだけ故郷で褒めそやされてきた美しい狼の姿を、醜いものとして評価した。劣等種であると。
変異体である弟をあれだけ馬鹿にしてきたのに、自分が差別される側になるというのは、なかなか堪えるものがある。
(あの子、『お義姉さんも綺麗ね! ルミを幸せするから、お姉さんも一緒に幸せになろうね!』と言ってきたのよね……)
ただのおバカな子ガラスの発言だが、駆け引きばかりで生きてきて、かつ子供に好かれたことのないシェーンルーグにとって、どストレートな誉め言葉になかなかクるものがあった。
他人に抱くもやもやした思いも、子ガラスは明るく笑い飛ばす。
それは多分「美徳」というやつなのだろう。それはこの世界ではとても珍しいものだ。
そして――――あのおバカな子は、昨日から王のお気に入りだ。
珍しい変身人種を「保護」するのが趣味の王だが、今回は特に白い鴉人を気に入っている。
人の姿もたままたモデルをした絵姿を持っていたほどだ。
感情を出さない王曰く「珍しい毛色の子供」。
珍しさは、唯一彼の心をとらえるものなのだ。
最近気が付いたが、王は本気で気に入ると―――――増やそうとする。
(お気の毒)
ガタリ。
シェーンルーグはふと、椅子から立ち上がった。
「来たわね……私の安心と出世のために、綺麗に殺してあげる」
『いってらっしゃーい』
輪郭をぼやかせる。
気の抜けた応援を受けた銀髪の美女は、銀色の被毛の美しい狼に変化した。
◇◇◇◇
昨日と同じく、星空のヴェールが増していく。
七色に輝きながら折り重なり離れる光。
幻想的な光景を格子越しに眺めていると、王が隣にやってくる。
「君は綺麗だね」
「お洋服ありがとう! でもどうせならズボンが良かった!」
「ごめんね。でも似合っているよ」
王は人の姿を取った子供を美しい純白のドレスで飾り付けた。銀色輝く細い髪飾りを何重にも重ねて吊るす。
彼は白い女神の絵姿を見た時から、モデルの子供を「飾っておきたい」と思ったそうだ。
ヴァルは正直、女の子っぽい格好が好きではない。頼りがいを感じる格好良い姿になりたいのだ。だけど【春を待つ街】ではルミが喜んでくれたので許した。
……でも、ここにはルミがいない。
寒いのにスースーするスカートを、あえて我慢して履く必要があるのだろうか?
むずむずするヴァルにくすりと笑って、王は虚無のように漆黒の瞳を輝く空に向けた。
「ヴァルコイネンとはつまらない名前だね」
「僕はみんなが呼んでくれるから好きだよ!」
「“白”など、鴉どもの差別語じゃないか」
「そうなの? でも僕は気に入っているからいいんだ!」
「そうか……君は報告によると、母親に捨てられたそうだね」
「違うよ?」
「違うのかい?」
「お母さんはうっかり僕を忘れちゃったんだ。だからお母さんを迎えに行くのが僕の役割なんだよ!」
「そっか。純粋なんだね。珍しい……ますます気に入ったよ」
王は喜んだ。
彼は珍しいものが好きだという。
特に気に入ったものは「保護」し、増やさなければいけないと思っている。
純人とは混じりもののない存在。
この世界を調整するために誕生したのだから、生きとし生けるもの、特に混じり物の変身人種をきちんと「管理」しなければいけない。
純人の繁栄に脅威を感じれは「減らし」、純人が価値を感じれば「増やす」。
人として選ばれし純人が過ごしやすい環境を整えるのも、王の仕事である。
「僕は綺麗で可愛いものが好きなんだ」
「僕もだよ!」
「だからね、できれば可愛いものは【増やし】ておきたい。君の兄弟で白いのはいなかったようだから――――シマエナガでもいいかな。ちょうど大きくなりすぎて鑑賞に向かない男がいるんだ。ちょうどいいよね」
「つがいってなあに?」
「純人における夫婦のことだよ」
「え! それなら僕『ふ、ざ、け、ん、な!』」
外側から格子が破壊される。
輝く光を浴びた黒い巨体の狼が、窓枠から躰をのぞかせていた。
「ルミ! ちょびっと見ない間に大きくなったね! いつか背中に乗せて空を飛ぼうと思ったのに、こんなの重くてつぶれちゃうよ!」
『そもそも乗るとは言ってない。それよりも、帰るぞヴァル』
「うん!」
黒狼が白いドレスのヴァルに目を細め、襟首を銜えて背中に放り込む。
反対側に転げ落ちそうになって、なんとかよじ登る子供の姿を見て、王が愉快そうに笑っていた。
遠く「王!」と叫ぶシェーンルーグたちの足音が聞こえてくる。
『不法侵入狼が殺気を帯びて目の前にいるというのに、ずいぶんと余裕だな』
「気にすることじゃないからね。どうやらシェーンたちは相手にならなかったようだ」
『姉貴は手ごわかったよ。だけど俺の成長の方が早かったようだな。うちのヴァルを「保護」してくれたようだが、もう結構だ。俺らは純人の手の中の生き物ではない。自然の中で生きさせてもらう』
ルミは純人の王に決別を告げる。
「それは困るな。せっかくの色なのにもったいない。希少なものは増やすべきだね。君も毛皮の色は気に入っていたんだよ? 玄関に飾りたいくらいに」
『俺たちにあれこれ口を出すのはやめてもらおう。魂の質になんの違いがあるというんだ』
「質?」
王が手を上げ、姿を消した。
一転。ルミの体は宙を舞って部屋の中に叩きつけられる。
人とは思えない怪力でギリギリと首を絞めてくる細腕。
『がっ』
「ぴゃっ」
ヴァルも一緒に部屋に放り出され、ベッドに頭から不時着する。
力とは裏腹に、分かっていない子供を諭すように、彼は穏やかに語り掛ける。
「質というのはこういうことだよ。国を作るならこれくらいはできないと」
『……純人の……変異体か』
「変異体と選ばれし人間の違いを知っているかい? 結局は強いもの進化であり、選ばれた種ということだ。黙って可愛がられていれば繁殖させてあげるよ。貴重な色だからね。なるべく黒い個体が良いよね。確か東の国に濃灰の狼人がいたと聞く。その辺と掛け合わせれば」
「ダメー!」
ヴァルは悲鳴を上げた。
「ルミは僕のお嫁さんなの! レスリングごっこは夫婦の遊びなんだよ。王様でもやっちゃダメ!」
(エスメラルダ……またくだらないことを教えやがって)
首が動かないルミの耳に、ヴァルの気の抜ける台詞が入ってくる。
周囲には王の危機に駆け付けた騎士団たち。
しかし銀狼もシマエナガも、王の命令で動けない。下手に命令違反をしたものならが王の素手で首が飛ぶのを知っているからだ。
必死に逃れようとルミはもがくが全く解けなかった。
怪物のような力の下で、意識が朦朧としはじめる。
「王様! ルミを離して! 僕のお嫁さんが傷ついちゃうでしょう! お母さんが言っていたんだ! 嫁入り前に傷ものされたら大変だって!」
どうやらヴァルが王の服の裾を引っ張って抗議しているらしい。
首に王の振動が伝わる。
どうやら彼は笑いをこらえきれなくなったらしい。
吹き出しながらヴァルを褒める。
「ははは。本当に面白いねヴァルは! 純粋でひたむきで、可愛らしい! ……そう。お母さんね」
王は感情のない黒い目を扉に向けた。静かに控えていた侍女に命じる。
粛々と運ばれてくる黒いクッション。
涙目で裾を引っ張るヴァルに、侍女はふかふかのクッションを渡す。
手を離して受け取ったヴァルは、不思議そうにそれを撫でた。
ごわごわとした光る表面。
よく見ると細かく編み込まれたのは、黒い羽根。
美しい黒い光沢を持ったそれはつまり―――――。
「つまらないものも、きちんと再利用する。これが王としての仕事だよね。ちゃんと廊下に飾っていたんだよ。鴉人のくせに蝙蝠外交を始めるまでは、国に貢献してくれたからね」
『お前っ! ぐっ』
「……」
激高するルミ。
目を大きく開くヴァル。
王は虚無の目を細くして、微笑んだ。
「死罪になったロキとその妻と妾たちだよ。母親を迎えに来たんだろう? はるばる来た努力に免じて君にあげるよ」
迷子の白い子ガラスは、ようやく母親に出会ったのだ。
王は愉快だった。
どんな逆境でも純粋でまっすぐだった子供。その幼い一途な瞳をゆがませたら、白い鴉人はどんな魂の変異を起こすだろうか。
変身人種は魂の強さで外見を変えることがある。自分の下でもがいている黒狼が意思の力で体を巨大化させたように。
果たして真っ白い純真が黒くなるのだろうか。それはつまらないな。せめて紫色……いや、白鳥人のような哀しい優美さを持つかもしれない。
溢れる期待。
王はわくわくしながら、クッションを持って突っ立っている子供を眺めている。
しかし、予想は裏切られる。
子供はクッションを凝視しながらつぶやいた。
「お母さんが、幸せになってる」
『「…………」』
王は面食らった。
部屋中が静かになる。
そろそろ意識を落とされそうなルミが、ヴァルに向かって叫んだ。
『……はあ!?』
「お母さん、いつも壁に向かって言っていたんだ! 『どうせお嫁さんになれないなら、せめてあの人と一緒に死にたかった。なんで心中してくれなかったのかしら』って! お母さん、旅立つ前に刃物持って笑っていたんだ。だから、願いを叶えてよかったなあって」
―――――それでいいのか!?
取り巻く周囲は完全に絶句した。
シェーンルーグはあんぐりと口を開け、シマエナガがバラ色の頬をしたヴァルを見て「パねえ」といったきり黙っている。
ヴァルはクッションを抱きしめて、キラキラとした瞳で王に感謝をする。
「王様! ありがとう! お母さんが幸せになっちゃった!」
「あ、ああ」
「兄弟は『そんなことはお父さんの迷惑になるからやめて』って言ったんだ。でもね。お母さん「が」そうしたいんだもんね。だから僕は止めなかったよ!」
「そ、そうか……」
「幸せって不思議だよね。人の数だけ違うんだ! ねえ、ルミ。そう思うよね!」
『……』
「次はルミだよ! 楽しみにしててね!」
『……』
「なんで黙ってるの? ねえ、ルミ。僕は頑張るよ! だって夫だからね。お嫁さんを存分に幸せにするんだ。任せてね!」
呆然として力加減を間違えた王に完全に落とされた黒狼は、周囲を前向きにドン引きさせていく子供の発言を、遠く、遠く聞いていた。
……むしろ遠くに行きたかった。




