第八話 決意の黒オオカミ、嫁の使命に目覚める
展開上、前話の最後を少々変えました。
この一帯は、ユマニ国という純人中心の国だそうだ。
騎士団が「毛皮を剥ぐ」と発言するのも国の決まりで、変身人種の犯罪者は、死後毛皮を剥がされる。
毛や羽毛、そして鱗は変身人種の大切な象徴。
純人の王侯貴族は好んでそれらを集めた。壁一面に飾り、その種類と珍しさを他国と競う。
各地の衣装と同様に、国の統一の象徴として。
多人種が共生する【春を待つ街】でも、純人の一団には違和感があった。
詳しくは言わない。
だけどあいつらは、変身人種と獣との、区別がつかないのではないかと思っている。
閉店後。
店主は店の隅で、自分の出腹を摩って小声で語ってくれた。
『俺が思うに、北の純人の連中は妙なコンプレックスを持っていんだよな。一つの魂に二つの体を持つ俺らと違い、あいつらは一つしか体を持たねえ。体が一つだろうが二つだろうか関係ないだろう? 俺らだってこうして色違いで生まれることがあるんだ。みんな違って当たり前だろ? それがあいつらは分からねえ。生きるものに上下を付けるしか、納得しねえんだよ』
この国の一部の純人たちは、偶然強い魂の力を持って生まれることもある。彼らを中心に、集落や街しかなかった世界に、やがて【都市】や【国】という観念が生まれた。
緑のタヌキの店主は、王に誘われてこちらに来たという。
『今の王は俺みたいな変異体を受け入れてくれる。だがなあ、あの人の方針はあくまで【珍しい獣の保護】だ。親切にされる分にはありがてえ。だけど、なんというか、違和感があらあね』
じんましんが出る、とぼりぼりと脇の毛皮を掻く店主。
『死んでから死体を弄られるなら、まあ我慢するがね。珍しくもない人は、王の気分次第で鴉人と同じ運命だ』
「ヴァルの母親は……」
『ロキの妾だった女なあ……手切れ金がなくなったとかで戻ってきたものの、恐妻家のあいつは、本妻の手前どうしようもできなくてな。結局女は口利きで下働きに出されたよ』
「ということは……」
『連れのシマエナガそっくりの嬢ちゃんには気の毒だが。十中八九、粛清のあおりを食って……』
静かになる店内。
膝の上でこぶしを握る。
ガチャン!
何かが割れる音がした。
「誰だあ? 出前の椀を割った奴は」
『この匂い………! あいつ、署で留守番をしていろと言ったのに!』
まずい。聞かれた!
俺はすぐさま黒狼の姿になる。
ひざ掛けを一つ借りると、夜の凍てつく街に飛び出した。
『ヴァル!』
必死に海に向かって飛ぶ白い影を追う。
狼の鼻が痛むほどの、冷たい空気。
粉雪が風で吹き飛ばされ、まるで湯気のように、道を果てまで覆う。
あの笑顔を曇らせたくて、俺はここまで来たんじゃない。
(……いや。違うな)
ヴァルを母親に会わせれば――――絶対にあいつは泣くと思っていた。
捨てられた事実を突きつけられて。
冷たい言葉に傷つけられて。
最後にボロボロになったあの子が縋るのは――――俺だけになると。
走りながら顔を上げて吠える。
満天の凍てつく星空に、繰り返す名を呼ぶ声は吸い込まれていく。
白い息が顔面を凍らせていった。
(情けねえなあ! まだ見ぬ姑に嫉妬して、二人の仲を完全に裂きたかったなんて!)
俺はあいつが大切だ。
あいつの生きる姿勢に、何度救われたか分からない。
だからずっとそばに居てほしかった。
だけどいつの間にか。
嬉しそうに母を語る小鳥に――――殺気を覚えることが増えた。
父は自分を種違いだと疎んでいた。
兄弟たちは残酷な好奇心で俺をからかい、母は息子を何度も突き放した。
『お母ちゃん……』
『これ以上近づかないで。お父さんに示しが付かなくなるわ』
ぐるる、と歯茎が見えるほど威嚇をする母。
幼かったころの俺は、おっぱいを吸い終わるとすぐに離された。父親が近くにいる時は壁に投げつけられたこともある。
毛皮に縋る幼い手を、母は細い手で執拗に何度も引き剥がした。
近所では父は名の知れた狼人だった。
俺という存在を許容していると演じることで、さらに尊敬されるようになったらしい。
『変な色の子供も、変な子を生んだ嫁もきちんと家族として扱うなんてね。お宅は立派な志をお持ちなのですね!』
建前として仲間を尊重する狼人。
村人には褒められていた自分の家族。
だけど一方で、家の中では容赦なく蔑みの言葉を浴びせられていた。
『クロウ。ほんと真っ黒。鴉人の様に汚い子ね』
『見ているだけで暗くなるから、俺の目の前にあまり現れるなよ』
『やだ、クロウ。近づかないで』
特に姉貴のシェーンルーグは狡猾で、自分がいたずらする度に、俺の匂いを盗んで現場に擦り付けた。
『だって、クロウはもう評判が地の底なんだから、これ以上落ちようがないでしょ? まだ相手をしてやっている私に気に入られたければ、黙っていなさい』
言葉に過敏に反応して喧嘩をする度に、性根の汚いものとして父親は息子を疎んでいった。
「こいつ、そろそろ捨ててもいいんじゃないのか」
「一族の恥になりますよ? 器の大きな男なのでしょう? あなた」
繰り返される夫婦の会話。
傷だらけの俺怯えて隅で小さくなることしか出来なかった。
決定打は母だった。
姉貴が帰省している時。
村のリーダーであるアルファのお金がないと騒ぎになったのだ。
真っ先に疑われるのは当然俺だ。
『俺じゃない!』
いがみ合いった末に、頭に血の上ったアルファに噛み付かれた俺は、とうとう耐えきれずに反撃に出ようとした。
その時。
「がうっ!」
「きゃん!」
母が俺の横腹に全力で襲いかかったのだ。
どこにそんな力があったのかは分からない。
もんどり打って木の幹にまで転がる俺に、彼女は突き放すような言葉を放った。
『消えなさい』
呆然とする俺。
睥睨する冷たい視線。
村中の狼に囲まれる中、母は告げた。
『盗人は貴方よ。もうあんたなんか仲間じゃないわ。どこへでも行ってしまいなさい。二度と村に顔を出さないで!』
カチリ、と牙を嚙み合わせる。
(だけど、ヴァルはまだ信じている)
母親の仕打ちは愛情の内なのだと信じている。
……だからこそ、絶望させたかった。
親の愛情なんて、ろくなものではないのだと。
目の前にいる狼だけが、家族なのだと。
(俺は汚いよな)
万が一でも、あの小鳥を誰かの元にやることなんて、考えられないのだ。
一欠片でもあいつの母親なんかに、気持ちを向けさせたくない。
面倒な執着を抱き始めている自覚はある。
あの子が最初から少女と言える年であったなら……決して離さぬよう、とうの昔に本当のつがいにしていた。
……だけど。
初めてヴァル涙を見た時から、その思いは揺らいでいた。
傷ついてほしくない。
いつも笑っていてほしい。
守られているだけではない、守りたいのだと、切に思う。
自分を「嫁」にしたいとプロポーズしてきた小さくて一生懸命な小鳥
つがいの意味すら分からないまま、あなたの唯一になってあげるのだと、自信満々に提案してきた小鳥。
ヴァルと共にいるうちに、母への思いも変化した。
母は、もしかして自分を守ってくれたのではないだろうか。
末の息子が父に殺されぬように距離を置き、村からリンチをされぬよう、ことさら厳しく接し。
一人でも生きていけるまで成長を待って、黒狼を受け入れぬ群れから解放してくれたのではないのかと。
(母ちゃん……)
脳裏に浮かぶ、冷たいはずの銀の双眸の中に、母の気遣いを感じた。
(『僕が幸せにしたいんだ! だからそれでいいんだ!』)
ヴァルの笑顔が、どこまでも眩しい。
どうしてここまでまっすぐに生きられるのだろう。
どうしてこんなに、純真なのだろう。
……だから。
俺は、大切な【夫】を絶対に幸せにすると決めた。
お嫁さんがあの子の「唯一」の証ならば、俺は嫁として、一生夫に尽くしてみせる。溺れるほどの愛でまん丸いカラスをさらに太らせてやる。
荒れ狂う世界の波から、夫を守る存在となるのだ。
力が漲る四肢。
空に輝くヴェールが、星空にかかり始める中で、唯一の子を追いかける。
到着したのは荒れる波が押し寄せる海岸だった。ぽつんと座り込む白い小鳥。
ゆっくりと、驚かせないよう、俺は近づいていった。
『ヴァル……』
『残念でしたー。また来週~』
――――鳥違いだった。
振り返るまん丸いそれは子ガラスにそっくり。
だけどつぶらな黒い瞳からは、意地の悪そうな光が瞬いている。
俺は威嚇ししっぽを立てる。
『誰だよ、てめえ。なんでヴァルの匂いがするんだよ!』
『ワタクシはシマエナガよ。こんな可愛らしいワタクシをてめえ呼びするなんてね。目が腐っているんじゃない?』
口も悪いそれは、よく見れば背中に模様があった。
そいつは足下に帽子を投げてきた。
ふわふわで、外側は革でふさいであるヴァルお気に入りの帽子だ。
『署長から連絡が来てね。ワタクシたち一族によく似たチビは城で【保護】したわ。イケメンの黒毛皮さんをも一緒に保護されたければ、来ても良いわよ? 銀の女狼は嫌いだから、ワタクシに手柄をちょうだいね』
ぴ~?
シマエナガは『ね~?』と首を傾げた。
可愛らしく見せようとしているようだが、ヴァルの可愛らしさからみたら、はりぼても良いとこだ。
『……なによ。行きたいならはっきり言いなさいよ! そして私に見惚れなさいよ!』
反応のない俺に、機嫌を悪くしていくシマエナガ。
王か。変身人種を厭う、純人の代表者。
俺は目をつぶる。
大事な子を救うと決意して、城に連れて行くように申し出た。
◇◇◇◇
ヴァルがふるりと瞼を開けると、そこは見知らぬ場所だった。
広いふかふかのベッド。大きくて立派な天蓋。調度品がきらきらしている。
カーテンで仕切られた豪華な部屋は、全く記憶にない。
『ここ、どこ……?』
『起きたようだね』
椅子から立ち上がった人物がいた。
カツカツと近付いてくる背の高い黒髪の男性。とても女性的な綺麗な顔をしている。
少し……ヴァルの母親に似ていた。
彼はベッドに腰をかけ、見上げる幼鳥に優しく微笑みかける。
「本当に珍しい羽毛だね。それにとても愛らしい。君のような貴重な人種を保護できて良かったよ」
『お兄さんだあれ? ルミはどこ?』
「君の保護者の珍しい毛色の狼かい? 素晴らしい被毛だから、ちゃんと招待してあるよ。だからそれまで、僕と一緒に待っていようね」
細い指で、ゆっくりと白い子ガラスの羽毛を撫でる美しい男。
彼の周りは……厳重な格子で囲まれていた。
長く艶やかな黒髪に「お母さんみたいに綺麗」と思ったヴァル。
無邪気な幼鳥は、自分がどこにいるのか認識しないまま、城の奥にしまわれていった。




