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第六話 ぼっちの黒オオカミ、白い子ガラスと逃げ回る

 鴉人が住むという北の街。

 そこは海沿いにあるという。


 北の果ての海を前にした港町は、北の街の近くにあった。純人の住む数十軒の小さな石作りの家が、緩やかな丘に沿って軒を連ねている。

 網引き漁船が数隻停泊している小さな湾の崖の上。

 二人はいた。




 黒狼は固まっていた。

 初めて見る海の巨大さに。


 子ガラスも黒狼の上で固まっていた。

 焚火で焼かれる魚の大きさに。


『あれはやばいな……』

『うん、やばいよね!』

『あんなに黒くてばかでかいのか……世界とは、広いものなんだな……』

『黒くておっきくてじゅうじゅうだね!』

『ん?』

『香ばくて美味しそう!』


 ヴァルの必死に見つめる先は、海から戻った漁師たち。 

 獲物をその場で焼いて朝食にしているようだった。


 そういえば腹が減ったな。

 ルミは腹の虫が鳴るのを感じた。じゅるりとよだれを垂らしているヴァルに魔物そのへんのごはん以外も食べさせてあげたい。


『行くか』

『うん!』


 羽根を上げたご機嫌な子ガラスを連れ、軽いステップで踏み出した狼の足が、ふと止まる。


「グルルルル……」


 ―――――悪寒。


 後ろから、不機嫌なうなり声がする。

 上手く気配を断っていたのだろう。全く勘付くことができなかった。




『見つけたわよ。この一族の恥さらし!』


 後ろに立っていたのは、美しい銀の毛皮の銀狼だった。

 ぴんと立った耳。凛々しい目元。牙は白く、体は黒狼より少し小柄だ。しかし、その辺の狼よりも一回りは大きい。

  

 目を見開いた黒狼に、一歩一歩近づいてくる銀狼。

 子ガラスは頭の上で、お嫁さんのしっぽがゆっくりとお腹にくっついていくのを見た。


『私が管轄する地域で、よくも揉め事を起こしてくれたわね。ナンキチ村が半分崩壊したって聞いた時には、まさかと思ったけど……』

『ね、姉ちゃん』

『今更姉なんて言わないで! あんたのせいで上司に睨まれてやばいのよ! ようやく騎士団の一隊長にまでなれたのにクビ寸前! あんたは本当に私たちに迷惑ばかりかけてくれて……。どこに行っても喧嘩はするわ、反発するわ……私の評判を落としてばかりね! もう許さない!』


 銀狼は歯茎までむき出しにして威嚇する。

 助走もなく黒狼に襲い掛かった。


害獣あんたの汚い黒毛皮を、じょうしに貢ぐ!』

「やめてー!」

『ヴァル!』

 

 黒狼の目の前を白いコートが覆う。

 ヴァルが人の姿になったかばったのだ。


 銀狼は手前で踏みとどまった。

 そして信じられないという目をして後ろに下がる。


「ルミは僕のお嫁さんだよ! 戦いたいなら僕を倒してからにして!」


 白いもこもこのコートを着た幼女が、ふわふわの帽子と手袋をつけて両手を広げて立ちふさがっている。

 ふうふうと顔を赤くして睨んでくる子供に、戸惑う銀狼。

 後ろで焦っている黒狼に訊ねた。


『嫁……? お前、男よね……? というかこの子。どこかの絵姿で……』

『あ、すげえイケメンが姉ちゃんに色目を使ってアピールしてる!』

『え、まじどこ!? やだ、私の毛並み乱れてるかも!』


 途端に銀髪の騎士服を着た美女に変化した銀狼。長いサラサラの髪を必死に整え始める。

 その隙にヴァルの背中に乗せて全力でルミは逃げ切った。

 





 はあはあ。

 珍しく息を切らして膝をつくルミ。


 たどり着いたのは海岸の果ての雑木林だった。獣の気配を断つために人の姿をとる。


 茂みに顔を突っ込み、お尻を突き出して外の様子を伺っていたヴァルが「何もいないよー」と知らせると、細い木に背中をつけて息を吐いた。




「やべえ。姉ちゃんが就職した純人の「国」って、この辺だったのか……」


 どうやらゴンたちが住んでいた村は、姉の所属する騎士団の管轄なわばりだったようだ。  

 まったく興味がないから、国名も聞いていなかった。




 年子の姉、シェーンルーグは自分以外で村を出た唯一の狼人だ。


 どちらも村では目立っていたが、評価は真逆。

 「外で成功して一族の名を高めた」狼と「外でトラブルを起こしては一族の名を汚した」狼。どちらが一族内で好まれるかなんて、一目瞭然だ。

 そして個人としても――――まっっったくと言ってもいいほど、互いにそり合わなかった。 


(俺は知っている)


 あいつが外に出た本当の理由。

 己の外見に自惚れていた女は「もっとたくさんのイイ男にモテて、逆ハーレムを作りたい」と外に飛び出たのだ。だから大都会くにを目指した。


 両親も兄弟も奴の裏の顔を知らない。

 独立心の強いシェーンルーグと、村に馴染みたいけどうまくいかず失敗ばかりするルミ。それしか彼らは考えない。

 


 

 どうやって、姉から逃げながら鴉人の住む街にたどり着けるのか。


 ルミが頭を抱えていると、お尻だけのヴァルがふるふる揺れて――――止まった。

 がばりと顔を出す。

 なぜか黒い瞳をキラキラさせて満面の笑みを向けてくれる。


「ルミ。お魚食べよう!」

「はあ? なんでこの状況でそんな話になるんだよ」

「だって、あれ! さっきじゅうじゅうに焼かれていたお魚よりもおっきいよ! 絶対おいしいよ!」


 見て見て! 

 やけにヴァルが興奮しているものだから、ルミは訝し気に茂みから顔を出した。



 

 確かに大きな魚がいる。 

 

 ――――いや。

 魚、かも?

 たぶん、魚だ。

 魚かなあ。


 ルミは不安に襲われた。




 それは、三階建ての建物よりも大きな、紫の魚の魔物だった。

 海岸から黒い砂地に這い上がってくる。


 赤く裂けた連続するエラ。飛び出た巨大な目。全身は紫の蓑らしきうろこに覆われている。

 そしてエラは器用にもぐにゃりと動き、貝殻の破片で作った巨大な刃物を持っていた。


 ずりずりと這い上がってきた蓑魚。

 ふと。こちらと目が合う。

 そうして口が裂けたように開いた。


『ワルイコはいねえガ……』


 しゃべった!

 驚愕の表情を浮かべたルミに、ヴァルが「お魚じゃなかった……」と残念な声を出す。




「あれはお母さんの本で見た【ナマハギ】だよ!」

「ナマハギ?」

「確かね……〈冬至に北海の果てから現れる、独善的な観点と自己満足で悪い子と決めつけた子供をさらってナマス切りにしてしまう恐ろしい魔物〉って書いてあった! ナマスってなあに?」

「俺も食べたことはない……やばい、こちらに来るぞ!」


 ルミはヴァルを脇に抱えて茂みから飛び出した。 

 海岸沿いに、北に向かって走り出す。


 蓑魚は、地上に上がったとは思えない速度で二人を追いかけ始めた。




『ワルイコはいねえガ……』

「くそっ獣に変われば姉ちゃんに見つけられてしまうし……人の足は本当に遅いな!」 

「ヴァル! 追ってくるよ!」


 ゆらゆらと横に揺れながら滑るように走るナマハギ。

 後ろ向きに抱きかかえられたヴァルが、あまりの気持ち悪い動きにぴゃっと叫んだ。


「ねえ、ルミ! 僕は悪い子!?」

「めちゃくちゃ良い子に決まってるだろう!?」

「でも僕、お母さんを幸せにできていないし、空も満足も飛べないし……昨日なんてルウサ肉をルミより食べちゃった!」

「俺が食わせたいんだからいいんだよ! もっと食え! つーか、やつの狙いは確実に」

  

 ルミの目の横を、飛んできた刃物がかすった。

 黒の砂地に突き刺さる。


『ワルイコ、いた……』


 足を止めずに後ろをちらりと伺うと、投擲をした姿のナマハギ。 

 目はぎょろりと――――ルミの顔を見ていた。

 



 やっぱり。

 ルミは必死に走る。


『親を困らせたワルイコはコロス……反省して泣いて土下座しなければナマス……』

「反省なんてしねえよ! あんなくそ親に頭を下げてたまるかよ!」

『ではナマス……』

「ルミは僕のお嫁さんなんだからナマスしちゃだめー!」

『ヨメ……幼女にたかるワルイコナマス……』

「なんでそうなる!?」

 

 しつこいナマハギをまこうと、曲がったり転回したりと工夫する。

 しかししつこい。どんな状況でもやつは襲い掛かってくる。




 ――――やがて。

 ルミの目の先に見えたものは――――今朝たどり着いた漁村だった。

 香ばしい焼き魚の匂いがまだ残っていた。


 ナマハギがぎょろりとルミの向こうを睨む。


『もっとワルイコいる……ナマス……』

「やばい!」

  

 紫蓑を震わせたナマハギは、ヒレを伸ばし始めた。

 後ろヒレも発達させ、やがて上半身を起こした。

 無理やり体を変えていく反動で、エラから血が流れる。


「ナマハギが立った!」


 ヴァルが感動するが、事態はそれどころではない。

 村も魔物の巨体を見かけて大騒ぎだ。


「海の神がご来訪したぞ!」

「子供を隠せ!」

「あんちゃん、追われているのか!? 避難壕たちかわに逃げろ! そいつに地下深くの生き物は判らねえ!」

「助かる!」


 村人が、広場の隅に作られた大きな地下道を指し示す。

 何とかこれで逃げられる。

 村人に感謝をした時だった。


「逃げるな!」


 怒声と銀の一線が走る――――。






 輝く銀髪を振り乱したそれは、騎士服を着た美女だった。

 きつい眼で周囲を叱る。


「何を逃げているの! 村人よ、戦いなさい!」


 シェーンルーグだ。

 今度は後ろに、数人の部下らしき騎士たちを連れている 


 彼女は剣を抜いた。ひえっと怯える村人たちを脅し、死ぬ気で戦えと主張する。

 村長らしき老人は必死に訴えた。 


「無理です! あれは無差別に殺すような方ではない。それに冬至さえ終われば帰ってくれるんです! そうか穏便にお願いします」

「国にあだなすものはみんな敵よ! 良いこと? 敵を倒して皮を剥ぎ王に捧げる。これ以上の騎士の誉はないの? 私の出世、いえ、国の平和のために命を掛けなさい!」

「無茶言うなよ、ブス」

「……はあ?」


 思わず、ルミは言ってしまった。


 殺気だった魔物の形相でにらみつける彼女を、見返す。今まで姉が嫌いで逃げ回っていたルミだが、さすがに我慢がならなかったのだ。


 大混乱の中。にらみ合う姉弟。

 村長はこの隙にと、村の子供たちを避難壕へ誘導していった。




 後ろで顔の良い男性騎士たちがヴァルを見てざわめいている。


 各々が「あれ? あれって王の絵姿コレクションの『女神』に似てないか?」「あ、マジ。めっちゃ可愛い」「やべえ。俺幼女趣味じゃないはずなのに」と噂を立てていた。


 普段は自分の噂話には地獄耳を発揮するはずのシェーンルーグだが、今は弟の「ブス」発言しか聞こえていない。

 頭に血が上ったまま、剣先を弟に向けた。

 

「私のどこがブスだって言うのよ」

「性格の悪さが顔に出てんだよ。ゆがんでんぞ、口と目じりがよ。どこが美女だ。俺の悪い噂をことさらにネタにして広めたのはお前だろう!」

「知らないわね。私は良い子だったもの。愚かな子が自業自得になるのは仕方ないじゃない?」


 ルミもすっかり頭に血が上っている。

 抱えられたヴァルが「ルミ! もうナマハギ来てるよ! 逃げようよ」と叫んでいるのだが、全く耳に入らない。


「言っておくが俺はアルファの財布を盗んでいないぞ! ベータの椅子だって壊していない!」

「あなたがやったに決まっているでしょう? 自業自得よね。悪い狼は何言われたって悪いんだから、さっさと受け入れなさい」

「……まさか。お前がやったのか!?」

 

 てめえ!

 ルミが激高し、黒い狼に変化する。騎士と村人はどよめいた。


「あれは、【黒い魔物】か?」

「隊長が言っていた、村を壊滅させたという……?」

「シェーン隊長も、確か狼人だったよな」


 恐れと嫌悪が入り混じる視線。

 シェーンルーグは、ち、と舌打ちをする。


変身人種アルターがあの国で認められるには結果が必要なのよ! こんなところまで私の足をひっぱらないで! このクロー……え」


 言葉が途切れる。


 ルミの目の前には、ナマハギが、いた。

 シェーンルーグの姿がない。

 いや、ナマハギの口は足がはみ出ている。


『ワルイコ、いた』   





 ――――少しの間。

 ナマハギの口の奥が爆発した。


『ふざ、け、るな……それくらいで私が引き裂けると思うな!』


 銀狼が飛び出てくる。

 どうやら、服に何らかの武器を隠し持っていたらしい。

 唸り声をあげた銀狼は、再度起き上がってくるナマハギから逃げ出した。

 

『くそ。こんなところで死んでたまるか。私は出世してみせるんだ。くそ弟、私を馬鹿にした罪は重いわよ! 今に見てなさい、権力で押しつぶしてやる!』

『隊長!』

『あんたらは私の壁となって戦いなさい! 負けたら竜人の出張所に左遷よ!』

『『はい!』』


 そう言い捨てて、ナマハギから逃げて去っていくシェーンルーグ。

 ルミは『とっとと食われろ、ブス!』と叫びながら、人の姿に戻った。


 ふと。戸惑う空気を感じる。

 周りの村人を見まわすと、微妙な顔をしてこちらを見ている。


 また怖がらせてしまったか……。

 ルミは気落ちして、ヴァルの手を取り、その場を去ろうとした。






「あの……もしや黒狼さんはルミって名前じゃありませんか?」


 すると、若い男性から声を掛けられた。


「あ、ああ」

「そうだよ! ルミだよ! ぼくの奥さもがが」


 口をふさがれたヴァルをよそに、男性はルミに感謝をしてくれた。

 彼はナンキチ村の出身だという。


「前村長の弟は本当にやばかったんです。役人に媚びを売るために村人の妻や娘を侍らせたり、村で集めた税金をかすめ取って賄賂に使ったり。本当に散々でした。でも、あなたのおかげで弟派を一掃できたと聞きました。妹夫婦が連絡をくれたんです。だから……代わりに私から感謝を」

「そうだったんですか……」


 権力闘争については、ヒョー・ジューはあまり語ることはなかった。

 本人にとっても、自分のふがいなさを説明する気になれなかったのだろう。 


「ナマハギも過激で自己中ですが、悪い魔物ではないんです。少し子供が大好きすぎて教育にうるさいだけで。それに、漁師にとっては豊漁をもたらしてくれる神なんです」

「見方が変われば、恐ろしいだけじゃないんですね」

「ええ。だから我々は、どんな人間でも行動ですべてを見ます。改めて感謝を。そこの可愛いお嬢さんと少し休まれて行ってください」


 嬉しさを隠せなかった。

 ルミは照れくさそうに提案を受け入れ、ヴァルと数日滞在することにした。

 




 そして夕飯に出されたのは――――紫色の鱗に、大きな目玉の魚の丸焼き。

 げっそりとするルミの隣で、ヴァルは幸せそうに頭から頬張ったのだった。


「おいしいね! ルミと一緒に食べるお魚は、とってもおいしいね!」

「そうだな……」

「僕は本当に幸せ!」

  

 鴉人の街はもうすぐだった。




 




 

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