第十話 ぼっちだった黒オオカミ、幸せの子ガラスと一緒におうちに帰る
折り重ねられた光の帯はやがて星空全体に広がり、夜の世界を白夜のように照らす。
〈ルミ〉
眩しさに瞑っていた目を開けると、そこには光の空の下には成長したヴァルが立っていた。
美しい乙女だった。
長く白い髪は星くずを混ぜたように輝き、頬はバラ色に染まっている。
艶やかに輝く肌、優しい曲線。 星を映したような白く軽いドレスの裾は優美に何層も重ねられ、さらさらと天の川のせせらぎが聞こえるかのよう。
女神のような気品にあふれる彼女は、俺に向かって両手を広げる。
幸せに満ちあふれた笑顔で――――ユマニ国の処刑台を指し示した。
気が付くと……己の姿は、東の国の死に装束になっていた。
〈ルミ! 白いドレスが綺麗だね! 僕の素敵なお嫁さん!〉
〈ルミー! 見て見て! ルミが幸せになりたいっていうから、僕気合入れて処刑台を用意したよ! ナマハギさんが協力してくれるって!〉
〈ルミ……大好きだよ。だからね。一緒に素敵な剥製になろうね……〉
「うわああああああああああああ!!!!!」
ルミは毛布をはねのけ飛び起きた。
必死に体を見回す。皮が剥がされた形跡はない。
冷や汗を流しながら周囲を見ると、そこは城の客間のようだった。今まで人の姿で泊った部屋よりも豪華で、全然寒くない。
「ようやく起きたのね。うなされる姿も可愛くなかったわよ」
扉から入ってきたのは籠を抱えた姉のシェーンルーグ。
くせのない銀髪をさらりと後ろに流して、つかつかと歩いてくる。
やるか、と身構えるルミに「もうやらないわよ」と姉は言う。
「王があんたの「保護」を命じちゃったからね。せっかく秘密裏に始末しようとしたのに、同僚たちの目があるから不可能になっちゃった」
「……秘密裏だったのか」
「ふん。気づかない方が悪いのよ。でも王の命令は絶対。あんたも多少は分かったでしょ? あの方は本気になればこの国の騎士団を一人で全滅させることができるのよ」
確かに王は強かった。
あの女性のような若い王が力を出した瞬間。魂が誰よりも輝いていた。
旅の途中遠目に見た白ヒグマーよりも、よほど危険な光だった。
「……」
「まあ、逆らわないことね。ああ見えて歴代の王最強。それでも慕ってくるものは庇護してくれるから。私みたいに清く美しいものも好きだしね」
「……」
「……なによその目。軽く締めるわよ?」
姉が膝に置いていた籠がガタガタと揺れる。
しぶしぶ蓋を開けると、飛び出す白い子ガラス。
『ルミー!』
「ヴァル!」
一直線に飛び込んでくる小鳥を、ルミは抱きしめた。
ふわふわの羽毛が温かい。かけがえのないぬくもりだ。
どさりと近くの椅子に座り、いちゃいちゃする弟夫婦に生温かい視線を送るシェーンルーグは、ユマニ国における二人の今後の扱いについて教えてくれた。
「不法侵入も王の一存でお咎めなし。ほんとつまんない。あんたたちの毛皮と羽毛目的の殺害も禁止だって。本当~につまんない」
「お義姉さん! 連れてきてくれてありがとう!」
「あーはいはい。あんたに感謝されると全身が痒くなるわ……」
「おい」
踵を返して帰ろうとする姉に、ルミは声を掛けた。
立ち止まる姉。
「私は弟が嫌いだけど【妹】は嫌いじゃないわ。でも強烈すぎてめまいがするから結婚式の時だけ呼んでね。じゃ、私は男に告白されるのと目障りな女を潰すのに忙しいから帰るわ」
「お義姉さんも一緒に幸せになろうよ!」
「……幸せは人それぞれ、でしょ。私は自分の幸せで忙しいの。弟のことなんてどうでもいいわ。あんたは人にかまけてないで、嫁の幸せだけを考えなさい。じゃ」
ぴいぴいと姉を呼ぶヴァル。
振り返った姉は一度だけヴァルに微笑むと、二度と振り返らなかった。
昼過ぎにあっさりと城の外に解放された二人。
あっさりとした快晴の下で、二人は門の外にいた。
むしろ荷物を背負った黒髪の青年と、手を繋いだ少女(気が付けば幼女からレベルアップしていた)の姿で、城を見上げている。荘厳な氷の彫刻で覆われた、石の立派な建物だ。
「王様のおうちはでっかいねえ」
「……そうだな。中は温かかったけどな。住んでいる王には、どうなんだろうな」
慈悲深き純人の王。
しかし誰も彼に近づこうとはしなかった。
ヴァルが王様に御礼をしたいと言っても、門番たちは「王は忙しいので」と相手にしない。
その一方で少女姿のヴァルに、頬を赤らめてチラチラと視線を送ってくる。
機嫌を悪くしたルミはヴァルを子ガラスの姿にさせ、胸元に入れた。
綺麗に整地された氷の道を歩いていく。
周囲は樹氷に覆われ、陽を浴びてキラキラときらめいている。
黒いコートの精悍な青年は、眩しそうに広い空を眺める。
ざくざく、ざくざく。
「……さて、これからどうしようか」
『もちろん、ルミを幸せにする!』
「……言っておくが毛皮は剥ぐなよ」
『じゃあ、ルミは何が幸せなの?』
「そうだなあ……とりあえず【春を待つ街】にでも戻るか。お前、東の国に逃げたという兄弟には会わなくていいのか?」
『いいよ。だって幸せになりたいと言っていたのはお母さんだし! いつかどこかでまた会えるよ』
「そうか」
『おうちは結局なかったけど、いいんだ!』
「そうか……」
ルミは足を止め、ふわふわとした羽毛のヴァルを掌に載せる。
ぴ? と首をかしげるヴァル。
黒銀の瞳でじっと見つめるルミは、しばしの逡巡のあと、ようやく決意を口にした。
「改めて、俺たちの家を作らないか? その……ずっと一緒に、いられるような」
◇◇◇◇
リンゴーン。
【春を待つ街】は今日ばかりは【春を歓迎する街】と変わる。
数年前に定住した狼人と鴉人のカップルが、ようやく結婚式を挙げるのだ。
色とりどりの花が敷き詰められた広場では、多くの住民が若い夫婦の始まりを歓迎した。
参加者全員にあふれる笑顔。
ただ、新参者や旅人は美しい美男美女の二人を見ていささか戸惑っている。
白く豪華な裾の長いドレスで身を包み、花冠をのせた新婦は凛々しくたくましく。
誇りに満ちた顔の新郎は、柔らかな曲線を綺麗に引き立てる白い礼服を可憐に着こなして。
二人は仲睦まじく寄り添っていた。
「確か疾風の黒狼と言えば、ここらで有名な魔物狩りじゃなかったか? まさかそっちの人間だとは思わなかったな」
「白花の乙女のモデルで有名な彼女。まさかあっち側とは思わなかった……ショックだ」
「どっちが夫でどっちが妻でもいいじゃない! 本人がそれで幸せなのよ? いちいち指摘する方が野暮ってものよ」
野太い声が降ってくる。
そこには筋骨隆々の体に、鮮やかな青に染めた短髪。さらに真っ赤なドレスで参列する虎人の男性がいた。
そのド迫力に黙った新参者を尻目に、エスメラルダは涙を浮かべて二人を見つめていた。
「本当に良かったわ……。あたしみたいな女か男か分からない者は世間で生きづらくてね。ヴァルちゃんのように好きなものは好きと言える力にはいつも助けられたわ。はみ出し者でひねくれもののルミもすっかり改心しているし。私も早く春が来てほしいわ。出来れば線の細い美形で優しくって、お金を持っていて……あら超好み」
エスメラルダは斜め隣の参列者の席に座った女性的な美形に目を止めた。
新郎の満面の笑顔を見て頷いている美形。さりげなく金を掛けた衣装に、品の良い横顔。繊細な美貌がたまらない。
しかし、美形の形の良い唇から一言。
「やっぱり時代は行動展示だね。人工繁殖よりも自然繁殖。無理やりは良くないね」
何やら不穏な台詞に、虎人の本能が警告する。
エスメラルダは椅子に座り直した。
――――賢い女は、可能性のある男にしか仕掛けをしないのだ。
慣れない裾を持って引きずってルミは歩く。
大量の好奇心の視線が刺さる。正直恥ずかしい。今すぐ逃げたい。
だけど、式の前に大切な恋人にお願いしたのだ。
「君が幸せだなあと思える式にしたい」と。
花の小道を進む恋人は、誰よりも綺麗に微笑んで見上げてくれる。
白い長い髪を緩くまとめ、前に垂らしている。そもそも女物の服が好きではないと知っていた。だから、できるだけ好きな格好をさせてあげたい。
そんな姿でもヴァルは綺麗だ。
温かい腕を繋ぎ、半歩だけ後ろを歩きながら、ルミは幸せを感じていた。
「ルミ。僕幸せ」
「ああ俺も幸せだ」
「どうしよう。これ以上の幸せになったら、僕どうなっちゃうのかな?」
「俺がもっと幸せになるだけだな。問題ない」
「もっと他に、幸せになりたいものはないの?」
「そうだな。もっと家族が増えたら幸せかな。ヴァル、頑張れよ」
「うん頑張る! 幸せにしなきゃいけない子が増えるんだね! やるぞー!」
「今度は俺も手伝うからな。行動する前に一言相談しろよ」
一家剥製は勘弁してほしい。
つぶやいた妻の言葉は、年中頭が平和な夫には届かない。
……・それでも、二人だから。
二人でできる幸せの形を求めていくのだ。
赤いキツネのゴンや、恋人のヒョー・ジューが沿道で祝いの言葉をくれる。
二人は兄弟の籍を外れて来年結婚する予定だ。
「ヴァル! おめでとう! 本当にあなたはめちゃくちゃね。すごく新郎姿が似合っているわよ!」
「ありがとうゴン! お祝いの魔ウナギありがとう!」
「いいのよ。三倍返しで私たちの時に祝いをちょうだい」
「ほらほら、列に戻って」
警備員のキング巡査が周囲の警備をしている。近くにはエンペラー署長もペタペタと走っていた。
ペンギンの連中は【春を待つ街】の方が過ごしやすそうだと、王様にねだって引っ越してきたのだ。「いやあ、あの時は大変でしたねえ」とルミとヴァルにはしれっと言う。
権力には従順だが、さりげなく自分たちの都合の良いように周囲を動かす彼ら。
……実はとてもすごい連中なのかもしれない。
祝福の中をゆっくりと歩いてきた二人。
緑のタヌキの神官(実はそば屋の店主は東の国で神殿長をやっていたそうだ)の前に立つと、彼はぽっちゃりとした中年男性の形をとって、厳かに問いただしてきた。
「新郎のヴァルコイネン・オンネリネン、あなたは妻の生涯の味方として、彼を絶対に見放さず守り抜くと誓いますか?」
「誓います! 絶対に守ります!」
ヴァルはしなやかな手を挙げる。
「新婦のルミ・クロウ。あなたは夫を飢えさせずしっかり太らせてずっと笑顔でいてもらうと誓いますか?」
「誓います。生涯丸々とした、呑気な鳥でいさせます」
より男前度が上がったルミは決意を語る。
ヴァルが「僕は格好いい凛々しいカラスだよ?」と声を掛けてくるがこれは誓いの儀式。
自分以外の意見など却下だ。
うんうんと嬉しそうにうなずいたタヌキの神官なおやじは、空に向かって祈りを捧げた。
「女神様! 貴方の子供たちが幸せになろうとしています! どうか彼らの道行きをお導きください! 生まれてきた全てに意味があるのだと、我々に教えてください!」
青い空がキラキラと輝きだす。
光の粒が若い二人の上に降り注ぎ、白い服を幻想的に浮かび上がらせた。
わあ!
周囲は盛り上がった。
これから結婚式にかこつけた街の祭りが始まるのだ。
変身人種も純人も、生きとし生けるもの全てが生の賛歌を歌いだす。
ルミは新郎のヴァルを抱き上げた。
満面の笑みで「亭主の天下にさせてやる! だからちゃんと俺を守れよ!」と小さな唇に優しいキスをする。
とろけそうに幸せな顔をしたヴァルは「守るよ! 幸せにしてあげる!」と叫び、彼の首に全力で抱き着いた。
にぎやかな光景を遠く眺めていたシェーンルーグ。
騎士服のまま、祭り用に売られていた小瓶の酒をちびちび飲んでいる。
「おめでと。あちこちにいい男をたくさん集めてきてくれて、義姉は嬉しいわ。……母さん、そろそろ出てきてもいいんじゃない?」
建物の陰からじっと見ている婦人に訊ねる。
「……ごめんね、シェーン。涙で前が見えないの」
「ちゃんとあいつは変態になったわよ。見てよ、あの格好。恥ずかしいったらないわ」
「クロウが幸せそうで良かったわ」
「……もういい加減、本音を伝えればいいのに」
「あの子はもう、狼人の村と関係を切ってあげたいの。あの素敵な鴉人さんと一緒に暮らしてくれるのならもう満足よ……元気でいてくれれば、いいの。それが私の幸せだわ……」
人情話が大嫌いなシェーンルーグは、「うわあ」と母の涙に嫌そうな顔をするが、このお祭り騒ぎが終わるまで、ずっとそばに付き添っていた。
こうして新しい家族が、新しい幸せの形を探して―――――。
この世界に日々、生まれていくのだ。




