98.貴椿千歳、ついに本題に入る
自己紹介も終わると、俺と乱刃には、日々野先輩からメニューが渡された。
合皮の表紙で二つ折された、このホテルのルームサービスのものだ。当然俺は初めて見るものである。
ルームサービスかー……部屋にいながらなんでも届けてくれるんだろ? すごいシステムだよな。
だが……パッと開いてみたものの。
俺たちには絶対に必要な数字が書いてない辺りが、いかにもスイートルームである。
きっと暗に「こんな部屋借りるくらいなんだから飲食代なんていくらでも払えるだろ?」と言っているのだろう。
俺は今、恐ろしい世界を垣間見ている。
頼むから値段を表記しろよ……商売の基本だろ……
「外に出前も頼めるけれど、ここのシェフはいい腕してるから、ルームサービスがお勧めよ」
ざっと見る限り、和洋中の有名どころは全部書いてある。それに、たぶん相談すればここに載っていない料理も作ってくれそうな気がする。
「あの……値段がちょっと……」
書いてないし。水一杯で500円くらい取られそうな高級感だし。
俺もう帰ってカップラーメンでもいいかなって思ってるし。
「値段? 聞いてないの?」
「え?」
「学園長の奢りなのよ。この部屋の代金もルームサービス代も」
――猫め! 惰眠を貪る間にそういう大事なことを言っとけってんだ! 無用に田舎者の小市民感晒しちまったじゃねえか!
「ほう。学園長は太っ腹だな」
乱刃……得意げな顔してるけど、もしこの「値段の書いてないメニュー」に値段が書いてあったら、おまえはそんな顔してられなかったはずだ。
きっとどれ頼もうと、1000円以上からだ。
でもまあ、学園長が出すっていうなら、遠慮はいらないな。
こんなホテル経営してるくらいだ、俺たちの飲食代なんて気に止めるほどの負担にもならないだろう。
「私はステーキにしよう! ……いや、ハンバーグか? …………ん? 寿司? 寿司まで!? な、なんだと……これでは選べないではないか……!」
乱刃の悩み方は尋常じゃないが、俺もちょっと悩む。
きっとどれを選んでも、食べたことがないってくらい美味いだろうから。
さて、何にしようかな。
せっかくだし食べたことがないハイカラなものでも試してみようかな。
「――こんばんは」
ルームサービスを取って、デザートまで食べて、時刻は9時を過ぎた。
食べたりしゃべったりしている間に、いつの間にかそんな時間になっていて。
そして、ようやくその人は現れた。
「会長」
日々野先輩が立ち上がり、その人のところへ向かう。
あの人が生徒会長か……あれ?
「代理」
まさかの上役登場に、華見月先輩も立ち上がった。
その生徒会長と一緒にやってきたのは、誰あろう風紀委員長代理の七重先輩だったのだ。
「よう、カミちゃん。来てたんだ。なら一緒に来てもよかったね」
「そうですね……でも、どうして」
「用事があるから」
――後から聞いた話によると、七重先輩はヴァルプルギスではないので、基本的にここへの出入りはしていないらしい。
ここに来る時は、本来の風紀委員長の代理として、代わりに出席するのが常で。
つまり、風紀の仕事で来たわけだ。
そして、風紀の仕事なのにそれを聞いていない副委員長の驚きは、「突然現れた上役」以上の意味があったのかもしれない。
いつもぐずって仕事しないのに、働き者の副委員長に黙って仕事しようとしていた委員長代理、と考えると、俺でさえちょっと驚きである。あの人全然仕事しないの知ってるし。
「知らない人も何人かいるから、自己紹介しておきましょう。
私が九王院学園現生徒会長、空御門神久夜です。遅くなってごめんなさい」
背は150前後くらいだから、低い方かもしれない。
ただ、小柄なのに大きく見えるのは、圧倒的な存在感のせいだろう。
夜の闇のような美しい黒髪は長く、前髪やサイド、後ろ髪まで要所要所をまっすぐ切りそろえている。
たぶん魔力の可視化の影響だと思うが、毛先に行くに従ってやや青みがかっているのが不思議だ。まるで日の入りか日の出に見られる、藍色の空のように。
白い肌とのコントラストは見とれるほど際立つ。
無表情であることを差し引いても、どこかミステリアスで夜空を思わせるような綺麗な人だ。
綺麗すぎて不安になるほどに……
本当にそこにいるのか疑いたくなるくらい、不思議な人だ。
「で、私が風紀委員長代理の七重七呼だ。本人は来られないから勘弁してね」
その隣いる七重先輩は、相変わらずの細目である。
言っちゃ悪いが、生徒会長のあとにあの人見ると、なんかほっとするなぁ。
「時間も時間ですし、明日もあありますし、早速本題に入ります」
お、ついに話が始まるのか。
この話って、招待状が届いた俺と乱刃について、なんだよな? たぶん火周関係だと思うが、それはこれから明かされるはずだ。
「貴椿君。乱刃さん。こちらへ」
俺たちは素直に従い、生徒会長の傍に向かった。
「綺麗な髪だな」
「……?」
「す、すいません! おいこら!」
乱刃の馬鹿、いきなり生徒会長の髪に触りやがった!
俺はもう、速攻で乱刃を生徒会長から引き離した。頼むから空気読んでください。
なぜか不服そうな乱刃に、会長は冷めた目を向けた。
「後でゆっくり触るといいでしょう」
あ、意外と寛大! 怒らないまでも無視するかと思ったのに! ……その隣の日々野先輩の目の方が怖いくらいだ! あれきっと怒ってるぞ!
「では本題に入ります。――冥、始めてください」
全員が注目しているのを確認して、会長は、名目上は俺たちを呼び出した日々野先輩に後を任せた。
日々野先輩は頷き、言った。
「では、先日起こった火周廻の一件について、貴椿千歳と乱刃戒の処罰に関する話し合いをしたいと思います」
……え!? 処罰!?
まさに寝耳に水な発言だった、が。
衝撃は大きかったが、不安はあまりなかった。
それはきっと、ヴァルプルギスという集団に対して、俺が悪印象を持っていないからだ。
悪い連中じゃないし、ケチな真似をするとも思えないし、そもそも字面通り「処罰」を下すだけならこんな豪華なところに招待する必要もない。
だから、たぶんこの流れに任せて大丈夫だろう。




