94.貴椿千歳、予想外の展開をわりとすんなり受け入れる
「実は、あれから私にも届いた」
それは予想外だった。
だが、わりとすんなり納得もできた。
「おまえにもか」
夕飯を食べに来た乱刃は、今朝俺が受け取った手紙と同じ物を見せた。管理人さんも一緒に来たが、やはり何も言わずに様子を見ている状態だ。
「差出人は同じ、日々野冥。生徒会の2年生らしいな」
「なら乱刃も行くのか?」
「千歳だけなら理由はわからないが、私まで招待されるとなれば、どう考えても火周関係だろう。他のヴァルプルギスに心当たりもないしな」
別のヴァルプルギスと関わってないなら、そうだろうな。
そもそも俺だけでも火周関係だと思っていたくらいだ。
それ以外でヴァルプルギスなんて連中と接点なんてないし、関わってないはずだ。
「あ、じゃあ夕食いらないんだな」
「なぜだ。私はいつでも飢えているぞ」
いつでも飢えてるってなんだよ。
今は三食ばっちりだろ、俺がエサ与えてないみたいにいうなよ。人聞きの悪い。
「向こうで出るんだってさ。あれ? そういやおまえの迎えは?」
「そこで寝ている」
と、畳に転がるトラセレブ改めアルルフェルを指差す。
「手紙を届けたのもそいつだ」
……おい猫、寝る前に諸々ちゃんと説明しろよ。
「夕飯は向こうで出るんだってさ。だから今日はなしだ」
「わかった。だが果たして千歳の飯に優らずとも劣らない物が出るのだろうか……」
「恥ずかしいこと言うなよ」
これから行くのはホテルのスイートルームだぞ。
そんなところで俺の家庭料理以下の食い物が出るもんか。比べるのもおこがましい。
「それはそれとして、そろそろ買い出しに行こう」
「え? 行くの?」
時刻は7時10分前。
いつもなら近所のスーパーで肉や惣菜に値引きシールが貼られる時間。例のトカゲ事件以降、俺と乱刃はほぼ毎日割引き食材を買いに行っている時間だ。
集会が8時からなので、時間の余裕は多少あるとは思うが……
「なぜ行かない? 今日こそ九王ロールが半額かもしれないではないか」
九王ロールとは、ここ九王町のご当地スイーツであるロールケーキのことだ。ちょっと高いので乱刃は半額を狙っている。毎日狙っている。
スイーツはともかく、俺も値引きの刺身なんかは気になる。あとトイレットペーパーを買い足す必要もある。
「じゃあちょっと行くか。管理人さん、来ていただいたところを申し訳ないんですが……」
いつも夕飯に付き合ってもらっている管理人さんには悪いが、今日はここで夕飯はないので、お引き取り願った。
「ええ。それじゃあ、あまり遅くならないようにね」
管理人さんは実に魔女らしく、つっかけを持って『瞬間移動』でとっとと消えてしまった。……今日は観たいテレビでもあったかな。
それから買い出しと準備を終え、時間の30分前に猫を起こす。
「準備できてるわけ?」
起きた……とは思うが、起き上がる気配はない。
顔を見る限りまどろんでいるようだ。顔洗ってるし。
「まあ、だいたいは」
準備というほど準備が必要でもないし。
制服着用と招待状の提示が義務って以外、準備らしい準備もないし。
一番難しい準備は、心の準備くらいのものだ。
だが俺はボディガード同伴で行くから心は安心だ! 予定外だったが乱刃もいるしな!
「ちょっと早いんだよなぁ。『転送』の準備ができてるから、行くだけなら1分も掛からないよ?」
「そういうことは先に言っとけ」
おまえの説明不足のしわ寄せがモロに出てるじゃないか。
急いで買い出し行って帰ってきたってのに。
――ちなみに『転送』とは、『瞬間移動』の中・長距離型の総称である。
正確に言うと若干系統が違うらしいが、一般的には同じものと見なされている。中・長距離の『瞬間移動』がものすごく難しいので、使える魔女が限られるせいだ。
オーソドックスなのは、離れた場所にある魔法陣同士を空間連結させた交差航行型だ。
『入口』と『出口』に互いを関連付けた専用魔法陣を用意しなければならないので、『瞬間移動』ほど手軽に使えるものではない。
なお、昨今では専用インクで印刷された「魔法陣用紙」という、ほぼ使い捨ての簡易魔法陣が売られていたりするので、昔よりは普及している。
「魔法陣用紙」は品質的にはあまり良いものではないが、緻密な魔法陣を描く手間と時間が省けると、魔女界隈では評判である。
たぶんアルルフェルは、「入口」あるいは「出口」に連結した魔法陣用紙を持って来ているのだろう。
「もしかして、魔女の使いが来てるのに、徒歩で行くとでも思ってた?」
……そう言われると、確かに徒歩移動ってのはおかしい気がしないでもないな。
「んー……まあいいか」
まどろんでいた猫は瞬時に人間型に変化すると、大きく伸びをした。
「ちょうどいい時間に着くだろうし、せっかくだから歩いていこうか」
夏らしく、空はまだ明るい。
だが、これから30分ほどで、あっという間に暗くなるだろう。
昼間よりは過ごしやすいこの時間帯、人の多い道を避けて駅方面と向かう。
「――悪いな。待たせたか?」
連絡を取り合って待ち合わせ場所を決め、そこで華見月先輩と無事合流。
「よ、ひさしぶり」
「そうだな」
アルルフェルと先輩は知り合いのようだ。きっとかつて行われた集会で会ったんだろう。
四人で駅前に出る。
迷いのないアルルフェルの先導でするする移動し――なんか見覚えのあるような黒塗りの車の前に立つ。いかにも高級車っぽい感じの車だ。
「ここからは車で移動するから。乗って」
指示通り乗り込むと、見覚えのあるような車はエンジン音も静かに、滑るように走り出した。
窓の景色はいつの間にか繁華街から外れ、どんどん灯りと人が少なくなっていく。
いや、それにしてもこの乗り心地……見た目といいシートの座り心地といい、学園長と一緒に乗ったあの車っぽいなぁ……
10分ほどで、目的地に到着した。
土地勘がないのでどの辺なのか全然わからないが、駅前の喧騒が嘘のようになくなっているので、結構遠いのかもしれない。
それにしても、これがホテルか。
ドラマなんかでは見たことあるが、実際に見るとすごいな……非常に大きい建物だ。
入口付近に停車し、ホテルマンらしきお姉さんがドアを開けてくれたくらいだ。やはり高級ホテルなのではなかろうか。一泊数万円からとかそれくらいの。
「だ、大丈夫か千歳」
「ん? ……おい」
ホテルを見上げる俺の隣にいた乱刃を見ると、思いっきり足が震えていた。
「おまえこそ大丈夫か? 足の震えが尋常じゃないぞ」
「震えるほど怖いのだ……こんなに豪華な場所、入った瞬間にお金を要求されそうではないか……」
ああそう……まあこいつが感じる「恐怖」なんて、食糧とお金くらいなものだよな。




