90.魔女の穏やかな日々 十二
こいつは穏やかじゃいられねえ……!
最近ちょっと乱刃さんに顔面パンチされたり、猪狩切さんに腹パンされたりもしたけれど、まあまあなんてことはない穏やかな日々を過ごしてきたと思う。
いつまでも新米新米新入り新入り言ってられないし、私も魔女生活に慣れてきたところである。
そこそこの事件くらいでは動じないほどには。
だが、この一件は、穏やかではいられない。
「マ、マジで……?」
「うん」
「英語で言うと、MJD?」
「それは英語じゃないけど、話はマジ」
そ、そうか……マジなのか……
「北乃宮くんに本当に彼女が……」
「うん……でも私、そっちに驚いて欲しいわけじゃないんだよね。もう一つの方が大事なんだよね」
今日の話題は、昨日の放課後の一件で持ちきりだ。
朝一で恋ヶ崎さんから聞かされたその話は、穏やかに過ごすはずだった今日を激動へと変えた。
「うちのクラスの男子に彼女がいること以外に大事なことなんてないじゃない!」
私が知っていたのは「いると言われているよ」という、あくまでも「いない可能性」が残る希望ある情報である。
なのに……希望に輝くグレーゾーンをはっきりくっきりさせて、いったい誰が得するというんだ! 誰がそんな絶望を望むというんだ!
望まない真実など、知らなくていいことなのに!
「私、橘さんのそういうところ、嫌いじゃない。でも今はよそに置いといて」
いつもはなんだかんだ言って付き合いの良い恋ヶ崎さんが、遊んでくれないなんて……
どうやら本当にマジのようだ。
「で、どんな女なの? 北乃宮くんに似合わない女だったら許さないんだから」
「私、橘さんのそういうところ、ちょっと嫌いになった」
やばい。嫌われた。
「でも……その、ギスギスした女がどうこうって言われても……」
「ヴァルプルギスね。ヴァルプルギスの女ね」
そう、それだ。
でもそう言われてみんな騒いでるみたいだけど、私はピンと来てないわけで。
――どうにも私は知らなかったのだが、「ヴァルプルギス」というのは、ここらで有名な高レベル魔女の集団で、その総称らしい。
そんなヴァルプルギスの一人が、北乃宮くんの彼女で。
そして、昨日の放課後、その女と貴椿くんとが揉めたらしい。
「やっぱり北乃宮くんの彼女ってところが気になるんだけど、本題は貴椿くんが揉めたことだよね?」
一瞬すごい睨まれたが、最後まで聞くと恋ヶ崎さんは「そうなのよ」と頷いた。
「橘さん、これはわかりやすい話なのよ」
「うん。……何が?」
わかりやすい話と言われても、それでもやっぱりピンと来ない。
むしろやっぱり北乃宮くんの彼女ってところが気になる。
「うちの男子にちょっかい出してる女がいる。橘さんはどうする?」
ああ……なるほど。
それは確かに、至極わかりやすい話ではないか。
「……」
私は黙って、雑巾的なものをヒネる仕草で答えた。
両手でグリッと。
ゴキッ、とか、ベキッ、とか、ポキッ、でもいい。
「私、橘さんのそういう黒いところも嫌いじゃない。頼もしいとさえ思える」
「黒くないよ。平凡魔女の一般的な反応だよ」
平凡じゃない魔女なら、もっとすごいことを考えると思うよ。
ここ数ヶ月でしっかり学んだよ。
……たぶん恋ヶ崎さんの方が、きっともっと効果的で残忍で卑劣なことを考えてると思うよ。
確かめるのが怖いから何も言わないけど。
しかし……そうか。
ここまで言われて、ようやく穏やかじゃいられない問題が理解できた。
「うちのクラスの最高レベルって、花雅里さん?」
「花雅里さんはレベル6に近いけど、5だね。和流さんと縫染さんがどっちもレベル6。うちのクラスならあの二人が最高かな」
「ちなみにヴァルプルギスは?」
「全員レベル7以上」
……ああ、マジですごい人たちか……騒ぐのも無理はないってレベルの人たちか……
魔女のレベル認定は11段階で、1レベル違うだけで、それはもう越えられない壁と言われるほど大きな隔たりがあるらしい。
私自身はまだそこまで実感したことはないが、確かに言われてみれば、私の魔法と和流さんや縫染さんの魔法は、かなり違う物に感じられる。
たぶんあの感覚は、レベル差を肌で感じた結果なんだと思う。
「つまり、うちの男子にちょっかい出す虫が強すぎて私たちじゃどうにもできないかもしれない、ってことだね?」
別にケンカしたいわけじゃないからね。
もしうちの男子にちょっかい出したのがその辺の魔女なら、クラス全員で行って脅して「うちの男に二度と近付くな! クズめ! 『黒猫くん』のコピーやるからこれで我慢しろ!」とでも言ってやれば大体済みそうなものだ。先日のトカゲ襲撃事件も一応そういう形で対応しようとしたわけだし。
でも、クラス全員より強い相手となると、話はまるっきり変わってくるわけで。
しかも北乃宮くんの彼女でしょ?
北乃宮くんの彼女が、貴椿くんと揉めたんでしょ?
なんか話がすごくややこしい。
どんな結末を目指せばいいのかわからない。
北乃宮くんの彼女が相手と言うなら、やっぱり北乃宮くんには気を遣わざるを得ないだろう。
いくら気に入らなくても、当人同士が望むなら……まあ……認めないわけにもいかないし……
「花雅里さんは?」
こういう厄介な案件は、やはりあの1-Bのブレインである委員長・花雅里さんの意見と指示を仰ぎたいところだ。
何せ花雅里さんは、三動王さんに続いて、早々に貴椿くんの弁当を奪い取って見せたのだ。
何がどうなってそうなったのか私にはわからなかったが、とにかく奪い取って見せたのだ。
このクラスでもっとも敵に回したくない人は、と問われれば、私は花雅里さんを上げたいところだ。
レベルも高い方だし、魔法のレパートリーもかなり多いし効率的に使うし、頭は良いし、怒ると超怖いし。申し分ないリーダーだ。
この一件、花雅里さんがどう考えているか、ぜひとも聞いておきたい。動くなり考えるなりするのはそれからでもいいとさえ思える。
正直、もう動いているだろうし。花雅里さんはフットワークも軽いぞ。
「まだ来てないのよ。だからこの有様」
あ、なるほど。統率が取れてないからみんな騒いでるのか。
「連絡は取れた?」
「それが電話しても出なくて」
それはまた……
「こんな時に限って……」
歯噛みする思いだが、恋ヶ崎さんは肩をすくめた。
「たぶん今対処してるんだと思う。連絡が取れないのは、いちいち説明している時間が惜しいからじゃないかな」
…………
言われてみれば、その方が花雅里さんらしいな。
丁度そんな話をしていた時だった。
「――皆さん、落ち着いてください」
その花雅里さんが、教室にやってきた。……小脇にぐったりしている猪狩切さんを抱えて。
私だけではなく、やはりみんな花雅里さんに期待していたようだ。下手に触れるとヤバイ案件なだけに、誰もブレイン役の指示なく動こうという気になれなかったのだろう。
「他に暴走している人は? いませんか?」
どうやら猪狩切さんは、話を聞いた直後に、問題のバ……ヴァ……ギスギスの女に特攻していたらしい。
道理で真っ先に走り出しそうな猪狩切さんが大人しいと思ったら、すでに走っていた後だったか。
「どうなってるの花雅里さん!?」
兎さんが詰め寄ると、花雅里さんはいつものポーカーフェイスで答えた。
「安心してください。猪狩切さんは寝ているだけです」
「そいつはどうでもいい!」
おい。君ら仲良いだろ。
兎さんと猪狩切さんは友達だろ。どうでもいいって言うなよ。
まあ、それどころじゃないってのは、同意するが。
「結論だけ先に言うと、もう対処はしてきました。この問題は北乃宮くんのプライベートにも関わるので、誰も触れないように注意してください」
さすが花雅里さん。もう解決してきたのか。
「貴椿くんにも事情を確認しました。大したことはないし今後も揉める気はない、とのこと。更に、相手が悪すぎるからくれぐれも早まったことはしないでくれ、と言われました。――要するに、余計なことはするな、ってことですね。
だから、この件はこれで終わりということにしておいてください」
おお……もう完璧に対処してるんだな。朝一なのに。
とりあえずヤバイ魔女とやり合うことはなさそうなので、平凡魔女は一安心だ。
さすがうちのブレイン、仕事も早いし隙がない。
こうして、結構な事件がスピード解決した。
特に何をすることもなく、花雅里さんがさっさと解決してしまった。
だが、この時、花雅里さんが行った「対処」。
これが予想外の方向に事態が動く原因になることを、今の私たちは知る由もない。
事件は解決していなかった。
いや――とある人物が、意図して解決させなかった。
魔女の思考を通し、事態は思いがけない方向に飛躍することになる。




