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Witch World  作者: 南野海風
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89.魔女の穏やかな日々 十一






「この人知ってる」


 休み時間に「月刊黒猫」のページを捲っていると、ふらっと寄ってきて一緒に見ていた縫染さんが、メガネの女性を指差した。


「あ、私も見たことあるかも」


 写真でさえ感じられるSっ気たっぷりのキツい眼光と、温かみを感じさせない赤フレームのメガネ。

 スーツを着て髪をアップにしていかにも「できる女」という雰囲気があるくせに、どこか夜の背景を連想してしまうその人。

 私も、どこかで、見たことがある気がする。


 ……というか見てて不思議じゃなかった。


「九王院学園高等部教師、紫灯亜……うちの先生じゃん」


 見出しを読めば一発だった。





 「月刊黒猫」は、魔女関係オンリーの雑誌だ。

 名前だけ聞くと猫専門誌のようだが、どこを開いても魔女の話ばかりである。


 ちなみにこの名前になっている「黒猫」は、編集長の使い魔のことじゃないかと言われている。

 一応建前では、「魔女100人に聞いた、もっとも使い魔として有名な生き物は?」のアンケートで、黒猫がぶっちぎりの1位を記録したから、ということになっているが。

 でも創刊以来ずっと「編集長の使い魔(くろねこ)」の特集コーナーが紙面2ページほどを占めているので、雑誌名はただの愛猫自慢なんじゃないか、という説が有力だ。

 まあ、可愛いから私も好きだけど。編集長の黒猫。


 そんな個人のエゴさえ伺える名前と愛猫自慢コーナーとは裏腹に、雑誌としては意外と硬派だったりする。

 ページの半分以上は、社会で活躍する魔女のインタビューや仕事の功績に当てられ、丁寧に解説して記事にしてあるのだ。


 正直、魔女の歴史は浅い。

 なぜかといえば、法律上で魔女を認められたのが遅かったからだ。


 もちろん認められる前から魔女は存在していたし、魔法によって仕事現場で活躍していた人もいる。ただそういう魔女たちは、メディアで取り上げられることはなかった。

 「魔法」という常人にはない奇跡の存在をどうしたらいいのか、国どころか世界のお偉いさんが悩んだのだ。


 下手に公表はできない。

 しかし人権を無視するような乱暴な隠蔽もできやしない。仮にやろうとしても相手は魔女だ、奇跡を駆使する者だ、本気で抵抗されればどれだけの損害が出るかもわからない。

 そして、メディアが動かなくても世界に公表する術はたくさんある。

 ――とまあ、誰も声高には言えない暗黙の了解の下、魔女はひっそりと、あるいは世間には知られているけど皆が知らないふりをしている中を生きてきた。


 詳細は公表されなかったが、国の仕事に就いていた魔女もいたそうだ。

 そんな魔女が、魔法の使えない常人と共存できる可能性を示し、尽力した結果、今の「魔女も認められている世界」が作られたのだ。


 ……と、私も基礎魔女学で学んだわけだが。

 私は「魔女ができる仕事」というものをあまりよく知らないので、この雑誌を購読している。先々月からだけど。

 魔女にしかできない仕事、というのも結構あるようで、なかなか興味深いのだ。

 

 そう言えば、魔女育成校の教師というのも、魔女にしかできない仕事ではあるわけか。載ってて不思議じゃないのか。


「うちの先生が載ってるなんて、なんか変な感じだね」


 あんまり接点はないし、私も学校でチラッと見た程度だが。

 それでも、この学校に勤めている人が全国誌「黒猫」に載っているのだ。すぐ会える距離にいるのだ。


 こういう雑誌に載るような人なんて、私みたいな平均レベルの魔女からすれば、やはり雲の上くらいにいるような存在である。おいそれと会えないというか、テレビに出ている人気タレントみたいな。

 どこか別世界のことのように思っていたが……世界のどこかには実在はするんだよね。遠い存在すぎて実感がなかっただけで、ちゃんと実在はするんだよね。


「なんの記事?」


 縫染さんが興味を示した。

 いつも無表情でそこそこ無口で感情を表に出さないタイプなので、縫染さんにしては珍しい反応である。


「えっと……魔女にして騎士を育成する教師、だって」


 ざっと読んでまとめると、そういう感じのことが書いてあった。

 そっかそっか、この人は総合騎士道部の顧問なのか。


「ああ、もうすぐ騎士検定があるからだね」

「騎士検定?」

「魔女検定と同じようなもの。抗魔法アンチマジックの国家資格検定試験」


 あ、そうなのか! だから魔女学校で騎士を育成している紫先生のインタビューが、このタイミングで載ったわけだ!

 騎士の検定もあるとは聞いてたけど、もうすぐやるのか。


「そういえば、橘さん検定は? 魔女検定も同じ時期だったはずだけど」

「今回は見送りだよ」


 こちとら魔女歴二、三ヶ月の新米魔女だ。

 まだまだ魔女としての生活にも魔法にも慣れていないだろうし、この状態で試験用の勉強なんてしても身につかないだろうから、と福音寺先輩が言っていた。

 実際その通りなので、今回の試験は見送ることにしたのだ。

 何せ検定とは別に、高校の期末テストもあるしね……たとえ魔女学校でもテストからは逃れられないわけだ。


 魔女検定は、年二回。

 私は今回の夏は捨てて、冬から受けるつもりだ。

 ……何気に冬の検定も二学期の期末テストに近いんだよね。なんの嫌がらせなんだか。


「ちなみに縫染さんは魔女検定一級持ってるの?」

「うん」


 小学生の時にさらっと取っちゃったそうだ。


「いいなー……私このままじゃ卒業できないんだよね」

「大丈夫だよ。猪狩切さんでも取れたんだから」


 おっと。なかなかの毒を吐いたな。


「あの子、もう詠唱全部忘れてるから。スタンダードマジックは『瞬間移動』くらいしか使えなくなってるから」


 ……毒じゃなくてただの事実だったか。

 猪狩切さん、魔法が苦手とは言っていたが、そこまでとは……





「ん?」


 なんだか微妙な気分になっていると、たまたま近くを通った北乃宮くんが雑誌を見て足を止めた。


「紫先生か?」


 お、これまた珍しい。

 縫染さんに続いて、今度は北乃宮くんに声をかけられるなんて。今日もヘルメットみたいなヘアスタイルが決まってる。


 でも北乃宮くんはダメだ。

 魔女を家系に入れないと公言しているし、そのくせ厄介な彼女(・・・・・)がいる、らしい。

 私は詳しくは聞いていないものの、クラスメイトの、特に恋愛戦士のスルーっぷりを見ていると、あながち嘘でもないんだろうなと判断している。

 逆に北乃宮くんも、あんまり接触してこないしね。


 ……ダメなんだけどなぁ。

 でも、それでも、男子が近くにいるだけでこの胸のときめき……彼氏欲しいなぁ。


「検定近いんでしょ? その辺の記事みたい」

「そうか。……あまり意識していなかったが、やはり優秀な教師だったんだな」


 まあ、雑誌に載るくらいだからね。優秀なんだろうね。


「北乃宮くんは検定受けるの?」

「騎士道部は全員だ。……ああ、そういえば貴椿はどうするか聞いてないな」


 あ、貴椿くんといえば、最近総合騎士道部に通っているらしいね。

 そのせいで、この前乱刃さんの買い物の帰りに部屋に押しかけ……普通に部屋に遊びに行こうという目論見が見事に大はずれした。


「一応、訓練だけはしっかり積ませるかな」


 ――これが原因で、北乃宮くんは貴椿くんに付きっ切りで抗魔法アンチマジックの特訓をすることになるのだが、それは私が知ることのない話である。


「応援に行っていい?」


 縫染さんの気になる問いに、北乃宮くんはかすかに首を傾げた。


 応援?

 なんだ?


「毎回、無関係の魔女がやってきて出場選手に絡むという面倒な事件が起きている。あまり来て欲しくはないが……」

「でも、決勝くらいは行きたい」

「そこまで勝ち抜くだろうか」


 お、おいおい。


「なんの話?」


 何この露骨なハブられ感。どっちか説明してくれよ。

 ぼっち気味の私に、北乃宮くんは面倒そうな顔をすることなく、淡々と教えてくれた。


抗魔法アンチマジックの検定には二種類ある。

 一つは、技そのものの習得と知識という、あくまでも技能習得と理論を問う筆記試験。

 もう一つは、どこまでも実戦に近い形で技を競う、実地試験。

 後者の実地試験は、勝ち抜きの試合のようになっているんだ。勝ち抜ければ全国大会もある」


 え、そうなんだ!?


「そんなのあるんだね」


 今の北乃宮くんの説明でいうところの前者、筆記試験については知っていたが。

 でも実地試験があるなんて初耳だった。


「極端に言えば、抗魔法アンチマジックは魔女に対抗する技だからな。実戦で使えてこそ……というか、実戦で使えないとあまり意味がない。実地試験があるのは当然だと思うが」


 理屈の上ではそうなんだろうね。

 でも道徳観念的に言えば、男子に魔法で害をなすような魔女は、どうかと思うけどね!


「邪魔したな」


 北乃宮くんは行ってしまった。


「……実は、初めて近くで見たんだけどさ」


 北乃宮くんと話したのは数回、何気にこんなに近くで話したのは初めてだった。


「本当にヘルメットみたいな頭だね」

「うん」


 彼はどういうつもりであんな髪型なんだろう。

 なんか昔のテクノ系バンドの人が同じような髪型してた気がするが……ナチュラル系は嫌いなのだろうか? 





「……」

「……」


 ふと、縫染さんと見つめ合う。

 その無表情には「そろそろいいんじゃないか?」と書いてある……ような気がする。


「そろそろいいと思う」


 あ、言った! 口に出して!


「縫染さんは好きなんだね」

「橘さんは違うの?」


 うーん……嫌いじゃない……むしろ超好き……なんだけど……


「私はもっと初々しい方がいいかなぁ。鑑賞用なら大好物なんだけどね」

「それもよくわかる」


 理解を示されてしまった。……いや、まあいいんだけどね。


 見たいと言うなら一緒に見よう。

 とりあえず紫先生の記事はあとで読むとして、ページを思いっきり飛ばして「黒猫」最終ページ付近のコーナーを捲る。


 そのコーナーの名は「今月の黒猫」。

 「編集長の使い魔(くろねこ)」がでかでかと、そして堂々と紙面を飾っている。

 縫染さんのような熱狂的なファンがいて、雑誌で一番人気を誇る企画だ。


「おお……」


 声を漏らしたのはどっちだっただろう。

 第一ボタンが外れているカッターシャツにチラリと覗く鎖骨に情け容赦なく注がれる、私と縫染さんの熱い視線。


 今月の黒猫の写真はスクールスタイル。

 どこぞの教室で、机の上に座り窓から差し込む光の中、緩めたネクタイと淡い色のベストという高校生風の少年が魅惑の笑みを浮かべている。

 つややかで柔らかそうな短い黒髪に、頭から吐出する二つの三角……黒い猫耳が特徴的だ。イタズラ好きな少年を思わせる大きな緑色の瞳が、人ならざる魔性の魅力を放っている。

 これ以上の美少年など、テレビでも写真でも、見たことがない。


 なんというか……もうたまらん! という感じである。

 実際こんな男子が目の前にいたら、もう自分を抑えられる自信がない。

 絶対に「もっとネクタイ緩めたらいいよ」くらいは言ってしまうことだろう。なんなら緩めてあげてもいい。いや緩めさせてください。お願いします。なんなら私がネクタイになってもいい。ネクタイと呼んでください。お願いします。


 これが「編集長の使い魔(くろねこ)」である。

 名前は公表されていない。魔女のちょっかいがあると面倒だからだろう。通称として「黒猫くん」というのが定着している。毎月ファンレター1000通超えの超売れっ子看板猫である。


 使い魔は、魔女と一心同体だ。

 年月を重ねて理解を深め、魂の同化が進むと、使い魔はしゃべれるようになったり、主の魔力を使って魔法を使うことができたりする。理屈としては「魔力を持つ生物」……魔獣に近い存在になる、という解釈になるそうだ。

 こうして人間型(・・・)になるのも、そこまで珍しいことじゃない。

 ただ、そこまで行くのに何十年も掛かることもあるらしいが。


 でも、私はやっぱり鑑賞用止まりだ。

 あまりにも美形すぎて、こんなのとどうこうなんて考えられない。こんなのが目の前に実在するリアルを思い描けない。

 それに私は、黒猫の方の「黒猫くん」も可愛いと思うし。

 そっちの方がリアルに触れ合える気がする。超撫でたい。顎とか撫でたい。


「これはなかなか……今月も買いか……」


 縫染さん、本当に「黒猫くん」好きなんだな。


「こんなクラスメイトいたらどうする?」


 あの縫染さんが何かに興味を抱くというのが珍しいので、これまた興味本位で聞いてみた。


「――まず邪魔なカッターシャツのボタンは全部引きちぎるかな。左右にバーンと開く。そして魅惑の肉体を見る。まずはそれからだよね。

 でも本当の問題なのは、次のステップ。

 上から攻めるか(・・・・・・・)下から崩すか(・・・・・・)

 こればっかりは、そう簡単に結論が出る問題じゃない」


 即答だった。

 眉一つ動かすことなく、「黒猫くん」を凝視しながら、即答だった。


 すでに彼女の頭の中では、哀れ「黒猫くん」はシャツを剥ぎ取られている最中なのかもしれない。


「縫染さんって大人しい顔して大胆だね」


 本当にびっくりだ。

 驚きすぎてリアクションが取れないくらいだ。

 それとも、魔女歴が長いとこういう発想の人があたりまえになるのだろうか。少し前まで魔女じゃなかった私にはない、力技が旺盛な思考回路である。私なんてせいぜいネクタイ止まりなのに。


「……」


 縫染さんはすすっと私の耳元に顔を寄せると、


「貴椿くんには内緒だよ?」


 そう囁き、心なしかニヤリと魔女らしく笑いながら去っていった。


 



 クラスでは比較的まともだと思っていた大人しい縫染さんも、やはりバリバリの魔女だった。

 根っからの魔女だった。

 しかも大胆だった。


 みんなガツガツ行きすぎだろ……だから男子が思いっきり引くんだぞ…… 


 まあ、それはともかく。


 「今月の黒猫くん」もアリだ。大いにアリだ。

 帰ったらコルクボードに貼っとこうっと。










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