87.魔女の穏やかな日々 九 後編
「それでは、手分けして探しましょう。橘さんは乱刃さんの手を離さないように」
「りょーかーい」
「おい」
非常に何か言いたげな乱刃さんだが、すっぱり無視して頼もしき女たちは散っていく。
そして私は、乱刃さんと手を繋いでいる。
彼女の不満げな顔が、私に向けられた。
「おい。私は小さな子供か? 迷子になるとでも言いたいのか?」
「ここ広いから、一度分かれると合流するの大変なんだよ」
「では委員長たちはなんだ」
「携帯持ってるから。乱刃さんないでしょ?」
「……ない」
「それに、乱刃さんに選んでもらいたいものもあるから。私たちはこっち」
所狭しと商品が並ぶ棚、棚、棚。そんな棚からはみ出したかご。ダンボールのままむき出しになっている激安飲料の缶とペットボトル。ここは予想だにしない意外な物もあったりするから、見て回るだけでも結構面白かったりする。
私も色々見て回りたいが、今日は乱刃さん優先だ。
「待て。菓子があるぞ。買っていこう」
「はいはい、後で後で」
抵抗著しい小さな子供の手を引っ張り、魅惑のお菓子コーナーを素通りする。
えーっと、場所が変わってなければこの辺……ああ、あったあった。
「ほら、これ」
奥の棚の一角には、いわゆる布的なものが並んでいる。
種類はあまりないし、生地もペラッペラだし、本当に困った時の緊急用程度のものだが。
「……パンツか?」
「うん」
とりあえず間に合わせだ。
いずれ夏に向けて来るであろうバーゲンまでの繋ぎでいい。その時に、多少良いものを買わせればいい。とにかく乱刃さんの下着のストックを増やしておかないと不憫だ。
「パンツならあるぞ。今も穿いてるし」
あたりまえだ。
穿いてるのは当たり前だ。
そのセリフが出ること自体が怖いわ。穿いてない時もありそうで怖いわ。
「一枚だけでしょ?」
「二枚だ」
どっちにしろヘビロすぎるだろ。二枚じゃ負担が半端ないぞ。
「だったら買いなさい。せめて十枚は欲しいけど、今回は間に合わせだから五枚あればいいよ」
「そ、そんなにか? 一、二枚で事足りるではないか」
どこまでこの娘は自覚がないのだろう。
「足りないから買えっつってんだ。田舎者とか都会とかもう関係ない、女子高生として買えっつってんだ」
「女子高生として……とは、なんだ? 私はすでに女子高生ではないか」
本当にわかってない奴だ。
ここまでわかってない女子がいていいのか?
いや駄目だろ。
現代日本において許されないだろ。
「いい、乱刃さん。よく聞いて」
私はがしっと世間知らずも甚だしい幼児の顔を掴むとずいっと顔を寄せて。
鼻が付くんじゃないかというくらい近づけて。
戸惑う瞳の奥底まで見詰めて。
重く、囁く。
「おまえはまだ女子高生じゃない。ただの高校生の女子だ」
女子高生と、高校生の女子。
この二つは同じ意味のようで、内実まったく別物であると私は断言できる。
だから腹が立った。
女子高生やってない乱刃さんと、女子高生であると自負している私を、私たちを、同列に並べたことに。
たとえそこに言葉通りの意味しかないのだとしても、怒らずにはいられない。
今の乱刃さんが自身を「女子高生」と呼ぶのは、全国の女子高生を代表して、私が怒るべきだと思う。
いや、怒るべきである。
「女子高生ってのは、方向性は数あれど、女子として頑張ってる連中なんだよ。青春の半分くらいは平気で女を磨くことに捧げてる戦士なんだよ。女子として全然頑張ってない乱刃さんが語るのは十年早いんだよ」
「……」
「わかった?」
こくこく頷くので、開放した。
いやあ……今まで溜まってた分、ついに言ってやったぞ! すっきりした!
「……千歳の気持ちがよくわかった」
小さく呟いた乱刃さんは、私から少し遠ざかった。
「……私も、女子高生が、怖い……あの目は危険すぎるだろう……」
なぜか震え上がっていた。
「橘。おまえはきっと、殺意を発することなく人を殺せる……まるで息を吸うかのようにな。そういう目をしていたぞ……」
そんなことできるか。
だいたい私でそれなら、マジギレした恋ヶ崎さんに説教されたら泣いちゃうぞ。この乱刃戒改造計画に一番乗り気なのは、誰が見ても女子高生を生きていると言い切るだろうあの恋愛戦士なんだから。本気具合が私とはまったく違うんだから。
「私がごねたら、そのまま首をひねっただろう?」
できるかそんなこと。女子高生をなんだと思ってる。
「寝ぼけたこと言ってないで、いいからとっとと選びなさい」
乱刃さんはキビキビと己がするべきことをこなしてくれた。
何がどうなってどう作用したのかよくわからないが、とにかく女子高生というものを少しはわかってくれたようだ。
乱刃さんは柄も色も頓着せず、……まあそもそも選べるほど種類もないのでさっさと下着関係のチョイスを済ませた。ついでに私も緊急用に三枚ほど購入しておく。
そこからスポブラと靴下とハンカチ、ポケットティッシュ、ウェットティッシュ、ミラー、埃取りブラシとコロコロ、乱刃さんが「買って買ってー」と言って駄々をこねた握力を鍛えるグリップと見て回り、瞬く間に30分が経過していた。
思ったよりこっちが早く済んだ。
花雅里さんたちはそう時間も掛からない物を集めているので、そろそろ合流してもいいだろう。
携帯で連絡を取り、すぐに合流する。ちなみに和流さんはメールだけだ。しゃべらないから。
「――えー、シャンプー、リンス、コンディショナー、ボディソープ、ハンドソープ、洗顔クリーム、乳液とスパスプレーとスキンローション、消臭スプレー、それと寝癖直しと――」
かごにどっさり入れてきた兎さんが、一つ一つ指差しして持ってきたものを説明する。
他人事ってわけでもないけど、やっぱり女子高生って大変だよなぁと思わずにはいられないアイテムの量だ。これで必要最低限なんだよね……乱刃さんじゃないけど、改めて見るとやっぱり大変だとは思う。
「小じゃれた液体ばかりだな。石鹸一つで済むものを……」
「あ?」
「すまん。なんでもない。我が人生の供をしてくれた固形物への未練はもう捨てる。石鹸はもういい」
うんうん。従順になったもんだ。
女子高生を理解してくれてよかったよかった。
「こちらも選んできました。タオル各種、お風呂と台所の洗剤、スポンジとたわし、冷蔵庫用の脱臭炭と部屋用の脱臭剤。シャープペンやボールペンなどの文房具はご自分で選ぶべきかと」
花雅里さんもたくさん持ってきてるなぁ。
「ん?――ああ、そうだったね」
和流さんの顔を見て、兎さんが意を汲み取った。なんでわかるんだろう?
「貴椿くんが、くれぐれも財布を買わせてくれって言ってたよね」
あ、言ってたね。確かに。
「ここで選んでいいのかな?」
個人的に、財布は少し良い物を持っておいた方がいいと私は思っているのだが。
……昔に経験した、小銭入れのところに穴が空いて小銭がポロポロ落ち、落ちるたびに拾うことになるあの面倒臭くも切ない気持ちは、今も忘れられない思い出だ。
もうレジのたびに、財布を出すたびにポロポロポロポロ、チャリチャリチャリチャリ落ちるのだ。
気に入っていた財布だけに、捨てることも新しいのに乗り換えることも考えられず、余計面倒なことになっていた。
作りが甘いとすぐダメになるから、高級ブランド物とは言わないが、少しはしっかりした物がいいと思う。日常的に使うものなら尚更だ。
「そうですね。学校で持ち歩く程度なら、財布と言わず小銭入れがあれば充分でしょう。小銭入れくらいならここで買ってもいいと思いますが」
あ、そうか。財布じゃなくてもいいのか。
「とりあえず見てみて、気に入ったら買えばいいんじゃない? って是音が。私も同じ意見」
うん、それがいいだろう。
「じゃあ乱刃さん、そういうことで」
「うむ。任せる」
「話聞いとけよ。自分で選べっつってんだ」
「う、うむ……わかったから、もうそんな目で見るな……」
さっきからやたら露骨にビビッてるけど、どんな目してんだよ私。
こうして、100均で4000円を超えるという驚きの買い物が終わり、適当にお茶して帰ることになった。
花雅里さんは家の方向が違うので100均後に行った喫茶店で別れ、寮が近い私たちは荷運びも兼ねて乱刃さんの部屋に寄ってみた。
さすがに量が多すぎて重くなってしまったので、パンパン膨れ上がった買い物袋は和流さんが運んでくれた。
見た目は持っているけど重さを調整できる『浮遊』という魔法を使えば、ある程度の重さなんて関係ないのだ。私も早く覚えたい魔法だ。
……九王荘2号はアパートらしい外見らしく、中は畳の和室なのか。私の入っている寮はフローリングなんだけどなぁ。部屋割りは同じっぽいけど。
「上がるか?」
「何もないでしょ」
部屋の備え付けで用意されているものはあるが、乱刃さん自身が買い揃えた物はない。当然お茶もないし、見るものもない。
何より、乱刃さんは今日の修行が残っているはずだ。
何かに誘うたびに「修行がある」で躱されているんだ、さすがに憶えた。
「でもついでに貴椿くんには挨拶していこうかな!」
待て兎さん! 言い出すタイミングが早い上にテンションの上がりっぷりから「ついで」じゃなくて「荷運びは貴椿くん目的です」って本音が駄々漏れだ!
「なんだ千歳に用があるのか。でもあいつは今いないようだが」
「えっ」
「何せ壁の薄い隣の部屋だ。この距離なら気配くらい読める。今は誰もいないぞ」
女子高生としては認められないが、それ以外では頼もしい限りである。
……いないのかよ。
そういや今日は総合騎士部がどうこう言ってたもんな……
……なんだ……いないのかよ……
そして翌日。
「どうだ?」
「うん、いいと思うよ」
シャンプー各種を使ってみた感想は、「とても良い物だ」だそうだ。教室に来るなり自慢してくるんだから気に入ったのだろう。
まだまだごわごわで枝毛だらけだが、それでも多少の輝きを取り戻したらしく何度も髪自慢をしてくるのが面倒だが、子供がはしゃいでいると思えばかわいいものだ。
女子高生にはまだまだ程遠いが。
でも小学校低学年くらいには追いついたのではないだろうか。
「……ところで、橘」
「ん?」
「昨日言っていた……ト、トリマーメンズとは、なんだ?」
ト……え?
「何それ? メンズの仲間?」
トリマーと言えば、アレだ。
動物の毛をカットするお仕事じゃなかったか。
つまり、イケメンのトリマーのことか?
……乱刃さんの口から出ていい単語じゃないと思うんだが。
まだまだ小学校低学年のくせに、生意気にメンズの話とかするなよ……いや、するか。私J系の誰が好きとか嫌いとか、してた気がするし……
「知らん。だが和流の髪を触りながらどういう言っていたではないか」
……ん?
……あっ!
「トリートメントのこと!?」
何この変化!?
昨日まで見向きもしなかったくせに、もう興味津々じゃないか!
――乱刃戒改造計画は、こうして動き出した。




