86.魔女の穏やかな日々 九 前編
「いてて…………じゃあ行こうか」
「その前に聞かせろ。橘、おまえはいったい何がしたかったのだ?」
「何って、さっき言った通りだけど?」
「仕返しか?」
「そう、仕返しだよ。……失敗したけど」
あの男の手作り弁当を取られて、気落ちしている乱刃さんのために、仕返しを決行しただけの話である。
「明らかに乱刃さんの仇討ちより、個人的な欲求の方が優っていたように見えましたが」
「気のせいだね」
さすがは委員長と言わざるを得ない洞察力だが、本当に乱刃さんのためである! ……二割くらいは。
今一度、今一度あの三動王さんの魅惑の腹筋を揉みしだき撫で回したいのだが、どうにもガードが硬い。
元々、三動王さんは乱刃さんに並ぶくらい常人離れした運動神経をしているので、むしろ初回の不意打ちが成功したことこそがイレギュラーだったのだ。
狙い目は、男にデレている時か……それも稀なのになぁ……
――それにしても、乱刃さんに殴られた頭頂部を三動王さんにもやられたわけだが、あれは狙ったのだろうか? それとも偶然当たっただけなのだろうか?
後者ならともかく、前者なら、三動王さんがどれだけ腹筋揉まれるのを嫌がっているかが現れている気がする……私自身が嫌われてるわけではないとは、信じたいところだが……
「そろそろ行かないか、と是音が」
ああ、うん。
私の仕返し(未遂)も終わったことだし、そろそろ行くか。
私の用事も含めてようやくメンバーが揃ったので、私たちは教室を出た。
話自体は、月曜日からあった。
しかし突如湧き上がった男の弁当争奪戦が、仲良く買い物に行くなんてイベントを許してくれなかったのだ。
乱刃さんが貴椿くんにお弁当を作ってもらった経緯を聞いて、ようやく動く気になった。
そう、今日こそ乱刃さんの生活用品を買いに行くのだ。
参加メンバーは、乱刃さんは当然として、私と委員長・花雅里さんと、兎さんと和流さんの五人だ。
他のクラスメイトも、特に星雲さんと恋ヶ崎さんが付いて行きたいと強く希望していたが、弁当イベントで日程がズレたので残念ながら一緒ではない。
スケジュール通り月曜日決行だったら、あの二人も一緒だったのだが。
「何を買うのかいまいち把握していないのだが」
乱刃さんはあまり乗り気じゃなさそうだが、もうここまで話が進んでしまった以上、ごねるつもりもないようだ。
まあごねても踏み切るつもりだが。
乱刃さんのお財布事情がわからない以上、お金のある今のうちに、必要最低限は確実に揃えさせなければ。
そのために貴椿くんも、乱刃さんにバイトをさせたのだ。
たぶん乱刃さんにバイトさせるために色々あっただろうし、貴椿くんには似合わない厳しいことも言ったりして説得したのだろう。実際揉め事も起こったみたいだし。学園長まで出張ってきたらしいし。
骨を折った彼のためにも、このミッションは必ずやり遂げねば。
廊下を行き、階段を下りつつ。
「和流さんがこういうことに顔を出すのは珍しいですね」
花雅里さんがそう話を振って、そういえばと気づく。
そういえば、乱刃さんと和流さんが話をしているところって見たことないな。というか仲が良い悪い以前に、ほとんど接点がなかったのではないだろうか。
……まあ、根本的なことを言えば、和流さんしゃべらないし。私だって今だに声さえ聞いたことがないし。
「みんな集まるところにしゃべらない奴が顔を出すと場がしらけるから、って遠慮してるんだよ」
と、兎さんの説明が入る。
そうか……首振りで簡単な意思疎通はできるからあんまり気にしていなかったが、意外と本人が気にしていたのか。
「今日は参加人数が少ないし、是音も買いたいものがあるんだって」
これも才能の成せる技なのか、それとも人間も大分して動物と言えるからなのか、兎さんは和流さんの目を見るだけで、何が言いたいかを結構細かく見抜いたりする。
和流さんの綺麗な瞳はものすごく語りかけてくる感じがするので、漠然とした意思くらいなら私にもわかる。
が、具体的なこととなるとさっぱりだ。
無言でもコミュニケーションが成立するせいか、兎さんと和流さんは仲良さそうだ。何せ下の名前で呼んでるくらいだし。
しかし、これはちょうどいい。
兎さんと一緒にいる今なら、和流さんと話ができそうだ。実はずっと話してみたかったんだよね。
「和流さん、髪すごく綺麗だよね。ちょくちょくお店で手入れしてもらってるの?」
和流さんは顔も綺麗だし、瞳も綺麗だし、髪も綺麗である。
素材の差……と言われれば、残酷なまでにそれまでの話なのだが。
しかし髪だけは手入れでなんとかなりそうなもの!
顔とかスタイルは無理でも、髪くらいはなんとかなりそうなもの!
というか髪くらいどうにか並んでくれないと、本格的にこの身を授けた神か、この身の遺伝情報を伝達した両親を恨みかねない!
「私も興味あります」
「あ、私もあるわ。是音、その辺どうなの? というかちょっと触らせなさいよ」
兎さんが無遠慮に手を伸ばし、和流さんの髪に触れる。どさくさまぎれに私も花雅里さんも触ってみる。
うわっ、すごいサラッサラ! CMで見るタレントとか女優みたいな……何これ!? 美人は髪まで美人ってか!? くそー……しかもイイ匂いまで……!
「早く行かないか?」
一人まったく興味がなさそうな乱刃さんは、さっさと靴を履き替えて校舎を出ていた。……興味なさすぎだろ……
とりあえず、必要最低限である。
詳しくは聞いていないが、乱刃さんのお財布環境がわからない以上、今後のことも考えれば無駄遣いはできない。
そういう事情を汲んで、ここだ。
「こ、こんな店があったのか……!」
庶民の味方、100円ショップである。
駅の近くなので、九王院学園からは少し歩くが、駅付近までくれば大抵の物は手に入るのでやはり便利だ。特に100円ショップは貧乏学生には助かる店である。……まあ値段が値段だけに過信は禁物だが。
「はいはい、行った行った」
ただでさえお足元の悪い日である。出入り口でぐずぐずしていたら他のお客さんにも迷惑だ。
感動している乱刃さんを感動ごと押して、私たちはやたら派手に「100」を主張する店へと踏み込んだ。




